ダンジョンファクトリー sideダンジョン
「ダンジョンファクトリー side冒険者」を先に読むことを僅かに推奨します。
遥か昔、本人すら忘れてしまう程古い時代に一人の人間がこの世界に落とされた。
理由はない。良い事をした訳でも、悪いことをした訳でもない。いつも通り、残業が終わり眠りそうな電車の中でいきなり落とされたのだ。強いて言えば運が悪かった。それだけだ。
彼が、神山が落ちたのは森の中だった。森は広大で自然に溢れていたがそれと同時に危険も満ち溢れていた。
だから神山はその森から逃げ出し、周囲を歩いて人を探すが、人が居る気配はどこにもなかった。神山は最後に、ようやくこの世界は自分が生きてきた世界とは違うことを認めた。
最後にはまた森に戻って来ていた。元の世界に戻れないかと試行錯誤したが、何も起きない。疲れない身体も、まるで手品の如く世界を変えてくれる魔法も神山の望みを叶えることは出来なかった。
だから神山は諦めるように近くの洞窟に転移陣を敷いた。
元の世界には戻れない、でもこんな世界には居たくない。だから新しい世界を作りそこに暮らすことにした。
それは『ダンジョン』と呼ばれ、彼は『ダンジョンマスター』になった。
最下層 私層 ダンジョンマスター、神山の為の層
もはやダンジョンマスターである神山でも数えていないダンジョンの最下層。そこは神山にとって必要な物が全て整っている私室ならぬ、私層。そこで神山は朝食を食べつつ、各階層からの報告書を読んでいた。
報告書に重要なことが書かれることは少ない。基本は生産を主とする階層からは生産数、加工を主とする階層からは設備についてで異常なし、娯楽を担当する階層からその日の売り上げなど。
ただ少し前に一階層で家畜として飼っている牛と羊が減った、という報告を受けていた。
多分森に棲む狼でも迷って入って来たのだろう、と考え神山は従業員の吸血鬼から教わった召喚魔法陣で放牧犬を出すことにした。
現れたのはヘルハウンドの群れ。見た目は強そうだったが、放牧犬として合格ラインか確認するため神山は過去に製作し、現在は第三階層に置かれているゴーレムと戦わせることにした。
結果はゴーレムの圧勝。神山はこの結果にがっかりした。あのゴーレムは神山が未熟で、まだ従業員となる魔族たちが居なかった頃に作ったものであり、耐久性はあるが戦闘向きとは考えていなかった。実際神山自身、一回殴れば壊せる自信があった。
だから更に強力な放牧犬が必要と考え、召喚したら出てきたのは三つ首の地獄の番犬、ケルベロス。
非常に強そうな見た目だが、神山の姿を見た瞬間、腹を見せてきた。まるで降伏したかのように。
一瞬で実力差に気付き腹を見せた、と考えなかった神山はケルベロスもゴーレムで試験することにした。
結果は互角。ケルベロスが果敢に攻めるもゴーレムを噛み砕けず、ゴーレムもケルベロスを倒すすべがなかった。
これくらいなら狼から家畜を守るのに十分だろう、他にも数体ケルベロスを召喚して一階層に置くことにした。ついでに出てきたヘルハウンドも一緒に。
勿論一階層の従業員に説明した上で。
一階層は神山が最初に作った私層の次に作ったかなり古い層である。今の神山からすれば恥ずかしくなるくらい非効率な階層だが稼働させている。このダンジョンに住む魔族に職を提供するのもダンジョンマスターの使命だから。
その一階層は放牧用の草原と、オリーブなどの木々や、小麦などを育てる畑がある。これらは神山が外の脅威をその身で感じた際に最も必要だと感じ用意した階層だ。
そう、外の世界の食物は毒かと思う程不味いのだ! あまりの不味さに自然溢れる森の中で神山は餓死しそうになったほどに。
当然森の外を出ても同じだった。餓死か、毒のような不味い物を食べてでも生き延びるか。彼は苦渋の決断の後に毒を選び、最後にはその世界を見捨てて『ダンジョン』を作り上げた。
だからこの一階層は彼の願いそのものでもあった。美味いとは言わない、せめて毒と間違える程不味い物をもう食べたくない。
だからもしかしたらこの『ダンジョン』の家畜の味を知った狼はまた来るかもしれない。だから放牧犬を召喚したのだ。
だが、それだけでは神山は少し不安が残った。一階層で農業に従事している従業員の安全だ。
