待っていた人
何度も角を曲がり、階段を上り、ひときわ豪華な扉の前で、ようやくラディアンは足を止めた。彼が扉の前に立つと、何もしていないのに扉が内側に開き、
「お入りなさい」
少女じみた、でも冷ややかな声が聞こえてきた。
「レジェ、あまり大袈裟に驚くなよ。どうしていいかわからなかったら何もするな。いいな」
扉をくぐる前に、私の耳元に口を寄せて、ラディアンがこっそりとささやく。訳が分からないけど、とりあえずうなずいた。
思ったほど広くない部屋の奥に、一人の女性が座っている。左側にサリデスさんが立っていた。
二十代後半くらいの年齢の女性だが、近寄りがたい権高さを漂わせている。おそらく身分の高い女性なのだろう。
私たちが部屋に入ると、音もなく扉が閉まった。振り返ってみるが誰もいない。
魔法を使っているのだろうか?
便利だけど嫌だな。怪奇現象みたい。
「私が選んだドレスは、気に入ってくれましたか?」
立ちつくす私に声をかけたその女性は、甘えるような可愛い声なのに、ラディアンとは違う冷たさを秘めている。
黒い髪に、大きな濃紺の瞳。扇を持つ手は白くしなやかで、妬ましいほど。
「あまり気に入りません。もっと動き易いものにしてください」
少し不機嫌に言うと、サリデスさんにたしなめられた。
「これ、そのような口のききかたをしてはならん。ここが謁見の間だったら……」
「だったら、どうするんだ? あんたたちのご機嫌取りに来たわけじゃないぜ。言いたいことがあるなら、もったいぶらずにさっさと言ったらどうだ。ミティス」
私に輪をかけて不機嫌そうなラディアンが話を遮って女性を睨んだ。
「旅の間に礼儀を忘れてしまったようですね。久しぶりに会ったのですから、もう少し穏やかに話が出来ないのですか? ラディアン」
「忘れてなんかいないさ。記憶力には自信がある。相手によるってことだ。ふーん、父王がまだ生きてるのに、もう女王気取りか? 娘に邪魔にされてるようじゃ、早死にしてもしかたないな」
女王!
思わず跪こうとした私の耳を、ラディアンがおもいっきり引っ張った。
「痛いじゃない」
あまり痛みはなかったが一応言っておく。
「レジェがふらついてるから支えてやったんだ。文句を言うな」
驚くほど楽しげなラディアンの笑顔に、王女の目が一瞬きらりと光った。
「わたくしは、この国の王女アミィティス。レイジェラーンでしたね。あなたも臣下の礼を取ってはくれないのですか?」
瞳に灯った苛烈な光を巧みに隠して、穏やかな口調で王女が言った。憎悪に敏感な私でなければ、隠しきれたであろう瞳の輝き。
「あの……。そんな事無いんですが……よく知らないんです」
私たち庶民が身分のある人と接するときは、土下座をするしかない。でも、ラディアンはそんな事をさせたくないのだ。跪こうとした私をさりげなく止めたのも、そのためだろう。
「知らないのならいいですよ。公式の謁見ではないのですから、見咎める人もおりませんし」
「で、俺たちに何の用なんだ? どうせ、俺たちを捕まえたのも、あの牢屋にほうり込んだのもミティスの差し金だろう。素直に使いでも寄越せば、大人しくここまで来たのに、わざわざ牢に放り込むとは……。俺はこういう陰険なやり方は大嫌いだ」
薄笑いを浮かべるラディアンは、視線を微妙に漂わせて王女を見てはいない。それに、「やり方が嫌いだ」と言っている。だけど、彼の台詞はどう聞いても「俺は陰険な王女が大嫌いだ」と聞こえる。
まさかと思うけど、無礼討ちにされたらどうしよう。そう思ってどきどきしていたが、王女は意外に冷静だった。
「わたくしもあなたのことが大嫌いです。嫌いですが、今はあなたしか頼れる人がいないのです」
「利用できる、の間違いだろう? ぐずぐずしないでさっさと話せ」
せせら笑うラディアンを無視して、王女は話を続けた。
「聞くだけ聞いて、引き受けない、と言われては困るのです。必ず引き受けてくれますね?」
「まさか『父王を殺せ』なんて言うんじゃないだろうな?」
「違います。魔道士のラディアンに頼みたいのです」
「だったらいいぜ。さっさと話せ。こうしているだけでも、腹立たしいだろう? お互い、嫌なことは手早くすませようぜ」
ラディアンは尊大な態度を崩さない。
「詳しい話しは、わしから」
今まで黙って成り行きを見守っていたサリデスさんが割り込んできた。
「レイジェラーン。あなたは私と一緒にいらっしゃい」
扉の前で振り返った王女が、私を手招きした。冷ややかな雰囲気に足がすくむ。思わず、側にいたラディアンの服を掴んだ。
「駄目だ!」
同時に彼の鋭い声が部屋の空気を震わせた。
「俺が断れないように人質にするつもりだろうが、そんな事はさせない。レジェはここにいればいい」
ラディアンは、私をかばうように引き寄せ肩に手を回した。いきなりこんな事をされて少し驚いたが、あえて逆らわずされるがままになっていた。
「そのような事しません。それに、話しを聞いた所で、あなたは役には立たないでしょう。さあ、来なさい。レイジェラーン」
どうしたらいいのか分からなくて、ラディアンを見上げた。
「レジェとは打算で一緒にいる訳じゃないから、何も出来なくて構わないんだ。ミティスに何を言われても、レジェを手放すつもりはない」
きっぱりと言い切ったラディアンは、私の頬を軽く撫でると、目を細めてにっこりと笑った。
あまりに優しげな笑顔を向けられ、心がちくりと痛んだ。
彼の態度にサリデスさんがあからさまに驚いている。王女など蒼白になった。
何故だろう?
「ならば勝手にしなさい。あなたも、足手まといにならないように頑張るのね」
殺意すら浮かんだ視線を私に投げつけて、王女は部屋を出ていった。
サリデスさんが頭を下げて見送る。
なんだか敵意を感じるのは気のせい?
ラディアンが王女に横柄な態度を取るのも驚きだが、なぜ王女がここにいたんだろう?