〔二十話〕 闇夜の戦い
戦い続けることで自分の存在意義を見つめなおす。
戦い続けることで罪を払拭する。
ただそのために、少年はその白刃を抜く。
深夜零時を少し回った頃、その建物は完全な静寂に包み込まれていた。
残業をしている社員は一人も存在せず、警備員すらこの会社は雇っていない。
必要が、ないからだ。
警備員など何人いようと意味はない。彼の企業には優秀なガードが存在し、その鉄壁の守りによって並みの要塞よりも強力な防衛力を誇っている。
そんな場所に単体で潜入しようとしている少年が、独り。
漆黒の闇に溶け込むような外套を纏い、腰には鞘に収まった日本刀を携えて。その鋭い眼光はしっかりとした敵意を蓄えて、その巨大な建物へと向けられていた。
「……嫌な夜だな」
曇っているわけでもないのに、星たちが完全な闇に囚われていた。
こんな夜はろくなことがない。
見上げるほど大きな建物を数秒睨みつけ、少年は腰の刀に手を添えた。
「さて、と……行きますか、不知火」
軽い口調で、しかし確固たる意志を持って。
刀に意志などないはずなのに、主の声に応えるように周囲に軋むような音が鳴り響いた。
口元を半月形に歪め、少年は両足に力をこめる。とん、と軽い音が響いた直後、少年の姿は既にそこには存在せず、元の静寂が世界を包み込んでいた。
――――――
暗黒の中で血のように赤い外套を羽織って、真紅は三十階の廊下に佇んでいた。
『真紅、道順は覚えているのよね? なら四十秒後に全防衛システムを停止させるから、一気に上へ向かって』
「わかった。もう一度聞いておくが、三十階までのセキュリティは問題ないんだな?」
『ええ。三十階まではほとんど何もないといっていいわ。エレベータを使っても”あし”が付かないはずなんだけど、本当に階段を使ったのね』
感嘆というよりも呆れに近い感じで、耳元の小型スぷーカーから叶の声が聞こえてくる。三十階まで上ってくることなど真紅にとっては準備運動にもならないのだが、どうやら彼女にとってはそうではないらしい。いくら体捌きが上手いからといって全体を見るとやはり女のそれであることに変わりはない。体力が少なかったとしても仕方のないことだろう。
「始めるぞ、合図を」
『了解。へまをしないでよ?』
「わかっている、早く――」
瞬間、真紅は全身の筋肉を総動員して数十メートル前方へと跳んだ。
背筋に冷たいものが走る。この感覚には覚えがあった。
殺気。
「――へぇ、今のを避けるんだ。やるねあんた」
暗黒を駆け抜けたのは、雪のように真白い一筋の軌跡。
それが刃であることを脳が理解するよりも速く、真紅は腰に挿していた刀を鞘から解き放った。
「何者だ?」
「そっくりそのままお返しするよ。格好を見ると俺と同じように侵入者だろ? ったく、この会社はつくづく敵が多いこって」
飛んでくるのは敵意も悪意もない、単純な好奇心。心の底から楽しそうなその声音からは同年代のような気配が感じ取れる。
だが今の一太刀は、達人のそれを思わせるほどの速さと正確さを保っていた。
暗闇の中へ目を向ける。そこには闇に溶け込むような外套を纏った少年が、半月のような形に口元を緩め、片手に純白の日本刀を携えている。
真紅の刀よりも少しだけ長く見える。真紅の刀は二尺五寸。目測だが彼の日本刀は二尺六寸ほどだろう。
「……お前は」
「あぁ、心配するな。お前みたいなやつの邪魔はしない。こっちも仕事があるんでな。あんまり俺の独断で動いてると怒られる」
闇のせいで相手の顔は見えない。だが殺気すら完全に消し去っていることからは、何か言い知れぬ不安を真紅に与えている。
「ん? あぁ、わかってるって。もう寄り道しないから耳元で小言いってんなよ。わかったって」
面倒くさそうに刀を納め、声の主は背を向ける。
真紅も同じように刀を納めたが、注意だけは怠らない。
「そう警戒するなって、嫌な夜だと思ったが案外面白い出会いがあってよかったと、俺は思ってるんだ。きっとまた、出会うこともあるだろう」
「……奇遇だな。俺も、そう思っていたところだ」
