私の理想の殿方は
どうぞお気軽にお読み下さい。
それを聞いたのは、青葉生い茂る夏の初めのことでした。
「…いい加減、もう止めたい……」
放課後、先生の言い付けを終え、いつもは通らない校舎の裏手を歩いていました。
人通りも少ないので、いつもなら遠回りしてでも校舎内を通るのですが、今回は待ち合わせの時間も迫っていたので裏の庭を突っ切ることにしたのです。
聞こえてきたその声は、間違えようもない、私の愛しの婚約者の声でした。
「だから、前々から言っていただろう?さっさと止めろと。」
「そうは言うが…」
「早くカリーナに本当のことを言って、さっさと止めてしまえ。隠せば隠すだけ、後で揉めることになるんだぞ。」
つい、足を止めてしまいました。
どこにいるのか姿は見えませんが、確実に婚約者と、その親友で私の兄の声です。
「どうせカリーナも薄々感づいてる。後で変に揉めるくらいなら、今のうち、傷が浅い方がいい。」
「……ノアも、それでいいのか?」
「いいに決まってるだろう。どう転んでも俺とテオの友情に変わりはないし、こそこそされる方が鬱陶しい。」
「……そうか……そうだよね。分かった。明日、ちゃんと言うよ。」
「そうしておけ。フラれたら、慰めてやるよ。」
それ以上は、聞いていられませんでした。
私には、何の話か想像がついたからです。
私と、お兄様、そしてテオ様は幼馴染みです。
子爵家である我が家と侯爵家のテオ様は、身分の差こそありましたが、領地が隣同士であること、また我が家は建国当初から続く古き家柄で何度も陞爵を打診されるような家であったことから、幼い頃からよく遊んでいました。
父親同士は学友で仲が良く、母親同士は従姉妹であったため、昔から家族ぐるみで交流があったのです。
お兄様は昔からやんちゃで、どちらかの領地で遊ぶときなども、2歳下の私のことなど全く気にせず、すぐにどこかへ走り去ってしまっていました。
スカート姿の私ができないような、高い木に登ったり、茂みの隙間を抜けて行ってしまったり、川を飛び越えて向こう岸のベリーを摘まんでいたり、そういうことを私の目の前で堪能するのです。
私はとにかくそれが悔しくて、何度も地団駄を踏んで泣きました。
そんな時テオ様は、お兄様と遊んでいたのを止め、すぐに私の元へやって来て手をさしのべて下さるのです。
私はテオ様と一緒に、木の根本に座って日向ぼっこをし、茂みを迂回して川に足を浸け、テオ様が取ってきて下さったベリーを一緒に摘まんで笑っていました。
そんな私がテオ様に恋をするのは必然でした。
そして私が8歳の頃、私とテオ様の婚約が決まりました。
その頃、両家の領地の境で盗賊団が跋扈しており、片方の地で強奪をしては反対の領地へ逃げ込む、と言うことを繰り返していました。
警備隊はギリギリのところまで追い詰めても、他領に逃げ込まれては手も足も出ません。軍事侵攻と捉えられる恐れがあるからです。
そこで、両方の領地で協力体制を築く必要があったのです。
完全な政略的婚約ではありましたが、私はその意味もよく分からず、ただ喜んでいました。
『テオさま、テオさまはリーナの王子さまになってくれるの?』
『君の望みなら、全力で叶えるよ。これからもよろしくね、ぼくのお姫さま。』
その頃からです。テオ様があまり私とお話ししてくれなくなったのは。
元々あまり口数の多い方ではなかったテオ様は、いつも私の話を優しい笑顔で聞いて下さっていました。
それが、段々と少ない口数が更に減り、笑顔がなくなり、交流の時間も短くなっていきました。
気付いた最初の頃は、私が何かしてしまったのかと、聞いてみたこともありました。ですがいつも明確な答えは頂けず、無言の時間が増えるだけでした。
そのうち、テオ様とお兄様が貴族学園に入学すると、交流はほとんどなくなりました。お手紙を送っても、定型文か時候の挨拶があるだけ。
