〔二十五話〕 共闘、そして
回りだす。くるくる、くるくると。
微弱だった回転が歯車を得たことで、全体へとその動きを伝えるように。
歯車はあと、もう少し。
場所は戻って、苅野屋。
一日貸切ということで信介に話をつけ、座敷に団を取る。テーブルを挟んで天一と康が真紅の向かい側に座っているが、和菓子が来るまで誰一人として言葉を発する気配がない。
互いに警戒しているというわけでもなく、気まずいというわけでもない。ただ黙っているのが当然のような、奇妙な一体感が真紅たちの間に漂っている。
信介の巨体が小さな盆の上に三つの和菓子を載せてやってくる。相手が真紅の探していた人物だと理解しているのか、彼が貸切を提案してくれたのだった。
和菓子と温かいお茶を前に、三人はただ黙ってその味と風流に舌鼓を打った。
「……いい店だな。お前の関係者の店か?」
「ああ。昔世話になっていた人の店だ」
「そうか。和菓子にうるさい仲間がいるんだけど、今度つれてこようかな」
主に話をするのは真紅と天一。康は全てを見守るように、いや、むしろ我関せずと言いたげに茶を啜っているだけだった。見ようによっては和菓子に夢中になっているとも取ることができる。
信介は言葉こそ発しないものの、座敷の入り口に控え、じっと事の成り行きを見守っている。
「さて、本題に入ろうか。昨日は助かった。危うく死にかけてたからな」
「そうだったのか? 一人でも十分やれたと思っていたんだが」
「いやぁ、あいつらよくわからない技術を使いやがる。一回追い詰められちゃってさ」
何事もなく言ってのけるが、真紅にとっては驚愕の事実といってもよかった。
対峙したあの時は誰かに押されるなどありえないほど重く、強烈な威圧感を放っていた。その相手が負けそうになるなどと、真紅の感覚から言わせれば”ありえない”ことの範疇だった。
「お前さんが何で俺を探していたのかは想像がつく。あの組織をぶっ潰すために力を借りたいんだろう?」
「そうだ。こっちの動向がばれた可能性がある。だから少しでも戦力をそろえておきたい」
「そういうことなら俺も力を……」
「こら、天」
簡単に承諾しようとした天一を、黙っていた康が止める。首をかしげる天一を見る限りでは、なぜ止められたのかまったく理解していない様子だ。
「恵理ちゃんが許可を出してくれると思うか? ただでさえこっちに交換留学することを嫌がっていたんだぞ? 変なことに関わっていると知られたら乗り込んできてでも止めるに決まってる」
「何で恵理の話が出てくるんだよ。あいつとは関係が……」
「ないって言えるかい? 天のことだから恵理ちゃんが泣きついたら、あっさりと陥落されちゃいそうじゃないか」
言葉に詰まるその姿は、どうにも頼りない。出てきている名前は間違いなく女のものだ。天一の彼女ということだろうかと考えてしまい、真紅は自分の邪推を振り払うように大きく首を振った。
しかし確かに大切な人が行動を止めてきたとしたら、はたして真紅ならば自分の意志を貫くことが出来るのだろうか。そんな存在がいない真紅には到底理解できないことだったが、少しだけ羨ましくも思えてくる。
「え、恵理にはばれないように行動すればいいだろ? それにあいつだって、正しいと思った行動ならかまわないって言ってたじゃねぇか。俺は自分の行動が正しいと思って行動してる。あいつだってわかってくれるさ」
「……本気で言ってる?」
「……ごめんなさい、嘘つきました。恵理さまが納得してくれるはずがありません」
その理恵という女の子がどれほど怖い存在なのか、天一の神妙な表情と必死で止める康の態度を見るとよくわかる。あれほど強い男が恐れおののく相手なのだ、並みの女の子ではないだろう。
ともかく、難色を示していることだけは確かなようで、最後の望みは消えかけていた。真紅の中は既に次の対抗策をどうすべきか、数種類の手段が渦巻いていた。
「それでも、困ってるやつがいるんだぞ? 俺たちが助けてやれる人たちが、まだいるんだぞ? 見ないふりをしてろってのかよ?」
「……そんなに気に入ったのか?」
「おう。なんか文句あるか?」
胸を張って自分の主張を押し通そうとする天一。その言葉こそなんとなく説得力がないものの、真剣な瞳は康の瞳にしっかりと向けられ、言い負かしていたはずの康が今度は言葉を詰まらせる。天一の意志の強さ、それに押されているのか、呆れているのかはわからない。しかし次に彼が放つ言葉は、真紅も天一も、完全に予想できていたものだっただろう。
「はぁ……わかった。恵理ちゃんには俺から連絡しておく。上手く誤魔化しておくから安心してくれ」
「よっしゃ! だからお前大好きさ!」
「なっ!? こ、こら天! ひっつくな、頬ずりするな! 暑苦しいんだよ!」
「……いろいろ、大変なやつらだな」
真紅の独り言に、背後の信介が頷いたような気がした。
――――――
