第27話 健やかな朝
剣士は健やかな朝を迎えた。
先日の騒動が嘘のように晴れ渡っており、目覚めの気分は上々であった。
(昨日は色々あったからな~)
情報収集のために村を訪れてみれば、美人姉妹に“性的”に襲われ、どうにか貞操を守って脱出した。
後に判明したことだが、その村は淫魔に乗っ取られており、試練への挑戦者を捕食するために待ち構えていたのだと言う。
おまけに、領主の館に住まう夫人が、淫魔の女王であり、そちらの毒牙にかかって、危うく童貞を喪失するところであった。
(まあ、あれくらいボコボコにしておけば、大人しくはなるだろうて)
剣士の反撃で淫魔の女王は挽肉寸前までいったが、殺生禁止の規則に従い、ギリギリで踏みとどまった。
ある程度の情報も引き出せたし、後はなるようにしかならない。
そう考えると、逆に踏ん切りがついたと言えた。
ふと窓の外を見つめると、今夜登るであろう『試練の山』が見えた。
まだ雷雲は晴れておらず、時折稲光を発していた。
(あれが今夜晴れる。そして、試練に挑む。次の朝日を拝めるか、そこが問題だ)
抜け目のない領主の事であるのは分かっているし、すでに昨日の会話から騒動については知っているのは確実である。
夜のうちに襲って来なかったのは、どうやって自分を貶めてやろうかと、意地の悪い算段をしているのだろうと考えたが、剣士にはもはやどうでもいい事であった。
(どんな罠や仕掛けが待っていようとも、全力でぶった切るだけだ!)
なにしろ、領主の正体は魔王なのだと言う。
この聖地を乗っ取ったのも、未来の勇者となり得る逸材を芽の段階で摘み取り、同時に自身の復活までの時間を稼ぐのが目的なのだと言う。
その情報が正しければ、例え禁令を犯す事になろうとも、魔王に一太刀浴びせるつもりでいた。
そうなると、現在の単独行動は痛い。仲間の援護があれば、数倍の威力を発揮できるというのに、今は託された魔法薬だけが頼りだ。
回復も、強化も、数に限りがある。
足りるのか、押し切れるのか、それはやってみなくては分からないが、やると言う事だけは確定していた。
(なにしろ、この聖域に来てから、すでに“三回”も敵前から逃げ出してるからな。勇者としては、様にならないし、情けなさすぎる。勇気を示して、果敢に挑んでこその勇者だろ!? もし、減点方式の試験だったら、とっくに落第だろうな~)
そもそも、試練とやらの内容が一切不明なのだ。
禁令破りをさせて、試練本番に進ませないと思いきや、舞台装置自体が魔族に乗っ取られていたと言うとんでもない状況なのだ。
地の利が相手に働く不利な状況をも覆し、舞台装置そのものを上書きしなくては、聖地から魔族を追い払う事はできない。
どう考えても、一人でこなすには大掛かりに過ぎると、その点だけは剣士にとって悩ましい限りであった。
そうこう考え事をしながら食堂にやってくると、そこには夫人が待っていた。
テーブルの上には食器類が並び、昨日の朝同様、“一人分”だけ用意されていた。
「なんだ、領主の旦那はもうお出かけか?」
「ええ。日が出るかどうかくらいの、早朝に出ていかれました」
「俺をハメる罠の設置に余念なし、といったところかな」
不敵な笑みを浮かべつつ、剣士は席に着いた。
出されたパンやスープ、チーズにベーコン、そして、果物。どれも美味だ。
貴族の朝食とあって豪華なのだが、給仕をしてくれた夫人は、どちらかと言うと呆れ気味に剣士を見つめていた。
「あなたさぁ……、こっちも出しておいてなんだけど、そんなムシャムシャ食べて、毒盛られるとか考えないの?」
「その点は心配してない。出してきた食事に、毒は絶対に盛らない」
「その根拠は?」
「この場で俺を殺すなり、弱らせるのは本意ではないからだ。あるいは、勿体ないとでも評するべきか」
少し甘ったるくなった口の中を、杯に注がれていた水を口に入れて中和した。
思いの外、ひんやりとした水で、食後の清涼感をもたらしてくれた。
思わず「ほぅ~」と口から漏れ出すあたり、剣士は完全にリラックスしていた。
「魂の動きには鮮度がある。喜びと悲しみ、善意と悪意、創造と破壊、そうした感情の落差こそ、悪魔にとって最高の御馳走なのでは? 目的を達して歓喜に打ち震える者に、絶望の淵を蹴落とすと、急転直下の大転換! そのグニャリと歪んだ精神こそ、お前らの求めるものだ」
「ま、それは確かにそうよね」
「ならば、本番間近のこの時期に、取って殺すのは惜しい。足掻き、手を伸ばせど届かず。そうしてのたうつ様を鑑賞し、卑下した笑いを浴びて楽しむ。悪魔ならばそうではないか?」
「よくもまあ、こちらの考えを読む。読んだうえで飛び込むのは馬鹿の所業でなくって?」
「そこは豪胆と言って欲しいものだな」
「それこそ、勇敢と無謀の区別がついてないのではありませんか?」
「結果を伴えば勇敢であり、失敗すれば無謀と言われるだけの事だよ」
何しろ、他人の評価など、今ここに一人しかいない身の上では、気にしても仕方がない。
どう転ぶか未知数な分、もはや開き直るしかない。
(と言っても、やはり情報は少ないな。もう一度、村に行くのは危険過ぎるし、やはりあの老人を探すか)
あの老人は元・勇者だ。
なにしろ、ここの試練を突破して、本物の勇者になったのだ。
貴重な情報源であるし、あるいは手合わせしてもらえるかもしれないと言う期待もあった。
そう決断すると、剣士は勢いよく席を立った。
美人との会話もそれはそれで楽しいが、中身が魔族だと知れてしまえば途端に萎えてしまうものだ。
「あら、お出かけですか?」
「美女との会話にも飽いたんでな」
「そうですか。では、お気を付けて。最後の一日をお楽しみください」
含意のあるお見送りの言葉だ。
この聖域で過ごすのも今夜の試練までであるし、それが終わればさっさと仲間のところへと“勇者”として帰るだけだ。
あるいは、ここで死を迎えれば、それこそ今日の昼こそ最後の一日だ。
話し手は後者を期待し、受け取り手は前者を未来に据えるつもりだ。
最後の散策を始めるかと、剣士は屋敷を後にした。
美女と戯れた健やかな朝は終わり、新たな、そして、最後の一日が始まる。
~ 第28話に続く ~




