3話「騎士の役目」
戦乱の世である。
海に囲まれた島国、アーク。この大陸は6つの国に分かれており、それぞれが領地を奪い合う戦乱の世と化しているらしい。
国ごとによって王がいるのではなく、王によって国がある。それぞれ蛇王、慧王、華王、覇王、燐王、聖王と呼ばれてそれぞれが“皇の力”特有の強力な能力を持つのだという。
定晴が感じたあの見透かされるような感覚はその皇の力だったのだろう。慧王が持つ皇の力は慧眼と呼ばれるもの。よくわからなかったが、魔眼のようなものだと自己解決した。
現在は慧王は蛇王の戦を行っており、先ほどの平原での大戦はこちらが少し有利な打撃を与えて撤退させたらしく、ここ数ヶ月は戦は起きないだろうと予想された。
元々は12の国が存在し、それぞれに王がいたのだが、乱の世でその半分が滅びて今に至る。最近では戦争もなく平和であったららしいが、蛇王が慧国に対して攻め入り始め、これに便乗して覇王が燐国を攻め始めてその他諸国も動き、戦争が各地で続いている。
これが、現在の状況。
ひと通りの説明を受けて思わずため息を漏れそうになった。
とんでもない状況に放り投げられたものである。定晴は特殊な訓練を受けた秘密の工作員でもなければ魔術師でもない。一般ピーポーである。
確かに、特殊なモノを持っているといえば持っているがこれが自分の思い通りにならないのなら意味がない。
チートな魔法でキュッとしてドッカーン。夢にまでみた無双妄想など投げ捨てた。月まで届け黒歴史。
さて、ならば定晴はどうするか。せっかく来た異世界。自由奔放に楽しみたいとは思うこともあるが、体はまっすぐ伸びて姿勢を正しく机に向かっていた。
最初に来てやることがお勉強である。それもそのはず。定晴は何も知らなさすぎるのだ。
この国の歴史やら兵法やらの教材から目線を逸らして現実逃避。天井を仰いで思い返すのは数日前のやりとり。
慧王からの勧誘はシキの側近から悲鳴に近い言葉と共に大いに論議された。
異世界から来た云々もあるが、一番の原因が性別なのである。
人類において、相良定晴の性別は男だ。それは間違いない。下半身の中心に陣をとる殿様はご立派に存在しておられる。XY染色体のオスである。
だが、この世界における男女階級は女子が上となっている。何故か。単純に力に差があるからだ。
氣というものが存在する。定晴の世界にも氣というものがあるとされているが、それはあくまでも生命の活力の話だ。精神力に近いものである。やる気、生気、運気、病気などが主なものであるが、その気自体が目に見えるものではない。
だが、こちらの場合では氣は目で見れて、感じて、使えるのである。
いわばファンタジー世界の魔法と魔力みたいなもので、人間の体内の中を循環しそれを使いこなせば重い物などを簡単に持ち運びできたり、“燐”という技を使えば、漫画の世界にあるエネルギー弾のようなものも飛ばせる。氣は主に身体能力の強化に使われるのだが、この氣、なんと女にしか使えない。
何がどういう仕組でそうなっているのかはわからないが、男にはまったくこの氣が使えないのだ。
これは最近のものではなく、昔から――この世界ができた当初から決まっていたものであり、世界の常識。
故に、男は見下されやすい。まるで戦国時代の日本のようである。国の責任者も、軍部の将軍クラスも、すべて女でもある。
そんな世界に見知らぬ異世界から来たという男がこの国にやってきた。
慧王の働かないか?という言葉はお手伝いを頼むような軽い言葉ではない。王の言葉だ。つまるところ国のために働かないかという言葉に繋がる。だからこそ、慧王の騎士たちを始め国の上層部は大慌てであったのだ。
果たしてどんな議論が行われたのかは定晴にはわからない。いや、聞きたくもない。しかしながら結論として定晴はこの国に仕えることになった。
慧王の強い勧めであったからだ。
どういう意図があったのかは定晴にもわからない。きっと騎士たちもそうだろう。定晴の中に何を見たかは慧眼を持つ慧王にしかわからない。
