バラの庭園
思っていたよりも早く部屋に着いた。
ついてきている衛兵も何も言わないから、部屋を間違えてるって事はないはず。同じ扉が並んでいるので、あまり自信が無い。ちょっとドキドキしながら扉に手をかけた。
間違ってなかった。
部屋で待っていてくれた女官に手伝ってもらいドレスを脱いだ。とたんに体が軽くなる。
こんなものを一日中着ているのは苦行だなと思ったりする。
用意されていた寝間着は昼間着ていたもののように長すぎず、ちょうどいい大きさだった。でもこれも純白の絹で出来ていて、袖や胸元に高そうなレースが使われている。寝るためだけに着るのはもったいないほど。
というか、むしろ邪魔。
鏡の前でうなる私に一礼して部屋を出て行こうとした女官をあわてて呼び止めた。
「私が着ていた服は?」
「汚れていたので処分しました」
当たり前のように答えられ、ちょっと言葉に詰まった。
確かに汚れてたし、捨てようと思っていたけど、勝手に捨てられるとなんだか腹立たしい。持ち主に無断で勝手に処分するなんて酷いような気がするけどどうなんだろう?
そういえば、身分の高い人は一度袖を通した服は二度と着ないって聞いた事がある。その時は、そんな事あるわけないって思ったけど本当の事かもしれないな。
「明日お召しになる服は、きちんと用意してあります。何着かありますのでその中から気に入ったのを選んでください。今日着ていらしたような動きやすい服も用意できますが、どうしますか?」
考え込んでいる私を誤解したのか、女官は少しあわてたみたい。
「いえ、何でもいいんです。あ、でも、出来ればコルセットは止めて下さい。それと踵の低い靴にしてもらえると助かります」
丁寧な対応をされて、かえって狼狽えてしまった。
「わかりました。そのように用意いたします。ほかに何も無いのでしたら、下がらせていただきます」
女官は深々と頭を下げて、出ていった。
一人になってようやくほっとした。人にかしずかれる身分じゃないもの。ずっと側にいられたら、かえって疲れてしまう。
中庭に面した窓を開けた。部屋の灯りは消してしまったが、月明かりが差し込んで影踏みが出来そうなくらい明るい。
隣の部屋にラディアンがいるはずなのに、物音一つしない。
もう眠ってしまったのだろうか?
ローブを返しに行きたかったのに……。
疲れているはずなのに、眠くなくて手持ちぶさた。仕方なく、長椅子に腰かけてぼんやりとしていた。
昨日の夜村を出たばかりなのに、今朝には牢屋につながれて、今は王宮でドレスに身を包んでいる。
村を出て、もう何年も経ったみたい。
めぐるましくいろんなことが起こって、ここにいると、自分が今まで蔑まれてきた事を忘れられる。
だけど、これからどうしよう。
思い浮かばない。
どこかで仕事を探して働くか、このままラディアンに着いていくか……。でも、そんなことしたら迷惑かな、きっと。
不思議な事に、彼は私をおかしな目で見ない。気にしていないのか、気を使ってくれているのか、髪や目の事を口にしない。
やさしいのかな?
いや、そうでもないか。
不意にカーテンが揺れて、ヒンヤリとした夜風が部屋に吹き込んできた。
ん?
なんだろう?
庭に咲いているバラの香りだろうか?
