〔二十一話〕 少年と烏
人外のものと戦う少年。
戦い続けるその意味を、少年は理解しているのだろうか。
闇に潜む烏を見据え、少年はただ刃を掲げる。
敵の襲撃もなく、何の障害もないまま目的地にたどり着いた真紅は叶から預かっていたキーで鍵を開け、室内へともぐりこんだ。人の気配を感じないことから、真紅の目的が察知された様子もそれどころか侵入を発見された様子もない。
さっき出会った侵入者がナイトメアの注意を逸らしてくれているのか、それとも思っていた以上に警備がずぼらだったのか。どちらにせよ真紅にとってはどうでもよいことだった。
「それで? どの辺に設置すればいいんだ?」
『そうね、仕事机があればその周辺に。ばれないようにカモフラージュしてくれればいいわ』
「わかった……設置した、これでどうだ?」
『待って……オッケー、何か話してみてくれる?』
机の影に括りつけるように盗聴器を設置し、適当に、だが小さく声を上げてみる。
『うん、感度良好。問題ないみたい。これ以上そこにいる必要はないわ、帰ってきて』
「わかった。脱出ルートは最初のままで……」
言いかけて、ふと脳裏にあの侵入者の声がよぎった。
喉元に何かが突き刺さっているような不快感。
何だというのだ、いったい。
「……叶、ジャミングが切れるまで、あと何分ある?」
『え? えっと、二十分くらいは……』
「十分だ」
それだけあれば、まだ。
真紅にもやれることが残っているから。
――――――
それは喩えるなら、巨大な蛇だった。
不規則にうねる太い胴体と、獲物を引き千切らんとする凶悪な意志。回転を効かせ、防御の上からも骨に響いてくる衝撃はどんな斬撃よりも強力なものだろう。
力では、圧倒的に負けている。
「ふふふ、ふふ……ははははははは!!」
「ちぃ! まるっきり悪役だな」
弾くことすら出来ず、少年は後方へ退かざるを得ない。右腕に訪れる鈍い痛みは筋肉の悲鳴か、はたまた強者と出会えた喜びか。
少なくとも今は、戦うことしか出来ない。
「悪役……いい響きです」
「どっかズレてやがるな、こいつ」
鞘に納めたまま防御に徹していたが、その鞘にもヒビが入っていた。
力の分析は出来た。あとはその力に正面からぶつかって、どこまで楽しめるのか。
少年は雪色の柄を握り、足を止めた。
「どうしました? 逃げ回るのは終わりですか?」
「そうだな……ここからは本気で相手してやるよ」
目線と水平に、日本刀を掲げる。右手は柄に、左手は鞘に添えて。
全身の力を均等に抜いて、少年は自身の相棒に語りかける。
――勝てるよな? 相棒。
心で思っただけで、しかし相棒は答えを返してくれる。
当然だ、と。
少年は口元に冷笑を浮かべ、告げた。
「――手加減は出来ないぞ。なぁ、不知火!」
日本刀を抜き、少年は駆けた。
空気を切り裂きながら迫る鞭を紙一重でかわし、距離を詰める。烏丸が接近に気づくよりも速く、左手の鞘で鞭を弾き、右手の刃をその喉笛へ突き立てる。
寸前で体制をひねり、その刃をかいくぐった烏丸を、少年はなおも追撃する。片足で鞭を蹴り飛ばし、その反動を利用しての斬撃。真横に伸びる三日月を描くように打ち出されるそれは、今度こそ烏丸の喉を打ち払ったように見えた。
「くく……ははははは!」
しかし、その一撃すら完全に封じられた。
弾き飛ばしたはずの鞭を自分の後方から回しこんで、首筋に巻きつけるようにして防御に回していた。そんなことをすれば斬撃の衝撃を殺しきれず、背骨と首の骨を折ってしまうだろうに、それでも烏丸は何事もなかったかのように笑っていた。
「速いですね、私以上ですか。くく……本当に面白い! これなら健三や新と戦う時と同じ快感が味わえそうです!」
挙げられる名が何物なのかは知らない。そんなことを気にする余裕もない。
「では……今度はこちらの番です!」
身構える隙すら与えずに、烏丸の攻勢が始まる。
瞬時に後方へ飛びのこうとしたが、少年の日本刀は無意識のうちに自分の背後へと向いていた。真後ろから迫っていたのは丸太のように太い鞭の一撃。身をひねり、その一撃を防いだのはよかったが空中だったために踏ん張れず、そのまま数メートル吹っ飛ばされる。
「がぁ――!」
喉から漏れ出た息は痛みを伴って、体の芯に響いた衝撃を外へと吐き出すように。
鞭の追撃から逃れるために少年は衝撃を殺さず、さらに後ろへと跳んでいく。
「ち……反則級だな」
一撃の重さも、速さも、繰り出された角度も、全てが反則と言ってもいい。
死角からどころか、完全に真後ろからの攻撃。しかもどんな打撃よりも重く、鋭いときた。少年の勘がもう少し鈍かったなら今の一撃で全てが終わっていたことだろう。
「仕留めにいったのです。それを完全に受け止められては、私も正直自信を損なってしまいます」
「そのわりに……口元の笑みが消えてないんじゃないか?」
「ふふ……それは、楽しいですから。今まで戦ってきた相手の中でも五指に入る面白さです」
「それは、貶されてるんだか褒められてるんだか」
こみ上げてくる嘔吐感を無理やり押し込めて、少年はもう一度刀を構えなおす。
しかし少年が思っていた以上に被害は深刻だったらしく、少年はその場に片膝をつき、大きな咳を吐いた。
「やばっ、油断してた」
言葉とは裏腹に、少年の声音は深刻そのものだ。
咳の原因は決して今の一撃ではない。
「くそ……まだ何もしてないはずだぞ……どうして」
言ってみれば、過度の戦闘による力の喪失。
