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あきらめていた未来  作者: 竹野華
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いきなり騒動?

走ってきたせいか息が苦しかった。気づくと、額に汗まで浮かんでいる。待ち合わせの場所まで後少しの所で立ち止まり、大きく深呼吸した。

走っている間中、期待と不安が頭の中をぐるぐると回っていた。

村を出るまでは見つかるのではないかと、出てからは彼は来ているだろうかと不安だった。不安ばかりがどんどん大きくなっていく。初夏なのに急に寒くなったような気がして体が震えていた。肩を抱いて、何度も大きく深呼吸する。

ここは昼間なら大勢の人が行き来する、にぎやかな『弓の街道』。きちんと整備されていて、数キロおきに休憩用の四阿が立っている。その四阿の一つで私は待ち合わせをしていた。

ひどく危険なことをしていると今になって気づいた。昼間と違い今は誰一人いない。そんな闇の中を、明かりも持たずたった一人で歩くなんて、今までの臆病な私なら決してしなかった事。

 自分の中で何かが変わったことに気づいてる。いつも気にしていた事が全く気にならない。他人の思惑に捕らわれずに、本当の自分になれそう。

 一歩踏み出してしまえばこんなに楽になるなんて知らなかった。

 何だか駆け落ちと間違えられそうな状況だが、私にそんなつもりは全くない。

親や周りの人間の思惑などどうでもいい。

もう、どうだっていい。

お金は父が管理しているので持ち出せなくて、仕方なく旅費がわりに家にあった比較的金目の物を持ち出してきた。

たいした物はなかったけど。

銀の燭台、ナイフやフォーク。そんなものがごちゃごちゃと、背負い袋に入っていて、肩にずしりとのしかかるほど重い。

こうして家を出てきたが、ラディアンと名乗った待ち合わせの相手を私は信用していない。初めて会った女に「一緒に逃げてくれ」と言われて、二つ返事で承知する男が信用できるだろうか?

何かよからぬことを考えているのかもしれない。何かに利用しようと、企んでいるのかも。

 だが、選択の余地はなかった。



ラディアンと会ったのは、村に一軒しかない酒場、もとい食堂兼宿屋。私はそこの厨房で働いている。

黒髪に細い藍色の目の二十代半ばに見える男は、私を見るなり低い声でぽつりと呟いた。

「おまえには魔力があるな」

「はぁ? ……なんなの?」

それ以上何も言わず私から視線をそらし、運ばれてきた食事を食べ続ける男をまじまじと見つめた。不意に興味が湧いてきて男の正面に座る。仕事をして欲しそうに店主が見ているが、気にしない。

「いいのか?」

食事を終えた男が口を開いた。何を言われたのか分からなかったが、とりあえずうなずいた。

「私、レジェ。あなたは旅の人よね? ここに泊まってるんでしょう」

返事はない。

「あなた魔道士なの?。さっき言った魔力があるって、どういうこと。私のことなの? 私に言ったの?」

その男は、世界全てを拒んでいるようにも見えたが、あきらめずに聞き続けた。いい意味で関心を持たれたのは久しぶりで嬉しかったから。

「俺はラディアン。魔道士だ。おまえのような者は例外なく魔力が強い。異端のその姿が、魔力のある証拠だ」

研ぎすぎた刃物のような鋭く光る藍色の目が、私を見ていた。

老婆のように真っ白な髪と、金と銀、色違いの瞳の私を。

 この大陸では、たいてい黒髪で生まれてくる。瞳の色はそれぞれだけど、やはり暗い色が多い。世界にはさまざまな人間がいると分かっていても、旅人もあまり訪れない街道から少し離れた村では、私は異端である。