一応神山が最低限、と思えるレベルの護身術は身に付けさせている。多分狼一匹程度ならあしらえる程度の。だが群れで来られたら大丈夫だろうか。
心配性の神山は一階層に転移し、様子を見ることにした。
一階層 牧場と果樹林と畑 従業員 オーク
従業員のオークはその日も畑を耕していた。
彼からすればこの瞬間こそ、自分にとって最も自分らしくそして輝いている瞬間だと思っている。
一階層の作物たちは基本素直で、あまり手を加えられていないためゆっくりと育つ。下の階層の畑になるとダンジョンマスターが色々と手を加えたため、種植えから最低でも一週間で実がなるというのもある。
ただオークからしてみればもう少しゆっくりと育ってほしい。何せ種は赤ん坊、実は育てた子供で、出荷は独り立ちするように見えるから。せめて子供の頃の世話はゆっくりしたい。
だから、オークは自分の畑に手を出すものは許さない。神山に鍛えられた腕はヘルハウンドの群れを蹴散らすくらいは出来る。それにこの階層の事ならダンジョンマスターの次に詳しい自信がある。他の働いているオークにも負けない自信だ。どう動けば気づかれず、愚か者はどこを通ろうとするかも分かっている。
そうして、オリーブの森を越え、オークの畑を発見し驚いている冒険者の首に鍬を突き立てる。オークだって木にくらいは昇る。警戒を前後左右は当然で、息をするように上下も警戒し続けなければならない。それがダンジョンマスターが定める最低限の護身術の一つなのだから。
その冒険者の血に引き寄せられたのか、ダンジョンマスターが放牧犬として連れてきたヘルハウンドとケルベロスがやってきた。そして食べて良い? とばかりにこちらを見てくる。
放置しても何の役にも立たないので、流れる血も残さずに、と伝えて冒険者の死体の処分を任せる。
そう言えば二階層のスケルトンが冒険者の死体を使うたい肥の研究開発をしていたな、と思い振り返れば既にそこには毛も血も残らず食べたヘルハウンドとケルベロスのみ。
まあ、愚かにも人は外から勝手に来るので問題ないだろう。
さて、畑仕事に戻ろうか、という時に魔法の気配。
「む、オークか? いつもご苦労。特に変わったことはないか? 狼がここまで来て被害を出したとか」
ダンジョンマスターが転移してきた。オークはすぐに鍬を置きかしこまろうとしたが、先にダンジョンマスターに制された。
「別に良い。仕事の方が重要だからな。それで、狼の被害なのだが?」
「はい。(狼? ……ああ、冒険者か)それでしたら特に被害はございません。何かあっても神山様が召喚したヘルハウンドとケルベロスが片しますので」
「それは良かった。……しかし何でここに放牧犬として召喚したヘルハウンドとケルベロスが居るんだ? ここに居てはいざという時どうするつもりだ?」
今度はダンジョンマスターの視線がオークの後ろに居るヘルハウンドとケルベロスに向けられた。
その目から僅かな怒気を感じたのか、ヘルハウンドは今にも死にそうな声を出し、ケルベロスも怯えている。
「それは仕方ないことです神山様。ヘルハウンドやケルベロスが近くに居ては牛や羊も安心して食事を摂れません。草食動物ですからどうしても警戒網が広く、表の放牧場からでは中央のオリーブなどの木々を越え、我らが管理する裏の畑まで来ないと牛や羊が安心しないのです」
「なるほど。過度なストレスは肉質に影響する。それでは仕方ないな。しかしそれでは牛や羊の安全性は大丈夫なのか?」
「それはご安心を。何かあればすぐにヘルハウンドとケルベロスが駆けつけます。その足の速さは狼が逃げようとしても無理でしょう」
そうか、とダンジョンマスターは満足げに頷きオークもはい、と答える。
それから収穫量などの雑談、それぞれが担当している作物の話を少し交え、そろそろダンジョンマスターが戻ろうかという時。
「そうだ、先程の話で表と裏などと面白い表現をしていたな。放牧地が表で、オリーブなど木々が境、この畑などがある場所は裏か」
「勝手な表現、申し訳ありません。以後は決して使わず」
「いや、分かりやすく面白い表現だ。私も使わせてもらおう。しかしそうするとあれだな、放牧地にある二階層に繋がる転移陣は表の転移陣、この畑の所にあるのは裏の転移陣となるな」
