2023年5月 1日目(1)
仕事を辞めて山に引っ越ししてから、俺の1日の始まりは確実に遅くなった。
親と住んでいた町の中の家を引き払い、終の棲家にする積もりで引っ越ししてきて住み始めた家は、町の中から10キロ程度山に入ったところに在る。それほど高くない山の北側の緩い斜面を切り開いた狭い土地に立っている、元は大工の住まい兼作業所だった様だ。そのため、家の周りに材料の材木やその他の資材の置き場が在って大工が使うには狭いのかも知れないが俺が一人で使うには十分すぎる広さだ。車を駐めるだけなら6~7台は置けそうだ。
この家と土地が百万以下で買えた。その価格が高いのか安いのかは、全く解らない。需要の無い家の相場など解るわけが無い。売主からの条件はすべて引き取れと言うことだった。残材として遺された木材等の処分だけでも相当な費用が掛かるため、とにかく「現状渡し」でと言うことだった。買ったときには埃と付着した花粉で家の外壁は深い緑の波状のシミが薄汚く見えていた。地面も夏には1メートル以上の高さの雑草に覆われていて、その中に隠れて不法投棄のゴミまで有った。売主からは本当に住むのかと念押しされた。
家の北側200メートルくらいへ下がったところには海側の国道から県の中通りに繋がる100キロ近い国道が在る。この20年くらいで大幅に整備された道は広く信号も無いため通り過ぎる車かなりの速度を出している。見下ろしていると通り過ぎる車は車体が低い木々の間に見え隠れする。東側には低い木々が立っていて視界と朝の日差しを遮っている、そのせいで気持ち的に朝を周りの家よりゆっくりにさせている。ただ、それは我が家だけの様で北側に拡がる周りの農家は早い時間から畑の作業に声と手が休まること無く続いている。南側の斜面は我が家が集落の南の外れに在るため山林の始まりになっている。西側には北に在る国道を起点にして、家の前を通り南側にある低い峠を越えてその先の谷まで細い道が通っている。場所的に日の出そのものが町中よりも少し遅い。敷地の北側に立つ家の裏手には隣家の果樹と畑が拡がっている。
失敗だったのは購入時期だった。秋に買って引っ越ししてきて住み始めて、車が置けるように雑草を刈り、材料の手配してしてすぐに外壁を直し始めたのだが、思いのほか時間が掛かって冬に外壁と窓を直す様になってしまった。幸いにして雪は降らなかったが、冬の冷たい風が家の中を吹き抜ける事になった。以前の家は引き払ってしまっていたので、ここ以外に住む所は無かったのにだ。
そんな思いをして直した家、直したかったのは窓を小さくすることと床の補強だった、そんな作業もほぼ終わり家の中は片付いたが、外にはまだ廃材が山になっている。処分するにも金が掛かるのでこれからの課題になっている。
家からは、一番近いコンビニまで9キロ、スーパーまで10キロ、ホームセンターも10キロ、ガソリンスタンドも9キロ離れている。使う物は計画的に調達しないと生活が成り立たない。それが田舎の生活だ。それが特に悪いとも、不便とも思わなかったのでここを選んだ。不安よりは期待の方が多い、とにかくここで暮らすことを決めたのだ。
朝食も、町中で暮らしてた頃の様に歩いてコンビニまで行ってコーヒーとおにぎりと言うわけには行かない、すべて手作りだ。
遅い朝食を簡単に済まして、片付けの続きを始める。片付けと言っても最後の仕上げが残っているだけだ。画竜点睛を欠く、窓を潰して作った壁が空いている。窓を潰したのは、特に覗かれることを気にしたわけでは無く、実は絵を飾りたかった。そのために絵は2種類用意していた、「ゲバラ」のイラストと「ブリューゲル」の印刷、どちらにするか迷っていたが、今回は「ゲバラ」を飾った。
何を飾ろうと誰にも文句は言われないだろう、そう思いながらしばらく眺めていた。知っている人が見たら、自分の人格を疑われるかも知れないが、多分誰も訪ねてこない。
ほとんど雪の無かった冬に助けられて外の仕事は進んだが、家の中の修理と掃除は昨日までにほぼ6ヶ月を要している。さすがに6ヶ月費やすとずいぶん見た目が変わる。外壁を塗り替え、家の内外の大きなゴミを処分して、まとめて清掃センターと処理業者に何度も持ち込んだので、今まで隠れていた床と壁が見える様になった、それだけなのだがなんとなく家の中が少し広くなった気がする。家電もずいぶん処分したが、それでも、掃除機が3台、洗濯機が2台、冷蔵庫が2台、それ以外の家電は1台ずつだ。テレビはビデオ用に大きいのを1台残してそれ以外のテレビは処分した。すべて自分で軽トラで業者に持ち込んだ。NHKが来ると面倒なのでアンテナは撤去した。
最近の嘘ばかりのニュースなんか見る気も起こらないので何の迷いもなくテレビは捨てた。だいたいテレビの番組がくだらなくて国内のニュースと国内のドラマは全く見なくなった。ニュースはネット、ドラマはもっぱらネットで韓国と中国、あとはyou-tubeだけ見れれば見たい物も無いし、NHKには別れを告げた。これで年間二万円以上の節約だ。そんな家の中の掃除も、今日で一旦終わりにすると決めていたので結構捗って、昼過ぎに終ることが出来た。