「私、この村から出たいの。逃げ出したいの。お願い、一緒に連れていって」

とっさに小声でラディアンに頼んでいた。

自分を認めてくれる人をずっと探していたのだ。「魔力がある」そう言ったこの男に賭けてみる気になった。

 でも、胸の前でトレイを抱えた腕が震えた。拒絶されるのが怖い。

「今晩、弓の街道の最初の四阿で待っている。西だ」

一瞬の間をおいて小さくうなずき、男の側を離れた。躊躇ったのは、承諾されると思わなかったから。

仕事を終えて店を出るとき、すでに男の姿はなかった。



 夜が明ける頃には、私は遠くにいるだろう。荷物を背負い村を出たとき、気楽にそんなことを考えていた。この先に待ち受ける、過酷な出来事を何一つ知らずに。

一度だけ後ろを振り返った。

迷ったのはほんの一瞬。

だんだんと不安ばかりが、大きくなっていったから。ラディアンに対する、拭い切れぬ不信感にくわえて夜道の恐怖。

不安なことはたくさんあるが、頭を抱えて考えているだけじゃ何も変わらない。

 たとえどんな状況になっても、村にいるよりはまし。そう自分を納得させて、私は四阿へ急いだ。

西の王都から東へのびる弓の街道。西で待っているのなら王都へ向かうのだろうか?

 村を出るのは初めて。もちろん不安だけど、何だかうきうきもしてくる。

 とにかく、細かいことは会ってから。

あの男のことは名前以外何も知らない。ひょっとすると、とんでもない悪党という可能性もある。まあ、今さらうじうじ考えても手後れだし、少なくとも悪い人には見えなかった。

いい人でもなさそうだけど。

「あ……」

 四阿が見えてきた。

ラディアンは四阿の柱によりかかっていた。魔法で作った明かりだろうか、側に青白い光が浮かんでいる。

 ゆっくりと息を吐き出した。緊張で硬くなっていた体が溶けていくよう。知らずに握り締めていた手は血の気を失って白くなっている。

何も言わず彼に近づいていった。背中の荷物がガチャガチャうるさいから気づいているはずなのに、ラディアンは私を見ようとしない。

「遅かったな」

言っても、振り向きもしない。

「ずいぶん待ったの?」

荷物を足元に下ろす大きな音に、ようやく振り向いたラディアンの細い目が大きく見開かれた。

「その荷物はなんだ?」

あきれたように聞こえるのは、気のせいだろうか?

そういえば、ラディアンは何も持っていない。小銭入れほどの袋を腰に下げているだけ。

 着替えも持たずに旅をしているのかな?

「路銀がわりに持ってきたのよ」

袋から燭台を出して見せた。

「あははははっ」

 一瞬の沈黙の後、ラディアンは笑いだした。 お腹を抱えて苦しそうに笑っている。うずくまって、涙まで浮かべながら。

無性に腹立たしかったが、何となくほっとした。無表情で何を考えているのか分からないと思ったけれど、こうして笑っている姿は普通の男に見える。

まあ、男だと言うだけで警戒するべきではあるが。

 ひとしきり笑った後ラディアンは口を開いた。

「そんな大荷物どうする気だ? 信じられんほど馬鹿だな。だいたい、どうやって金に換えるつもりだ?」

「そんな……そんな言い方しなくたっていいでしょう。少しでも路銀のたしになればと思って、重たい思いをしてもってきたのよ。お金なんてあんまり持っていないし……。笑うことないでしょう」