ダンジョン内を好きに転移できるダンジョンマスターと違い、オークなど従業員は住居のある下層から転移陣を乗り継いで自分の仕事場にある階層まで移動しなければならない。
その際の渋滞緩和のため、ダンジョンマスターは転移陣を二つ用意していた。
「階層を表と裏で分けている所もあるしな。この表現はこれから使わせてもらうぞ。では仕事に励んでくれ。私は二階層、三階層の様子を見てから帰るとしよう」
そう言って、ダンジョンマスターは来た時と同じように一瞬でその姿を消した。
残されたオークは完全に移動したのを確認して、大きく息を吐いた。
このダンジョンに住む者たちからすればダンジョンマスターである神山は神に等しい。そんな人がいきなり視察に現れれば緊張するのも当然。
「はあ、畑でも耕すか」
未だ緊張し激しく打つ心を無心とするため、オークは鍬に力を入れた。
二階層表 たい肥作りと血液精製 従業員 スケルトン
二階層の一室で、たい肥作りをしているスケルトンは珍しくその一室から出てあるものを探していた。
今日の昼飯代である金貨の入った袋をどこかに落としてしまったのだ。
スケルトンだって食べる時は食べる。主に魔力だが。
普通に一食、どころか一か月程度魔力補給をしなくても動ける身体が、やはり美味しい魔力を食べられるなら毎日食べたい。それほど高いわけでもないし。
しばらく探していると通路に箱を見つけた。長年この階層で働いているスケルトンはダンジョンマスターがここに箱を設置してないことを知っている。
もしかしたら誰かが拾ってこの箱に入れて置いてくれたのかもしれない。そう思いスケルトンは箱を開けると。
ビューと熱い何かが顔に飛んできた。もしスケルトンでなければ大火傷しそうな熱い液体。
煮え油だ。三階層で使われ、一週間ごとに交換されているはずの油。
もしやと思い横を見れば、物陰から悪戯好きのゴブリンが顔を覗かせ笑っていた。
おそらくこのゴブリンたちがダンジョンマスターに頼んで破棄される油を貰い、この罠を仕掛けたのだろう。
二階層に居るのはこの罠を仕掛けたゴブリンとたい肥作りをしているスケルトン、それと血の様子を見に来る身体能力に優れた吸血鬼だ。この程度の煮え油なら悪戯程度で済むものばかり。
また探し直しか、吐けぬ溜め息を吐いたつもりで立ち上がると。
「何をしているんだ?」
ダンジョンマスターが居た。
驚きの余り口から魂が出るかと思った。まあ、出た所で種族がスケルトンからゴーストになるだけなのだが。
すぐに何とか現状を伝えたいが、言葉が出ない。というか、言葉は最初から出ない。骨だから。
同種族なら何となくで通じるためにうっかりしていた。すぐに身振り手振りで伝えようとしたが、その前にダンジョンマスターが何か察したように頷き。
(すまんな。アンデッドに言葉は無理だったな。念話なら出来るか?)
(はい、大丈夫です。ありがとうございます)
魔力を使った念話を使用してくれた。魔力のないスケルトンでは相手が使用してくれないと出来ないので非常に助かった。
(それで、どうしたんだ?)
(あ。いえ、これはゴブリンたちの悪戯に引っかかりまして)
(それではなく、たい肥部屋から出ている理由なのだが)
そこでようやくスケルトンは現状に気付き、あちゃーとばかりに手で顔を覆う。
ただそれをダンジョンマスターは顔に付いた油が気になっていると勘違いし、水魔法で顔を綺麗にしてやる。ついでに本骨も気づいていなかった肋骨が一本欠けていたので、新しく骨を作り出して欠けていた部分にはめる。
傍から見れば顔が濡れる程度の水だが、魔力を多大に含んだ水は一瞬スケルトンを浄化させかねないほど威力があった。
そこをスケルトンは気合で何とか耐える。
(ふむ。こんな所か。しかし何で顔に油なんぞ)
(この箱です。開けると煮え油が飛んでくる仕組みでして。犯人は裏で働いているゴブリンでしょうね)
たい肥部屋から出ていた理由を誤魔化せる! と全力で説明に入る。全力過ぎてもう一度箱を開けて顔に煮え油が掛かったが。
(やれやれ。週に一度油を入れ替えているが、その油を欲しがっている理由が分かったよ。てっきり水鉄砲にして遊んでいるのか思っていたが)
煮え油の水鉄砲。ゴブリンでは火傷するし、最悪もっと酷い被害が出るのではないか?
