第三話 二人と二人、光と闇
翌日、昼食を終えた将悟は主機室に向かっていた。出港前に甲板で少しだけ大掛かりな作業をするとかいうことで、それまでの時間を主機室で潰そうという考えだった。食堂に長く居座ってもほかの人の邪魔になるだけなので、主機室にいけば誰かと駄弁っていられるだろうという考えだった。
「しっかし、何すんのかね。甲板なんて俺ら機関員の管轄外だと思うんだけどなあ」
将悟はぼやきつつも、まあなんでもいいかなどと考えながらのんびりと艦内を歩く。昨日鈴谷三尉に案内された場所は大体頭に入っているはずなので、迷うことなくまっすぐに主機室を目指していた。
「やっぱこの艦は広いよなー。こないだ乗った練習艦よりもでかいぞ」
「ちょっと、そこのおにーいさん」
「でもこいつを動かす機関もすごかったなぁ……」
「ちょっとちょっと!」
昨日機関室で見たあの光景は、今まで見たどんな景色よりも圧倒されたかもしれない。独り言をぶつぶつ言いながら歩く姿は非常に怪しげなものであったが、幸い周りに聞こえるレベルではかった。後ろの騒がしさのおかげもあり、人の耳に入ることもないだろう。それにしてもさきほどから誰が騒いでいるのだろうか、将悟はなんとなく気になったため、後ろを軽く振り返ってみた。
「ちょっと、ちょっとちょっとちょっと! 無視しないでよ! もう!」
「うん……? うぉっ!」
眼前にあったのは、少女の顔。声の主はいつのまにか将悟の背後にまで肉薄していたようだ。
「お、俺か!?」
「そうだよぅ! 無視するなんてひどいよ!」
彼女は、ぷんぷん、などという擬態語が聞こえてきそうなほどには頬を膨らませてご立腹のご様子である。とはいえ見た目は小学校高学年程度、身長にして将悟の胸のあたりほどしかない少女がそのような様子で怒っていたところで、微笑ましさ以外の感情というものは芽生えないのであるが。
しかしこの少女、彼にはどこかで見覚えがあった。栗色がかったやや短めの髪の右上のあたりをゴムでちょこんと結った可愛らしい髪形に、どこかいたずらをしそうな気のある元気いっぱいの瞳。見た目相応に動き回るためか少々しわの目立つ純白の第三種夏服に、その半袖から伸びる健康的な色をした細い腕。はて、彼はどこで彼女を見たのか、必死に思い出そうとしていた。
「えっと、うーん……うん?」
ふと、昨日の光景が脳裏に浮かぶ。百合、白い肌、回し蹴り、白い下着、そしてそれらの元凶となった急降下爆撃。
「あ、あ――――! 昨日のドーントレス!」
「え、ドーントレス?」
「ああいや、なんでもない……」
少女は不思議そうな目で将悟を見ていたが、さほど気にも留めずすぐにもとの無邪気な瞳に戻った。
「それよりお前はえっと……確か、みくま?」
確か昨日はむつにそう呼ばれていたはずだ。とすると、彼女はやはり護衛艦『みくま』の艦魂なのだろう。
「うん、そだよー。護衛艦『みくま』の艦魂、みっくまっだよーん!」
少女はその場でくるっとまわって見せる。だがスカートではなくズボンをはいているため、特にアクションが起こることはなかった。そういえばむつはスカートを履いていたなーなどと考えつつ、そんなことは今は関係ないと頭から除外する。みくまがなぜ声をかけてきたか、そこが疑問であった。
「なぁ、それで俺になんか――」
「おにーさんは昨日むつと一緒に甲板にいた人だよね?」
「あ、あぁ、そうだけど……」
質問をふさがれる形でみくまが問いかけてくる。確かに将悟は昨日あの場にいたが、それがどうかしたのだろうか。昨日初めて会った、というか今日初めて知り合った少女に何を聞かれるかなど、皆目見当もつかなかった。
「ねえおにーさん、昨日あの後むつとなんかあったの? さっき部屋に行ったらなんか沈んでたんだけど……」
「うっ、それは……」
みくまの瞳がきらりと光る。それはもう水を得た魚のように。
そこを突かれるとは思ってもいなかった。
