2023年5月 1日目(2)
「こんにちは」軽く会釈して女は俺に作り笑顔で声を掛けた。
「ああ、どうも」と、そんなつもりではなかったが、随分ぶっきらぼうに答えてしまった。
「何見てるんですか?」よく見ると、女は若いが、結構疲れている感じがする、目が潤んでいる気がした。
「最近どうなってるかなと思って来てみたんだけど、いつも通り静かな海だな。ただ見てるだけだ。ところで、あんたは、警備関係の人間か?」
「私ですか、違いますよ。なんか海のほうに来てみたかったんで」
「じゃなければ、ユーチューバーとか?」
「違います、違います 、そんなんじゃないです」
「どっちにしろ、俺を撮さないでくれ」
「まずいんですか?」
「まあ、人にはいろいろと触れられたくないことが有るだろ」
「そうですよね、大丈夫です、撮してないですから」
「じゃあ、何しにこんな所へ」
「前から一度見ておきたかったんで、ついでに」
「ここが何処かは解ってて来たんだろ?」
「解ってます、あの福島の原発の近くですよね」
「そうだ、そっちが原発だ」と、俺は南側の丘を指さした。
「よく、ここの目の前が原発の海だ。ここも、あの日に津波に襲われてる。今、15時21分、地震の起きた時間は過ぎてるから、津波が来るまで、あと15分くらいってとこか」
「いや、良いです。聞きたくないです」
「そうか。悪かった」
「12年かあ」と、気落ちして言った。そのまま、辛そうに腰を落としてしゃがみ込んだ。そのまま黙ってしまったので、気になって視線を女の方に向けると、偶然お互いの目が合った。
「なんで、そんなに辛いのが解ってて来たんだ?」
「見たかったから」と、女は続けて言った。
「あたし達の生活を滅茶苦茶にしたヤツを見てみたかったけど、近くに行くのも怖くて、途中までしか行けなかった」
「原発を見るんなら、そっちじゃなくて、そこの丘を越えれば、原発のクレーンと汚染水のタンクと山になったフレコンバッグが見えるはず。だけどパスが無いと通れない。警備が居なければそっちの道へ行った方が良いんじゃないか」
「でも、さっき警備の人居たね」
「多分、フレコンバッグを積んだトラックが出入りしてるんで、交通整理じゃないのか」
「でも、まだ置いてある」
「在るな、何だろ」
「通れないですよね」
「だけど、ここに有る物なんか、どれを見たって楽しくないし気分が悪い、見たくないなら行かない方が良い、気分が悪くなるだけだから、怖いのか?」
「うん、見たいと思ったけど、やっぱり見たくない、怖いし。今までの事を思い出すと辛いから」
「怖いなら、無理して行くな」
「うん、行かない」
「大丈夫か、気分が悪いのか?」
返事は無かった。
女は、しばらくしゃがみ込んでいたが、突然立ち上がって俺の方を向いて、
「でも、見たら家が建ってるんですね」と北側に見える神社の隣の家を指さした。
「家って。あれの事か、あれは家が建ってるように見えるけど、近くに行ってみると解る、壊れているし、誰も住んで無い」
「住んでないんですか?」
「震災にやられた家だ住める状態じゃない。多分、壊してないだけだろう」
「壊さないの?」
「まあ、事情は解らないけど、多分、今からじゃ壊せないだろ」
「どうして?」
「この辺の震災前からの建物は、基本的に解体工事じゃなくて除染工事だから」
「えっ、除染!」
「そうだ。解体じゃなくて除染。放射能を浴びてるって事だ。どうした?」
「除染の対象になってる物を見たのが初めてなんで」
「だったら、もう1回行って見てくれば良い。あそこの堤防の脇に在るのも、そのはずだから」
「いい、行かない、絶対行かない」
「そこの丘を越えたら向こうは、爆発した原発だ。ここは、あれから1キロくらいしか離れて無いから、当然被曝してる。原発から1キロ地点の放射能を浴びてるんだ、今になって壊しても普通に捨てられないだろ」
「えっ、そういう事」
「ここへ来る途中も有っただろ、そんなに壊れてないけど壊してない家とか店とか」
「有った。なんか気味が悪かった」
「そうかも知れないな、初めて見ると気味が悪いかもしれない」