開けた窓からテラスに出てみた。
満開の白いバラが月明かりに照らされて、闇の中に浮かび上がって見えた。風に散らされた花びらが、雪のように、ひらひらと舞い落ちてくる。噴水の水飛沫が月光を反射して、砕けたガラスのように輝いていた。
夢の中に迷い込んでしまったみたい。
テラスの手すりに両腕を乗せて寄りかかり、庭をぼんやり眺めていると後ろで窓の軋む音がした。
「眠れないのか」
振り向くと、ラディアンが立っていた。
「そう。こんなところ初めてだから、落着かなくて」
後ろにたたずむラディアンは、腕を組んだまま、不機嫌そうにしている。
二人、黙って庭を眺めていた。
流される雲に月がゆっくりと隠され、また現れる。風に揺れる芝生が、月明かりに照らされて銀の波のよう。
「おまえの瞳みたいだな」
ラディアンが唐突に口を開いた。
「何が?」
「今日の月は、おまえの左目のようだ」
空では、欠けた所の無い丸い月が銀色の輝きを放っている。
「誉めすぎじゃないの」
「最初に見た時、月と太陽のようだ、と思った。……色違いの瞳は俺も見たことがある。だがレジェのように、金と銀の瞳は始めて見た」
「始めて見た時か……。変な人だと思ったよ、私は。旅人なんてあまり来ないのに、しかも魔道士なんだもの。普段は厨房から出ないんだけど、料理を出すふりしてわざわざ見に行っちゃった」
思い出して苦笑する。
「で、魔力があるってどういうこと。ずっと気になっていたの」
「銀の瞳に銀の髪、輝く銀翼を持った天神族が、魔法を伝えたとされている。彼らと人間の混血で魔法が広まったと。だから天神族の特徴を色濃く残すものは魔力が高いんだ。事実、栄光の学院の学長は、普段は隠しているが額にもう一つ目がある」
「じゃあ、私も魔道士になれる?」
「それはおまえの努力しだいだ。魔力があっても努力しなければ無駄だし、努力をしても、魔力が無ければ魔道士にはなれない。だから、向いていると言えるが、その先は本人次第だな」
私は何がしたいんだろう?
あきらめていた未来を急に突きつけられても、どうすればいいのか分からない。
「レジェが本気で魔道士になりたいと思っているなら、俺が弟子にしてやろうか?」
庭を眺めている私の視界に、ラディアンの姿はない。表情が見えないぶん、声が優しく響いた。
「…分からない。村を出たくてあんなに思いつめてたけど、その後どうするか全然考えてなかった。村を出るのに、顔見知りの旅商人には頼めないから、行きずりの旅人をずっと待ってた」
「それが俺か」
背中を見せたままうなずいた。
「魔力に興味を示していたし、魔道士の俺に連れていってくれなんて言うから、魔道士志望だと思って魔法の話をしたのに、ただの家出娘だったのか」
隣に来て、手すりに背を預けたラディアンが、私の頭にそっと手を置いた。皮肉な言葉とは裏腹に、彼の手のひらから伝わってくる温もりがとても心地いい。心がふんわりと温かくなってくる。
こんな感覚は初めて。
「どうしてラディアンは旅をしているの? この国の、多分、貴族なんでしょう?旅なんてしなくても、この街で平和に暮らしていけるんでしょう?」
見上げると、表情は変わらないまま、頭に置かれた彼の手が、一瞬緊張したのを感じた。
「レジェの言う通り、ふらふら旅に出たりせずにこの街にいれば、爵位をもらえる。王位継承権は持っているしな。険女ミティスと結婚すれば、王位に就けたかもしれない。もっとも、俺が爵位を継ぐには、弟たちを皆殺しにしないと駄目だろうな。そうしないと俺が殺される」
うーん。
貴族かなと思ったけれど、王位を望めるほどの立場にいたなんて。でもラディアンには、身分のある人に共通の傲慢さが無い。
それに……。
「どうして弟を殺すの?そういう時って、兄を殺すんじゃない?」
「俺は妾腹の長男なんだ。この国では、長男が家督を相続する事に決められているから、正妻の子どもでも、弟たちに出番はない。義母や義弟たちは、俺が邪魔だったんだろうな。屋敷の中で俺の存在を認めてくれるのは、めったに会わない父親と、よく家に来ていたサリデスのジジイだけだった。……食事も出して貰えなくて、生のままのジャガイモや、にんじんをかじった時ほど、情けない事はなかったな」
ラディアンは他人事のように淡々と話し続ける。声に何の表情もないことが、話の真実味を増していた。
「それで、身の置き所が無くて、旅に出て魔道士になったの?」
「いや、ちょっと違う。……なんで、こんな話をしてるんだ、俺は。人に話す事じゃないのに。会ったばかりのおまえに、こんな話をする俺を軽蔑するだろう、レジェ」
ラディアンから、王女と話していた時のふてぶてしさはすっかり消えてしまっている。
「会ったばかりで、よく知らないから話せるんじゃない?親しいと、かえって話せないって事あると思うよ。見栄張ったり、強がったりするから」
ラディアンが心に何を抱えているか知らないが、話してしまいたいのだろう。