別に、何もなかったといっても嘘にはならないだろう。実際、何かをしたわけではないのだから。
しかし、現にむつは自分の部屋で沈んでいるという。これを何もなかったとしてしまうことはできないだろう。
「やっぱりなにかあったんだ? ねえねえなになに教えてよっ!」
みくまは駄々をこねるように、将悟の服を引っ張る。ある程度は皺に耐性のある作業服だが、それでも少女の手にかかっては紙装甲も同然のようで、腰のあたりが皺だらけになっていく。
「だぁー! わかった、わかったから掴むのやめろ! 話す、話すから!」
ぐるん、と半回転して彼はみくまの無理やり手を引っぺがす。作業服は見るも無残な状態になっていた。
「あー、こんなにしやがって……」
「もう、男なんだからうだうだ悩まないほうがいいと思うよ? 昨日のことだってそうだよ」
「お前の言うとおりかもな――ってお前が元凶じゃないかよ!」
この後滅茶苦茶説教した。
「へー、そんなことがあったんだー」
「他人事みたいに言ってるけど、原因はお前だからな……?」
一通り話し終えると、将悟は大きくため息をついた。説明の途中、所々でみくまが茶々を入れてくるので、大変疲労度が高まっていた。
「まったく、ひどい目にあったぜ……。お前のせいで」
「私は何も悪くないもんねー」
爪の先ほども悪びれた態度のないみくまのおかげで、余計に疲労感が助長される。おそらく本人には悪気はないのだろうが、巻き込まれた身としてはなんともやりきれない思いであった。
「それでさー」
不意に、『むつ』の通路を先行していたみくまが振り返る。
「むつがああだった理由は納得したんだけど……」
「うん?」
「おにーさんはちゃんとむつに謝ったの?」
「うっ」
グサッと、心を矢で射ぬかれた。
「もしかして、謝ってないの?」
「そ、それはだな……。いや、まあ……謝ったというか……」
途端に受け答えがしどろもどろになる将悟。昨日から今日にかけて、つまり彼が事件現場から逃走した後はまだ一度もむつと顔を合わせてはいなかった。偶然会っていないだけかもしれないし、はたまた彼女が自室から出てきていないだけかもしれない。しかし、ちゃんと謝っていないというのは事実であった。
「謝ってないんだ?」
「それは、まぁ……はい」
正直に告白する。
「ちゃんと謝ったほうだいいよ?」
「お前に言われたくないんだけど……まあそうだよな……」
元凶が何を言うかと思うが、確かにそれが一般論ではある。これからずっと一つ艦の下で暮らしていくのだ。そうすることが一番であるには違いない。
「仕方ないか……」
「そうだよ。――というわけでむつの部屋にとうちゃ~く」
「えっ?」
先行していたみくまが、通路のある地点で立ち止まる。ここは乗組員の居住区につながる通路、というか居住区に入り口にあたる場所だった。
「ここが、むつの部屋だよ」
「ここ、か……?」
彼女が指で示した場所には乗組員の居室と同じドアがあった。ここを通る機会は何度かあったが、こんなものに気づくことは一度もなかった。
「いままでこんなところにドアなんて、あったか……?」
「あったんだよ、おにーさんが気付かなかっただけで」
みくまはさらっと言ってのける。しかし、普通に考えてこんな目立つものを見逃すはずがない。
「いや、気付かないなんてそんなことあるはず――」
「それが、あるんだよ。艦魂は普通の人には見えないけど、確かにそこにいる。このドアも同じで、普通の人はこのドアの存在には気付かないけど、それでも本当にこの場所にずっとあったんだよ」
「そ、そんなものなのか……。でもそれならなんで俺も気付かなかったんだ? 俺はお前たち艦魂が見えているんだから、気付くはずだろ?」
「それは……わたしにはわからないな~」
「わからないのかよ……」
将悟は軽くげんなりする。最初にそれっぽい解説をしていたため少し期待したのだが、期待しただけ無駄だったようだ。
