〔十話〕 痴話喧嘩と面影と
微笑ましい。そんな表現が、どうにも似合わない。
二人の仲間と、一人の少女と。
血なまぐさい世界を一時だけ忘れ、少年は心地よい日常を満喫する。
学園も三日目になると、流石に慣れ始めてきた。
クラスメイトの顔もなんとなく覚え始め、名前こそわからないものの朝の挨拶くらいは交わしたものである。
昨日は空に起こされた後、そのままソファーで眠ってしまった。空は寝違えたりしていないか心配しているようだったが、杞憂である。元々床で寝たりすることが普通だったためか、体制が悪くても体にはなんら影響がない。
自分の席に座り、空と他愛ない話をしていると、元気のいい挨拶と同時に愛美がやってくる。
「おっはよ〜! 二人とも出るの早いんだから。迎えにいったのにいないって言われたときは、ちょっぴりショックだったんだよ?」
頬を膨らませ、怒っているんだぞと主張する彼女の雰囲気は小さな少女の頃からあまり変化が見られないかもしれない。むろん体はしっかりと成長しているのだが、真紅は小さく笑い声をもらし、空へと視線を向けた。
「む、何よ、真紅。何かおかしい?」
「いや……愛美は愛美だな、と思って」
「何当然のこと言ってんだよ? こいつが簡単に変わるわけないじゃんか」
空の一言が気に食わなかったのか、それから二人の攻防が始まった。
互いの両手が素早く繰り出される。
愛美の右手を鼻先で受け止め、左が攻めてくるところにその手を差し出す。愛美もそれに気づいて右手を引き、左を空の左手へ。右手でそれを受け流し、最後まで使わなかった左手を愛美の額に突きつける。
「俺の勝ちぃ」
口元を吊り上げるように笑い、彼女の額に弱いデコピンをぶつける。あぅ、とかわいらしいうめき声を上げ、愛美は自分の額を押さえると涙目で真紅を見た。
「しんくぅ……」
「俺を巻き込もうとするな」
いきなり常人離れした動きを見せられても、クラスメイトたちは驚くことがなかった。彼らの行動はどうやら日常化しているらしい。
昨日、一昨日とこのクラスを観察して、少しだけわかったことがある。彼らは外の人間たちには警戒心が強いが、内側の人間に向けてはそれが無い。真紅も、空たちの友達だからということであっさりとクラスに迎え入れられた。
真紅に言わせれば、これは危険な兆候だった。
元々内側に敵が混じっていたとしたら、また内側の人間が裏切ったりしたら。そんな考えがこのクラスには存在しない。ナイトメアの動向は叶を通してわかるようになったが、一つ間違えれば真紅の正体が割れてしまう。
こんなことなら偽名でもつかっておけばよかったなと、いまさらながらに後悔していた。
「あ、おはよう。朝凪くん」
「ん? あぁ、おはよう、高嶺さん」
後ろで繰り広げられる騒がしいやり取りにはもう慣れているのか、京はやわらかい笑顔を浮かべ席に腰を下ろした。仕草一つをとっても育ちのよさが滲み出しているかのようだ。どこかの元気娘も彼女を見習うべきではないかと、危険な考えを頭の隅に押しやって、真紅はため息をついた。
「どう、しましたか? 朝からため息なんて……」
「いや、なんでもないですよ。ちょっと後ろのやり取りに当てられただけです」
「仲がよろしいですよね」
「仲裁しなければならないこっちの身にもなってもらいたいですよ、ほんと」
京も苦笑を浮かべ、横目で彼らのやり取りを見守っている。
少し目を離していたうちに、二人は子供のように睨み合いくだらないことで言い争っていた。
しばらくは放置しといたほうがいいだろうと、真紅は京との会話に意識を向ける。
「でも、私たちとしては、彼らを止められる人が現れて、助かっているんです」
「……それは、何よりだ」
厄介ごとを押しつけられた気分で、真紅はやれやれと首を振る。
頼りにされることは別にかまわないのだが、その方向性が仲間をなだめることというのはどうにもやる気が出ない。
憂鬱な気分を押しやって、真紅は二人の鎮圧に重い腰を上げるのだった。
――――――
二人の喧嘩、もとい言い争いは今に始まったことではない。
幼少の頃から、それこそ物心つく前から一緒にいた真紅が知る限り、日に一度は必ず喧嘩まがいの騒ぎを起こしている。
大半は空が発端であることが多いのだが、愛美からけしかけることもしばしばある。挑発に乗ることが少ない空だが、彼女の挑発だけはうまく受け流すことが出来ないのだ。