それでも、私が同じ学園に入学すれば、なにか変わるかと思っていました。ですが、入学した私が見たものは、女生徒に囲まれているテオ様の姿でした。
お顔は無表情ではありましたが、お一人お一人にとても丁寧に対応されているのが分かります。私には、あんな風にお話ししてくださらないのに…。
そしてその中でもお一人、親密そうに腕を組む、美しい女性がいます。
テオ様と同じ、侯爵家のアイラ様という方だそうです。
お二人は身分も釣り合い、並ぶと一対のようで、理想のカップルだと言われているのだとか。親切な上級生が教えてくださいました。
そんな中聞いてしまったお兄様とテオ様の会話。
あの話し方は、兄も私とテオ様の婚約解消を望んでいるのでしょう。
私は急いでその場を離れ、家の馬車に乗り込みました。
しばらく気持ちを落ち着けていると、程なくしてお兄様がやって来ました。
「カリーナ、悪い、待たせたな…っ!?」
お兄様は私の顔を見ると、ぎょっとした顔をして慌ててハンカチを取り出しました。
頬に手をやると、濡れた感触がします。どうやら、気付かぬうちに泣いていたようです。
「お、おい、どうした?!?何かあったのか!?」
何かあったかと言えばあったのですが、それをお兄様に言うわけには参りません。
ありがたくハンカチを受けとり、誤魔化すために微笑みました。
「今日から長期休暇ですから…、テオ様にしばらく会えなくなると思って、悲しくなってしまったみたいです」
「なんだ、そんなことか…」
お兄様は溜め息を吐いて座席に座り直すと、御者に出発の合図を出しました。
「どうせ、明日もデートで会うんだろう?
その後は領地に戻って、今年はキメラ…じゃない、セオドアがうちに来るし、せいぜい会わないのは1週間だろ?
明日も会って、1週間後も会って、その程度で会えなくて泣くって、どれだけ愛が重いんだよ、お前ら。」
「私の愛が重いのはそうかもしれませんけど、『お前ら』ではありませんわ」
「いーーーや、テオも十分重い。重すぎる。俺だったらどちらも勘弁。」
「テオ様の愛なんて、お兄様からしか聞いたことありませんわ」
「お前らは会話しなさすぎ。お互いの理解が浅い。
ちょうど良いから明日しっかり話し合ってこい。何があっても、骨は拾ってやる。」
お兄様はニカッと笑うと、私の頭をポンポンと叩きました。
お兄様は乱暴だけれど、愛情は深いのです。
「そうね。そのときは、私が満足するまで一日中でも付き合っていただくわ。覚悟してらしてね。」
「仕方ねぇ、寝落ちるまでは付き合ってやるよ」
涙は止まりましたが、悲しみは残ります。
明日が、テオ様の婚約者でいられる最後の日かもしれません。
せめて、最後は笑顔でお別れできるよう、ただの幼馴染みとして友人のままでいられるよう、星に願いをかけて眠りにつきました。
翌日は朝早くから起きて、何度も鏡を確かめます。
テオ様から『街歩きの出来る格好』と指定されていますので、あまり華美ではなく、歩きやすい服装を心がけます。
朝食の席でもそわそわしすぎて、家族に笑われてしまいました。
これから悲しい出来事があると分かっていても、やはりお慕いしている方とのデートは浮かれてしまうものなのです。
「リーナ。待たせた。」
学園で見慣れている制服姿のテオ様とは違い、街に溶け込めるラフな服装ですが、やはりテオ様は素敵です。
「いいえ。お時間通りですわ。」
「今日のリーナも綺麗だ」
「テオ様こそ、私服姿も素敵ですわ」
2人で馬車に乗り込み、街の入り口まで向かいます。
馬車の中では、いつにも増して盛り上がってしまいました。
昨日のことなどすっかり忘れ、お話が弾んだのが嬉しくて、テオ様が小さく笑ってくださっているのが嬉しくて、私もずっと笑っていました。
我に返ったのは、テオ様とお昼をとっている最中でした。