ダンジョンマスターの恐ろしい予想をスケルトンは心の中で否定しておいた。
ブゥオオォォ!
(ん? 何だこの音は? 牛に近いが明らかに低い。下層で働いているミノタウロスはこれに近い声だったが、二階層にミノタウロスが来るのか?)
(これは裏の屠殺場から漏れてくる牛の鳴き声ですね。この通路は長いので響きますし、音も変化するのでこんな感じになりますよ。たい肥部屋内だと全く聞こえませんけど)
そうなのか、とダンジョンマスターは呟くとすぐに興味を失ったようで血の池の部屋を確認する。
(こちらの方も特に異常はないか?)
(そちらは吸血鬼さんの管轄なので詳しいことは分かりませんけど。前に見回りに来ていた吸血鬼さんは、何で獣の血があんなに美味くなるのか、と呟いていました)
(問題はない、ということだな。あいつらが飲むのに満足する血の精製には苦労したからな。知っているか? あいつら毎日人の血が飲みたいらしい。しかしこのダンジョンに人は俺しか居ない。あいつらに血を与えていたら俺が失血死する。だから家畜を屠殺する際に出る血で良いかと聞けば、獣臭いからヤダとか、人じゃないと受け付けないとか文句ばかり垂れてな。ブチ切れて何が何でも家畜の血を飲ませてやろうと思ってな、二階層の半分はその血の精製施設だ。どんな過程を経ているか知りたいか? 教えてやろう。まず――)
それから数十分、血の通っていないスケルトンに吸血鬼が満足するための血作りの苦労を長々とダンジョンマスターは語った。
表情も変わらず、頭に血が上ったことのないスケルトンだがその話の最中ただ一つだけ思ったことがある。
吸血鬼の野郎後で殴る。
別にダンジョンマスターの話とは全く関係ない。ただそう心に深く誓っていた。
(おっと、話しすぎたな。裏の方も見なければならんのでな。それじゃあ失礼)
現れた時と同じようにダンジョンマスターは一瞬で目の前から姿を消した。多分裏の方に転移したのだろう。
残されたスケルトンは、ただ吐けない溜め息を吐いた振りをしてたい肥部屋に戻った。
昼飯代は当然見つからなかった。
二階層裏 屠殺場 油精製施設 従業員 ゴブリン
二階層の裏。一階層の畑側の転移陣で入って来られる。用途は家畜を殺す、屠殺場となっている。他にも油の精製なども行っている。
ここで働いているのはゴブリン。小柄で他の種族に比べると若干非力だが、その分何でも出来る器用な種族だ。ただ悪戯が好きでもある。
神山に悪戯をする度胸まではないが。
ゴブリンたちは神山が現れたのに黙々と作業をしていた。数人がかりで専用の場所に隔離していた牛を誘導し、首を一気に切断する。そして血抜き専用の場所まで運び、血を専用の穴に流す。そうすれば表の施設まで流れて自動で吸血鬼が飲むための血へと精製される。
他にも上で収穫したオリーブなどを機械に入れて油を精製している。
しかし誰もが仕事に夢中で神山が現れたことに気付いていない訳ではない。むしろ逆、表に悪戯をしにいったゴブリンが神山を見つけ、そしてスケルトンがゴブリンの悪戯の被害に遭ったと訴え、箱について話しているのを聞いていたためだ。
もし悪戯について言及されれば怒られる。だから一生懸命に仕事をして気付かない振りをしようとしていた。
ちなみに、悪戯をしていたゴブリンは現在屠殺するための牛を連れてくる中に紛れ込んでいる。全体が緊張の雰囲気にあるためか家畜も緊張して足が動かず、連れてくるのに苦戦していた。
当然、そのことに神山も気付いていた。転移は地味だがずっとそこに居れば誰かが気づくというもの。それにゴブリンたちが先程からチラチラと神山を見ているのだ。
気づけないけど気になる、といった所。それにゴブリンはあまり堪え性がない。このまま居てどう反応するか気になる神山だが、いつまでもここに居るわけにはいかない。
特に問題もないようなので三階層に向かう。転移する一瞬、ゴブリンたちがホッと息を吐いたのが見えた。
三階層 オーブン&フライヤー 従業員 なし ゴーレムを設置
