1.日常 ○
窓の外が軽く明るくなり始める時間帯に今日一日が始まる。
昨日なかなか課題が終わらなくて深夜2時まで起きていたためか、いつもよりの布団からの誘惑が強い。しかしやることがあるから今日も起きる。
こんな時間に起きている人はこの家にはいないためテレビの音も誰かの話し声も聞こえない。
いつからだろうか、そのようにすることが普通になってしまったのは。
ヒトはあるがままに現実を受け入れ、日々を生活していく。決してそれは悪いことではないだろう。僕もそう思っていたし、これからも非現実的であること、他人と違うことを嫌い、人の輪の中に入り、愛想笑いをし、いつもと同じように日常を生活していくことを求めるであろうと思っていた。
小学校の低学年で母親が交通事故で死亡した。飲酒運転の車にひかれたのだ。それ以来父親は酒を飲まなくなり男手一つで僕を育てあげてきてくれた。母親が死んだことに最初は泣いた。とにかく泣いたことを記憶している。しかし、それを現実として受け入れなくてはならないと幼いながら理解した。今でも泣いている僕の頭を父親が黙って不器用に撫でてくれた感触を時々思い出す。
しかし、現実は残酷であり中学2年生の時に過労で父親が倒れそのまま病院に搬送、もともとあまり心臓が良くなかったため病院に搬送後僕と面会してから息を引き取った。担当した医者も倒れた後ここまで心臓が持ったことに正直驚ていた顔をしており、「どしても会いたかったんでしょうね。」と言ってくれたのを覚えている。僕はあまり反抗期というものがなく父親との関係も良好だった。父親はとある工場で技術者として働いており、帰りが遅くなることもしばしばあった。残業で遅く帰ってくる父親の変わりに炊事洗濯掃除などの家事は全部僕がやっていた。父親が僕の、そして僕と父親の二人だけの家庭を守ろうと一生懸命働いてくれたのは十分理解していたから父親が死んで悲しかったが同時に父親が仕事から解放されたことを嬉しく思っていた。
「錬也、ごめんな。父さんちょっと頑張りすぎたみたいだ。先に母さんのところに行くけど何か伝えてほしいことある?」
年の割にやせ細って弱々しくなっている手を僕が握っていると冗談まじりで病院のベッドに横になっている父親が聞いてきた。もう先が短いことに父親は分かっていたのかもれない。まだ生きていて欲しかった。まだ一人にしないで欲しかった。でも父親の日頃の疲れた顔と違う穏やな顔を見ていたら自然と言葉が出ていた。
「大丈夫だよ。何も心配しなくていいからゆっくり休んで。僕もそっちに行きたいけど父さんも母さんも許してくれないでしょ。もうちょうと頑張ってみるから天国で母さんと見守ってて。」
いつのまにか僕は泣いていた。自然と涙がこぼれていた。
「錬也、今までありがとうな。俺はあまり料理とか得意じゃなかったから錬也に任せっきりになってしまったけどとても助かったよ。じゃぁ、ちょっと休むな。」
「うん、お休み父さん。」
「あぁ、最後にこれだけは言っておこうかな。錬也、悲しかったら泣いていいんだぞ。もうお前を慰めることはできないけど一人で生きていく強さをもう錬也は持っている。そしてうれしいときは思いっきり笑え。母さんが死んでからお前は悲しみをどこかに置いてきたような性格になってしまった。それでもここまで優しい性格になってくれたことが俺はとてもうれしい。錬也、これからは自分の好きなように生きていきなさい。ちょっとばかしの貯金ぐらい残しているから自由に使え。まだ何かあったかな…」
「もう、父さん心配し過ぎだよ。大丈夫、何とかするから。」
僕の言葉に安心したのか、僕の手を両手で一度強く握りしめると父さんはそのまま穏やかな顔で旅立った。
それからは淡々と時間が過ぎた。もともと親戚がいなかった僕は父さんが大学生の時から仲の良く、母さんが死んだときにもお世話になった蔵田さんの家に引き取られ、蔵田さんが父さんの葬式等してくれた。蔵田さんの家庭は蔵田さん夫婦と長男の和樹、長女の彩香の四人家族で、そこに居候することとなった。
強制はされなかったが居候する身なので、家事を手伝い始めた。幸い料理は得意というよりも好きだったので蔵田家の皆さんには好評で、朝ごはんを任されるようになった。
ここで、蔵田さん一家を紹介しておこう。蔵田一家は普通の家よりかは少し大きいくらいの広さの二階建ての一軒家である。
一家の大黒柱、蔵田和人さんは国立の大学で教授をしている。人柄や講義の分かりやすさから評判はいいらしい。そしてイケメンだ。奥さんの蔵田恵さんはいつもニコニコ笑っているがスゴい弁護士らしく、業界では名の知れたちょっとした有名人らしい。そして美人だ。