「そんなことよりほらほら、さっさと入る! 男ならどーんと特攻して来い!」
「っておいお前はいかないのか押すな押すなわかったから!」
背中をぐいぐい押されながら、将悟はドアをノックする。ややあって、返事が聞こえた。
『――はーい』
将悟はその返事を確認してからドアを開ける。同時に背中を押す力が一段と強くなり、彼は前につんのめるようにして部屋への侵入を果たした。そして、ドアは閉められる。あゝ無情。
「あ、秋月一士……?」
「よ、よう……」
むつは本を読んでいたようだが、将悟の姿を認めると顔を上げた。
「い、いきなりどうしたんですか?」
「昼が終わるまで少し時間があったからさ……」
「そ、そうですか……」
それっきり会話は続かなかった。お互い、顔をそらしたまま黙っている。視線を合わせることもできなかった。
しばらくの間、部屋を沈黙が支配する。その時間が永遠に続くようにも思われた。
先に沈黙を破ったのは、むつだった。
「秋月二士、よくここがわかりましたね」
「みくまに教えられてな。俺も今までこんなところに部屋があるなんて知らなかったよ」
「み、みくまちゃんですか……」
その名前が出ると、彼女の言葉が急にぎこちなくなる。やはり昨日の件をまだ引きずっていることは明らかだった。将悟は慌てて話題を変える。
「こ、この部屋って案外広いんだな。こんなところが普通の人間に気づかないように存在してるなんて、やっぱり艦魂ってすごいぜ」
その言葉に気を良くしたのか、うつむき加減だったむつは顔を上げた。褒められた嬉しさと照れくささが混じった表情で、でも若干嬉しさのほうが勝っているようだった。
「え、えへへ……そうですか?」
「うん、すごいすごい」
「えへへー」
褒められたことが相当嬉しかったのだろう。世界最強の戦艦の魂たる少女の頬は緩みきっていた。しかしそんな表情もつかの間、今度は一転して少し残念そうな顔になった。
「でも、まだわたし生まれたばかりなので、この部屋は何にもないんですよ……。あけぼのさんの部屋とかはぬいぐるみとかも置いてあってすっごく可愛いんですけど……」
「むむ、確かにそういわれてみれば少し殺風景な気がしなくもないか……でもまあ、仕方ないとは思うぞ?」
「むー……」
二人はそれっきり黙ってしまった。大して広いわけではない部屋全体が、再び沈黙の支配下に置かれてしまう。むつは黙りこんだまま軽く視線を下に落とし、対して将悟は落ち着きなく視線を左右に動かしている。
将悟はこの部屋に来た本当の理由を、なかなか切り出せなかった。もしこれを鈴谷3尉あたりが見ていたら大笑いされると同時に、言いたいことがあるならはっきり言え、と怒鳴られていたことだろう。しかしそれでも、将悟は言い出すタイミングをつかめないでいた。
「あ、あのさ……その……」
「は、はいなんでしょうか……っ!」
「いや、その……なんでもない」
はぁ、と将悟はため息をつく。どうしても最後の一歩が踏み出せない。男たるもの度胸が必要だということはわかっているが、やはり二の足を踏んでしまうのだった。
「と、ところで一士は何か用事があってきたんじゃないんですか……?」
「え、えっとそれは……その……」
「秋月一士……?」
将悟の顔を覗き込んでくるむつ。その瞳に映っているのは疑問と、ほんの少しの不安の光だった。
将悟はついに腹をくくることにした。負けじ魂がなければ船乗りではないのだ。
「……き、昨日は本当に悪かった! 不可抗力とはいえ、その、なんていうか……」
結局最後はしどろもどろになってしまったが、なんとか言いたいことは伝わったのではないだろうか。その証拠に、記憶の奥底に封印していたであろう昨日の出来事を思い出させられたむつは、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤に染め上げる
「はぅぅ……思い出させないでください……。でもその、一士だったら……」