可愛い雑貨屋さんに立ち寄ったり、ドレスショップの店先を冷やかしたりして街を回ったあと、少し足が疲れてきた頃に昼食のためにレストランに入ったのです。
「あら、テオ様ではないですか。こんなところで、奇遇ですわね。」
「……アイラ嬢」
珍しく、少し眉を寄せてテオ様が答えたのは、例の噂のアイラ様でした。
「こちらの方は?どちら様ですの?妹御がおられるなんて、私、聞いたことございませんけれど。」
「妹ではありません。私の婚約者です。」
「……初めまして、カリーナ・チェンバレンと申します」
私は慌てて席を立つと、淑女礼でご挨拶しました。
でもアイラ様は、私をチラと見やると、そのままテオ様に体を向けてしまいます。
「そうですわね、似てなさすぎますものね。こんな冴えない子が妹なんてあり得ませんでしたわ。勘違いして申し訳ございません。
でもまぁ、妹もあり得ませんけど、婚約者というのもあり得ないのではないかしら?全く釣り合っておりませんもの。」
「アイラ嬢!!」
テオ様が怒ったような声を出されますが、アイラ様はするりとテオ様の腕に手を絡ませてしまいました。
でもテオ様も、振りほどこうとなさいません。拒否しないのはやはり、お二人が恋人同士だからなのでしょうか?
「そういえば、その婚約の件ですけれど。
我が家はいつでも構いませんわ。なんなら、今日にでも。」
「その件については、確かに私も話したいと思っていた」
「まぁ!でしたら、是非、本日我が家にいらして下さいな。今日は、父も一日中家におりますから。」
上機嫌に微笑まれるアイラ様を見て、目の前が真っ暗になりました。
私は何を期待していたのでしょう。
きっとテオ様は、今日で婚約を止めると、話しに来たのだというのに。
私の顔を見てクスリと笑うと、アイラ様は私の耳元で囁きました。
「最後の日なのですから、少しは大目に見てあげますわ。くれぐれも、未練など残さないように。
分かったら、今後二度とテオ様に纏わりつかないで。」
「………」
私が何も答えられない内に、アイラ様はまたテオ様に抱きついています。
「テオ様、皆に優しいのも貴方の美点ですけれど、そうやって勘違いさせるのも可哀想ですわ。身の程知らずな有象無象が湧いてきますもの。」
テオ様は無言でアイラ様の腕を外すと、私に手を差しのべました。
「…出よう、リーナ」
「家でお待ちしておりますわ~」
朗らかに手を振るアイラ様を振り返ることなく、テオ様は私を連れてレストランを出てしまいました。
そうして、テオ様に連れられたのは街の南の国立公園でした。
昼の日差しは暖かく、陽に当たると少し暑い程です。そのためか、周りに人は多くありません。
テオ様はレストランからずっと無言のまま、公園のベンチに座らせられ、あの時握られた手も離されないままです。
レストランまでは、あんなに楽しくお話しできていたのに、今はずっと黙って怖い顔で地面を睨み付けています。
このまま私まで黙っていても、なにも進みません。
きっとテオ様は、私に何と言って良いか分からないのでしょう。
お優しい方です。私を傷つけまいと、言葉を選んでいらっしゃるのでしょう。
(……婚約解消など、どんな言葉であろうとテオ様を愛している私は傷つくでしょうけど)
私は意を決して、自分から切り出すことにしました。
テオ様の顔をしっかりと見て、できる限りの笑顔を見せます。
これで最後なら、笑顔の自分を覚えていて欲しいから。
「……テオ様。今日は、なにかお話しがあったのでは?」
「…!気付いていたのか…」
テオ様は驚いて視線を上げると、ようやく私を見てくださいました。
私の方に向き直ると、両手で私の手を強く握ります。
「…いつかは言わなければいけないと思っていたんだ。
こんなことを言ったら、君を傷つけてしまうかもしれない、幻滅させてしまうかもしれない、そう思ったら、なかなか伝える決心がつかなくて…。」
