研究の記録
研究者の手記より。
――私は今日、初めて人間の情動を測定し、外部から変調する実験に成功した。被験者の脳波と心拍数は歌声と光の刺激に即座に反応し、特定のパターンで誘導できることが確認された。これが社会に応用されれば、混乱は減り、安定が保たれるだろう。だが倫理的問題は残る。
被験者の一人は十歳の少女だった。彼女は無邪気に笑い、私たちの歌に合わせて踊った。その脳波は美しい波形を描き、我々の意図した通りの変化を示した。彼女の名は――澪。私は彼女の眼差しに、未来の影を見た。
午後の会議で、政府関係者と企業幹部がこの技術に興味を示した。彼らは「社会の安寧」や「文化振興」を口実に、より強力な情動制御の方法を求めている。私は技術者としての興味と良心の狭間で揺れている。技術は善にも悪にも使える。どちらに転ぶかは、利用者次第だ。
夜、研究室に一人残り、私は録画したデータを見返した。少女たちの笑顔の裏にある波形は、滑らかで柔らかく、しかし操作されたものであることを忘れてはならない。私はペンを置き、窓の外を見る。雨が降っている。雨粒がガラスを叩く音が、遠い拍手のように聞こえた。
この技術の名は「ERS(Emotion Regulation System)」と名付けられた。いつか誰かが、この言葉の重さを理解するだろう。その時、私は何をしているのだろうか。研究者でいられるのか、それとも共犯者なのか。