「え、なんだって?」
最後のほうはもごもご言っていて聞き取ることができなかった。将悟としては非常に気になるものではあったが、言い直してもらうほどの勇気はすでになかった。
「な、なんでもないです! ……やっぱりただじゃ許さないです」
「ただってなんだよ……言っておくが俺はそんなに手持ちないぞ?」
「それくらい知ってますよ。そうじゃないです、今度上陸したときに、お土産買ってきてください」
なぜ財布の中身が知られているのかはともかくとして、その提案は将悟にとって予想外だった。
「それくらいならお安い御用だけど、ほんとうにそんなんでいいのか?」
「もちろんです。贅沢言うならわたしもついて行って一緒に選びたいですけど、艦魂は艦から離れられませんから。一士が何を選ぶか、楽しみにしてますね!」
ほんの少しだけ意地悪そうに、でも心底楽しそうな笑みを浮かべる彼女からは、先ほどまでの内気さは微塵も感じられなかった。やはり彼女には笑顔が一番似合う、将悟はぼんやりとそんなことを思いながら、どんなお土産がいいか思案するのであった。
「じゃあ午後もお仕事がんばってくださいねー!」
「おうよ」
むつの声援を受けながら、将悟は彼女の部屋を後にした。さながら行ってらっしゃいの挨拶をされるお父さんの気分であった。
さて彼が向かうのは、前部甲板である。主機室に行くつもりだったが今から向かったら確実に遅刻であろう。しかしそれにしても作業員として機関長から直々に指名を受けたのだが、何をするのかはさっぱりまったく聞かされていなかった。
「飯食った後に動きたくねえんだけどなぁ……」
ぼやきつつも、甲板へと続くラッタルを早足で登る。集合時間は結構間近に迫っていた。
外に出た瞬間、暑い日差しが真上から降り注ぐ。
「あっつ……」
「秋月ィ! 時間ぎりぎりだぞォ!」
「スミマセン!」
同時に、機関長の怒声も降り注いだ。
「ったくお前は教育隊で何を習ってきたんだ」
「不味い飯の処理の仕方を習いましたぁ!」
「艦に乗ってたら使わねえよ!」
ちなみに横須賀教育隊の飯はものすごく不味いと評判である。
「まったく……」
機関長は呆れ果て、しかし気を取り直して、集まった面々の右端に立っている当直士官の敷島3佐へ向き直った。当直海曹が敬礼し、報告する。
「作業員十五名、作業用意よろしい!」
「よし、かかれ」
「かかります!」
敷島3佐が答礼し、そして作業へ取り掛からせる号令。当直海曹は回れ右をし、今度はほかの作業員のほうを向く。
「かかれ」
『かかります!』
作業員の返事が甲板上に響く。青色の作業服を着た海曹士がわらわらと『むつ』甲板上に広がって、各々が作業を始めた。
「おー、やってるやってるぅ」
「覗き見はあんまり褒められた趣味とは思えないんだけどなぁ……」
12号バースの『むつ』から若干離れた位置にある、吉倉桟橋に停泊している護衛艦『なだかぜ』。その後部格納庫の上には作業をしている海曹士が一人と、その脇で双眼鏡片手に『むつ』を観察している人影があった。
「うっさいなぁ……。何してようとあたしの勝手じゃん」
甲板上にちらほら見える青い作業服とは別に、紺色の幹部用作業服を身に纏ったその人影は、どこからどう見ても少女であった。肩ほどまで伸びた、風に揺れる栗色の髪は識別帽で無理やり押さえつけられている。転落防止用の手すりに体重を乗せて、くりりとしたやや気の強そうな双眸で双眼鏡をのぞいていた。
「そうだけど、俺は君に、世間に出しても問題ないような普通の女の子になってほしいの」
「どーせみねかぜ姉にそう頼まれたんでしょ? あたしには関係ないもん」
「まあ、そうだね」
「ふん」
少女は不機嫌そうに頬を膨らませて、向こう側のバースの観察を再開した。
「三連装五十口径四十一cm砲が四基に垂直発射VLSが128セルかぁ、いいなあ……」