「…良いんですよ、テオ様。テオ様のお心のままになさってください。私は大丈夫です。」
「……ありがとう、リーナ……」
テオ様は強い瞳で私を見ます。
私は泣かないように笑顔を維持するので精一杯でした。それでも、目が潤むのを止められません。
これで最後なのでしょう。今日は1日お兄様を付き合わせて、たくさん泣いて、また明日からはただの幼馴染みになれるでしょうか。
その前に、このまま泣かずに家まで帰れるでしょうか。
「実は…」
「…はい」
「……もう…止めたいと思ってるんだ…」
「っ……はい…」
「ニンジャ・ハンゾウは、もう止めたいんだっ……!!」
「………はい?」
「勝手でごめん、でももう無理なんだ…。
リーナの理想の王子様でありたかったけど、ハンゾウはあまりにも僕とは違いすぎる…。
寡黙で口がうまく、どんな女性にも人当たりよく朗らかに優しく、表情は動かず紳士的で、誰にも負けない強さを持ち、弱きを助け、強きを挫く、真面目で野心家で合理的で繊細で破天荒でストイック、ある時は他国に潜入する優秀なスパイ、またある時はドラゴンをも倒す強き騎士、しかしてその実体は、ニンジャ王国王太子、ニンジャ・ハンゾウ!!」
なんだか、聞いたことがあるような…ないような??
でも確かに、幼い頃にその最後の台詞は聞いたことがあるような気がします。
「いや、スパイなのか騎士なのか王子なのか何なんだよ、ニンジャをなんだと思ってるんだ!
寡黙なのに口がうまい!?朗らかでも無表情で!?紳士的で破天荒で、繊細なのに野心家で!?もはや意味がわからないよ!!
こんな継ぎ接ぎだらけのよくわかんないキャラクター真似してたら、そりゃあノアに『キメラ』って言われるよ!!」
テオ様は膝に拳を叩きつけて叫びます。
私も、だんだんと思い出してきました。
「……もしかして、私が幼い頃、憧れていた…??」
「そうだよ。リーナは昔、ハンゾウに夢中で、事あるごとに素敵だ理想だって言ってたんだ。
婚約を申し込んだ時、リーナに『理想の王子様になってくれるの?』って聞かれてから、僕はずっとハンゾウを目標にしてきたんだ。」
弱々しく微笑むテオ様はそっと私の手を握りました。
確かに昔、そんなキャラクターが好きだったような覚えがあります。
(でも、『王子様になって欲しい』とは、そんな意味だったかしら…??)
ずっと昔、本当に幼い頃に、お母様とそんな会話をした記憶があります。
でもあれは、結婚も婚約もよく解っていなかった子供の私が、結婚=『物語の王子様とお姫様』と解釈しただけの話です。
----------
『お母さま、コンヤクってなぁに?』
『婚約??大きくなったら、結婚するって約束ね』
『ケッコン?絵本の王子さまとお姫さまみたいになるってこと?』
『そうね、王子様とお姫様みたいに、お父様とお母様も結婚してるのよ。
物語の王子様とお姫様は、『結婚して幸せに暮らしました』で終わってしまうけれど、その前にお父様とお母様は婚約していたの。そして大人になってから結婚したのよ。』
『じゃあ、お母さまの王子さまが、お父さまなのね!!』
『そうよ。そして、お父様のお姫様が、お母様なの。』
『でも、お父さまはいつも、リーナのこと『私のお姫様』って呼んでくれるわ。お母さまがお父さまのお姫さまなら、お父さまはリーナにウソついたの?』
『そうねぇ、嘘ではないわ?お母様はお父様だけのお姫様だけど、カリーナはお父様とお母様と、お兄様やお祖父様達、お祖母様達、この屋敷の皆、たくさんの人のお姫様なのよ。』
『そうなの?』
『そうよ。カリーナが唯一の王子様を決めるまで、貴女は皆のお姫様よ。』
『じゃあ、リーナはテオさまとコンヤクする!』
『テオ様??』
『そう!今日テオさまがね、リーナにおっきくなったらコンヤクしようね、って言ってたの!