こうして、定晴は、国の中枢職である騎士の補佐官見習いとして働くことになった。それも慧王の元に直接である。
拾われた最前線の砦から離れた中央の本城に同行し、そこで働くことになったのである。
どこかの異国の馬の骨ともわからない男が、である。通常、然るべき機関と身分によって育成されて国に使える職場だからか、ましてや、男の定晴がこの国で働くことに関して快く思っていない人が多い。
勿論、すべてが女というわけでも、すべての女が男嫌いというか、男が働くことに関して嫌悪を抱いているわけでもない。しかし、今は戦時中である。平和な時ならまだしもこの時期にこんな面倒ごとが起こって少なくとも良い気分はしないだろう。
定晴がこの国に対してどう働くかというのはまだ決まってはいないが、いずれにせよ定晴としてはこの国の文字であったり文化であったり、様々なことに対して勉強不足だ。それを短期間の間で補わなければならない。
定晴自身としても、右も左もわからない状態で放り出された中でいかなる思惑があったにせよ、こうして暮らしていくだけの生活を提供してくれた慧王に対して恩返ししなければならない。
それがたとえ人の命を奪うことに繋がることになっても、定晴は今を生きるためにない頭を精一杯働かせるのだ。
「入るよ?」
控えめなノックが二回。言葉と共に現れたシキに定晴は慌てて立ち上がった。
「調子はどうだい?」
「ははは、ぼちぼちです」
シキはこうして時折様子を見に来て、勉強の手伝いをしてくれる。定晴の育成には文官として働いているエルベールという女性が行っているのだが、彼女にも仕事がある。基本的に1日中付き添そうという形は取らずに、決まった時間帯に教えにくる。それ以外は自習という形だ。
この世界の文字は勿論の事日本語ではない。英語でもイタリア語でもロシア語でもなく、まったく違う言語である。文字自体は英語のようなつつりであるが、その単語一つ一つをとってみてもまったく違うものであるので、英語ではないと断言できる。
そして、全く知らない言葉であるのにも関わらず定晴はそれを理解できる。定晴自身は日本語を喋っているのにも関わらず、彼女たちからしてみれば、この世界の言語を話しているように聞こえているのだろう。逆もまた然りである。
これに関しては定晴自身、助かっているが、いざ書こうとしていみれば中々筆が進まない。
一つ一つの単語などは書けるのだが、続けて書こうとすると滅茶苦茶な文法になってしまうので、最初に勉強する時はまずこの文字を理解することから始まった。数ヶ月経った今ではこうして彼女に自執の紙を渡して読ませることも可能になった。
「ふむ。よくまとめられているよ。さすが、教育を受けていただけはあるね」
「ありがとうございます」
この教育とは定晴が通った小中高大の日本教育の事である。この世界には教育機関はあるものの、身分の高いものでしか受けられず、庶民は文字すら書けない事が多い。
「一つよろしいでしょうか」
「ん?なんだい」
「なぜ、俺なんかがこうして国の職を任されているのでしょうか?見習いといっても、素性もわからない男なんかに任せるモノではないと思いますが」
書類に目を通していたシキが顔を上げた。
「そうだね。周りからもえらく反対されたよ」
「では、なぜ。正直にいえば働かせてくれることに感謝していますが、正直働かせるだけなら雑務でもなんでも」
しばらく彼女は考える素振りを見せた。
定晴からしてみれば、働くことに嫌悪を抱くことはない。働くものは食うべからず。その言葉に通りに例え異世界であろうとそれは変わらない。生きていくためには金が必要だ。食料にせよ、住居にせよこの世界に通貨という概念があり、それが生きるために必要不可欠であるならば、それを手に入れなければならない。この国のみならず通貨が統一されているから、この国であろうとなかろうと安定した生活には金が必要になる。それだからこそ、見習いとはいえ必要給料を貰える定晴は格別な処遇といっていいかもしれない。
そんな優遇な立場を与えてくれたシキに感謝しながらも疑問が湧く。
なぜ、俺なんかを?