双眼鏡から目を離さずに、彼女は呟く。どの世界に大砲が欲しいなどと物騒なことを抜かす少女がいるだろうかと思いながらも、海曹士の青年は黙って作業を続ける。
「でもあの大きさの割に近接対空火器がファランクス二基だけってのはちょっと心細いなあ……。短距離RAM積んでるわけでもないし、飽和攻撃受けたら危ないような気もするけど」
なにやらぶつぶつと独り言を言っている少女のことは、もう放っておくことにした。とはいえ目を離すと何をしでかすかわからない相手ではあるので、作業を続けながらも時折彼女の様子を盗み見る。
「しっかし八島、あんたも大変だよねぇ。晴れててせっかくの外出日和なのに、作業で一日潰れるなんてさ」
双眼鏡から顔を上げずに、少女は話しかけてくる。
「別にそうもないんだよ。どうせ上陸してもやることないしね」
八島と呼ばれた、本名を八島勝則という3等海曹の青年は、同じように刷毛で甲板にペンキを塗りながら答えた。
「つまらない人生だねぇ。そんなんじゃモテないよ?」
「なだかぜ、君にだけは言われたくないんだけど……」
「あはは、それもそうだね」
少女は笑いながら、双眼鏡から目を離す。
なだかぜ、それが彼女の名であった。所謂、『艦魂』と呼ばれる存在である。
艦魂、フネの魂とも守り神とも言われるそれは、古くより世界各地、古今東西に言い伝えられる伝説であった。何故か若い女の姿をしている彼女らは、本体たるフネの進水と共に生まれ、フネとしての役割を失った時に死ぬ。文字通りフネの魂であった。
しかしどういった理由か、その姿は普通の人間には見ることができない。限られたごくわずかな人間のみが、その存在を真に認識していた。それでも人間はフネの中に社を作り、その魂を祀り航海の安全を願った。
「お、P-3Cだ」
なだかぜが、青い空の一点を指さす。その指の先には、南東の方角に向かって飛行している黒っぽい米粒のような物体があった。目を凝らしてよく見ると、確かに彼女の言うとおりである。四発のターボプロップエンジンを持つ民間の旅客機のような容姿に、尾翼の先端から尻尾のように伸びるMADブームは、海上自衛隊の有する固定翼哨戒機P-3Cの特徴そのものであった。
「確かにそうっぽいね。でもおかしいな、厚木の定時哨戒はこの時間じゃなかったような気がするんだけど」
「もしかしてスクランブル? あたしのほうには何も情報が入ってきてないしねぇ」
「まあ、何事もなければいいんだけどねぇ……」
「あたし的にはなんかあってもいいけどね」
「まったく君は……」
やれやれ、とあきれたように八島は肩をすくめる。この少女の血の気の多さは筋金入りらしい。どうにかお淑やかな女の子に更生させられないか、と彼女の姉から相談を持ちかけられてはいるのだが、この分だとまだまだしばらくかかりそうだった。
「そういえばさ、聞いた? 『むつ』にもあたしらが見える人間が乗ってるって噂」
「こりゃまた話が一気に飛んだけど。そんな人って俺以外にもいたんだ」
「そりゃあ、まったくいないわけじゃないもの。どれ、その人でも探してみようかな」
「また覗くんですか……」
首から下げていた双眼鏡を再度手にしたなだかぜを見て、八島はもうただひたすらに呆れるほかなかった。
遠目で見る限り『むつ』甲板上では、数名の海曹士と若干数の幹部が作業服を着て作業をしているようだった。しかし裸眼視力にあまり自信のない八島には、何の作業をしているかまでは確認できなかった。
「うーん、何やってるのかな……。灰色の幌みたいなの持ってるけど……」
「あんまり乗り出すと危ないよ?」
「うっさいな……。――あ、主砲に幌かけるみたいね」
「だから乗り出すなって」
なだかぜは八島の忠告が全く耳に入っていないようである。転落防止の柵に左手を掛け、体重を乗せて上半身ほとんどを艦の外に乗り出していた。これは非常に危険、体験航海中に子供がやっていたらすぐに乗員が駆けつけてくるレベルである。
