大げさな牢獄
目を開けると、ラディアンの顔が視界いっぱいに広がっていた。
「きゃあぁ!」
叫んで、目の前の彼を思いっきり突き飛ばした。
ドゴッ!
と、西瓜か何かを落としたような鈍い音が響く。
「うっ! いってぇ……。何するんだ!」
「え?」
両手を前に突き出したまま、辺りをきょろきょろと見回す。
「え、じゃない! 馬鹿になったらどうしてくれる!」
ラディアンが、壁にぶつけた後頭部を押さえたまま怒鳴った。本当に痛いらしく、目に涙まで浮かべている。
「……ここは?」
事態が把握しきれずにいると、ラディアンの罵声に襲われた。
「とっとと思い出せ。捕まってるんだよ、俺たちは! くっそー、血が出てるじゃないか! 死んだらおまえのせいだからな!」
ぼんやりとしている私に、彼が血まみれの手を突きつける。
え?
「ご、ごめんなさい。大丈夫……じゃないよね。えっと……何か……」
結んでいたサッシュをほどいて、包帯がわりにラディアンの頭に巻き付けた。背伸びしないととどかないのが、何となくしゃくにさわる。
「とりあえず血を止めないと。それほどひどい出血じゃないからすぐに止まると思うけど、頭の怪我は油断できないから」
ラディアンの後ろに回り、布の上から傷口を手で押さえた。
「大袈裟だな。ここで俺に死なれると、困るからか?」
…………
彼の痛烈な皮肉に返事ができなかった。
半分はその通り。だけど、もう半分は……。
「私の母は、私が十二歳の時に死んだの。健康で病気一つしたことのない人だったのに朝になっても起きてこないから様子を見に行ったら、寝台の中で耳から血を流して死んでた。前の日に転んで頭を打ったの。何でもないって笑ってたけど……次の日あっけなく死んじゃった。あの時みたいな後悔をしたくないだけ」
――あの時――
感傷的になってしまった自分を振り払い、できるだけ明るい声で、言った。
「でも頭の怪我は血が出た方がいいって言うから、きっと大丈夫ね」
「酷いことを言って悪かったな」
照れくさそうに謝る彼が可愛らしく思えて、笑いそうになった。
「ううん、いいの。それより、あれからどうなったの?」
「ここへ連れてこられた。半日くらいたったかもな」
そんな説明では何もわからなかったが、だいたい想像はつく。 あいつらに捕まり、牢にほうり込まれ、半日経過、という所だろう。
傷が痛むのか、顔をしかめたままのラディアンは壁によりかかっているのも辛そうに見える。
「私、気絶しちゃったよね? あの後どうやってここまで来たの? ラディアンが運んでくれたの?」
「いや、俺じゃない。おまえを抱えてここまで来たのはセイラムさ。……どうした!」
抱えられた!
聞いた瞬間、背筋にぞくぞくと震えが走った。こみ上げてきた強烈な吐き気に、体がぐらりと揺れ、膝をついてしまう。何度も何度も唾を飲み込み、かろうじて吐くことだけはこらえた。が、体の震えは止まらない。立ち上がれない。自分の体なのに他人の物のように感じる。何の理由もないのに、全身が小刻みに震え続けている。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
驚いて差し出されたラディアンの手を握りしめた。伝わってくるぬくもりが私を支配していた寒さから解放してくれた。
なんとか顔を上げると心配そうなラディアンが見えた。さっきもこんな顔して私を見ていたっけ。
おもいっきり突き飛ばしちゃって、悪かったかな?
ラディアンに支えられて何とか立ち上がれたのは、ずいぶん時間が経ってからだった。
「こんな所に放り込まれたのに、平然としているから気丈だと思ったが、今になって恐くなってきたのか? それとも貧血か? そういう時は我慢せずに吐いた方が楽になるぞ。無理するな」
あまり心配しているようには聞こえない口調で、ラディアンが私を気遣う。
「こんな狭い所で吐いたら、よけい気持ち悪くなっちゃうでしょう」
今私たちがいるのは、大人が五人も入ればいっぱいになってしまうような狭い牢獄。窓もなく、寝台の一つも置かれていない。
確かに空気も悪いし、気分が悪くなってもおかしくないが……。
ラディアンは何も感じないのだろうか?
あの男の異様さ。
どこがどうと、口ではうまく言えないのだけど。
「ずいぶんあいつを気にしているが、昔振った男か?」
「違うわ!」
にやにや笑うラディアン。おそらく信じてくれないだろうと思い口を閉じた。
黙り込んでしまった私をそれ以上からかう事はせず、彼は壁に背を預け座り込んだ。
よく座れる。
半ば感心しながらラディアンを見下ろした。灯りが遠いので床の様子はよく分からないが、漂っている、すえたドブのような臭いから考えれば、清潔とは言い難いだろう。とてもあらためて座る気になれない。
「おまえも座った方がいい。どうせ服は汚れてるんだ、無理して立っていても、何の意味もないぜ」
確かに座らされていたから、服は汚れてしまっている。
でも……
暫く迷ったが、嫌々ラディアンの隣に座り込んだ。膝を抱えて足が汚れないようにする。ラディアンも体を丸めるようにしている。
いろいろ訊きたい事があったが、話をする気になれないまま膝の上に頬を乗せてぼんやりしていた。
ラディアンは眠ってしまったのか、規則正しい息遣いが聞こえてくる。
度胸があるのか、ずうずうしいだけなのか判断に迷う。
この状況で、妙に余裕のある態度の根拠は何だろう?
不思議な男。
ラディアンは、目的があって旅をしているのかな? それとも、思い付きでこの街へ来たのだろうか?
宿の店主と親しげにしていたからこの街が初めてとは思えないけれど。
何故だか、ラディアンには何でも話せる気がした。無意識のうちに信頼しているんだろうか?
それにしても。
捕まった理由が「魔法を使ったから」なんて……。
少なくても私は使っていないのに。使えないけれど。
ましてたかが街の喧嘩くらいで、こんな大袈裟な牢に入れられるのだろうか?
これでは重罪人だ。
まさかとは思うけど、縛り首にされたりして……
それとも一生このままとか。
とりとめのない事を考えているとどんどん恐い考えになりそうで落ち着かない。
いっそ眠ってしまえばいいのだろうが、半日も気を失っていたせいか眠くもならない。
薄暗い牢の中で、昼間なのか夜なのかそれすら分からない。
分からない事だらけでイライラする。
村を出ていきなりこんな目にあうと思わなかったな。このまま縛り首にでもなったら、私は何のために生まれてきたんだろう。
不思議と「ラディアンのせい」とか「とばっちりだ」なんて考えたりはしなかった。
逃げ出す事も考えなかった。
一人では到底無理だし、頼みの綱は隣で眠っている。
「ねえ、眠っちゃったの?」
「…………」
覗き込んで見るが反応がない。
「ふぅ」
考え続けることに疲れて眠ろうと努力した。無理かもしれないが……