「お化けが出そうで気持ち悪い」
「お化けなんて信じてるのか?」
「信じてはいないけど」
「だったら、出てこないよ」
「でも、あんな風に放置してると、気味が悪いですよ」
「いろいろと理由は有るんだろうけどな」
「理由って、どんな?」
「ああ、持ち主が見つからないとか、何か事情が有るんだよ。本当なら、みんなが壊してる時に一緒に壊せば良いんだけど、間に合わないと、あんな風に残ってしまう、いずれ壊すんだろうけどな」
「そうなんだ」
「震災に耐えた家なんだけどな放射能なんか浴びたばっかりに」
「特に、このあたりは、震災の後も、長いこと立ち入り禁止だったから、いろんな事が遅くなってるんだろ」
「まだ、見つからない人とかは居るんですか?」
「それはないだろけど。もしかして霊を感じるとか、そんな人なのか?」
「違います。何にも感じません」
「それは良かった。みんな成仏してくれたんだろな。行方不明の捜索も一番最後に念入りにやったみたいだからな」
「でも、何年も放っておいてから、捜索したんですよね?」
「そうだろ、そうするしか無かったんだから」
それを聞くと女は又しゃがみ込んだ。
「気分悪いかも知れないけど聞いても良いか?」
「何です」
「昔、この辺に住んでたのか?」
「いいえ、あたしは関東のはずれの方です」
「そうか」
「どうして?」
「いや、異常に落ち込んでるから、元の住民かと思ったんで」
「違いますよ、いろいろ有ったなあと思って。ちょうど高校を卒業した時だったので」
「辛かったら帰れ、無理して見るようなものじゃない。嫌な思いしかしない」
「解ってる、大丈夫です。来てみたかっただけだから」
「おじさんは良く来るの?」
「俺はパスが無いから来れるようになったのは最近だな。それまではバリケードが在って国道からこっちに入って来れなかったから。今日で3回目くらいかな。ただ、震災前だって特にこの辺りには用が無かったし、せいぜいそこの国道で相馬とか仙台に行く時に通るくらいで、こんなに原発の近くの海まで来たことなんて無かったな。向こうに第二原発 って在るんだけど、あの近くにはおいしい蕎麦屋が在って、何回か食べに行ったけどな」
「そういえば、この辺って食事する所って無いですよね、遠くから看板が見えても、近づくとロープが張ってあって閉まってるの、あれって震災の時のままって事なの?」
「そうだろ、やっぱりお店だと除染のために立て直さないと、要は除染だな、そうしないと使えないんだろ、それで放置してる」
「ふうん」
「だから、大きい店は壊すのが大変なんだろな」
「この道をずっと行ってみると判るけど大きい店が何件も放置されてるから」
「小さいお店は?」
「そういう所は、さっさと壊して更地にしてるか、立て直してる、だからコンビニが増えてるんじゃないか」
「それで、ここに来るまで新しいコンビニばかりだったんだ」
「本当にコンビニは増えてるな、復興関係の業者の需要もあるし採算も取りやすいんだろうな」
「そのさっき行ってた、よく行ったっていうお店はどうなってるの、まだ、やってるの?」
「いや、やってない」
「その頃は、結構流行ってたの?」
「俺が行った時はお客さんで一杯だったな、しかし、よくあんな辺鄙な場所にみんな行ったよなあ」
「どんな場所なの?」
「あの店の周りは畑と森ばっかりで家なんか近くに無かったし、道案内だって途中に手作りした、多分自分で作ったんだろうな、木製の小さな看板が立ってるだけで、本当にカーナビが無かったらたどり着くのは無理だったと思う」
「それで、今はそこどうなってるの?」
「あそこか、前に乗ってた車のナビにデータが残ってたんで、通れるようになってから近くを通って見たら、在るかなと思って行ったら、あの辺一帯赤土むき出しの工事中で、要は除染だな、木を切りまくって、そのせいで赤土だらけだったんだけど、重機が走り回ってて、警備員に通行規制中で、迂回お願いしますとか言われて、実際にはたどり着けなかった、反対から行けば良かったのかも知れないけど」
「だから遠くからしか見えなかったんだけど、更地になってるみたいだったな」