コンヤクってわかんないけど、テオさまならいいよ、って言ったら、テオさまよろこんでた!』
『…そうなの…テオ様が…。
そうね、貴女達がもう少し大きくなって、それでもまだその気持ちがあるなら、そうなってもいいかもしれないわね。』
『そしたら、リーナの王子さまはテオさまで、テオさまのお姫さまはリーナね!』
----------
(…そうそう、そんな話をしたのだわ…)
だから、私は『テオ様と婚約する=テオ様が私の王子様になる』と思ったのです。
今思い返せば恥ずかしいばかりですが、子供だったのでその程度の解釈しか出来なかったのです。
「確かに、そんな話をしましたわ。
でもあれは、幼い私が婚約の意味を理解していなかっただけで、『婚約者になってくれるの?』くらいの意味しかありませんでした。」
「…え??
……理想の王子様になってくれって、理想であるハンゾウみたいになってくれって意味じゃなかったの?」
「……よく覚えていませんが、王子様は婚約者の意味だと思っていたので、理想の、など言ったと思えないのですが……。
それに、正直に申し上げると、ハンゾウのことなんてすっかり忘れていました。言われて思い出したくらいです。」
「な」
口をパッカリ開けた少し気の抜けた顔も、テオ様がやると可愛らしいだけです。
「んだ~、もしかして、僕の勘違い?思い込み??早とちり???
あんなに頑張ったのに……。」
「ご、ごめんなさい……?」
「いや、リーナは悪くないよ。もっと早く話せば良かったんだ。
……なんだ、だったら、リーナと話すのも、触れるのも、手紙もプレゼントもデートも、我慢しなきゃ良かった…。」
「え?」
テオ様が最後に呟いた言葉は、よく聞き取れませんでした。
「ん~ん、なんでも。
じゃあ今さらだけど。もうハンゾウの真似は、止めてもいいよね?」
「ええ、勿論です」
「良かったぁ~!
リーナの理想がハンゾウで、止めた僕なんてお呼びじゃないって言われたらどうしようって、ずっと怖かったんだ。」
テオ様がふにゃりと笑うと、幼い頃同じように笑ってくださった顔が重なります。
「あの、でも、今思い返すと少し変な感じがするんです。
あの時の記憶では私は自分の事を『リーナ』と呼んでました。婚約が整った8歳の頃には、きちんと『私』と言っていたと思うのですけど…。」
「あぁ、でも合ってると思うよ。多分思い出したそれ、リーナが3歳になる時の話だよ。」
「…え…?と…??」
「リーナが僕に『王子さまになってくれるの?』って言ったときだろう?あれはリーナの3歳の誕生日だからね。まだ『リーナ』と言っていたよ。あの頃のリーナも可愛かったなぁ。」
思い出したように笑うテオ様ですが、なんだか色々と聞き捨てならない言葉があった気がします。
「3歳…ですか?ですが、婚約したのは8歳の頃でしたよね?
あれ?でも『大きくなったら婚約しようね』って確かテオ様が…??」
「覚えてないの?まぁ、3歳だったから仕方ないか。
赤ん坊のころからずっと似たような言葉でプロポーズはしてたんだけど、母上に『刷り込みは止めなさい』って怒られたんだ。『カリーナ自身が心から貴方を望む機会を潰して良いのですか?』って脅されたら自重せざるを得なくてね。
そのかわり、僕が10歳になったら仮婚約を結んで、僕が卒業するまで気持ちが変わらなかったら正式な婚約を、リーナが卒業したら結婚するってお互いの両親が約束してくれたから、まぁ我慢しておこうと思って。
その時までにリーナに好きになって貰うために、理想の王子様になろうとしてたのに、覚えてないなんて盲点だったよ…。」
「あれは、政略的な婚約だったのではなかったのですか…!?」
「そんなわけないじゃないか!?
