5.人格 ○
「ねぇ、起きてよ。起きてって!」
誰かに呼ばれたような気がして、ゆっくりと目を開ける。
最初に視界に入ってきたのはどこまでも広がる星空と大きな満月であった。月は地球にいた時よりも随分と大きく見える。
「こっちだよ、こっち。」
少年の声だろうか、聞き覚えのあるような気もするし、しない気もする。
仰向けに寝ていた状態から上半身を起こしてまわりを見渡す。床には星空と月が反射して映っていた。
「わぁっ!」
床からひんやりとした冷たさが感じられたため、自分が水の上に浮かんでいたのかと思って驚いたが、服が濡れている感覚がない。
「ははっ、驚きすぎだよ。」
声のした方を見てみると白い大きなオリの中で座っている少年がいた。
「下は単に鏡で出来てて夜空が反射して映っているだけだよ、といってもここに朝は来ないし、僕たちも何でか鏡に映らないみたいだけどね。」
少年の言った通り床には一面の星空と大きな満月が写り、レンヤと少年の二人は写っていなかった。
少年は無邪気に笑っていた。そして着ている服や顔に違和感を覚える。小学校2年生くらいだっただろうか、その時の自分にそっくりの少年がそこにいた。
「黙ってたらつまらないよ。何か話して!」
少年は急かすように体を前後に揺らしながらレンヤに言った。
「えっと、ここはどこ?」
「えー、つまらない質問だねぇ。典型的すぎるよ。予想外なことが起きたら現実からは目をそむけるし、他人任せ、自分で考えることを放棄する、ほとんどの大人がそうなるけどいつから君もそんなつまらない普通な人間になったのさ。それより君はここがどこだと思うんだい?」
無駄にイラッとする少年だった。
「僕の意識の中とでもいえば満足かな?」
確かにベッドに横になってもう一度寝たことは覚えている。
「うわぁー、なんか厨二っぽいね。言ってて恥ずかしくないの?ねぇ?ねぇ?」
少年は目をキラキラさせながら聞いてくる。
「あんまり年上をからかうのは良くないよ。それに君は誰なんだい?」
ふと思いうかぶ。少年の顔はレンヤにとってはあまり思い出したくない小学校2年生の時の顔にそっくりなのだ。そして小学校2年生は母親が死んだ時でもあったのであまり思い出したくない時期でもあった。なので年下相手で多少ムカッとしたが冷静にレンヤは尋ねた。
「ひどいなー。僕が誰なのか分からないの?」
「あまり当たってほしくない予想ならあるけどね。」
「人に聞くときはまず自分からって習わなかった?」
「はぁ、僕は柊錬也です。」
「県立滝峰高校2年4組在籍、出席番号32番、身長172cmの体重61kg、成績は安定して2位、女性との交際経験なし、将来の夢は未定。僕が知らないはずないじゃないか。他にもまだ必要かな?」
少年はしてやったりといった顔をしてレンヤの顔を見る。
「じゃぁ、僕も自己紹介でもしようか。」
少年はその場に立つとわざとらしく姿勢を正す。
「僕は柊錬也。久しぶり、いや、初めましてと言った方がいいのかな?高校生の僕。」
やっぱり、と思った。しかし僕はこれほどまでに他人をイラつかせるような変な性格だったのだろうか。
「大丈夫だよ、心配しなくても。小学生、中学生、高校生すべてにおいて君は優秀な学生だったよ。成績もよかったし、運動神経も良い、他人との争いを嫌う穏やかな性格。ほんと非の打ちどころのない学生だったよ。だからこそ気持ち悪い。まっすぐすぎて気持ち悪い。君もそう思っていたんでしょ?聖人君子にでもなりたかったの?」
まるで心を読んだかのように答えていたが、少年レンヤは満面の笑顔からだんだんと表情が消えていった。
「じゃあ君は何しに来たの?わざわざ睡眠時間を削ってまで嫌味でもいいに来たの?」
レンヤは頭を横に傾けると少年に尋ねた。
「いやまさか、僕がそんな無駄なことしないのは分かってるでしょ?どう言ったらいいのかな、ちょっと挨拶をしに来たといえばいいのかな?タイミングが良かったからね。」
「タイミング?」
「これを見て分からない?」
そういうと少年レンヤは上を指差した。そこには少年レンヤを囲んでいた大きな白いオリが上の方からだんだんと風化していき白い粉が天へと少しずつ上へ昇っていっていた。
「君は思い出さないようにしてるのかほんとに無かった事にしたのかは分からないけどさ、小学校2年生の時に母親が死んで葬儀が終わると君はその翌日には何もなかったような顔をして学校に登校したよね。何の悲しみもなく、一切過去に触れなくなった。それが僕についてのヒントだよ。」
「見た目からして君は小学校2年生の頃の僕だよね?ならその時の記憶?」
「ん―、おしいね。ちょっと違う。僕は記憶ではあるけど部分的な記憶かな。悲しみの記憶。怒りの記憶。君が触れることを怖がって封じ込めた記憶。喜怒哀楽なら怒と哀の部分から構成されているのが僕だよ。まぁ、9年前から他にも負の感情とか一般的に悪い方とされる部分を担当しているんだけどね。簡単にいえば君が考えるのをやめた、放棄した閉じこめた感情を僕が一人で処理していたんだよ。二重人格になるには至らなかったから表に出ることはできないしずっとここに一人、退屈だったよ。」
レンヤが考えていたよりもずっと面倒な存在だった。