「そうなの」
「やっぱり壊したんじゃないか、壊すんだったら、みんなが壊してる時じゃないと大変だから、あそこも除染だろう」
「なんかね、いやだ」
「俺は2回くらい行ったけど、確かオープンしてから1年くらいしか営業してなかったはずだから残念だったよな」
「お店の人なんかどうしちゃったのかな」
「あそこは、ここの原発から10キロくらいだから強制避難じゃないか、あの辺は」
「ふうん、みんな大変だったんだね」
「それで、ずっと気になってたんでしばらくしてから調べてみたんだ。お店が何処かで再開してたら、また行ってみたいって思ってたんで、そしたら遠い埼玉の方でうどん店を出したって記事が有って、ああ良かったなと思ったんだけど、あっちの方へ行ったら寄ってみるかなって思ってたんだけど、用事も無くて行けなかった。その後、埼玉の別の場所に移転して蕎麦屋を始めたって記事が有ったから今度こそ行ってみようと気にしてたんだけど、その後ご主人が亡くなって一旦閉めたらしい」
「えっ」
「無念だったろうな」
「どうした、気分が悪いのか」
「どうなんだろうなって考えてた、原発で人生が変わっちゃった人、運の悪かった人って本当に一杯居るよね」
「そうだな」
「そう言うのって解ってるのかな?」
「誰が?」
「誰がって。国とか東電」
「言うだけ無駄だと思うな」
「この無力感って何だろね」
「無能力感だろ」
「無能力感?」
「『象に盾突く虎はいない』最初から闘いを放棄した無能力感だ」
「なにそれ『象に盾突く虎はいない』って誰かが言ったの」
「今、俺が言った」
「おじさん、本当は反対派なの?」
「汚染水は反対だ」
「それ以外は?」
「俺は昔から変わっていない。変われるほど器用でもないしな」
何か言おうと思ったが、余計なことを言ってしまったので、何を言って良いか解らず、しばらく黙っていた。見上げると五月の空は澄んでいて気持ちが良い。
「今日は、天気も良いし渋滞しない時間だったら、車で移動するのは気分転換に良かっただろ」
本当に気分転換になればと思ってそんな事を言ってみた。
「え、こんな所で渋滞なんて起きるんですか?」
「以外だろ、原発の作業員が、1日4000人くらいが毎日来てるんだ。それが全部そこの道に集中するから、流れては居るけど車の数が多くて、だから朝晩、特に帰る時間のコンビニは仕事帰りに休憩する車で一杯だから、その時間は避けた方が良いぞ」
「4000人が毎日」
「ニュースではそんな数字をを言ってたな」
「でも、取りあえずここまで来て見たんだから道路が混む前に帰ったらどうだ」
「そうかも、今日はね、仕事が終わって家に帰る途中にちょっとだけ寄ってみただけだから」
「仕事の帰りか、すごいな一人で仕事を片付けて歩いてるなんて」
「そんなんじゃないです」
「家って遠いんだろ?」
「まだまだ」
「一人で運転してか?」
「そう一人で、車だから適当に」
「そうだな、車だと気楽で良いな」
「それで、仙台からこっちに来る途中に道路が分かれるとこ有るじゃないですか」
「高速で?」
「違う、国道で」
「下道で、国道で仙台から来たんだったら4号線と6号線が分かれる所、岩沼か?」
「そうかな、たぶん。そこでどっちからでも帰れるしと思って、海側に行って原発でも見てやろうと思って曲がっちゃった」
「なんで?」
「ちょっと、興味があったから、このふざけた原発に」
「このふざけた原発にか」
「うん」
「何か特別の思いが有ったんだろうけど。何処まで帰るんだか解らないけど、遠回りして今日帰れるのか?」
「道はつながってるから大丈夫でしょ、多分」
「そう言えばそうだが、ここは山の方は行き止まりがまだ有るから気をつけろよ。この先まだ時間が掛かるだろ」
「うん」
「あんまり長居しないで帰れよ」
「ここからだとあとどの位掛かるんだ」
「だいたい4時間くらいかな」
「結構掛かるな、仙台から来て、こっちへ行くんだったら、この先ガソリン入れる所とか、食事する店とか少ないけど大丈夫か?」
「うん、仙台を出るときにガソリンは入れて来たから大丈夫」