え、政略結婚だと思ってたの!?このまま結婚してたら、政略結婚だと思われてたの!?
ち、違うよ!赤ん坊の頃に引き合わされてから、ずっと可愛いなぁって思ってたし、4歳の頃にはずっと『リーナと結婚する』って言ってたし、両親にも義両親にもノアにもリーナが好きなのバレバレだし、政略要素なんてどこにもないよ!?」
「盗賊団の協同討伐のためでは??」
「そんなことのために愛娘を差し出すわけないじゃないか、あの御父上が!
あの時期盗賊団の被害があったのは確かだし、そのための共闘もしたけど、婚約とは全く別の話だよ。
せっかく集まったんだからって討伐計画の話もしてたかもしれないけど、もしかしてそれで…?」
「…勘違いしたかもしれません……」
確かに、お父様から政略だと直接聞かされたことはありません。
婚約を結ぶ際も、『本当にテオ君で良いのかい…?』と聞かれた気がします。…何となく、お父様が涙目だった気もします。
断っても良さそう(むしろ断って欲しそう)なお父様は、もしかしたら政略ではない証拠だったのかもしれません。
政略だったら、私に意見を聞くはずありませんもの。家長として決定事項を伝えるだけでしょう。それが、貴族というものです。それは私を溺愛しているお父様だって一緒です。
「とにかく、僕はリーナが好きで婚約したし、今も好きだよ。むしろ、昔よりもっともっと好きになってる。
…リーナは?こんな僕は嫌い?」
「そっ、そんな訳ありませんわ!私も、テオ様が好きです!」
テオ様は今までが嘘のように、満面の笑顔で私の両手を両手で包みます。
「ありがとう、リーナ。今度からもっと、ちゃんと話そう。
リーナの好きなこと、嫌なこと、して欲しいことして欲しくないこと、今まで我慢してた分、ちゃんと知りたいし、リーナにも僕のこと知って欲しい。
僕が意地張って怖がってた分を取り戻したいんだ。…いいかな……?」
「は、はいぃ~!」
昨日までの無表情なテオ様はどこへ行ったのでしょう?
そんな潤んだ瞳で上目遣いで懇願されたら、私はひとたまりもありません。
絶対に顔が真っ赤になっている自信があります。
「で、でも、私は、てっきり、今日は婚約解消のお話をされるものだとばかり思ってましたっ!」
「……は?」
聞いたこともないような、テオ様の低い声。
「だ、だって、私とはいつも無表情であまりお話ししてくださらないですし、アイラ様とは学園でも腕を組んだり、噂になったりしてますし、さっきのレストランだって…その…」
だんだん声が小さくなるのが分かります。
先ほどの光景を思い出すと、目に涙が浮かびそうになります。
身体中の空気が抜けてしまうような大きな溜め息をつくテオ様に、失望されたのか呆れ返っているのかと目を向ければ、テオ様は少し傷ついたような、でも嬉しそうな、複雑な顔でこちらを見ていました。
「だから、さっさとハンゾウ止めたかったんだ…」
「え…」
「ごめんね、リーナ。でも最初に言っておくと、アイラ嬢と噂されてるような関係は一切無いよ。」
そこからテオ様は、私が思ったこと一つ一つに、きちんと答えてくださいました。
いつもにこりともせず、口数が少なかったのは、ハンゾウが無表情で寡黙なキャラだったから。
女性達が取り囲んでも拒否しなかったのはハンゾウがどんな女性にも丁寧に対応していたから。
アイラ様に腕を組まれても振りほどかなかったのは、ハンゾウならそんな乱暴なことはしないから。
女生徒を名前で呼ぶのは近しいからではなく、ハンゾウが全員平等にそう呼んでいたから。
全ては、『私の理想の王子様』になりたかった故の暴走だと。
「だから、アイラ嬢…バルドウィン嬢とは何でもないよ。
確かに、取り巻き連中を使って僕との仲を吹聴しているみたいだけど、僕が彼女を特別扱いしてないなんて周知の事実だし、才女の噂なんて学園の大多数が懐疑的だよ。」
「でも、上級生の方々が…」
「バルドウィンと縁戚関係のある連中だろう?
