ノゾミ
ノゾミは女の子である。前髪をぱっつりと切り揃え、長い髪を二つに纏めて頭の横からたらりと下げておさげを作って、大きな眼鏡をかけている。
顔立ちは平凡で美人ではないし、可愛くも無い。クラスの中に数人居るが、いじめの対象になるような不細工ではない。
学校指定の紺のハイソックスを指定通りに履いている。
自分の身体のどこが好きと言われたらノゾミは脚と答える。
脚だけだったらクラスで一番美人のミナミにも決して負けない。そう心の中で思うけれども、誰にも喋った事は無い。
友達は多くない。成績も平凡。きっとつまらない人生を送って、つまらない死に方をして、忘れてくださいなんてお願いする必要も無く忘れ去られると思う。
ノゾミは人々の記憶に残るにはどうしたらいいだろうか?と考えた事がある。
誰かを殺して新聞に載れば一瞬だけでも記憶されて、運が良ければ殺人犯の実像みたいなホームページでずっと残り続けるかもしれない。そんな事を考えたけど、殺したい人がいなかった。
両親の事はずっと恨んでいるが、殺したいほどじゃない。
自分を施設に捨てた癖にノゾミなんて言う希望を篭めた名前なんてつけた両親の事が嫌いだけど、殺したい程じゃない。そもそもどこに居るかもわからない。
隕石にでも当たって死んでしまえばいいのに。
―――その日、日本の別々の場所で男女が隕石に当たって死んだ。奇跡的な確率だった。
女は生前「近々生まれてすぐ施設に預けてしまった娘に会いに行く」と周囲の人に漏らしていたらしくテレビの前の人々の涙を誘ったが、男はギャンブル狂いで覚せい剤にはまっていて、生きてるのか死んでいるのかわからない状態だったのですぐに忘れ去られた。
ノゾミはテレビを見ていて自分の両親が今いきなり現れても邪険に扱うだけで、決して優しくは出来ないだろうと思ったけど、その女の人は可哀相だと思った。希望を胸に抱いていたのに隕石に当たって死んでしまうなんて、なんて可哀相なんだろうと。もっとも可哀相だと思ったのはその時だけで、施設の子供に背中からタックルをされた時に綺麗さっぱり忘れてしまった。
ある日ノゾミがお風呂に入っていると、窓の向こうの人影に気付いた。恐らく少し成長の早くてませているタカシあたりが覗きをしているのだろう。上手に隠れているつもりなのだろうけど、そこは子供の浅知恵で白いTシャツがすりガラスを通しても、誰かがそこに居る事を主張していた。
ノゾミは自分の起伏のあまり多く無い身体を見下ろし、別に見ても何も面白くないのになと思うのと同時に男の子とはそういうものなのかなと思った。
ただ面白くないのにと思うのと、自分を見られて嫌だと言う感情は別のものだったので、タオルを身体に巻きつけて、お風呂から出ようとするふりをしながら窓を開け「覗くなら黒のシャツを着たほうがいいよ」とタカシに言ってやった。
大きめの石の上で背伸びをしていたタカシは驚いてバランスを崩して、強くお尻を打ちながらもどこかへ走り去った。この施設から他に行く所も無いと言うのに。うん。お説教確定。好きでもない―――いや好きな女の子でも駄目だ。女の子の入浴なんて覗くものでは無いと、お説教モードに脳内を切り替えながらお風呂から出た。
少し湯冷めしてしまったかもしれないと考えながらパンツを履こうとしたら、どこにも見当たらない。
どうやらタカシは誘導だったらしい。おそらくケンジかフミヤあたりが私が窓に気をとられている間に盗み取ったのだろう。なかなか悪知恵が働くようになって来たじゃないか、と思わずニタリと笑いながら、脳内を超お説教モードに切り替える。
とりあえず死ねばいいのに、と悪態をつきながら素肌にパジャマを着て部屋に戻った。
素肌にパジャマを着るのは気持ち悪い。同じ衣類であるはずなのに、どうしてこんなに気持ち悪いんだろうと考えながら部屋に戻った。もう遅い時間なのでお説教は明日にしよう。
―――その日、施設の中で男の子が三人死んだ。心臓麻痺だった。三人は自らの息子を右手で握り、側にはノゾミのパンツが置いてあった。間抜けな死に方だった。
三人が同時に心臓麻痺で死んだと言う事で今度はノゾミの施設に警察とかテレビとかが来た。司法解剖の結果、結局ただの心臓麻痺で事件性は何も無いとされたが、後年この事件は見事に都市伝説となって密やかに語り継がれる事になった。都市伝説いわく検出されない新種の毒物の実験が行われたらしい。なんとノゾミのパンツは毒物だったのだ!…ってそんな訳あるかい!
ちなみに本人はその事を死ぬまで知る事はなかった。
ある日、ノゾミは恋をする。
授業中に落としたシャープペンシルを拾ってくれた隣に座っていたヒサシ君と目があって、みるみるうちに恋に落ちた。
だけど悲しいかなヒサシ君には凄く仲の良いマチコと言う恋人がいたのだ。
自分は身を引くしかないと、一人寂しくブランコに乗ってギコギコしていたら公園の前の細い道をヒサシ君とマチコが仲睦まじく歩いてるのを見た。
どうして自分が隣にいないのだろうと悲しくなったが、冷静にマチコと自分を見比べて思った。
身体の凹凸には明らかな差があるし、華やかに笑うマチコの笑顔は自分に無いもので到底自分なんかがヒサシ君の隣に居るべきではないのだ。
悔しくて悲しくて仕方が無かったけど、どうしても納得が出来なかったノゾミは神様に祈った。
どうかマチコに不幸が訪れますようにと。祈ったら少しだけ心が晴れた。
今日の晩御飯はコロッケだ。施設に帰って「ただいま」を言おう。
―――その日、マチコが車に轢かれた。左の手首から先がが吹っ飛び、背骨が折れてもう歩く事が出来なくなった。顎の形が変わってしまって華やかな笑顔は不気味な笑顔になった。
それでもヒサシ君はマチコからは離れる事は無かったが、仲睦まじく歩いた公園の前の小道に行く度に思い出してしまう。一体何が原因でこうなったのか。自分は前世で悪い事をしていたのだろうか。考えても考えてもどうにもならなくて、ついには怪しい宗教に嵌って「ルクセンブルグの神様に会うんだ!」と叫んで若くしてマチコと一緒に崖から飛び降りた。
マチコが不幸になったかどうかはわからない。
最後まで愛するヒサシ君と一緒に居たのだから、それはそれで幸せだったのかもしれない。
ノゾミは今日も生きている。朝目覚めて学校に行って、少ない友達とおはようをする。
ヒサシ君は憔悴しながら今日もマチコを見舞いに行く。まだ意識が戻らないマチコは管に繋がれてベッドの上、目をつぶって眠り姫をしている。
クラスの中でエロ本の話題で盛り上がってる不潔な男子に顔をしかめながら、死ねばいいのにとノゾミは思うのだった。
空では暢気に小鳥が鳴いて、今日もどこかで人が死ぬ。