〔十二話〕 教師と生徒の密談
悪夢。
終わらせるために少年は剣を手にした。
だがそれは、本当は贖罪のために……。
職員室。
神凪学園の生徒にとってその場所は優等生か劣等生のどちらかが行く場所だという認識があった。
だからというわけではないのだろうが、その放送が全校に響いたとき、クラスメイトの大半から好奇の目を向けられたものだった。
『二年四組、朝凪 真紅、職員室担任のところまで来てください』
スピーカーから聞こえたのは叶の声だった。
なぜ呼び出されたのか、数種類の理由を脳裏に思い浮かべた後、真紅は黙って席を立った。
「おい、真紅!」
クラスメイトの視線を無視したまま教室を出ると、慌てたような声が背中にかけられる。
「どうした、空?」
「どうした、じゃねぇだろ。何かあったのか? 出てく時のお前、怖かったぞ?」
空にだけは表情を見せないように勤めていたつもりだったのに、と真紅は頭を振る。察しがよすぎるのも少し考え物だった。
一瞬、最悪のケースを話そうかとも思ったが、それが決まったわけでもない。開きかけた口を一度閉じて、苦笑を見せた。
「別に。勉強のことで、後で呼び出すかもしれないと言われてたからな。勉強って嫌いだから、それが出たんだろ」
「……本当か?」
「本当だって。信用がないな、俺は」
「いや……そういうわけでも……」
若干申し訳なさそうな空にこちらが申し訳なくなってしまうが、真紅は彼に背を向けて後ろ手にひらひらと手を振って見せた。
二階の教室から階段を下りて正面に職員室はある。今は授業直前ということもあってか、室内からはほとんど人の気配がしなかった。居るとしたら二人か三人。呼び出した張本人以外にも、誰かは居るだろう。
二度ノックして、職員室のドアをスライドさせる。
職員室の内部は六つの机を長方形に並べたものが四つあり、それぞれに教師の私物が置かれている。窓際にはいくつかの観葉植物も並べられ、その隣にはコーヒーメーカーが置かれている。
「……失礼します。朝倉先生はいらっしゃいますか?」
職員室の中には二人の教師がいた。そこまでは予想通り。だが、その中に肝心の叶の姿が見えなかった。
真紅の声に答えるように、すぐ近くにいた初老の教師がにこやかな笑顔を浮かべて口を開いた。
「朝凪くんかい? 朝倉先生なら三階の科学準備室にいるから、そっちへ向かいなさい」
「そうですか。わかりました、ありがとうございます」
人を呼び出しておいて場所を変えるのかと微かな頭痛を覚えながらも、真紅は教師に一礼して職員室を後にした。
降りてきた階段を上り、さらに上へ、三階へと向かう。一階、二階は一通り見て回ったが、三階に来るのはこれが初めてだった。
他の階とほとんど変わらないレイアウトながら、三階には独特な空気が渦巻いていた。
三年の教室が多いということが影響しているのだろうか。緊張感というか、緊迫感というか、そういった類の肌を刺す空気に眉をしかめずにはいられなかった。
初日に教えてもらった構造を頭の中で再生し、科学準備室を目指す。三年の教室とは階段を挟んで逆方向にあるため、背中が微かな痛みを訴えているが気にしない。
少し行くと音楽室、音楽準備室、科学教室と続き、その隣に科学準備室が鎮座していた。
ドアの正面に立つとちょうど、五限目の始業が始まる鐘が鳴り響いた。また授業を休むことになってしまったと、さほど真面目でもないのに罪悪感を覚えてしまう。
「……失礼します。朝倉先生、いらっしゃいますよね?」
ノックすることも忘れ、少し機嫌が悪い自分に気づきながらも真紅はドアを開け、教室中へと足を踏み入れた。
カーテンが閉じられた薄暗い室内。中心に設置された大きな机の上にはビーカーやら試験管などが乱雑に片付けられていた。壁際にある棚の中にはたくさんの薬品が入ったボトルやら、蛙や蛇のホルマリン漬けなども並べられている。
机を挟んだ反対側、窓のすぐそばにある椅子に腰掛けて、叶は疲れたように笑っていた。
「やっと来てくれた。遅いぞ、真紅」
「最初にここを指定しなかったあんたが悪い。それと呼び捨てにするな」
「親愛を籠めたつもりだったんだけどなぁ。まぁいいや、そこに座ってくれる?」
手前にある椅子を指差し、叶は笑う。
その笑顔がどうしても無理をしているように見えて、真紅は不機嫌さを引っ込め、首をかしげた。
言われたとおりに腰かけ、机を挟んで叶と対面する。
「それで、急に呼び出して何の用だ? 大した用じゃなかったら……」
「あぁ、心配しないで。大した用事だから」
よく見ると叶は白衣を纏い、ポケットの中に片手を突っ込んでいる。突っ込んでいた手をポケットから取り出し、それを机の上に放り投げた。
甲高い金属音を上げそれは机の上に転がる。