「それは良かった、この先40キロくらいはコンビニくらいしか無いから気をつけろ」
「高速は使わないのか?」
「あたし高速は怖くて」
「俺も今の車にしてからは高速は楽しくないな」
「おじさんの車ってあの軽トラでしょ?」
「そうだ、あれはウチのゴミ屋敷片付けるのに必要だから取り替えたんだけど、荷物運ぶには最高だけど、俺もあの車では高速は走りたくないな」
「やだ、おじさんの家ってゴミ屋敷なの」
「ああ、ほとんど、ゴミ屋敷みたいなのを、安く買って直してるんだ、だから軽トラは絶対必要だ」
「一人で?」
「ああ、俺は独身だからな、淋しいもんさ、あんたはどうなんだ、バリバリ仕事してる感じだけど家族は居るのか?」
「うん、居るけど、あたしは家の中にあんまり居場所が無くて、こうやって外に居る方が気が楽」
そう言いながら、女は黙り込んだ、疲れたのか、それとも俺と同じで家族の話は苦手なのか。俺も家族の話はしたくない。
「それにしたって、なんでこんな原発の近くなんかに来たんだ?」
「こっちの国道を通った方が海に近いから、海でも見たいなって」
「海って、この辺の海のことか」
「うん、家に帰っちゃうと海から遠いので、ちょっと遠回りだけど海でも見ながら帰ろうかなと思って、家は海から遠くて、なかなか見れないからちょっと気分転換かな」
「だけど、仙台からだったらここまで来る国道は海から離れてて、あんまり見えなかったろう」
「そうなの、それで、何処かでちょっと息抜きしながらボーっとしてみるかなって」
「でも、ここは一番敬遠する所だろ、放射能は怖くなかったのか」
「もう、下がったんでしょ、車は通ってるし」
「だいたいな、でも、そこに見えるよな木が、ああいう山、あんな所には入るなよ、ああいう林の中とかは除染してないと思うから」
「そうなんだ、聞いて良かった、でも入ったらどうなるの?」
「どうなんだろな、今日明日はなんともないと思うけど、将来のことは判らないから、行くなよ。あんた子持ちか?」
「なんでよ?」
「これから子供を作る気だったら行くな」
「まだ、一人ですよ」
「だったら、絶対に行くな」
「ここは大丈夫なの?」
「これは、最近作った堤防だから大丈夫だろう」
「ただ、俺もあんまり座る気にはならないな」
女が立ち上がった。
「それにしても物好きだな、この辺は初めてだろ」
「そう」
「まあ、そうだよな、さっき高校生って言ってたもんな。あの時、高校生だったって事は、年齢は」
「年齢は良いです」
「何だ、まだ若いだろ」
「若くないですよ、もうすぐ30です」
「じゃあ、まだ20代だろ」
「ギリギリですけど」
「一番楽しい時じゃないのか」
ありきたりの事を言ってしまったと思って、ちょっと横顔を見てみた。
「全然、死にたいくらい」と言って辛そうな顔をした。
「何だよ、死にたいって。そんなこと考えてここへ来たのか?」
「ちょっとは考えたけど、でも、ここは絶対に嫌」
「まあ、そうだろな、こんな所だからな。でも、俺の見える所でやるなよ。助けに行くのが大変だから、変な考え起こすな」
「見える所だったら助けてくれるの、でも代わりにおじさんが死んじゃったらどうするのよ?」
「良いじゃ無いか。年寄りが若い女を助けて死ぬなんて格好良いだろ」
「そうかな?」
「どこかの年寄りみたいに戦争起こして金儲けしてる奴らよりよっぽど良いと思うけどな」
「戦争起こしてるって?」
「そう言うクソ爺が世の中には居るんだよ」
「日本じゃないでしょ?」
「ああ、日本じゃない。戦争なんかしないで女を100人も囲って遊んでれば良いのにな」
「100人も無理でしょ」
「あんたも何だ。真剣に考えるなよ。無理に決まってるだろ」
「全く、あたしを助ける所までは良かったのに」
「悪かった、でも助けるのは本当だ」
「そうなの、大丈夫そんなことしないから」
「でも、俺が100人選ぶんだったら選んでも良いか?」
「あたしを?」
「そうだ」
「趣味悪いよ」
「どう言う事だよ」
「101番目で良いから」
「それって、お断わりって事か?」
「そういうわけじゃ無いけど、もっと良い人選んだ方が良いよ」