長く共に行動していると相手のアキレス腱を的確につけるようになる。愛美の場合、まさにこれだろう。空は誰かを弄って遊ぶのが好きなだけ。
二人とも”折れる”ということを知らないが基本的には仲がいい。どちらも絶対に否定するだろうが、いいコンビなのである。
朝の授業前に二人を止めた真紅だったが、彼らの争いは昼食の時間になっても水面下で続けられていた。
「……あそこまで対抗意識を燃やさなくてもいいだろうに」
流石の真紅も二人の元気についていけない。子供の頃なら、まだ序の口だと軽口を叩けていたかもしれないが、無邪気に体力を消費する趣味は真紅にはなかった。
「あはは……でも、朝凪くんが来るまでは、もっと激しかったんですよ?」
「器物破損とか、しなかったよね?」
一抹の希望を抱いて投げた疑問だったが、隣で笑う京はやわらかい笑顔を浮かべるだけでその問いに答えようとはしない。
その笑顔だけで、十分に理解は出来た。
「……頻度は?」
「わりと、頻繁に……」
二人そろって深々とため息を吐く。吐き出された鬱々とした空気は一際強く吹きぬける風に流されて、自然界へと流されていく。
昨日と同様に中庭にやってきた真紅たちだったが、昨日のそれとは違うあわただしい空気が彼らの周囲を取り巻いていた。
その元凶は未だ互いに睨み合ったままで、和もうとする真紅と京の意志を悉く消し去っている。
「いい加減、引くってことを覚えろよ。二人とも」
ベンチに座って一定の距離をとり、互いに逆の方向へと顔を背けている空と愛美。正面に立って仲裁をしている二人にとっては、ただ拗ねている小さな子供だった。
昼食を買うときも一悶着あった。上流階級の学校であるため、購買で人の波が出来るなどという状況にはならなかったが、生徒たちが並んでいるところを二人で押しのけ、どちらがいいパンを買えるか競っていた。
呆れて見ていると、生徒たちも慣れっこなのか苦笑を浮かべているだけ。二人の旧友として恥ずかしく思いながら、皆に謝ってから中庭へと向かったものだ。
昼の一件を見ただけでも、二人が学園内で知名度が高い理由がわかる。
主に、悪い評判だったようだ。
親に説教をされているように、二人とも視線を真紅に合わせようとしない。どうしようもないなと内心あきらめつつも、真紅は目を細める。
「世間知らずな奴らが多い学校だが、あまりにも阿呆なことをやりすぎだ。やりたい放題にもほどがあるぞ」
くどくどと言ってはみるものの、意味がないことは承知している。
もう一度大きくため息を吐いて、真紅は空たちが座るベンチとは別のものに腰を下ろした。京も二人の間には座れなかったのか、真紅の隣に腰掛ける。
「大変ですね」
「そう思うなら、少し手伝ってもらえると助かる」
「あはは……私には、無理だと思いますよ」
険悪な雰囲気からは少し離れた場所で二人はようやく落ち着いた空気を得ることが出来た。
精神的に疲れた。そう感じているにもかかわらず、けれど真紅はこの状況を楽しんでいる自分がいることに気づいていた。
隠れ里に暮らしていた真紅は、日常的に同世代の人間と接してきたわけではない。空たちの訪問は一月に一回程度であったため、外の情報に少し疎い程度ですんではいるが人との接し方は未だに緊張する。
だからだろうか、二人の喧嘩を収めていくうちに自然とクラスの生徒と話すようになっていく今日を、楽しんでいる。人と接することが嬉しいことなのだと実感できる。
「朝凪くん? どうしました?」
「……いや、なんでもないですよ」
自然と頬が緩むが、収めるつもりはまったくなかった。
自分は他人を軽視する、世間では駄目な人間であると思っていた。それが、どうだろう。他人とのつながりを楽しむ、新しい日常を楽しんでいるではないか。
どちらが本当の自分だったのかもわからないまま、けれど真紅はもう少しこの日常が続いてくれることを、どこかで願っていた。
気づくと隣に座った京が心配そうに顔を覗き込んでいる。大丈夫だと微笑を向け、購買で買ってきたパンの封を小気味いい音を立てて引き裂いた。
「俺たちは食事にしよう。あいつらに付き合って断食する必要はないよ」
少し離れた場所にいる空たちは、自分が買ってきたものを食べようともせずに迷惑な空気を形成している。傍目にみれば痴話喧嘩真っ最中のカップルといったところだろう。考えて、意外にしっくりくる。早苗に話したらきっと、二人をくっつけようとするに違いない。