万年筆のような形をした、銀色の物体。片手で握りつぶせるような小さいものだが、それがいったい何なのか真紅には皆目見当がつかない。
「それね、簡易盗聴器」
「……………………は?」
「あら、間抜けな声。あなたでもそんな声が出せるのね」
楽しそうに笑う女教師に腹を立てることもなく、真紅は目の前の物体を凝視する。
盗聴器は実際に見たことこそないものの空から話だけ聞いていた。彼の話を聞いた限りでは、こんな小さいものが盗聴器だとはにわかには信じられない。
「私のお手製。それを作るだけで二日くらい徹夜しちゃった」
「二日程度で出来るものなのか?」
「出来ないわよ、本来は。でもそこは私だから。昔のコネとかいろいろ使って、急ピッチで作ったの」
あっけらかんと言い放つが、これで彼女の様子に合点が言った。
相当な疲労の色は、これを作るためだったのか。
微かだった頭痛が無視できないものに変わっていくのを感じつつ、真紅は気丈にも叶へと視線を向けた。
「それで? 自慢するためだけに俺を呼び出したわけでもないだろ? 何をやらせたいんだ?」
「ホント、察しがよくて先生助かっちゃうわ」
初日に見せたような柔らかな笑み。それが偽りの柔らかさだとわかっていても、悲しいかな真紅も男の子だ。ちょっとだけ、その笑顔に癒された。
「この盗聴器の寿命は、もって一年ってところ。それまでにはナイトメアとの本格的な争いになるわよね? その時に、私たちは圧倒的に数で負けているわ」
「……ずっと気になっていたことがある。ナイトメアは何人いるんだ?」
幼少の頃から数度、真紅は祖父と共にナイトメアを退けてきた。居場所を特定されないために殺したことも何度だってある。罪悪感や背徳の意識はもちろんあったが、生きていくためには仕方なかったと割り切っている。
倒してきた人数はかなりの数に及んでいるはずだ。それでもなお絶えない襲撃に真紅はいつも疑問を抱いていた。
「そうねぇ、正確にはわからないわ」
「元ナイトメアのあんたでも、か……」
「もっとも、下級兵が、ということだけどね」
「……なに?」
下級兵という言い回しもそうだったが、彼女の言葉に含まれた小さなブレが真紅の頭痛を一時だけ鎮めた。
「真紅が今まで戦ってきたのは下級兵、それと中級兵の二種類ね。下級兵はほとんど自分の意志を持っていないことが特徴よ。一切の感情、言葉を発しなかった敵って記憶にない?」
数日前に集落を襲った暗殺者、その姿が脳裏をよぎる。戦闘能力こそ並みの人間以上だったが、動きは単調でまるで機械相手に戦っているかのような違和感があった。
「中級兵は下級兵の指揮を担当しているわ。彼らは自我が強いけれど、正直まともな人間のような倫理的考えは持っていない」
「確かにそんなやつもいたな」
指揮をとっていたあの男。死に際ですら空の咽笛を狙っていたのだ、まともな人間だったとは決して言えないだろう。
思い返してみると叶の言う下級兵、中級兵とは何度か戦ったことがある。
「そして、上級兵。彼らはどこからどう見ても、人間そのものよ」
叶は一度目を閉じ、意を決したように淡々と語りだした。
「これに関しては、私がいた頃から人数が減っていなければ数と実力がわかる。彼らはナイトメアの中でも特殊な存在。限りなく人間に近いもの。どこか欠損しているものもいるけれど、大半のメンバーが人間と同じように感情を持っている。快楽、嫉妬、憤怒。彼らのもっとも特徴的なものは、彼らの中に独自の序列が存在していることなの」
「序列?」
「そう。今は……八人残ってるのか」
指を折って人数を数え、叶はやれやれと頭を振る。
若干話しについていけない真紅は、彼女が理解できるような説明をしてくれるまで彼女から目を離さないように心がけていた。
少しして、観念したように叶は再度口を開いた。
「上級兵は減ることはあっても増えることはないの。理屈とかは私にもわからないんだけど、私たちの間ではそういう共通認識があった。私がまだ、組織内にいたときは十一人の上級兵がいたわ」
「その中には……」
「当然、錬と私も含まれていたわ。あの頃、錬が死んで一人消え、私ともう一人が組織から抜けたわ。だから、八人。もっとも、もう一人が捕まっていなければ、だけどね」
さして面白くもなさそうに叶は告げる。
錬が強いことは真紅が身をもって知っていた。だが叶も錬と同じ分類に入っていたことにだけは少しだけ驚いてしまう。
真紅の感情を敏感に察して、叶は不服だと言いたげに頬を膨らませる。その姿は教師になった人間とは思えないほど子供じみている。
「なによ? 私だってそれなりに強いんだから。あなたにやられそうになったのは運よ、運。あんな場所であれほどの動きが出来るなんて思わないじゃない」