自分の無知を笑われても、強く言い返せない。まちがえているのはいつも自分だから。

「必要最低限の荷物しか持たないのが旅の常識だ。そんなことも知らないのか? それじゃ、すぐに疲れて動けなくなるぞ。おいていけ」

「嫌よ!」

「金なら俺が持っている」

笑いをこらえたような口調でラディアンが言う。聞き分けの無い子どもを見るような視線が痛い。

「迷惑かけたくなくて家から持ち出してきたのよ。絶対に持っていく!」

「おまえを連れて行くことじたい、迷惑だ」

きっぱりと言い捨てた冷たさに、悔しくて泣き出しそうになってしまう。返す言葉がなくて、うつむいて泣くのをこらえていた。

口惜しい。

こんな男に頼らなきゃならないのが。

言い返せない自分が。力の無い自分が。

でもこんな無力感には馴れている。

 すぐに微笑みながら顔を上げた。瞳は濡れていないはず。感情を偽るのは得意だし、無理しなくても自然に笑える。

そんな私を射抜くような鋭い光をたたえた藍色の目が見つめていた。心まで貫くように。

「分かったわ。これ以上迷惑かけるわけにいかないから全部置いてく。でも、本当にお金なんて持ってないのよ。責任を持って私の分の路銀も払ってね」

小首を傾げる私を、ラディアンはただ黙って見つめている。

足元に置いた荷物をそのままに、私は西へ歩きはじめた。

持っていきたいのは荷物ではなく思い出なのだと、この時は気づかなかった。ただ、これ以上ここにいたら決意が鈍ってしまいそうな気がして、足早に歩き始める。

後ろでラディアンが大仰にため息をついたのが聞こえた。

「分かった。俺が持っていってやるよ」

よく通る低い声が耳に響いた。

「重いよ。無理しなくても……」

言いよどんでいる私におかまいなしに、背負い袋を開けたラディアンは、かなり大ぶりの燭台をつかみ出すと、持っていた小銭入れの口を開け無造作にほうり込む。小さな袋の小さな口に、何の抵抗も無く吸い込まれるように燭台は消えてしまった。

「――!」

驚きすぎて声も出せないでいるうちに、ラディアンはスプーンやフォークを次々と袋に入れていく。

それでも、金入れの大きさが変わらない。

あっというまに背負い袋の中身はラディアンの金入れの中に消えてしまった。

「…………」

言葉にならないまま、ためつすがめつ観察する。おっかなびっくり小銭入れをつついてみたり……。

 開いた口のふさがらない私の様子を、ラディアンは面白そうに見ている。

「変な顔だな」

高そうな装飾品を幾つも着けた手で頬をつつかれ、慌てて口を閉じた。

「何をしたの?」

驚きが去ると、猛烈な好奇心が込み上げて来る。

「何がどうなってるの? みんな消えてしまったみたいだけど、魔法を使ったの」

なにしろ半端な量じゃなかった。重さも相当あったし。それがどこに消えてしまったのか? 見当もつかない。

「説明して欲しいのか?」

迷わずうなずく。

時間が無いことも、逃げ出してきたこともすっかり忘れていた。こんなところでぐずぐずしないで、一刻も早く村から離れるべきなのに、悠長に話をしている暇はないはずなのに好奇心が先に立った。

「詳しく話してもわからないだろうが、ここには空間が縮めてある」

ラディアンは金入れを押さえた。

「空間を縮めて……?」

「そうだ。空間を縮めて、ここではないどこかに物をしまっている」

「ここではないどこかって……?」

感心する前に疑っている私を、彼はじろりと睨み、

「おまえ、俺の言うことを疑っているな」

きっぱりと断言する。

「いや、疑わしいけど……。でも入ったのは本当だし……。だけど、いくらなんでも、空間がどうこうって言うのは、ちょっと信じられないし……」

色々話には聞いているが、魔法を見たことは一度もない。

「信じないんだな」

「そんなことない。全然ない。そ、それはともかく、出す時はどうするの?」

なんだか剣呑な雰囲気になってしまい、何度も首を左右に振った。

「普通に手を入れて出せばいい。それよりおまえ、魔法がどんなものか知っているのか?」

「知らないわ。見たことない」

 見栄を張ることもしないで、素直に答えた。

 …………

夜道に不自然な長さの沈黙が落ちる。

「ははははは……」

「うふふふっふふ」

二人の乾いた笑いが闇夜にこだました。

さっきの笑いかたと微妙に違いラディアンの目は笑っていない。

ひとしきり馬鹿笑いしたあと何も言わず彼は歩きだした。鬼火のような青白い光で夜道を照らし、さっさと一人で行ってしまう。

「待ってよ。おいていかないで」

慌てて後を追う。

私の旅はこうして始まった。



「おふぁ……う」

言葉の後半は、あくびでかき消された。

私が目を覚まし食堂に来たときには、ラディアンは朝食を食べていた。ひょっとすると眠ってないのかな?