あいつらが言うことなんてほぼ嘘だよ。去年までバルドウィン嬢の成績なんて番付に載らないレベルだったんだから。
…リーナにまで余計なこと吹き込むなんて、やっぱりあの女狐は、さっさと潰しておくべきだったな…。」
「え?」
「とにかく!僕はリーナが好きだし、リーナ以外とは結婚しないし、だから当然婚約も破棄しないよ。
…わかった?」
「わ、わかりましたっ!!」
「なら良かった。じゃあ、行こっか。」
そこからのテオ様の行動は迅速でした。
そのままアイラ様のお屋敷に乗り付けると、止める執事も振り切って応接室に向かい、お茶も断ってバルドウィン侯爵を呼びました。
「テオ様!お待ちしておりましたわ……!?」
テオ様が来ていると知ったアイラ様が応接室に飛び込んできますが、扉を開けてすぐ固まってしまいます。
いるはずのない私がいて、テオ様と手を繋いでいて、テオ様はアイラ様を睨んでいるのですから無理もありません。
バタバタとアイラ様の後ろからバルドウィン侯爵と思われる方が走り込んできます。
「こ、これはこれは、マイクロフト小侯爵、わざわざ当家まで御足労いただきありがとうございます。
…して、これは………?」
「約束もなく押し掛けて申し訳ありません、バルドウィン侯爵。貴方のご息女が本日であればお伺いしても良いと仰っていたので、お言葉に甘えさせていただきました。」
「え、えぇ、はい、構いませんとも!
ですが、その、婚約の話でいらしたのでは…?そちらのお方は……。」
「そうです。婚約についてお話しに参りました。」
テオ様は私の手をきゅっと握ると、私にだけにこやかに笑みを向けます。
そんな場合ではないのに、単純な私はそれだけで鼓動が跳ね、顔が赤くなってしまいます。
「ご息女が侯爵にどのようにお話ししているかは存じません。ですが、私の婚約者はこのカリーナだけです。」
「えっ!?娘とは恋仲なのでは!?入学した頃から想いを通わせ、でも婚約者をお持ちだから清算をするまでは…とのお話ではないのですか!??」
「全くの事実無根です。
想いを寄せていただいたことは事実ですが、お返ししたことはありません。婚約者もいますし、適切な距離をとお願いしましたが、何度言っても聞き入れていただけず、こうして直接お話しに来た次第です。」
「では、本日は、娘との婚約のお話しではなく…?」
「警告です。これ以上付きまとい行為を続ける場合は、家を通して厳重に抗議させていただきます。
お話は以上です。バルドウィン侯爵閣下の賢明な判断を期待しております。」
バルドウィン侯爵は顔を真っ青にしています。
対照的にアイラ様は真っ赤になって私を睨んでおられます。
同じ侯爵家と言えど、国の重鎮であるマイクロフト侯爵家と、経済状況の厳しいバルドウィン侯爵家では、マイクロフト家の方が圧倒的に力があります。
バルドウィン侯爵はアイラ様の言葉を信じ、マイクロフト家と繋がりが持てることをただ喜んでいたのでしょう。
テオ様は私の手を引いて立ち上がりました。
「ああ、それと、バルドウィン嬢」
「テオ様!」
私を睨んでいたアイラ様は、テオ様に呼ばれると蕩けるような笑顔を向けます。
「貴女にその愛称を許した覚えはありません。それはリーナのものです。今後は、家名で呼んでいただくようお願いします。
それと、バルドウィン家の後見で途中入学させた商家の娘ですが、退学するそうですよ。学園でのテストの不正について、本当の事を話せば良いように取り計らうと伝えましたので、この休暇中には全ての手続きを終えるでしょう。」
アイラ様の顔色は赤くなったり青くなったり、目まぐるしく変わります。
「…次のテストでも、実力を発揮されることを期待します」
テオ様は言い捨てると、そのまま私の手を引いてバルドウィン家を辞しました。