「解った」
「怒った?」
「いや、でも、あんたももっと自信持てよ。101番目はないだろ」
「何よ、無理」
「そんな事無い、良い線行ってるよ」
「じゃあ、もうちょっと上で考えておく」と、少し笑った声で答えて、すぐに、
「でも、それってあたしを誘ってたの?」と、少し弾んだ声で聞いてきた。
「いや、そんな積もりは無かったけど、少し落ち込んでる様に見えたから」
「なんだ、そうなの」
しばらく、女は黙っていたが、こっちを向いて、話し出した。
「この原発が爆発した時、あたしは地元の高校を卒業して、家を出て東京へ引っ越しの最中だったの」
「じゃあ、電車が止まったりして大変だったろ。歩いて地元に帰ったのか」
「あたしは帰らなかったんで大丈夫だったんだけど、それより地震だけなら揺れが収まればなんとかなる、そう思ってた。でも必死になってニュースを見てたら、見たことの無い津波を見て海は恐いって、あたしなんかずっと山の方だったから、海なんてずっと憧れだったから、それが一瞬で海は怖いって。そしたら原発でしょ、世の中バタバタしてて、停電するし、求人は広告が出てても電話すると、こんな状態だから中止してますって、そんなのばっかりで、お金も無くなるし、やっと一人で暮らせると思ったのにこんなになって、あたしは何でこんなに運が悪いんだろって。取りあえず東京へは移動できたけど、東京では引っ越ししたばかりで家には食べる物は無いし、近所のスーパーは閉まってるし、開いてるところは欲しい物を売って無くて、必要な物が買えないって、酷かったですね」
最後は涙声だった。
「大丈夫か」
俺も声を掛けるだけで何も出来なかった。
「大丈夫です」
「じゃあ、ずっと東京で一人暮らししてて、家には帰らなかったのか?」
「帰らなかったというか、早くバイトを見つけてお金を稼ごうと、都内に居た」
「根性で残ったって事か」
「まあ、いろいろ有って。大変だった、あの後もずっと、酷かったな」
女の口調が一瞬で低く、小さく、消えるような声から涙声になって、下を向いた。俺は何か傷つけるような事を言ったかと、気が引けるくらいに女が暗くなったので震災時の東京の話はしない方が良いようだと思った。
また、しゃがみ込んだ。
「大丈夫か」と、取りあえず言ってみた。
「大丈夫」
何も言わない方が良いかなとは思ったが、
「一人で頑張りすぎたんだろ」と、言ったら、
「一人なんだから仕様が無いでしょ」と、返ってきた。
俺は思った、この女、家族との縁がかなり薄いんだな。
震災時には二十歳前だろうし、家族がそんなだったら、良く生き延びたなと褒めてあげたい気がしたが、俺もそういうことが苦手だ。俺も少し似てるところが有るからかも知れない。
「気分悪いこと言ったなら悪い謝る」
「良いの、あたしが普通じゃないだけだから」
そのまま女は黙ってしまった。
2分ほど経っただろうか、聞いてみた「大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ、気にしないで」
そう言った後で、
「どうして駄目な物は駄目なままで残っちゃうんだろうね」
「そうだな、駄目なままで残った」
「あたしは原発は嫌い、地震も嫌い、政府も嫌い」
「政府もか?」
「そう、みんなが困ってる時に助けてくれない政府なんてあたしは要らない」
「原発と地震は嫌いだけど、在っても良いのか」
俺は、家族はどうなんだって、聞いてみたかったが、あまりに個人的な事なので止めた。
「地震は自然だから仕方が無いけど、原発は要らない」
「でも、そこの向うには吹っ飛んだ原発が在るのは事実だから」
「原発は要らないし、困ってる時に助けてくれない政府も要らない。おじさんはどうなの」
「俺も地震は自然現象だからどうにも出来ないけど、だけど、原発と政府は人間が作ったんだ。だから、みんなが反対すれば原発は止められるはずなのに止まらない、政府も選挙で出来たはずなのに国民を無視する、何でだ」
「なんで?」
「さあ、どこかが狂ってるんだろ」
「何処なの?」