「聞いた話だと確か海士のはずなんだけど……。あ、あの幹部に怒られてる一士がそうなのかな」
「さすが良い双眼鏡は違うね――ってそうじゃなくてさ」
「うーん、幹部の階級が良く見えないなぁ。さすがに双眼鏡じゃ名札は読めないし……」
いよいよ足も爪先立ちになる。もうほとんど体重を片手で支えている状態である。それでもさらに少しでも近くで見たいのだろう、ぐいぐいと身体を外側に伸ばしている姿は、見ていて非常に危うい状態であった。
「お、おいなだかぜ……」
「もう少し、もう少しで名札が――わっ!?」
ガコンッ! と嫌な音が響く。はっとして八島が振り向いたときには、すでになだかぜの姿はなかった。
「すみませんちょっと席外します!」
バシャンッ、というアスロックのような着水音と同時に、八島は下の後部甲板へダッシュした。もちろん、少し離れた場所で作業をしていた先任海曹に声をかけることも忘れない。
「なるべく早く戻って来いよー」
先任海曹のありがたいお言葉を背に、八島の姿は艦内へと消えた。
結果、なだかぜはずぶずぶの濡れ鼠と化していた。
「うへぇ、寒い……」
「だから言わんこっちゃない。早くお風呂行ってきたら?」
あの後、水没したなだかぜは艦魂特有の瞬間移動で自室に転移した。それを追って八島も彼女の部屋に急いだわけであるが、遅れて到着した彼が目撃したのは、必要以上に意気消沈しているなだかぜの姿だった。
「……うん。もう少しで課業やめだからラッパ鳴ったら行く……」
先ほどまでとはうって変って、言葉に覇気というものが感じられない。シャワーを浴びる気力すら失われているようだった。
「ほら、早く乾かさないと風邪ひくよ?」
「うん……」
八島は近くにあったタオルでなだかぜの頭をガシガシと拭く。普段なら絶対に嫌がるはずなのだが、この時ばかりは逃げ出すそぶりも見せず、されるがままになっていた。
「なにかあったの?」
「いや、べつに……」
明らかに何かを隠している返答であった。しかし彼女は強情であるが押しに弱いということを、八島は今までの付き合いから知っている。
「別にってことはないでしょ? そんなに落ち込んでたら俺でもわかるよ」
「うるさい……。ただ昔のこと思い出しちゃっただけだから、ほっといてよ」
「とは言われてもなぁ……」
かたくなに語ろうとしないなだかぜは、取りつく島もなかった。それでも八島は、その硬い殻を破ろうとめげずに話しかける。
「……どうせみねかぜ姉からあたしの面倒見るように言われてるだけなんだから、そんな気負わなくてもいいじゃん」
「確かにそれもなくはないけどさ、俺は俺として君が心配なの!」
「なっ!? う、うっさいばか……!」
なだかぜの瞳をまっすぐ見据えて八島は言い切る。それを聞いたなだかぜは顔を真っ赤にして叫んだ。
「もういい、お風呂行ってくる!」
ちょうど良いタイミングでラッパが鳴った。食事の時間だった。
「あ、ちょっと!」
腕を掴もうとした八島の手を華麗に躱し、部屋の扉を勢いよく飛び出した。
ゆっくりと扉の閉まる音だけが、後に残された。
「はあ……」
ため息は、流れる水の音にかき消される。狭いシャワールームの中には彼女以外に人影はなかった。
栗色の髪から流れ落ちる滴が、身体のしなやかな身体の線を伝って落ちていく。黒く日に焼けた部分と白い肌のコントラストが非常に健康的である。お世辞にも大きいとは言い難い二つの果実はしかし十代半ばの見た目相応であり、すらりと引き締まった体躯と合わさってどこか運動会系な雰囲気を醸し出していた。とはいえまだ全体的に幼い感じは残っており、これからの成長が期待されるところである。
「はあ、どうしていつもこうなんだろ……」
頭からシャワーを浴びながら、なだかぜはぽつりとつぶやく。
お湯が身体を伝って床に滴り落ちる。彼女は熱いシャワーが好きだった。熱いお湯は、身体にねっとりとまとわりつく嫌な記憶を綺麗に洗い流してくれる、そんな気がした。