なぜそんな考えにいたったのか、真紅自身にもわかりはしない。言ってみれば、勘。自分と同じ人種を前にして、親近感でも沸いてきたのかもしれない。
だから、勘としかいえなかった。
「はは、お互い次に出会うときまで名乗るのは無しってことで」
そう告げた直後、闇の中を漂っていた漆黒の外套が完全に姿を消した。
半ば呆然と、真紅はその場に突っ立ったままさっきまで人がいたはずの場所を見つめ続けていた。
『真紅、始めるわよ。……真紅?』
「あ、ああ、わかった」
叶の声に正気を取り戻し、真紅は踵を返す。
今はただ目的地に無事にたどり着くことだけを考えればいい。それ以外のことを考えている余裕など、あるはずもなかった。
どこか遠くで刀を打ち合う甲高い音が聞こえてきた気がした。
――――――
面白いやつに合えた。少年は雪のように真白い柄を握り締めながら、口元に浮かぶ笑みを抑えることができなかった。
あれは自分と同じ人種だ。罪を背負い、目的を成し遂げるために歩き続けているだけ。
だからこそ、まだあの少年には救いの道が残されていた。
罪を背負ったと感じたのは自分自身の心がそれを後ろめたく思っているからだ。誰に責められ、罵られようと本人がそれを罪だと認識していなければ、罪の意識に苛まれることもない。
解決するための道は、二つ。
一つは罪を償ったと思うことが出来る何かを達成したとき。だがこれは、自己満足以外の何物でもない。だから少年自身は、こんな形で罪を償うつもりもなかった。
そしてもう一つの道は、誰かに許してもらえること。
許しを求める、求めないを問わず、誰かに安らぎを覚え、誰かに許してもらったときその心は罪の意識から解放される。それが罪の意識の元となった事象に近ければ近いほど、罪が消えていく。
「あいつは、どんな罪を抱えてんだろうな?」
小型マイクの電源は切っている。だから誰に問いかているわけでもないのだが、少年の視線は向かう先ではなく刀へと向かっていた。
神器、不知火。
少年の罪を思い起こさせる悪夢の象徴であり、同時に親友と同じほどの長い時を共に歩んできた無二の愛刀。たった一人の人すら守れなかったその刀は、しかし少年に笑いかける。
大丈夫だよ、と。
少年は嬉しそうに目を細め、足を止めた。
「そっか。なら、ちょっとお節介をしてやるとしますか」
耳元の機器に手を添えて、無線のスイッチを入れる。一瞬ノイズのような音が耳を傷めたが、すぐに声が聞こえてくる。
『―――! 気をつけろよ、その周辺全域にノイズが――』
「わかってる。他の侵入者が仕掛けたんだろ。こっちもそれを利用させてもらうさ」
『――? いったい何を……』
スイッチを切って、腰の刀を鞘から解き放つ。
月光すらない闇の中でも純白の刃は浮き上がるように輝きを蓄え、眼前の敵へと戦いの意志を向ける。
「……これで雑魚だったら、怒るぞ」
闇の中で感じる気配は少なくとも四つ。そのどれもが希薄なものだったが、少年も伊達に修羅場をくぐってきたわけではない。その程度で気配を消しているつもりか、と苦笑さえ浮かんでしまう。
「こいよ。遊んでやる」
その言葉を待っていたかのように、彼らは行動を開始した。
目で追えない速さ、角度から繰り出された投擲を紙一重でかわし、純白の刃を縦に一閃。ナイフのようなものを弾き飛ばし、敵の位置を数パターン予測してから鞘をベルトからはずし、逆手で前に突き入れる。空気の微かな振動を確認すると、右手で持った刀をもう一度一閃する。
思っていたよりもあっさりと、純白の刃が獲物を捉える。肉を抉る感触も、骨を断つ嫌な手ごたえもなく襲い掛かってきたはずの肉塊が崩れ落ちる。血しぶきを浴びることなく刀を地面に突き立て、弾き飛ばしたナイフをつかむと闇の中へ投げる。接近していた敵の眉間に突き刺さったナイフを引き抜くと、右手にナイフ、左手に鞘をそれぞれ逆手に握りしめ、左右から迫っていた二つの刃を受け止める。片方は刀、もう片方は小太刀。威力こそ申し分ない、だが少年を満足させるほどのものではなかった。
「――雑魚が」
冷徹な声音。