「俺は、今まで生きてきて感じるのは、日本人は決めた事は変えられない、変えられないから失敗する、失敗しても分析が出来ない、分析が出来ないから反省が出来ない、結果、分析も反省も無いから、効果的な対策が出来ない、そして誰にも責任が無かったような言い訳をする。この繰り返しが多いよな」
「今回もそんな感じだよね。最後は無責任になる」
「今回だって、最初に地面を掘って壁を作れば汚染水も減らせたのに、『水ガラス』とか『凍土遮水壁』とかいろいろとお手頃な対策をして、汚染水が減らないからってタンクを沢山作って、タンクが一杯なったから捨てることにして配管を作った、それが現在だ」
「そう、いろいろやってたよね。でも、あたしでも笑っちゃったのは、『温泉の元』みたいなの使ってたでしょ」
「有ったな。良く覚えてるな」
「あたし、笑っちゃたもん。大丈夫この人たちって」と、言い終わると、女は立ち上がった。
俺は初めて女の笑顔を見た。
「俺は、原発を何とかしたいけどな」
「出来るの?」
俺は言いたいことは有ったが、今、言える状態では無いし、何も言えなかった。
「どうだろな、出来ないだろうな」
「ねね、さっき言ってた配管って何処に在るの」
「ああ、あの配管か。あれは原発の敷地の中からずっと地下を掘って作ってるから、地上からは見えないだろう、多分、俺は原発の近くは行けないんで見たことはない」
「あそこから見えない?」
「あの堤防の先か、あそこまで行っても、地下だから工事現場だって見えない」
「やっぱり、見えないですよね」
「流すのは、場所的には、あそこに在るあの岬が見えるよな」
「それ、ちょっと待って」そういうと女は俺のすぐそばまで来た。
「そこね」
俺は、そこの岬を指さして、
「そうそう、ここから見て、その岬の先っぽをまっすぐ通って1キロくらい直線で行ったあたりが放流地点らしい、だからあのあたりで、海底のトンネルから吹き出す配管を作ってるんだろ、もう、船が出ていると思ったんだけど、まだ、居ないな」
「船って」
「そう、船だ。工事用の。最後の海底工事、出口の部分だな、それの工事ををするのに、工事用の船が出るはずなんだけど、こう上から誰か降りていって工事する船なんだけど。どうしても、工事用の材料は海上から持って行かなきゃなんないんで、船が必要なんだ。俺は、船がもう出てるのかと思って来たんだけど、来月かな」
「なんだ、おじさんが海を見てたのは、その船が居るかどうか確認してたの」
「そうだ、今日はそれが居るかと思って来た」
「船って大事なの?」
「船が居るかどうかで工事がどの段階かだいたい解るだろ」
「知ってどうするの。止められるの」
「俺には、力が無い」
「でも、今度流すんですよね?」
「汚染水か」
「そう」
「今年の夏頃って言ってるけど」
「流さないって事はないの」
「いや、流すよ。だけど漁協の了解がまだなんで、時期はどうなるかだけど」
「漁協って?」
「そっちの堤防在るだろ」
俺は川を挟んだ反対側の堤防を指さした。
「それね」
「そう、その堤防がずっと繋がってるだろ、だいたい2キロ有るんだけど。その先に在るのが一番近い漁港だ」
「何処」
と言いながら、女は俺のそばに来た、簡単に手が届く距離だ。
「あそこ」
と言って俺は漁港の方を左手を上げて指した。
「あれなの、小さい。小さくないですか。漁師さんってあそこにどのくらい居るの」
「どうだろな、津波で被害を受けて、その後、原発で自粛してたんだろ。どう見ても多くは無いよな」
「じゃあ、その人たちが頑張らないと流しちゃうって事」
「いや、そんな事無い。東電が言っているのは『理解無しには流さない』だから」
「どういう事、訳が解らない」
「賛成だろうが、反対だろうが 説明して国とか東電の立場を理解したらオッケーって事さ。全員が反対でも国はやる事をやったから決行する、三里塚以来続く言葉遊びさ」
「何、三里塚って」
「三里塚ってのは成田空港の事さ」
「あの成田空港」