長男の和樹は僕と同い年の高校2年生で今では一緒の高校に通っている。お察しの通りこの夫婦の遺伝子のせいなのか高校での成績が良くスポーツも得意なイケメンさんだ。そして加えて異性からの恋愛感情に鈍感であるといるラノベやネット小説でありがちな主人公体質で一緒に生活してそのような性格であると知った時は本当にこんな人がいるのだと感動したほどだ。
最後に長女の彩香さんは奥さんに良く似た美人さんで僕と和樹よりも1つ年下の高校1年生である。やはり頭は良いらしく学年1位を保守し、その人柄から1年生のほとんどが彼女を崇拝していると言ってもよい状態となっている。もちろん2、3年生の中にも崇拝者はいる。
そして冒頭にもどる。僕は部屋で学校の制服のブレザーに着替え、一階に降りる。テレビのニュース番組をつけると、いつも座っている自分の椅子にブレザーの上着をかけてシャツの袖を折って肘のところまであげて、いつものエプロンをつける。昨日の晩はステーキだったので今朝はあまりみんな食べないだろうと思い朝食は食パンにしてサイドメニューを考える。料理ではある程度バランスがとれれば何も言われないので自分の食べたいものを作れるのが楽しみの一つでもある。サラダにスクランブルエッグ、お弁当用のおかずやご飯を炊いたりなどやることが多いので時間はあっという間に過ぎていきいつの間にか7:00となっていた。その頃には和人おじさんや恵おばさん、彩香さんが降りてくる。
椅子に座り新聞に目を通し始めたおじさんとテレビのニュース番組を見ているあばさんにコーヒーを持っていく。
「おはよう錬也くん。今日はトーストか、ありがたい。」
「おはようレンちゃん。毎朝悪いわね。」
「錬也さんおはよ~。私も手伝うわよ。」
「おはようございます。恵おばさん、そのあだ名やめてくださいって。彩香ごめんけどサラダ運んでもらってもいいかな?」
「はーい」
いつも通りの朝の景色だ。和樹がまだ来ないと思ってたら7:40になって2階から降りてきた。
「ごめん、今日はちょっと寝坊してしまったよ。錬也7:00には起こしてって言ったじゃないか...」
「あーごめんごめん、忘れてた。」
うん、完璧忘れてました。今日は生徒会の手伝いで早く行かなければならなかったらしく和樹はご飯をかきこんでいる。もう少し味わってほしいと思うが言ったらまたうじうじと言われそうなので何も言わない。おじさんたちも苦笑いしている。5分とかからずに朝食を終えて和樹はカバンを持って玄関に向かう。
「おい和樹、弁当忘れんなよー。」
「すまん錬也、教室で渡してくれ‼時間がない!」
「やだよ、変な噂たてられると困る!」
「まぁまぁ、よろしくー。父さん母さんいってきまーす!」
和樹が慌ただしく玄関を開ける音が聞こえ複数の女性の声が聞こえる。おそらくいつもの取り巻きだろう。
「彩香、ごめんけど頼んでいい?」
「はぁ、リョーカイ。昼休みに持っていくね。」
前に何回か忘れた弁当を持っていったことがあるが取り巻きになぜかさんざん罵倒されるのであまり気がすすまなくいつものように彩香に頼る。彩香も面倒くさがりながらもこちらの事情も知っているため引き受けてくれる。さすがに和樹の取り巻きたちも一年のほとんどから支持を受け、和樹の妹である彩香には荒事をたてようとは思わないらしい。むしろ好印象を得ようと必死になっている。
「それでは僕もそろそろ行きます。すみませんか食器洗いをお願いしてもいいですか?フライパンなどは洗っておきましたので。」
8:30からホームルームが始まるためそれまでに教室に着いておけばいいが、毎朝余裕を持って学校に向かっているので8:00に家をでる。学校までは歩いて10分ほどだが自転車で行っているためすぐに着く。そのため朝食の片付けばおばさんに頼んでいる。自分の食器とついでに和樹の食器を台所に下げてカバンに弁当を詰め、椅子にかけてあったブレザーをはおる。
「それではいってきます。今日は買い物して帰るので少し帰りが遅くなりそうです。」
「「「いってらっしゃーい」」」
玄関を出て、門の近くに停めてあった自転車のかごにカバンを詰め込み、学校へと向かっていった。
「ところで彩香、まだ錬也くんに告白しないのかい?」
「そうよ彩香、レンくんは優良物件なんだからはやくしないと誰かにとられちゃうわよ。」
「うぅ、分かってるけどいざ告白しようとすると恥ずかしいよー...」
毎朝のように繰り返される会話に顔を赤くして下を向く彩香を和人と恵は微笑ましく見るのであった。
家の中でこんな会話をしていることなど当然錬也は知らない。