「僕は小学校2年生の時に君が作り出したもう一人の自分。父親に迷惑をかけまいと耐えきれない悲しみを押し付けるためにね。君は最後に怒ったのはいつか覚えてる?怒るという感情自体僕が担当しているから小学校2年生から怒ったり、腹を立てることがなかったんじゃない?それに最後に悲しいと思ったのは?まぁ、父親が死んだときはキャパオーバーになって表に悲しみの感情が溢れてしまったけどね。その一回くらいじゃない?」
「そう言えば...」
レンヤは心当たりが思い浮かび、話しているうちにオリはほとんどが消滅しており少年レンヤの膝くらいの高さになっていた。
「それで、負の感情さんはどうして急に会おうと思ったの?」
レンヤはあきれながら説明を求めた。
「このオリが消えるとどうなるのか分かる?」
「君が自由になるってだけでしょ?」
「まぁ、そうなんだけどね。今まで君が閉じこめていた悲しみとかの感情が表に出てくるって話だよ。君は心臓を貫かれて死んでしまって本来であれば僕も一緒に存在が消えて君は聖人君子としてみんなから悲しまれながらあの世へと旅立つはずだった。なのに君はあんな天使にのせられて転生することを選んだ。結果として今まで封印していた僕が自由になってしまった。これからは優等生みたいな性格ではなくなるよ?君が望むのなら僕は君という人間を、いや、君の体を僕が使って生きていくこともできる。簡単に言えば僕が人格を引き継いで君をあの世へと運んであげる。どうする?」
少年を囲んでいたオリがすべて消滅し、少年レンヤが近づいてくる。
「僕は…」
正直に言えばどっちでもよかった。このまま異世界を生きていっても良かったし、少年に任せても良かった。ただ天使との契約が気がかりではあった。
(今までもう一人の僕はここでずっと退屈していた。ならいっそ人格を交代してあげた方がいいんじゃ…)
「だいたい君の考えていることは分かるけどさ、どうせ僕がかわいそうだとでも思ってるんでしょ?何でそう簡単に他人を信じられるの?理解できない、いや、他人を疑うという感情自体僕の方で管理しているからしょうがないのかな。で、どうするの?」
考え込む顔をしているのに気づき、少年レンヤはあきれたような顔をしながらレンヤを見た。
「僕は君に人格を譲るよ。確かにかわいそうだと思ったけど僕はどうやら人を疑うという事が出来ないみたいだからね。君の方が上手に生きていくことができるだろうし。」
「はぁー。これは予想外だ。もう少し生きることに必死になると思っていたのにな。どうやら善人のレンヤ君は僕が思った以上に善人過ぎるみたいだね。」
少年はレンヤの目の前まで近づく。そして右手を前に出すと突然黒い刀が現れ、それをつかむ。
少年は刀を持った手を思いっきり後ろへと引くと、今度は刀を思いっきり前へと出し、レンヤの腹へと突き刺そうとする。レンヤも刀を出した時には予想できていたため素直に刺される気でおり、目を閉じる。
しかし、なかなか刺される感覚が来ないため目を開けてみると、剣先はレンヤの腹の前で止まっており突き刺せていなかった。
「ご覧のとおり僕では僕を害することはできない。その逆もそうで君も僕を傷つけることはできない。君はこれから僕の人格を少しずつ受け入れながら普通の人間へとなっていくしかないんだよ。怒ったり悲しんだりできる普通の人間として。他に選択肢なんて最初から無かったんだけど君が久しく抱かなかった怒りや悲しみとかの自分の感情に驚くことが無いように説明しておこうと思っただけだよ。だからオリが壊れるこのタイミングに呼んだの。理解できた?」
少年は刀を床に突き刺すと、刀は粒子となって消えていく。少年レンヤは人を馬鹿にするような顔ではなく穏やかな顔となっていた。
「うん、わざわざ忠告してくれてありがとう。理解できた。負の感情といっても優しいね。」
「この状態でお礼を言うなんてほんとに君は優しい性格をしているんだね。君が負の感情を受け入れていくように、僕にも君から穏やかな性格が流れこんできているんだよ。それに君の人格を基につくられてるから根本的な人格は似ているし。少し成長過程で受けた感情が違うだけだよ。オリが無くなったおかげでこれからは表の人格に影響を及ぼすことができるようになったから初めて人助け、いや、今回なら自分助け?をしてみたくなっただけだよ。」
「ま、感謝しておくよ。それでこれから君はどうなるの?存在が僕に吸収されて無くなるの?」
「いや、僕はどうやら別人格として成長しすぎているみたいだから吸収することは出来ないらしい。このまま君の人格を受け入れていたら、僕は普通よりもちょっとばかし腹黒な性格に落ち着くと思うからそのあとはここにとどまり続けようかなって思ってる。時々表に出るかもだからその時はよろしくね。」
少年は小学生らしい笑顔を浮かべながらレンヤに言った。
「ずっとここに居たら退屈だろうからいつでもおいでよ。」
レンヤも最初との性格のギャップに苦笑いしながら答える。
「もうこんな時間か。ちょっと時間かかり過ぎたのかな?じゃぁまた近い将来に。」
少年レンヤはポケットから懐中時計を取り出して時間を確認すると手を一回叩く。するとレンヤの意識はまた暗闇に落ちていく。
「また近いうちに。そのとき紹介したい―――がいるからよろしくね。」
意識が遠のく直前に少年レンヤがこう言ったのが聞こえたが肝心の所はノイズが入り聞こえなかった。




