王宮の煌びやかさと醜い私
衛兵を下がらせ、サリデスさんが自ら私たちを案内した。
奥へと続く回廊には人の気配がない。まるで誰もいないみたいだが、これだけ大きな建物が無人だなんてありえないだろう。
大理石を敷き詰めた回廊からは街並みが一望できる。遠くへ目をやれば、濃紺の湖が陽の光を反射して煌めいていた。湖の手前には森が……。
眼下に街並み!
慌てて手すりにしがみつき、もう一度下を見た。確かに街並みが広がっている。
じゃあ、ここは……。
「ここは王宮!」
「なんじゃ、気づいていなかったのか」
「こいつは観察力や想像力が、ほとんどないからな」
驚く私にラディアンが容赦のない言葉をぶつける。
「しかたないでしょう。気絶してて、気がついたら牢の中だったんだから。それにラディアンだって、何も教えてくれなかったじゃない」
私は立ち止まって口を尖らせた。
「状況の説明をしてやろうとした親切な俺を、壁に突き飛ばしたのはおまえだろうが。あんな状態で説明なんてできるか。死ぬかと思ったぜ」
「それは……悪かったわよ」
痛い所を突かれて、言葉に詰まる。
確かに私も悪かったけど。
でも……。
口では勝てないので、上目遣いに彼を睨みつけた。私を睨み返すラディアンの目は、心まで切り裂かれそうな鋭さだったが、負けるもんかと目に力を込める。
睨み合いを続ける私たちの間に、サリデスさんが割って入った。
「この男は怪我ぐらいじゃ死なんよ。少し頭を打った方がおとなしくなって、扱いやすいわい」
聞きようによっては酷い事を、さらりと言ったサリデスさんは、ラディアンの頭を見ている。巻き付けた包帯代わりのサッシュは、真っ赤に染まり元の色が分からないほど。
大丈夫なんだろうか?
元気そうに見えるけど、少し顔色が悪いかな?
急に心配になったが、今はそれを口に出す気になれない。
「おぬしの事だからそんな怪我でどうにかなることはないだろうが、ここで死なれると死体の始末に困る。後で治癒師を呼んでやる」
この人とラディアンは、口の聞き方がよく似ている。友人にしては、少し年が離れすぎてる気がするけど。ただの顔見知りとは思えない。
「死にたくなかったら、さっさと歩かんかい。この先の客室に、着替えと湯を用意しておいた。来賓用の部屋じゃが、まあ、しかたあるまい。まずは、その汚らしい格好を何とかしてもらわんとな」
返事をしないラディアンに代わって、頭を下げた。
「わざわざありがとうございます。でも、部屋なんて用意してくれなくても。宿へ戻れば着替えもありますし。部屋を汚しても困りますから」
「いや、いいんじゃ。それにここが一番近いしな」
言外に宿へ戻りたいと言ったつもりだったが、あっさりかわされた。
うーん。
用事があるのは、ラディアンだろうから、私は宿に戻ろうと思っていたけどな。
まあ、いいか。
ついていった方が面白そう。
「ほれ。あそこの二部屋を使ってくれ。後で食事を用意させるから、少し休むといい。話はそれからじゃな。そうそう、部屋付きの女官に手を出したりするなよ、ラディアン」
「するか!」
ラディアンの罵声を背に、サリデスさんは笑いながら回廊を戻っていった。
「喰えねえジジイだ」
吐き捨てるように言ったラディアンが、いきなり私の腕を掴んだ。
彼は少しかがんで、真っ正面から私の目を覗きこんでいる。
「いいか。一人の時にジジイが来ても、話をするなよ。絶対に頼みごとは引き受けるな。あのジジイの事だ、おまえに承知させておいて、俺にやらせようと考えてるに決まってる」
こんなに真剣なラディアンは始めて。何故サリデスさんを警戒しているんだろう。結構親しい知人のようだけど。
「分かったわ。……でもそれって、あいつが勝手に引き受けた俺には関係ないって言えばすむんじゃないの?」
「俺がそう言ったら、おまえが困るんだぜ。一人で対処できるのか? ジジイの頼みだ、どうせ危険で厄介なことに決まっている。出来ればおまえを巻き込みたくない。誰も部屋に入れずにおとなしくしていろ。いいな」
ラディアンは言うだけ言って、さっさと部屋に入ろうとする。
「わかった。絶対に勝手なことしないから、心配しないで」
絶対、と強調した。
「おまえの心配をしているわけじゃないぜ。おまえが巻き込まれたら、なし崩しに俺までかり出されることになる。それが嫌なだけだ。それより、早く着替えて寝ちまえ。ぶっ倒れたおまえの世話をするなんて、二度とごめんだからな」
振り向きもせずに言って彼は扉を閉めた。
「ありがとう」
と、声を張り上げたが、部屋の中まで聞こえたかどうか。
一人になったら、いっきに疲れがのしかかってくる。早く休みたくて、重い扉をそっと押した。
ひゃあ……。
派手……。
部屋の中は、生まれて始めて見るものばかりだった。沈み込んでしまいそうなほど、毛足の長い絨毯。天蓋付きの寝台。精緻な彫刻の施された椅子。幾つもの絵が壁に掛かり、ガラスの鏡が飾られている。
あのまま村にいたら、一生目にする事はなかっただろう調度品の数々。
思わずため息がもれた。
「こちらにお湯が用意してあります。着替えて、おくつろぎください」
部屋の中にたたずんでいた女官が、ぼんやりとしている私をうながした。続き部屋は浴室になっていて、陶器で出来た浴槽はお湯で満たされている。
服を脱ぎ、湯で体を洗いはじめると、汚れた服を持って、その女官は部屋を出ていった。
気をきかせてくれたのかもしれない。
村では、井戸端や小川でよく水浴びをした。周りに誰かいても、それが男でも女でもあまり気にしない。他人に裸を見られるのは恥ずかしい事だと知識では知っていても、実感できない。
結わえていた髪が解けて、湯船に落ちた。石鹸の泡より白い髪が、湯の中でゆらゆらと揺れている。
ふと見ると、壁に掛けられた鏡に自分が映っている。
「醜い……」
思わず呟いた。
幼く見える顔立ちと、背の低さ。真っ白な髪。広すぎる額に低い鼻。ふてくされているように見られる、突き出した唇。小さければ目立たないのに、転げ落ちそうに大きな、金と銀の色違いの瞳。
出来るだけ鏡を見ないように、体を洗った。見ていても楽しくない。
体を拭き拭きへ部屋に戻ると、そこには誰もいなかった。寝台の上に着替えが置いてあるが、これを着てしまっていいんだろうか?
真っ白な、絹の寝間着。これ一着で、さっきまで着ていた服が十着は買えると思う。
まあいいか。
思い切って、袖を通した。
小柄な私には大きすぎて、裾が床にあまっている。袖も長すぎる。ぜんぜん似合ってないんだろうなと、思いながら、寝台に横になった。柔らかすぎる布団はあまり寝心地よくなかったが、すぐに睡魔がおそってきた。
これは全部夢で、目が覚めたら自分の部屋だったりして……。