三階層に着くと同時に魔法障壁を張る。何せここは人が、生物が居るべき場所ではない。
この層事態が巨大なオーブンとなっているのだから。更に下は高熱の油の海、つまりフライヤーとなっている。
上下ともにベルトコンベヤの上を食品が通っている。
上のオーブンの方では裏から転移陣を介して捏ねられたパンが送られてくる。それらは全てベルトコンベヤの上に置かれ、向こう側に着く頃にはふっくらと焼き上がり、転移陣を介してまた裏に送られるようになっている。
下のフライヤーも同じように裏から肉や、衣をつけたものが送られてきてそれぞれの適切な揚げ時間で向こう側に着き転移するようになっている。ちなみに、油は一週間ごとに取り換えられ、その時に捨てられるべき煮え油をゴブリンたちが貰っている。
故にここは灼熱地獄。長時間生物が居れば調理されてしまうような場所だ。
だからといって、誰も置かないわけには行かない。何らかのトラブル、見回りなどをして安全点検をするのは非常に重要。油の中に虫や機械の部品が入るなどあってはいけない。
そのために神山がここ三階層に置いたのがゴーレム。神山が未熟だった頃に技術の粋を結集して作ったものだ。今だったら片手間でも三倍優秀なゴーレムが作れる。作らないが。
このゴーレムの役割は見回り。ボルトなどが外れていれば修理し、異物などを発見した場合即座に六階層に繋がるダストボックスに突っ込むことである。
しかしこの高熱の中では普通のゴーレムは長時間稼働できない。そのため様々な改造を施した。
まずはマジックコーティング。魔法的な何かを皮膚のように体全体を覆う。これにより熱耐性が向上し、例え溶岩の中でも稼働可能になった。
なお実際のマジックコーティングは魔法耐性を向上させるだけのものである。これは神山自身の魔力が異常であったため、あらゆる耐性が付いただけである。
次にゴーレムの磁石化。というのもゴーレムは非常に重量がある。そのため整備用に作らせた唯一の通路、一本橋の上をドシドシと歩いてはいずれ橋にもガタが来るのではないかと考えた。そのために採用されたのが磁気浮上式。磁気の力でゴーレムを僅かに浮かせて移動させることにしたのだ。
なお、一本橋は非常に頑丈でゴーレムが百年間暴れたとしてもボルト一本も緩まないほどの出来である。
しかし次に問題になったのが磁力と熱の関係だ。磁力は熱に弱い。それはマジックコーティングされても変わらなかった。だから神山は新たな磁石を作り出し、尚且つ新金属まで作り上げた。これにより熱による磁力の低下を無くし、新金属により磁力の出力を自由に変更できるようになった。
しかしそんなゴーレムにも寿命があるかの如く、ある日一つの報告が届けられた。
ゴーレムの左腕紛失。
おそらく長年の使用により左腕が取れて、ゴーレムはその左腕を異物と認識、六階層に繋がるダストボックスに捨ててしまったのではないかと、神山は考えた。
そのため左腕だけ新しく作り付け替えた。その後、支障がないか確認のために来たのだが。
「問題はないようだな」
一本橋の上を移動するゴーレムを眺めて問題がないことを確認する。
作った時と腕前が違うので、右腕と左腕で性能が異なるのだが、特に異常は見られない。
ただ心配なのは左腕が取れたということは、近いうちに右腕も取れるのではないかという不安。
足が先に取れた場合はダストボックスに運ぶのも大変なことになるはず。
ならばゴーレムを一新すれば良いのだが、この手のものはあまり作っておらず、どれだけ使えるのかデータが欲しかった。一種の耐久テストでもあるので手を出したくはなかったのだ。
「うーん、壊れるような前兆は見えないのだがなあ。いきなり壊れるタイプなのか? 誰かを見張りに付けさせられればいいのだが」
残念ながらここで長時間働ける者はいない。なので今まで通り定期的な安全確認のみということで終わった。
三階層裏 パンや揚げ物を管理 従業員 スキュラ