筋肉や精神力などという類ではない。いってみれば生命力。
体内のそれを振り絞って戦う彼にとって、戦い続けることにはそれ相応の生命力が必要になっていた。
そして何より、彼の本当の戦い方に重要なものだ。
「ふふ……この場所を侮りすぎていましたね。あなたのような人の力を反転させる効果があるのですよ、ここには」
「なん……だと?」
「あなたとの手合わせが楽しかったのは事実ですが、私にもなさねばならないことがあります。卑怯だとは思いましたが、これもここに忍び込んだあなたが悪いのです」
膝をついた少年の眼前に烏丸は立ちはだかる。視界にもやがかかっている今、少年には戦い続ける力など残されていなかった。
「しかし、面白い。私たちのような人工的な力ではない、超自然的な力。まさかこんな少年がそんなものを所持していようとは。形が違えば、拷問してみたかった」
闇の中でも浮き上がっている、恍惚とした笑顔。その表情、言葉、放つ気配、全てがこの男の異常性を証明するものだ。
こんなところで、死ぬのか。
ただの道楽で手伝いを申し出た情報屋。大切な人の静止すら聞かず、師匠の忠告すら無視した結果が、こんな結末。
もともとまともな最期など期待していなかったが、これはまた、最悪といっても過言ではないかもしれない。
自然と口元に笑みがこぼれた。
「笑い話にも、ならないな」
「なに?」
「こんな、人外のもんに殺される最期なんて……望んじゃいねえんだよ!」
目の前のもやが、一瞬にして掻き消えた。
それは怒り。目の前の男へ、そして自分の不甲斐なさへ。
生命力なんていくらでもくれてやる。そんなもの、精神力でカバーすればいい。
歩み寄っていた男の首めがけて、日本刀を片手で振る。その危険性に気づいて烏丸は一歩後退する。
「どこに、そんな力が!」
精神力、と正面から言ってのけるのも躊躇われ、少年は追撃する形でその問に応えた。
鞭のもっとも有用な戦い方は中距離、遠距離からの牽制だ。懐に入られてしまえば鞭特有のしなり、破壊力が損なわれる。距離を詰めるまでが大変な相手だったが、その相手側が近づいてきてくれたというのならば好都合だ。
しなる直前の鞭を片手でつかみ、日本刀の刃をそれに押し付ける。鋼鉄で織られてでもいるのか、硬い感触と冷たい表面が少年の手のひらを刺激するが、かまわず刃を引いた。
鞭はあっさりと両断され、本来の三分の一にも満たない長さにその姿を変えてしまった。最大の武器である長さを失った鞭に、もう脅威は残されていない。
「終わりだ、烏丸!」
さらに後退するその身を追って、少年は刃を突き入れる。
今度こそ、喉元に刃を突き立てたはずだった。
刃が喉を貫通し、骨を真っ二つにし、相手の生命を終わらせる。その行為そのものには、既に躊躇いはなかった。
だから、刃に迷いはなかったはずだ。
「――ふふ、あはははははははは!」
しかし響き渡ったのは生命が終わった気分の悪い音ではなく、気分が悪くなりそうな高笑いだけ。
その事実を目の前に叩きつけられたとき、少年は我が目を疑った。
烏丸の、刃をつきたてたその場所には銀色の首輪のような物体がある。しかしそれは首輪と言うにはあまりにも禍々しく、血で変色した部分や、棘のように尖った部分が存在している。
少年の脳裏にその言葉が浮かんでいた。
拷問器具。
「ひゃはははは!」
呆けている間に視界の端で鞭の先端が迫る。一足飛びに後退したものの、その奇妙な事実に未だ脳は呆けたままで、少年はただ烏丸を見つめているだけだった。
「くく……おかしいですか? おかしいですよね? 自分の首に拷問器具を取り付け、血を流しながらも戦い続ける。くく……なんとも滑稽だ。私自身そう思いますよ。ですがね、私は……わたしはぁあ!」
狂ったような瞳を剝いて、烏丸は鞭を片手に突っ込んでくる。その加速は獣並み。体制も低く、動きは鋭敏。両手で刀を持ち、防御に徹するが、近距離から放たれた鞭の一撃は防御の上からでも少年の両腕を痺れさせる。
「私の! 私が! 私に!」
「この……! いきなり何を!」
「死んで! 死んでください! 私のために! 私が私でいるために!」
さっきまでとは違う意味で狂った瞳、狂った言葉、狂った笑い声。少年が戦慄を覚えるほどの異常は、その攻撃力にも付随するものがあった。
短くなったはずの鞭から繰り出される打撃は長かったときと変わらず、むしろそれ以上の破壊力をもっている。
少年の防御にも限界が訪れる。
痺れきった腕の中から愛刀が零れ落ちる。しまった、と体勢を立て直すよりも早く、少年の目の前に巨大な鞭が迫っていた。
防御のための手段も、回避の手段も残されてはいない。
だが、死ななかった。
「――なっ?」
少年と烏丸の間に入って、その一撃を防御した者がいた。
闇の中に浮き上がるような白い刃。手のひらの中には血に染めたような真っ赤な柄。
それはさっき、少年と対峙したものの刃。
「……何だ、押されてるじゃないか」
嘲るでもなく、感情のこもっていないような声が少年の耳に去来する。
少年は場違いにも、何かヒーローみたいだなと、暢気なことを考えていたのだった。
お久しぶり(?)です。
すごく更新が遅れてしまいましたが、ご了承ください。
今回は珍しく戦闘メインのお話だったのですが、いやぁ自分の力のなさを痛感しました。
さて二十話を突破してしまったわけですが、まだまだまだまだ続いていきますよ。
……がんばろぉ。