迷惑そうな表情をする二人が目に浮かび、思わずほおばったパンを吐き出しそうになった。
空たちに思いをはせることを止め、真紅は隣の少女へと意識を向けることにした。
京は小さな口にパンのかけらをほおばり、小さな動きで咀嚼している。小動物のようなその動きは、幼き日の彼女を思い出させるには十分なもの。
「楽しそうですね、朝凪くん」
「ああ、確かに。充実していると思うよ」
「朝凪くんは今までどんな生活を送っていたんですか?」
視線を向けられ、問いかけられて真紅は少し思案する。
正直に隠れ里に住んでいたとは言えない。御子柴家からどういう説明が来ているのかもわからない。
彼女にしてみれば何気ない質問だったのかもしれないが、軽々しく答えられるものではなかった。
「……あまり、人と関わらない生活をしていた」
「学校には、行っていなかったのですか?」
「ああ。勉学は祖父が教えてくれていた」
学力くらいある程度はつけておけとうるさくて仕方なく勉強していたが、祖父の教え方は学園の教師に勝るとも劣らぬものだった。そのおかげで授業には支障なくついていける。むしろ復習になっているかもしれなかった。
「おじい様、ですか」
「俺が唯一、尊敬している人だよ」
――じいさん、か。
集落を抜け出して都会に出てきてから祖父のことは考えないようにしていた。間違いなくどこかで元気に暮らしているだろうが、心配なことには変わりない。
帰ったら祖父の捜索も頼んでおこうと考えて、真紅は残っていたパンを一口で消費した。
「高嶺さんはどんな生活を?」
「私は、学園で楽しい日々を過ごしていました。父も優しい人で、私の好きなように暮らしていいといってくださいましたし」
「そういえば、父子家庭でしたね」
「え?」
言った後に失言だったと気づいてしまった。
直接彼女の家庭について聞いたのは、今日が初めてのことだ。彼女の家庭について予備知識を持っていては、疑問を抱かざるをえないだろう。
気を抜きすぎだと後悔してみても、放ってしまった言葉は返ってこない。戦闘時以外あまり役立たない脳みそを総動員して、次に来るであろう疑問への答えをひねり出そうとする。
「どうして、それをご存知なのですか?」
呟きにも似たその小さな言葉は、どこか期待を含んでいるようにも思えた。
「……愛美に聞いたんです。気分を害したなら、申し訳ない」
「あ、いえ……そうですか」
目に見えて残念そうに肩を落とす京。その意味を理解できずに、真紅は少し困惑してしまった。
他人の感情というものはやはりわからない。経験不足を差し引いたとしてもそういった気遣いは苦手だったのだ。悲しませたり、怒らせたり。他人に関心などないのだが、傷つけることを望んでいるわけではないのにどういったわけか、集落にいた頃もよく人を傷つけてしまっていた。
「……何か、悪いことをしてしまったようだね」
「あ、いえいえ! すいません、気にしないでください」
両手を目の前で激しく振って、頬を朱に染めるその姿はなかなかに愛らしい。真紅が普通の少年であったなら惚れてしまってもおかしくはない。
だが真紅はその表情に、昔の彼女を重ねていた。
彼女が真紅に見せた初めての笑顔。まだ笑い慣れていなくて、少し無理のある笑顔だったけれど、毎日のように通いつめ、たくさん話しかけ、笑いかけ、ようやく報われたそのは真紅にとっては宝物のような瞬間だった。
花が咲いたような美しい笑顔は当初の彼女でも十分すぎるほど輝いて見えたが、明るい印象を持つ今の彼女が浮かべると、直視できなくなるほどの暖かさをかもし出しているのだった。
気まずくなって顔を背ける京。その横顔を眺めながら、結局過去と比較してしまう自分に複雑な気持ちを抱くのだった。
気づかれないようにしているのに、心のどこかで気づいてほしい。そんな複雑な心境に陥ったことが皆さんはあるでしょうか?
作者には幸いながらそんな経験ありません。
さて、なんだかんだで二桁に到達したわけですが当初の予定では、もっともっと短くまとめるつもりだったんですよ。作者の力不足で長くなってしまいました。
それと、ここが駄目だとかここ無いほうがいいよとか気づきましたら教えてもらえるととても嬉しいです。