三階層の裏。そこはオーブンとフライヤーの表と違い、冷房の効いた涼しい場所となっている。
そこで働くのは複数の足を持つスキュラ。上半身は女性、下半身はタコのような触手を生やす魔族である。
スキュラはその触手を器用に使い、パンを捏ね、卵を割ったりパン粉を付けたり、転移陣に運んだり、転移陣から出てきた出来立ての物を他の階層に送ったり、多忙な仕事をしている。
他の魔族では手が足りない、と叫ぶところをスキュラはその足でカバーする。
まるで触手一つ一つに意志があるかのように作業に没頭していると。
「やはり何度見ても驚かされるな。そんなに一斉に動かして疲れたりしないのか?」
いつの間にかダンジョンマスターが居た。
どうにかして挨拶をしようとしたが今も三階層は稼働中。触手を止めているような暇は一切ない。
なので仕方なく、作業しつつ身体の向きだけ変えて頭を下げる。
「慣れましたので問題ありません。それで神山様、このような所にどのようなご用件でしょうか?」
「ああ、ゴーレムの件でな。修理してその様子を見に来たついでだ。とりあえず動作不良はない。しばらくは持つと思うが左腕が取れた以上右腕が怪しいからな。もし取れていたら前と同じように報告が欲しい」
「かしこまりました。と言っても仕事の終わりに見るだけですので、すぐに連絡は出来ませんが」
「構わない。しかし大丈夫か? 人員を増やすことは出来ないが、簡易化などは少し時間をくれれば簡単に出来るぞ?」
流石に会話中も忙しなく動き続ける触手を見て、ダンジョンマスターも心配そうに声をかけるが、スキュラは首を振る。
「いえ、この程度のことで神山様の手を煩わせるわけには行きません。それに、これくらい忙しいくらいが触手を暇にさせることなく動かせて丁度良いので」
そう言うなら、とダンジョンマスターは引き下がった。
実際ここで働く他のスキュラからは、もう少し楽をしたい、人員を増やして欲しい、などという声もある。というかそちらの方が多数だ。
しかしこのスキュラは違う。
中層にあるコロシアム。娯楽のために作られた闘技場だが、このスキュラはそこに登録している。観客ではなく選手として。
スキュラが得意とする戦い方はこの触手を使って数多の武器を扱う手数の多いもの。その訓練として現在の職場は非常に良いのだ。逆に楽にされたら困るほどに。
他の仲間には申し訳ないが、仕方がない。そう、仕方がないことなのだ、スキュラは心の中で謝っておく。
「では忙しい所済まなかったな。もし何かあれば伝えてくれ」
そんなスキュラの思惑など知ることなく、ダンジョンマスターはどこかに転移する。
「あれ、今誰か来てた?」
「神山様が。ゴーレムの件で少しね」
「あ、来てたんだ。覗かなくて良かった」
隣の部屋で働いている同僚のスキュラが少しだけ顔を出して、様子を見てきた。話し声が聞こえていたのだろう。
事情を聞くとすぐに安堵した様子で戻って行った。
別にダンジョンマスターは嫌われているわけではない。ただ畏れ多いので近づきがたいだけなのだ。
スキュラは戻って行った同僚の方を向いて一言。
「仕方がないの。ごめんねえ」
それだけでスキュラは自分の内の罪悪感を見事に消して見せた。謝ったからもう十分。大した精神の持ち主だった。
最下層 私層 ダンジョンマスター、神山の為の層
とりあえず一階層から三階層まで見回り特に問題がないことを確認した神山は私層に戻って来た。昼食のために。
しかし昼食を摂っても四階層に行くつもりは神山にはない。元々は一階層の異変が他の階層に余波を及ぼしていないか確認するだけだったためだ。
結果として、問題は一階層のみ。二階層に異変はない様子で、三階層はゴーレムの腕が経年劣化の為取れただけで、新しく付け替えて問題は無し。
ダンジョンは何事もなく、いつも通りの平和なのだと改めて認識できた。
ならば、四階層の水族館や五階層の従業員の休憩所も見て回る必要はない。
それから神山はのんびりと過ごした。
後日、ゴーレムの右腕紛失の報告が上がった。