4話
殺気を込めた俺の拳はしかし、一陣の風が吹き抜けると同時に空を切る。
目の前にいたはずのモモリスはある人物によって抱えられ、病室の隅にいた。
「……なにすんだよ、サク」
俺はモモリスを掻っ攫っていった幼馴染に向かって声を放つ。
「いやいやいや、お見舞いに来た幼馴染が女の子ぶん殴ろうとしてたら止めるでしょ普通!」
モモリスを助けたのは幼馴染である只野朔ことサクだった。
「何が理由でこんなことになったのかはわかんないけど、とりあえずセンは寝ときなよ。あーあー、勝手にギプスも外しちゃって」
抱えていたモモリスを床におろすと、サクは俺の目の前までやってきて母親のように説教し始める。
その空気に当てられ、殺気が削がれてしまった。
「いや、サクちょっと聞けって」
「きーきーまーせーん。ほら、ナースコール押したしお医者さんにちゃんと怒られてよ。まったく、いつも無茶ばっかりするんだから」
サクは俺の手を取り、強引にベッドにつれいていく。
「あれ? こっちの手、骨とかぐっちゃぐちゃになってなかったっけ、なんでこんなにしっかりしてんの? 足もだけど、やっぱり人間離れしてるね」
「聞けって、アイツらは――」
「あ、君達はもう帰った方がいいよ。頭に血が上ってるから何言っても聞かないだろうし。ごめんね、ボクの幼馴染がひどいことしちゃって」
「あ、いえ……でも……」
「モモリス様、今日は退きましょう。あの男は危険です」
「エイラ……そう、ですね。今日は帰ります。千亀さん、お話はまた次の機会に」
「次に顔見せるんなら相応の覚悟持ってこイダッ!」
俺の脳天に拳骨が落ちてきた。
「女の子相手にそんな怖い顔で凄んでどうするんだい、セン」
「いや、でも……」
「言い訳は聞かないよ」
「で、では私達はこれで」
俺がサクに叱られている間に、モモリス達はそそくさと病室から出ていった。
それと入れ替わるように、ナースコールで呼び出された看護師が病室に入ってくる。
「はーい鶴万さんどうされました、かぁっ!? え、なんでギプスがバラバラになってるんです!?」
入ってきた看護師のお姉さんが、床に落ちたギプスの残骸を目にして驚きの声を上げた。
その後、看護師に呼ばれてやってきた医者によって検査が行われ、結果的に”理由は不明だが完治”という診断を受けた俺は、即日退院をした。
医者がしきりに「あり得ない……医学の常識が……ねぇ、君って本当に人間だよね?」としきりに聞いてくるのがうざかった。
◇□◇
「あ~、やっと帰れるわ」
「とは言っても、3日くらい帰らないのなんてよくあるでしょ」
病院から自宅へ向かう帰り道をサクと並んで歩く。
日はすっかり落ち、電灯が俺たちの行く道を淡く照らす。
「そりゃあるけど、入院しててってのはかなり久々だったからな。退屈だし、何より身体が鈍ってしょうがなかった」
右腕をぐるぐると回す。
3日間ずっと吊りっぱなしだったのでまだ少し違和感が残ってるが、自由に動くという開放感の方が勝る。
「それでも、本当ならもっと長い期間入院する必要があるはずの大怪我だったんだけどね」
「思うんだけど、俺以外の人って鍛え方が足りないんじゃね?」
「逆! センが鍛えすぎなだけだから!」
そうか? そうでもないと思うんだが……。
「で、いい加減聞かせてよ。あの桃色の髪の子達っていったい誰? 手加減してたけど、それでもセンが女の子に手を上げるなんてよっぽどじゃない」
「……やっぱりバレてたか」
今まであえて話題にしなかったことを、サクが口にする。
あと、やっぱりこいつには手加減してたってバレるか。
「気迫と殺気だけは本物だったけど、もしもセンが本気だったらボクが割り込めるわけがないもの」
確かに、あの時の拳にそこまでの力はない。
数日前のトラックと殴り合った時と比べたら天と地ほどの差があると思う。
あくまで一般的な男子高校生のレベルでの拳だったはずだ。
怒りを感じていたが、相手がどんな奴であろうと女の子相手に全力を出す程に俺の理性が飛ぶことはない。そこらへんの精神修業はいの一番にやらされた。
あれはただ相手を威圧するためだけの拳。
俺の周囲を狙うなんて卑怯な真似しないように、そしてあの小学生達が感じた恐怖を感じさせるためのものだった。
そういう意味では、サクが助けに入っても入らなくても大差はなかったと思う。
病室から出ていく際のアイツらの目には、しっかりと恐怖が刻み込まれていた。
「話すと長いってわけじゃないが、正気を疑われそうな内容でな。正直話したいものじゃない」
「へ~、でも気になるから聞かせてね」