お互いの連絡先を交換して、ひとまず真紅と天一たちは苅野屋の前で別れた。
今日明日中にどうにかなる話でもないため、互いの仲間たちに伝えたりする時間も考慮して、少し時間を空けようという話になったのだ。
それを言い出したのは、康だった。
康としては少しでも時間を空けて、恵理をどうやって言いくるめようかという案を必死で考えたかった。真紅は事情を知らないし、天一は異常に楽観視しているから考えなどあるはずもなく必然的に自分一人で打開策を打ち出さねばならないのだが、これがそう簡単な問題ではなかった。
おそらくは、康が知っている女性の中でも最強の人。性格然り、体術然り、世渡り然り。ともかく最強なのだ、彼女は。千里眼でも持っているかのようにこちらの内情を把握し、痛いところをズバズバとついてくる。康がもっとも苦手とするタイプの人だった。
天一と康、恵理は幼い頃から一緒だったため、さまざまな癖や弱点を互いに知られているという点においても苦手といわざるを得ない。
「はぁ……どうしようか、本当に」
安請け合いをしてしまったな、と今更ながらに後悔してしまう。
「どうしたんだよ? さっきから暗い顔してさ」
「お前が羨ましいよ、天。恵理ちゃんのことになると強くなったり弱くなったり、波が激しいんだから。たまには俺も、恵理ちゃんに強く言い返してみたいものだよ」
かっかっ、と豪快に笑い、天一は康の鼻先に人差し指を突き出し、左右に振って見せた。その意味が、長年一緒だったとしても康には理解できない。
「俺が強く出れるときはな、あいつの弱点が如実に出てるときだけなんだよ。お前は、まぁ当事者だからわからないかもしれないけどよ」
「はぁ?」
「いや、やっぱりわからないか。なら一つだけ、お前が今度なんか奢ってやるって言えば、一発であいつの機嫌は直るぜ」
未だにわからなくて康は首をかしげる。その動作がつぼにはまったのか天一は笑いを押し殺し、けれど押し殺しきれなくて決壊したダムのように馬鹿でかい笑い声を撒き散らす。真昼間の道路ではどう見ても不審人物だったが、康には既に止める気力も注意する意志も残されていなくて、ただただ溜め息を吐き出すことしか出来なかった。
周囲の目も完全になくなり、天一が笑い終えるのを待ってようやく康は聞きたくてしょうがなかった質問を投げかけた。
「……どうして、彼に協力しようなんていいだしたんだ?」
たった一度、互いに顔すら見せずに打ち合った相手。敵対関係にあったわけではないが、解せない。
普段の天一は、確かに馬鹿で何も考えていないような行動をすることもあったが、それでも彼なりにしっかりとした考えを持ち、最後には自分の望んだ状況、結末に持ち込むことが出来るような策略をめぐらせていた。だが今回の彼の決断はあまりに普段のそれとはかけ離れている。軽率、といっていいだろう。
天一はしばし思案するように口元に手を沿え、探偵のような大仰なポーズを取って見せ、肩をすくめた。
「しいて言うなら、そうだな、同類だったから、かな?」
「同類? 誰がだ」
「俺と、あいつがな」
天一は自分の手のひらを覗き込み、口元に嘲笑を浮かべた。
それは時折見せる、天一の暗部。康が知らぬ間に、天一一人で抱え込んでしまった何かが彼にそういった態度をさせていた。
それが、どうしようもなく悔しい。
何があったのかは知らない。何かがあったことは確かで、その場に居合わせられなかった自分の不甲斐なさもそうだったが、それを相談してもらえないことにも悔しさがこみ上げてくる。
いつも一緒で、隠し事などない関係だと思っていた無二の親友。その親友に頼ってすらもらえない自分。
どうすれば話してくれるのか。それとも自分では絶対に知ることが出来ないのか。
「……どうした、康?」
「なんでも、ないよ」
歯が軋むほど食いしばっていたことに気づいて、全身から一度、無駄な力を全て抜き去る。
今、考えるべきことではなかった。今はただ、天一のために、親友のために自分が出来ることをしてやる。それだけを考えて行動していれば、それでいい。
一抹の寂しさと不安を内包しながらも、しかし康は普段と変わらぬ聡明さをもってしてこれからやってくるであろう災難に向けて心の準備を始めるのだった。
なんだかんだ言ってもう二十五話です。早いものだとしみじみ実感しているわけです。
さて、しょうもない話をさせてもらいますと、来週から我が大学が夏休みに入ります。ヤッフー!
と、喜んでいられればよかったのですが、そのせいで更新速度が遅くなるやも知れません。
普通逆じゃない? と自分でも思いますが、夏休みは実家に帰省すると思うのです。そうすると、実家はネット環境が整っていませんから、更新できない→なんだか書く気力がなくなっていく→他のことに目がいってしまう→放置。
とまぁこのような負の連鎖が……。
ともかく、次話はできるだけ早く更新します。ではでは〜。