「そう、あれは1978年だな、俺はあの頃千葉県に居たんで全国から機動隊が集まって来てたのを間近で見てた。とにかく機動隊の人数が半端じゃなかった。最初が3月だった、あの時は反対派が結構組織的に動いて管制塔を壊して、開港延期に持ち込んだ。次が5月でこの時も同じく全国から機動隊が前回以上に集まって警備したんで、何とか開港出来た。俺は心情的には反対派を支持してたから、良く頑張ったって反対派を応援したかったな。あの時も国の方は、何回も説明したけど納得してもらえない、だけど国は充分に説明した、だから決行した。そういう事さ」
「よく解らない」
「説明するって事は、理解を得るんじゃ無くて、単なる説明をしましたっていう事実、アリバイ工作なんだよ」
「よく解らないけど、説明したから、納得しなくても良いってこと?」
「そうだ」
「なんで、反対派を支持してたの?」
「あんまり記憶してないけど、今言ったみたいな言葉遊びが気分が悪かったんだと思う。あの頃からじゃないかと思うのが、いかがわしい『住民説明会』が多くて、それまでの経緯が酷かった。ずっと強制執行ばかりで、話し合うと言う雰囲気が皆無だったしな。とにかくニュースに出るのはヘルメットを被って角材を持った農民と反対派に機動隊、国家権力、との戦いだ、変だって思うだろ」
「『住民説明会』ってなんだか解らない」
「そうか、じゃあ、例えだけど、『住民に説明して理解を得なければならない』って決まってたとする。それで『住民説明会』を開催して、参加したのは『賛成派の住民』だけが参加して理解しました。結果、住民の理解を得られたので実行します。問題有るか?」
「おかしい、おかしい、何それ」
「何処がおかしい、おかしくないだろ」
「だって、『反対派の住民』で良いの、この人たちは1回も出てないんでしょ」
「出てないよ、聞く気が無いから」
「だって、本当に説明して理解して貰わなければならないのは『反対派の住民』でしょ」
「その通り」
「でも、その人たちに説明していない」
「その通り、だって参加しないんだから」
「おかしいでしょ。サギじゃないの」
「サギじゃなくて、これが国の仕事なんだ」
「いや、サギでしょ、それって」
「そう思うだろ、だからそれを正当化するのにアリバイが必要なんだ。国はこれだけ説明しました。しかし、納得をして貰えなかったから強制的に実行した、か、それとも、納得したが反対した一部の人間が抵抗して、相手が殴ってきたのでこちらも殴って暴力的になってしまった、てことじゃないか」
「じゃあ、今回もいざとなると、そんな手を使うって事」
「あり得るけど、でも今の日本で反対派なんて居ないし、ここだってそうだろ」
「居ないよね、看板一つ無いよね」
「だろ、国から見ればチョロいもんさ」
「今度も、やってただろ。何だったっけ、え~と『理解』『了解』『了承』だったかな、それぞれの意味の違いとかやってなかったか?」
「何それ、全く意味が解らない」
「だから、言葉遊びで論点をずらして、最後はしらばっくれる」
「じゃあ、国はいつもやりたい放題って事」
「振り返ってみれば、その通りだな。多分、今回もそうなる」
「ねえ、止めてよ」
「何を。汚染水か?」
「そう」
「俺は無力だ。出来ない」
「何とかならないの」
「俺には出来ない」
「だって、誰も反対してないんだよ」
「そんな事無い、みんな反対してる。だけど、何処からも声が無い。それだけさ」
「どうして声を出さないの」
「出さないな。誰も」
「だって、このままじゃ駄目でしょ」
「このままなら、予定通り流すだろ、あんたはどうしたい?」
しばらく考えていたが、
「なんとなくだけど、あたしなんかは、タンクに溜めとくとか、袋に入れておいておくとかは、ひどいやり方だなと思うけどけどなんとか納得できる、そこに在るだけで広がらないからギリギリ納得する。
だけど、薄めて全部海に流してしまうって、どうなのかなって、拡がっちゃうでしょ、それは納得できない、あまりにひどいから、しかも説明に出てくる関係者だか、何処かの学者だかの人が偉そうに言うのが、科学的には全く問題ない、不安に感じるのはあなた達の知識が無いからだみたいな言い方をして、絶対大丈夫ですって言っても、絶対信じない。だいたい、だったら絶対大丈夫な原発がなんで爆発するのよ、ふざけてるでしょ」