国とは王と騎士と民で成り立つ。王があって、騎士がいる。王があって民があり、国がある。そう言われているように、騎士とは王を支える役職である。
日本で例えるなら大臣みたいなものだ。厚生労働大臣とか、防衛大臣とかそんなの。
文官であったり武官であったり分類は様々だけれども、ともかく騎士とはすごく偉い人たちのことだ。
その見習いということは、将来、王を支える立場になることになる。とてもパッと出の男に与える役職ではない。
「君にできると思ったからだ」
彼女は不用心にも、定晴のベットに腰掛けた。年頃の女の子が無防備に男のベットに腰掛ける行為に少しながら定晴はドキリとする。
別に、女性経験がないわけではない。
世界に存在するという伝説の童貞魔法使いなわけではないので、女性の仕草にいちいち胸高鳴り慌てふためくようなことはない。
ない、筈なのに、定晴は少し体が熱くなるのを感じた。
シキは上司だ。正確には王なので主様なわけで、普通なら恐縮し、緊張に体を固くするのだろうが、定晴にはどうも年頃の女の子にしかみえない。
別の意味で固くなるのはさすがにまずいので、定晴も椅子に座り直した。
(ちょっとベットに腰掛けただけで、ドキドキするとか……。大丈夫か、俺)
チラリと横目でシキを見る。
正直言って、近場でこんな綺麗な女性は見たこと無い。定晴の周りにも可愛い娘はいたが、シキはもやは別次元だ。いろんな意味で、目が見慣れていないのかもしれない。
ゴホン、と紛らわすように一つ。
「自慢じゃないですが、俺は秀でた才能もなければ、超戦闘民族でもない。ただの平凡な学生です。平和な国に生まれた、ただの人だ」
「君は、そう謙遜するけれどもね。君がやっていることは十分すごいことなんだよ」
鈴のように笑い、シキは手元の紙を持ち上げた。
「君の世界じゃどうかしらないが、こうして資料をまとめて、計算するだけで、この世界じゃすごい事なんだ」
「……」
世界の違い。それが定晴の強みであり、能力なのだと、彼女は言った。
「君には騎士としての才能がある。だから、君をボクは雇った。今はまだ雑務ような事しかできなくても、いつかこの国を支えるような立派な騎士になれるよ」
その言葉に、定晴は今度は本当の意味での緊張で身を固めた。
慧国の騎士。
漠然としない、大き過ぎる言葉。この国の、世界の文化を理解しようと勉強し理解しているからこそ笑えるような話ではなかった。
騎士の偉大さはこの世界の歴史を紐解いてみてもわかることだ。数々の偉業、戦争。改革。どれも王一人では成し遂げえない事がある。それを補佐し、導くのはいつも騎士だ。
こうして書物として騎士の名前が連なることを見るからに、王にとって騎士がどれだけ重要な存在なのかがわかる。
その騎士に、立派な騎士になれるか。
まだ、世界も、国も。シキという一人の王でさえわからないのに、騎士など本末転倒である気がした。
それに、あの糞ガキをぶん殴るという使命もある。
暫く、何を口にしようか言葉を探していると、ちょっと可笑しく彼女が笑った。
「と、いうのがアレン達への建前かな」
「へ?」
からかってやった。と言わんばかりに子供のような笑顔を見せるシキに対して定晴は唖然とする。
「実のところね、慧眼をもってしても、君のことはわからないんだ。嘘かどうかはわかるんだけど、君の才能とかもうまったく」
定晴は椅子から転げ落ちそうになった。シキがいう言葉を理解して、肩の力が不意に抜けたのだ。
「あ、あはははは……」
乾いた笑みしか出てこなかった。
「でも、君に何かを感じたのは確かだよ」
真剣な眼差しがこちらを見た。
「慧眼は何も答えてはくれなかったけれども、君に何か可能性のようなものを感じたんだ」
これは、ボクの勘かな、とシキは言った。
「将来、ボクを助けてくれる騎士様になってくれるんじゃないかってね」
戯けるようにしてウィンク。その仕草が妙に決まっていて、定晴は少し吹き出してしまった。
「む?何さ、ボクは真面目だよ?」
「あ、いえ。すいません。特に深い意味はないんです」
こうして頬を膨らませる彼女がなんだか愛らしくて、定晴は息をついた。
この世界にきて、今初めて悪くないかなって思えた。
「君は別世界の人間なんだよね?帰りたいとは思わないの?」
「帰りたいとは思いますよ。やっぱり、生まれた故郷ですから。でも、目の前で帰れないって断言されちゃったらどうしようもないです」
帰れないにしろ、帰れるにしろ、情報がなさすぎる。
「まぁ、取り敢えずはあのガキをぶん殴るというのが目標ですかね。何年かかるのやら……」
「じゃ、それまではボクの騎士だね」
仰せのとおりに。定晴はその場で膝をついてみせた。
その仕草に笑う彼女に、なんだか悩み事も一気に吹き飛びそうだ。
この人に従えるのもまた、悪くないかもしれない。