「……ナイトメアは暗殺が主流なんだから、どんなところでも戦えないといけないんじゃないか?」
痛いところを突かれたと叶は言いよどむ。だが、真紅としても彼女の強さを認めていないわけではなかった。
初撃。あの人間離れした打撃は今までの暗殺者とは比べ物にならないほど鋭く、骨の髄まで痺れるような痛みを真紅に与えていた。慣れているから、と痛みを無視していたのはいいが御子柴家に戻ってからは何日か両腕から痺れが取れなかったものである。
もししっかりと防いでいなければ、今頃は生きていたかどうか。一瞬浮かんだ悪い想像を引っ込めて、真紅は気を取り直す。
「上級兵のことを、もっと詳しく教えてもらいたいんだけど?」
「そうね。彼らの中には、彼ら独自の序列があると言ったわよね? 上から順に、十番まで」
「……ちょっと待て、数が合わないぞ」
十一人と言うからには十一番まで序列が存在しなければおかしい。そう考えたわけだが、叶は一つ頷いた。
「零番が存在するから、十番までで正しいわ。ちなみに、錬がその零番に当てはまるのよね」
妙に納得している自分に真紅は気づいていた。
錬以上の実力を持つものがナイトメアに居たとしたら、それこそ真紅に勝ち目はなかった。七年前に彼の戦い方を見ていたが、子供ながらに彼の戦い方は異常だと認識することが出来るほどだった。
真似を、したくはない。
ある程度は戦えるようになった今の真紅は、素直にそう思っていた。
工藤 錬はどんな時でも、自分の命というものを勘定に入れていなかった。守るためならば命をとして、攻めるためなら腕一本ぐらいは易々とくれてやる。普段の温厚な性格を片鱗すら見せぬまま、非情に冷酷に、ただ殺す。
並外れた運動神経と類まれなる強運がなければ、工藤 錬ほどの男と戦うことなど出来はしない。
「……なにちょっと安心した、みたいな顔をしてるのよ。言っておくけど、零から三まではほとんど強さが変わらないのよ?」
「……え、マジ?」
「マジよ、マジ」
シリアスだった会話が、一瞬で俗物じみたものに変わってしまい二人同時に肩を萎れさせた。いつの間にか緊張していた自分を落ち着かせるために放った一言だったが、予想外に大きな影響をもたらしたようだ。
一呼吸置いて、叶はまた話し始める。
「ゼロナンバー、ファーストナンバー、セカンドナンバー、サードナンバー。ここまでの実力は拮抗している。そもそもどうして最強のはずの錬が死ぬことになったのか、私は疑問に思っていたの。それでね、少し前に組織のコンピュータにハッキングをかけてみたのよ」
何事もないように言ってのけるがその内容は軽々しく聞き流せるものではない。
「って、おい! そんなことして見つかったとしたら……」
「あぁ、大丈夫よ。こっちはプロなんだから」
不安にならざるをえない真紅を一人置き去りにして、叶は人差し指を目の前に突き出してみせる。
「その中に上級兵の出動履歴があるの。七年前、朝凪 真紅、工藤 錬討伐に駆り立てられたメンバーが、残りの三人だった」
「……待て……本当に、そこは待ってくれ」
三人の上級兵。真紅の記憶に引っかかるものがあった。
錬が死ぬことになった最後の戦い。あの時、真紅の目の前で繰り広げられた戦いは、錬と長髪の男の一騎打ちだった。錬の日本刀と互角に切り結ぶ蒼い槍。その流れるような軌跡が真紅の脳裏には色濃く残っている。
「……三人の中で、槍を使うやつはいるのか?」
「槍? ……蒼い槍、セカンドナンバー・氷室 七夜。見覚えがあるの?」
「そいつが、一人で錬さんと戦っていた。あの時、他に敵は居なかったはずだ」
錬を殺したのも、直接的にはその男だった。
いや、そんなもの言い訳に過ぎないのかもしれない。
「ちょっと待ってよ! 七夜が錬を殺せるはずがない! あの二人は私たちの中で一番多く手合わせをしてた。でも七夜が絶対に勝つことができなかったの。新や健三さんならもしかしたらということもあるけど……」
「いや、間違いじゃない。だって……」
――錬が死ぬきっかけを作ったのは。
「錬さんが死んだのは……俺のせいなんだから」
意識の根底にはあっても決して口に出さなかった言葉。
ずっと真紅の心を責めたてていた、記憶。
血を吐くような思いで、真紅はその言葉を解き放つのだった。
ようやくそれらしいお話になってきたかもしれませんね。こんばんわ、広瀬です。
上から十一人。中途半端な数字に見えて、でも作者はどうにも好きで仕方がない数字です。
さて作中で出てきました名前、氷室 七夜ですが読み方は、ひむろ ななや、です。なんだか名前の読み方ばっかり書いているような気がしますがご了承ください。
次話はちょっぴりダークな話になる予定。苦手なんですよねぇ……。