「そうですね、言われるとおりです」
「汚染水だって流しちゃったら、少しずつ少しずつ拡がって、それが毎日毎日溜まっていって、時間が経ってから手遅れになって、御免なさいって言うんでしょう」
「まあ、そうなるかもしれないけど、少し違う、あいつらは絶対に謝らない。いろんな屁理屈を並べて間違ってないと言い張る、それが商売だから」
「そう、それでここへ来たら、反対の人が居るとかなんかやってるんじゃないかなって」
「反対してる人が居れば安心できるって」
「だって、一旦海に流したら、ずっと広がってもう戻せないでしょう。タンクを増やして置いとけば良いじゃない、出来ないの?」
「出来ないんだか、やりたくないんだか解らんな。多分、東電の敷地にはもう作れないってことだろ」
「周りには作れないの?」
「あの周りは、『中間貯蔵施設』と、民間の土地だ。借りる気は無いんだろ」
「『中間貯蔵施設』って」
「『中間貯蔵施設』ってのは、除染作業で出た土と固形物から土だけを分離して30年間保管する施設だ」
「30年間保管する?」
「信じないか?」
「信じられない」
「30年経ったらどうするの?」
「土は福島県外で処分するって言ってる」
「なんだか、ひとつひとつ胡散臭くない?」
「そう思うか?」
「思う」
「国がやってるんだぞ」
「だから、信用出来ない」
「とにかく、周りの土地は使えないから、もうタンクは作れませんってこと」
「どうしようも無いって」
「なんか、本当に酷いよね。原子力の人って本当はすごく危険なことしてるのに、いつでも大したことありません大丈夫ですよ、全然大丈夫、全然大丈夫って言って本当の事を絶対言わないから、もしかしたら本当の事を言ってるのかもしれないけど、全然信用出来ないし、大丈夫ですって言われると絶対に危ないとしか思えない。
そんな態度の悪い爺さん達が、安全だから海に流しますって、おかしいでしょ、海に流しちゃったら戻せないですよ、海はずっと繋がってるから、どうなるんだろうって不安だから、それでこの辺にに来れば、反対の人が沢山居て、反対の看板が在って、そんなの見れば、反対は自分だけじゃ無いって、頑張んなくちゃって感じるんだけど」
「反対する人が居るのを見て、共感したいってことか?」
「ううん、そうかな?」
「気持ちは解るよ。俺が昔に千葉県で見たのと同じだから。自分は反対運動は出来ないけど、誰かが体を張って反対していると、みんな頑張ってくれって、応援できるから。そういうことだろ?」
「そうなのかな。そうかも知れないな。でも、おじさん達の時代ってすごいよね、今思うとみんな真剣に、日本の事とか政治とか考えていた気がして、みんなこうやって日本を作ってきたんだって感心する」
「そうとも限らないけど、結果は見ての通りだ、誰も居ないし、看板も無いだろ。力が抜けるだろ」
「ううん、なんかなあ、これが現実なの」
「こういうもんさ、なんとかしないとな」
「石でも投げてやろうかな」
「止めろ、捕まるぞ! 危ないやつだな」
「冗談ですよ、やりませんよ」
「あたりまえだ、この辺は、あっちにもこっちにもカメラが有るから気を付けないと。今はこんな時代だから、すぐに車のナンバーなんかから身元がばれて、後で大変なことになるんだから、絶対にやるなよ!それにしても、あんた本当に反対なのか」
「そりゃあそうですよ、汚染水なんて流してほしくないんで、でも、何か気持ちが収まらない」
「解るよ言いたいことは、だけど今の日本は一人ずつ聞けばみんな反対って言うけど、みんなに聞くと誰も声を上げない」
「まぁ、そうですけど、でも、納得出来ないんです」
「さっき言っただろ『象に盾突く虎はいない』って、そういうことさ」
「象はずっとそのままなの?」
「悪い、答えたくない」
「どうして?」
「どうしても」
「おじさんって本当は、危ない人なの?」
「胡散臭いか?」
「なんか、別の匂いがする」
「加齢臭だろ」
「話をそらさないで、なんか興味が湧いてきたんだけど」