相変わらず不機嫌そうな彼の正面に座り、自分の朝食を注文した。

あれから休まず歩き続け、王都についたときは夜が明けていた。疲れきって休みたいと言ったらこの宿に連れてこられ、部屋に放り込まれた。まるで大きめの荷物みたいに。

それほど長く眠っていたわけではないらしいが、だいぶ頭がすっきりした。実際、体より頭が疲れていたのだから。

歩くのは苦にならない。それだけで疲れきったりしない。

 歩いているあいだ、ラディアンは魔法の話をしていた。概念から始まって、心得、禁忌、そして必要とされる魔道士のあり方。

ただ話しているだけなら、右から左に聞き流すこともできるが、聞いていることを確認するように質問してくる。答えられなければ、もう一度聞かされる。

一度どころか何度でも。

魔法なんて見たこともないから、答えられることは殆どない。話を聞き、頭が禿げるほど考え込んでも、導き出せる答えはたかが知れている。

嫌がらせかなとチラリと思ったけれど、彼の機嫌を損ねるわけにはいかない。万が一、いかがわしい所に置き去りにされたらと思うと恐怖に身がすくむ。

だから、答えを探して考え続けた。

あれほど何かに真剣になった事が今まであっただろうか?

運ばれてきた温かいスープをすすりながら考えてみる。集中して彼の話を聞いていたのである。王都について初めて、自分が疲れきっている事を知った。

一眠りして、ようやく人心地ついた気がする。さまざまな不安が消えたわけではないが、うまく言葉にできない開放感を感じていた。

スプーンを置くと、食事を終えるのを待っていたかのようにラディアンが口を開いた。

それまで一言も会話を交わしていない。

「これからどうするんだ?」

「どうしようか?」

「……何かやりたいことはないのか?」

「やりたいことねぇ」

お茶の入ったカップをスプーンでかき回しながら、鸚鵡返しに答えた。

「行きたいところとか、何か見てみたいとか……」

「行きたいところかぁ」

うつむいたまま、カップをかき回し続ける。

「そう言われても……」

何も思いつかず言葉を途切れさせた私の耳に、少し離れたテーブルに座った男たちの話が切れ切れに聞こえてきた。

「髪が……目も……気味が悪い」

「化け物。近づかない方が……」

恥ずかしさに、かぁっと体が熱くなった。

真っ白な髪、色違いの瞳。

いたたまれない思いで、体を硬くしてうつむいていたが、声は容赦なく耳に飛び込んでくる。

「なぜこんな所……追い出した方が……」

ただただ口惜しかった。髪と目の色が違うだけなのに。それだけなのに。

「これで病でも流行ったら、妖魔にされるかな?」

うつむいたまま、わざとくすくす笑ってみせた。平然としていないと余計に惨め。

当然帰ってくるはずの返事がないので、顔を上げると、ラディアンは目を細めて私を、いや、私の後ろの連中を睨みつけている。

始めて会った時の冷たい目で、

「馬鹿な連中だ」

何を考えているのか、聞こえるように言う。

「なんだと! この野郎、俺に喧嘩売ってんのか!」

四人組のうち、脳みそまで筋肉でできているような大男が怒鳴る。

「吠えるなよ。俺は別にあんたに言ったわけじゃないぜ。勝手に勘違いするな。それとも、被害妄想か? ひょっとして、本当に馬鹿なのか?」

こんな台詞を、薄笑いを浮かべたまま言われたら、普通怒ると思うけど?