「……お前って結構強引だよな」
コイツにニコニコとした顔で言われると断りにくいのは昔から変わらない。
俺は観念して今日あったことのあらましをサクに語って聞かせた。
金髪の少女が病室に来て、いきなり死んでくれと言われたこと。
断ったら襲われたこと。
そのあとピンク髪の少女が来て自分は神だと言い放ち、異世界に来てくれと言われたこと。
実は数日前からの不運な出来事は、そいつらが黒幕だったこと。
そして、そいつらは俺を殺すために周囲を巻き込むことに何の躊躇いも感じていないこと。
いらない部分は省き、簡潔に伝えた。
「へ~勇者か。すごいね」
全部聞いた後、サクは暢気にそう言った。
「おいおい、まさかあいつ等の戯言を信じてないよな?」
「う~ん、神様とか天使とかは確かに信じがたいよ。でもさ、そう考えるとあの不自然すぎる不運も説明はつくと思うな」
「……」
「だってあれだけのこと、人の力だけじゃ流石に難しいと思うんだよね。因果操作? とかよくわからないけど神様の超パワーとかが関わってないと不可能な気がする」
サクの言葉は俺自身も納得できる部分もあった。
あの時は深く考えなかったが、一週間ほぼ毎日100回近く致死性の攻撃を仕掛けることなんて、どんなに手練れな人間でも難しい。
それこそ入念な下準備をし、百人単位で組織だった動きをとり、気取られないように俺の行動をコントロールするといったことが必要なはずだ。
ハッキリ言って、そんなことをするメリットがまるでない。
それだけの人と金かけて殺すくらいなら、爆弾腹に巻いて突っ込んだ方が安上がりだろう。
現実的にあれらのことが人の手によるものだというのは、どうにも現実味に欠けた。
たぶんサクも同じことを考えたのだろう。
しかし、俺の常識がそんな非科学的なことを良しとしない。
「それじゃ何か? サクはあいつらの言うこと信じんのか?」
「信じるまではないけど、真っ向から否定する事も出来ないって感じかな」
「そういうの一番困るわ」
結局どっちなんだよ。いや、どっちでもないのか。
「まぁボク自身のことじゃないからね。あ、でもゴメン。あの時ボクが止めなければよかったかな? まさか命狙われてるとは思わなくて」
「……いや、いい。アイツらを殴るのが目的だったわけじゃないし、あそこで捕まえたところでどうしようもなかったと思うわ。警察に『コイツが俺のことを異世界転生させるために殺そうとしてきます』とか突き出したら、俺の方が頭おかしい奴になっちまうし」
「アハハ! それは確かに! ククッ、センが警察であたふたしてるの思い浮かべたら余計に笑えるね!」
笑い上戸かつ笑いの沸点が極端に低いサクが笑い始めた。しばらくコイツは笑い続けるだろう。
小さく笑い続けるサクを僅かに追い越し夜道を歩く。
どうでもいいけどサクさん、俺の背中をバシバシと叩きながら笑うのやめてください。地味に痛いです。
「あ~笑った笑った」
交差点に差し掛かると、ひとしきり笑い終わったのかサクは駆け足気味に俺の隣へと並ぶ。
「まぁ相手の得体がしれない上に、まだセンのこと狙ってくるかもしれないんだから気を付けてね」
そう言って、俺とは別の道に進もうとする。
「あれ、お前今日は道場寄ってかねーの?」
「今日は稽古が鬼畜レベルになると思うからね。玄武さんも師匠も、センがいなかったからこの3日間元気なかったもん。その反動で絶対今日はヤバいね」
マジか。
「おぉぉ! テンション上がってきたぜ!」
一体どんな激しい稽古になるのか、それを考えただけで体が熱くなってくる。
楽しみすぎてこのまま走って帰りたいくらいだ。
「うわ~。ボク、時々センってマゾっ気があるんじゃないかと思う時があるよ」
「強くなれんのは単純に嬉しいだろ。お前も来ればいいのに」
「遠慮しとくよ。それじゃまた明日、学校でね」
「へいへーい。またな」
手を振りあい別れる。
俺は熱い思いをそのままに、強く地面を蹴って駆け出した。
◇□◇
そうして数分走って我が家にたどり着く。
昔ながらの日本家屋の母屋の他にも、かなり大きめな道場もあるために敷地は結構な広さだ。
その敷地全体を囲むようにぐるりと漆喰の塀が設けられており、出入りは正面の門から行われている。
堂々とした立派な門構えの門扉は常に開け放たれているが、これは来るもの拒まずという意思表示なんだそうな。
その門の脇には『鶴万流武闘術道場』と書かれた年季の入った看板が掲げられていた。
俺はその門の前で深く一礼し、門をくぐる。
瞬間、俺の死角を突くように大きな黒い影が俺へと襲い掛かってきた。