馬車の中で私は尋ねます。
「…アイラ様は、学園のテストで不正をされていたのですか?」
「そうだよ。
馴染みの商家の同い年の娘が秀才だと知って、今年途中入学させたんだ。テストの際にお互いの名前を入れ換えて出して、成績を交換したらしい。
この2年、地を這うような成績が急に上がるなんておかしいと思った教師陣と生徒会とで調べていたんだ。過去のテストの筆跡と比べたらすぐ分かったよ。編入生の入学テストともね。
そもそも、過去の成績で違和感を持たれて、すぐにバレるに決まってるのに、なぜ問題ないと思ったのか…。」
テオ様は頭痛を追い払うように頭を降ります。
「編入生だって、学業優秀だから、編入できてるに決まってるじゃないか。それなのに入ってすぐのテストが最下層なんて…。僕じゃなくたって違和感を持つよ。」
「その編入生の方は、退学になるのですか?」
「バルドウィン嬢にはああ言ったけどね。
平民が高位貴族に命令されて拒めなかったのも分かるし、真実を話す代わりに卒業までの分の飛び級試験を受けて貰うことになったよ。
もともと優秀だったし、長期休暇中に卒業資格を取って寮を出るんじゃないかな。」
「卒業者にはなれるのですね…。それならば良かったです。」
貴族学園に平民の方が入るには、とても優秀な成績を修め、かつ貴族の後ろ楯が必要です。
その狭き門を潜った平民の皆様は、国の重要機関で活躍されます。
編入できるほど優秀な方であれば、その将来が閉ざされなくて良かった、と少し安堵しました。
「万一、商会の方に圧力をかけてくるなら、マイクロフト家で受け入れると伝えてあるから、今頃今ごろ必死で試験対策してるんじゃないかな。
彼女も、せっかく入った学園で結果が残せないのは嫌だったみたいだし。」
そうしてアイラ様の成績を底上げしていた方が去ってしまえば、きっとアイラ様を才媛と持ち上げる方々もいなくなるでしょう。
そうなったアイラ様が学園でどんな思いをするか…は、私の関与するところではありません。
「…ちょっと、スッとしたと思ってしまう私は、悪い子でしょうか?」
テオ様は瞠目して少し瞬くと言いました。
「いや?僕はもっとスッとしてるし、何だったらリーナを傷付けた報復には生温いと思ってるよ。
…リーナは、こんな僕は嫌い…??」
「そっ……んな訳ありませんわ!
子供みたいに無邪気なところも、物語の悪役みたいに腹黒いところも、子犬みたいに甘えん坊なところも、ヒーローみたいに毅然としたところも、テオ様なら全部好きですわっ…!……あ…」
さっきまで上目遣いで目を潤ませていたテオ様は破顔して私を抱き締めます。
「ありがとう。僕も大好きだよ、リーナ。
これからも絶対余所見なんかしないで、リーナだけを愛していくから。怖くて伝えられなかった今までの分も、たくさん伝えていくから、覚悟してね。
これからもよろしくね、僕のお姫様。」
そう言ってテオ様は私の額に口付けます。
もちろん、私だって余所見なんかしませんわ。
だって、私の理想の殿方は、テオ様ですもの。
「そういえば、私はニンジャ・ハンゾウをどこで見たんでしょう?
大きくなってから家の書庫を探してもそんな本はありませんでした。だから、夢だと思って忘れてたんですもの。」
「あぁ、あれはノアの創作だよ。どこかの本で呼んだ冒険譚をその場でつなぎ合わせて話してくれてたんだ。実演付きでね。
君が喜ぶもんだから色々な話をしてくれたんだよ。キャラクターの名前を全部忘れて、ハンゾウで統一したからおかしなことになってたけど。」
「だーかーらぁ~!!俺の黒歴史を掘り返すような真似はさっさと止めろって言ってただろ、キメラ!!!」
ご覧いただきありがとうございました。
よろしければ下から評価いただけると喜びます。
よろしくお願い致します。