「てめぇ! 俺様をなめてるな!」

やっぱり。

空気が震えるほどの大声に、店の人が一斉に振り返るが、大男は気にもせず肩を揺らして歩いてきた。

その男の足下にさりげなく右足を伸ばすと、信じがたいほど見事に足に引っかかり、派手につんのめって隣のテーブルに落下した。重さに耐え兼ねたのか、テーブルは木っ端微塵になり、大男はぴくりとも動かなくなった。

 よっぽど打ち所が悪かったのか、日頃の行いが悪かったのか。きっと後者だ。

こうなると、残りの連中も黙っちゃいない。

顔を真っ赤にして私たちのテーブルを取り囲む。昼間っから酒を飲んでいたのか、かなり酔っ払っているようだ。

こんな奴らってどこにでもいるのね。

 私はこっそりと小さく首を振った。ラディアンは口許に、何やら愉しげな笑みを浮かべている。

 一触即発かと思われたが、連中はにやにやと笑いながら、聞くにたえない悪口雑言を浴びせかけてくる。

やられたらやり返すが、悪口なんて気にしない。

こんな馬鹿は無視無視。私は聞き流していた。いたのに、いきなりラディアンがお茶の入ったポットを、男の一人に投げつけた。同時に椅子を蹴って立ち上がり、もう一人を殴りとばす。

見た目は華奢でやさ男のラディアンに仲間を倒されてあ然としてる最後の一人を、ポットの乗っていたトレイで、すかさず殴りつけた。頭の形にへこんだトレイをほうり出し、ふらつく男のみぞおちに肘をめり込ませる。