感情が存在しないはずの暗殺者たち、その気配が言葉だけで凍りついた。
両腕に乗った重み。それを柳のように受け流して刀に手を伸ばす。勢いよく引き抜いた白刃を、片足を軸にして薙ぎ払う。ほぼ一回転するほどの威力を持って、白刃は敵を捉えた。
「――毘沙門天」
師匠から教わった技の中では初歩中の初歩。軸足を用いた回転と神速の刃を駆使した多人数戦を主眼に置いた剣技は、意志を持たない人形相手には少しもったいなかったかもしれない。
この企業に関しての資料は事前に入手していた。
暗部の存在もまた、その際に情報を入手することが出来ていた。
暗殺組織、ナイトメア。公に出来ない実験も多く行っているこの部署について情報をもっと集め、企業の上層部を陥れる糧とする。それが少年に依頼を持ってきた男が明かした真実だった。
「情報屋ってのも、大変な人種だよな」
今更ながらに自分の置かれた状況を理解して、溜め息を漏らす。望んでなったものならともかく、少年の場合は成り行きでだった。
刀を納め、四つの肉塊に目もくれず、少年はまた闇の中へと歩き出す。
まだ本当の目的を果たしたわけではない。少しだけ憂さ晴らしもできたが、それもまだ足りなかった。
「あなたですか、侵入者は」
「――っ! へぇ……これは……」
闇の中から浮き上がるように、一人の男がやってきた。
少年よりも少し高いくらいの身長と、オールバックの髪型。耳元では獅子のピアスがきらめき、口元には嘲るような冷笑が浮かんでいる。
しかし少年が驚いたのは、そんな外見上のものではなかった。
まったく気配を感じなかった。声をかけられるまでそこに人間がいるとは思ってもいなかった。
本当に人間なのかと思うほどの隠密能力。その驚異的な力に、自然と笑みが浮かんだ。
「やっと面白そうなやつが出てきたな」
心が躍る。鞘に収まっているはずの不知火も、主の興奮を感じて震えだす。
「ほぅ、私を見ても恐れることなく、むしろ好戦的な態度を示しますか。結構。そうでなければ面白くはない」
「……ずいぶんと楽しそうだな」
「あなただって、楽しいでしょう? 嬉しいでしょう? 本気で殺しあえる相手が目の前にいて、互いに殺すつもりで対峙しているのです。これほどの好条件、他では類を見ないでしょうね」
「つまりはお前も、戦闘狂ってことか」
「意外、と言いたそうですね。ナイトメアには感情がない、と思っていらしたのでしょう。しかし私たち番号付きは違います。少々おかしなところはありますが、基本的にあなたたちと変わりありませんよ」
空気を切り裂く鋭い音が鼓膜の奥を微かにゆすった。一足飛びに飛びのくと、地面を抉る音と共に太いロープのようなものが視界の端でぶれる。
「くく……! 素晴らしい、今のを難なく避けるのですか? 予想外もいいところですね」
「そっちこそ、なんだよ”番号付き”って」
「おや。私たちの序列を知らないのですか? 私たちの中で最強の十一人。そのそれぞれについた序列です」
「へぇ、初耳だな。ちなみにあんたは何番なんだ?」
悠長に話している間に相手の動きを観察する。
右手に握られた何かから伸びているのは異常に太い鞭と判断していいだろう。少年の二の腕ほどの太さはあるであろうそれを、易々と振り回すその筋力は侮ることが出来ない。
「ふふ……あなたは素性を明かせないでしょうからね、私が一方的に名乗らせていただきます」
言いながら一閃。鞭の一撃を、体制を崩しながらもかわす。壁が音を立てて破壊されていく様は、常人では恐怖を覚えるものだろう。
「私はフォースナンバー、烏丸 聡司と申します。始めましょうか、名もなき侵入者殿。甘美な戦いの円舞曲を」
少年の表情はきっと、喜びのあまり悪鬼のように歪んでいただろう。
ついに二十話に到達しました。いやぁ、早いものです。
周囲を暗黒にしてしまったせいでいろいろと不便だったのですが、単純に自分の力不足かもしれませんね。
烏丸と戦っている少年、もうなんとなくわかっている人もいるかもしれません。いや、ばれるように書いていたからいいんですけど、もうちょっと騙し騙し使っていきたかったなぁ、と。