生まれた時から、疎まれていた。それも外部ではなく、隊内で。自衛隊の面汚しと叫ばれ、日本の誇りを穢したと罵られた。好きで生まれ持った力ではないのに、絶対に捨てることのできないという理不尽。この隊のメンバーには今のところ面と向かって言われたことはないが、それもいつまで続くかはわからない。
恐らく海上自衛隊で一、二を争うほどの能力がありながら、彼女は無力だった。
「助けてよ……」
その声は誰にも届くことはない。
「もう、いやだよ……誰か、助けてよぉ」
少女の弱弱しい声は掠れていた。頬を伝って流れ落ちたのは水だったのか涙だったのか、それすらもわからなかった。八島と話す時は気丈に振る舞っているなだかぜ。しかし彼女の抱える闇は、それほどまでに暗く深いものだった。
軽くて高い長音が、遠くかすかに聴こえた。護衛艦『むつ』が出港する合図だろう。なだかぜと同じ運命を背負いながら、彼女と全く違う道を進むことのできる少女。自分とは違い、光の中にいる存在。彼女を羨むことはあっても、恨むことはできなかった。
『むつ』の汽笛は次第に小さくなり、ついには聴こえなくなった。なだかぜはシャワーを止め、狭い浴室から出た。ほかほかと湯気の立ち上る身体の水分を、バスタオルで拭き取っていく。
「……よし、これでいいかな」
真っ白な長袖のワイシャツに腕を通す彼女の瞳からは先ほどまでの弱弱しさは消えて、普段通りの気の強そうな光が戻っていた。彼の前では弱さを出さないと決めていた。少なくとも、全てを話す決心がつくその時まで。
「でもあいつお人好しだからなぁ……」
何だかんだ言っても、彼のことは嫌ってはいないのだと思う。もしあの時あの場所に彼がいたら、今とは違う自分になっていたのだろうか。
「――ま、過ぎたことを考えてもしょーがないか」
キュッとネクタイを締めて、タイピンで留める。
「さて、あいつはまだあたしの部屋にいるのかな。……変なことしてないといいけど」
パタン、と浴場の扉が閉められる。後には、立ち上る湯気だけが取り残された。
* *
むつとなだかぜ、二人の航路は決して交差することはないだろう。しかしそれでも、二人は同じ運命を背負い戦っていくことになる。それぞれ光と闇を抱えながら、同じ目的地を目指して違う道を歩む。自らの国を護り衛るため、彼女らは進路を取るのだった。
むつ「だから作者はどこじゃあ!」
サムライ「あ、はい呼びました?」
ながと・むつ・なだかぜ・みくま「「死ねエエエエエェェェェェ!!!!!」」
サムライ「前より増えてひどくなって……っ!」
むつ「作者さんは死にました♡」
ながと「そこだけ可愛く言っても遅いわよ?」
むつ「あはは……」
ながと「まあいいわ。今回も罪状は前回とほとんど同じみたいね」
むつ「うん。あ、でも自衛官受かったって言ってたよ」
ながと「大丈夫かしら……。あと、ポケモンも買ったらしいわねえ」
みくま「ふざけてるね~。まあでもこの作者ってそんなもんだっけ」
むつ「それもそうだね。さてそういえば、今回くらいからはちゃんと内容のほうにも言及するようにって作者からのカンペが……」
ながと「特に進展もなし、と」
みくま「あ、でも言ってたよ? 『うだうだ考えるキャラ書くのマジめんどい。むつとかなだかぜとかマジ何も悩まなくていいよ。考えるより先に体が動くキャラになれよ。脳筋になれよ』ってさ~」
むつ「は?」
ながと「……むつ、どんまい」
みくま「まあ、むつもだけど特になだかぜが旧作からかなりキャラ変わってるしねえ。しょうがないんじゃないかな!」
むつ「……作者許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない!」
ながと「むつがついに壊れたわね」
みくま「まあ、次の更新もどうなるかわからにゃいから、いいんじゃないかな」
ながと「それじゃみなさん、次も気長に待っててね」
~広報艦魂・編集後記より抜粋~