修理した家の中は、どうせ死ぬのは病院、家に畳の部屋なんぞ必要ないと全部剥がして、板張りにした。床の補強と断熱、板張りは自分でやって、スペースを3つに分けて、食事、仕事、寝室のスペースになんとか区切った。気になっていたのは仕事スペースの床だった。PC等の機材といろんな本が3000冊を越えているのでしっかりと補強しておかないと床が抜けてしまいそうなので、余分に束を立ててしっかりした物にした。電話はどうするか考えたが携帯だけにするには危険を感じたので光回線を入れた。幸いにして近くまで回線が来ていたので、すぐに工事は完了した。直した寝室は低いマットとソファだけで何も置かない。マットは一人だからシングルで良さそうなところだが、抱き枕を使い、クィーンサイズのベッドで寝ていた時の快適さと、特に小さくする必要もなかったので、大きいサイズの物を入れた。地震時を考えるとベッドの周りに何も置きたくない。家具と本棚をを配置して本を入れて、いろいろと並べ終わった家の中は、やっとすっきりした感じになった。だが、まだ段ボール箱が20個くらい残っている、まだまだ作業があるが今日はもう手を着けたくない。
確認のため全部の部屋を回ってみた、はじめに寝室の床の上に大の字に転がってみる。手足が伸ばせて何も当たる物が無い。この状態なら誰かが突然来ても必要な空間は有るなと思ったが、特に誰かが来る予定とかは無い、箱のままの衣類の行き先が無い、クローゼットの様な物が必要かなと思うが壁を塞ぎたくない。
仕事場は、やはり本棚の転倒防止をしないと。それ以外にも残作業をピックアップして記録した。
食事のスペースは、取りあえずあり合わせの什器と食器を使う積もりで、全く手を着けなかった。器に統一感が無くても一人暮らしには支障が無い、使えれば問題ない。金が有れば、薪ストーブを付けたいが懐事情がそれを許さない。
予定ではこのまま年金と貯金を取り崩す生活を続けると7年後くらいには破綻する。今後年金が増えるなんてことは有り得ないので、それまでに何か収入の道が必要だ。昨年から模索しているが、空回り状態で無収入が続いている。
家の修理を始めてからの3ヶ月ずっと自炊していたが、片付けの終わった機会においしい『青椒肉絲』が食べたい。1件の確認して来ることと、食べるものだけを決めて家を出た。
山から町まで降りる道は、ほとんど信号が無い緩いカーブと直線の道なので、みんな結構飛ばしている。そんな道を数キロ走って、バイパスに乗ると、一気に車の台数が増える。1時間ほど道なりに北に向かって走り、バリケードが撤去された交差点を右折する。伝承館と交流センターの前を通って堤防脇の未舗装の道に車を止めた。
車を降りて、堤防に向かって歩き出す。波打ち際まで50メートルも無いはずなのに、巨大な堤防は視界を遮り、海の姿を全く見せようとはしない。潮の香りも波の音も届かない。
そんな巨大なコンクリートの堤防に作られた階段を登って行く。30段くらい有る階段を10段くらい登ると隙間からタンポポが1本生えて、風に揺れている。タンポポだけが周りの色と違いすぎる。
そんな事を考えながら階段を登って行くとだんだんと遠くの海が見え、波の音がはっきりと聞こえるようになる。登り切って堤防の上に出た。
車が通れそうなくらい広い堤防の上に立ち、取りあえずぐるりと見渡した。
北は2キロくらい先まで右に湾曲する浜の形に合わせて、ずっと堤防が続いている。
東には青い海に何隻かの貨物船、さらに南側を見ると500メートルくらい先の岬まで続く堤防だ。
その岬の周りは沈めらっれた波消しブロックがぐるりと岬を囲んでいる。堤防が出来てから何度かここに立ったが、まったく変化が無いように見える。時計を見るともうすぐ3時だ。震災から約12年と2ヶ月が過ぎている。
今日まで、いろいろとやりたい事は有って、いろんな事に手を出したが結局何も出来なかった。来年3月までには、何か出さ無ければと海を見ながら考えていた。
気がつくと、車が向かってくる。振り返るとゆっくりと黒いワゴンRが交流センターの方からこちらに向かって走って来て、砂利道に入るところだった。結構古い車だが、それだけに気になった。
警備員ならあんな車は使わないし、遠くから見に来る物好きの車にはしょぼすぎるし、近くには住民はいない。どこかの物好きだろうと思ったが、気にはなるので堤防の上から見下ろしていた。警備員で無ければ誰でも良い。黒い車はゆっくりと堤防の脇の砂利道を走り、俺の車の後ろにその車は停まった。この地区はもうパスは要らないはずだから巡回している警備会社とかでは無いはず。
面倒なヤツだったら接触を避けようと思ったが、以外にも車から降りてきたのは若い女が一人だった。
今風の作業服、黒っぽいカーゴパンツに白いパーカーをはおり、蛍光色の靴を履いた女は、車を降りて堤防につけられた階段を見つけると、路肩に生えた草の上を乗り越えて、階段を登り始めた。どんな奴かなと気にはなったが、正直観光気分で来るやつとは話をするのも面倒なのでゆっくりと距離をとるように階段とは反対側、川の方にに少し移動して距離をとった。
階段を登ってきた女は堤防の上に来るとしばらく海を見ていたが、やがてスマホを見ながら岬の方に向かって歩き出した。
接触を避けたのかなと思って安心したので俺は元の場所にゆっくりと戻った。岬の方に向かっていた女は岬の少し手前、階段から200メートルくらいの路面に、『帰還困難区域 立ち入り禁止』の標識が有る所で立ち止まりしばらくスマホを見ているようだった。しばらくスマホを見ていたが、今度はこっちに戻ってきて俺の3メートルくらいまで来て立ち止まった。