失神するほどではなかったが起き上がることも出来ないのか、男は床に這いつくばり無様に呻いている。

ポットに顔面を直撃された男は、仲間を見捨てて、大慌てで店を飛び出していった。

「おぼえてやがれ!」

陳腐な捨て台詞は忘れない。

男の足音が遠ざかるのを待って、いすにストンと腰を下ろした。

店に居合わせた人たちは関わり合いになりたくないのか、見ないふりをしている。

ふと見ると、拾い上げたトレイを手に、ラディアンが目を丸くしていた。

彼は私と目が合うと黙って立ち上がり、迷惑料かテーブルにかなり多めのお金をおいて、二階へ上がっていく。

どうしようかと店主を見ると、軽くうなずいたので私も階段を上っていった。



 部屋に入ると、ラディアンはさっきまで私が寝ていた安物の寝台に座っていた。

「おまえ、護身術でも習っていたのか?」

笑いながら彼がトレイを投げてよこした。さっきは気づかなかったが、結構重い。厚みもある。

「こんなので殴られてよく死ななかったわね」

つい他人事のように呟いた。

「おまえが殴ったんだろう! おまえが! 打ち所が悪くて死んだらどうする! 何を考えてるんだ!」

喚くラディアンに、

「いろんなこと」

と、しれっとした顔で言い返した。

「……。真面目な話、何か習っていたんだろう? 普通に殴ったくらいじゃ、そこまでへこまないぞ」

苦笑するラディアンを、鼻先で笑い飛ばし、こころもち胸を反らせた。

「日頃の行いがいいのよ」

「そんな一言でかたずけるな!」

彼は以外と気が短い。

「嘘よ。いや、冗談よ。まるっきり冗談ってわけでもないけど」

手をパタパタ振りながら笑うと、ラディアンにじろりと睨まれた。かなりきつい視線。

「真面目な話、と言ったはずだ」

「だからぁ、常日頃、真面目に働いてるからよ。ラディアンは農作業したことある?」

「いや。ほとんどない」

 訝しげに眉を寄せながら、彼は首を振った。

「畑を耕したり、牛や山羊を追って、山道を何時間も歩き続けたり、自分の体重ほどもある荷物を運んだりするのは思っている以上に体力を使うってこと」

右手で袖をまくり、むき出しになった腕をぽんっとたたいた。

「いつのまにか、筋肉がついちゃうのよね。あれぐらい軽いもんよ」

腰に手を当てて胸を反らせている偉そうな態度の私とは裏腹に、納得しかねるのか、ラディアンは腕を組んで唸っている。

「重労働だって言うのは、おまえの手を見れば分かるが……」

言われてとっさに手を隠した。

節くれだった傷だらけの手。

あまり気にしないようにしていても言われるとやはり恥ずかしい。

「そう言うラディアンだって、一発殴っただけで一人倒したじゃない。魔道士のイメージじゃないわね」

話をそらそうとしてつい早口になった。

「だいたい魔道士なんて、塔のてっぺんか地下室にでもこもって、一人でねちねち、普通の人にはわからない怪しい実験や研究をしているものじゃないの?」

 旅商人に聞いた話を誇張して言った。

「かなり偏見が入っているぞ。その意見は」

「それに、荒事なんて、不得意……」

「俺の話を聞け!」

ラディアンに口を挟ませず、しゃべり続けようとしたが、彼の怒鳴り声に口を閉じた。気づかれないようにそっと息をつく。

話をそらすのには成功したらしい。

「それは偏見だ。もちろんそうやって研究をしている魔道士もいるが、俺のように旅をしている魔道士もたくさんいる」

できの悪い弟子に言い聞かせるように彼が続ける。

「魔道は、大きく二つにわけられる。研究と、実践だ。きれいに分けられないが、どちらかに偏る。おまえは知らないだろうが、大きな街なら魔道士の姿はどこにでも見られるし学校もある。そんな偏見を持っている奴は、今時いない」

「ラディアンはどっちなの?」

「旅をしながら、研究ができると思うか?」

せせら笑うラディアンを、目に力を込めて睨み付ける。

くっそー。

馬鹿にしてるな。

いまいましいことに、立っている私と座っているラディアンと頭の位置はたいして変わらない。並んで立てば、ラディアンは私より頭一つぶんは背が高い。彼と一緒にいると、小柄な私は劣等感を刺激される。

「研究はあんまりできないと思う。でも、そんな遠回しな言い方しなくてもいいでしょう。まるっきり馬鹿みたいじゃない」

「誰が?」

「私がよ!」

思わず怒鳴ると、

「自分で言うなら馬鹿なんじゃないか」

へらへら笑いながら、さらっと酷いことを口にする。

「なんですって!」

話が脱線してしまい、いつの間にか不毛な言い争いを続けていた。

……おや?

 何だか階下が騒がしい。

 どうしたんだろう?

 いぶかしんでいると、唐突に、すさまじい音とともに扉が蹴り開けられた。ちょうつがいがはずれ、扉が部屋の中に倒れ込んできている。扉の前にいたら、恐らく大怪我をしていただろう。

文句を言ってやろうと、揃いの鎧を身につけた男たちを睨みつけた。

「まずいな」

 冷静な表情のラディアンが小声で呟く。

「どうしたのよ」

同じく小声で訊き返すが、いやな予感が湧きあがってくる。悪い予感に限って、外れた事がない。

「お前たちが下で騒ぎを起こしたんだな。おとなしく詰め所まで来い」

言いながら、男たちがずかずかと部屋に入ってきた。

「ちょっと! 何をするのよ!」

男の一人に腕を掴まれ、嫌悪感から、あいている方の手で男を殴った。が、それでも掴んだ腕を離そうとしない。

「おとなしくしていただきたい。女性に手荒な真似はしたくない」

中でも一番偉そうな男が、私の喉元に剣を突きつける。もうしてるくせに、と思ったが、とりあえずおとなしくすることにした。

「あんたいったい何なの! いきなり部屋に踏み込んできて、何様のつもりよ!」

でも、言いたいことは言っておく。

「わたしはこの街の巡察隊の隊長、セイラムといいます。お二人が魔法を使って酔っ払いに暴力を振るったと聞いたので、事情をうかがいに来たのです。お嬢さん、分かっていただけましたか?」

抜き身の剣を私に突きつけたまま、セイラムがのんびりと言う。

「魔法なんて使っていないわ!」

怒鳴ったところで聞き入れてもらえる訳もなく、両手を後ろに回され縄できつく縛られた。

「そちらの……。あなたもおとなしくしてください。暴れるようなら斬り捨ててもいい、と言われてますから」

ラディアンは座ったまま、いっそ穏やかとすら言える表情でセイラムを見ている。

「おまえに俺が斬れるのか? 魔法で逃げ出すことは俺には簡単だぜ」

が、底光りする目と全身にまとわりつかせた殺気に男たちが後ずさった。

ただ一人、セイラムだけはのんびりした口調で続ける。

「魔道士の方を捕まるのは、難しいかもしれません。でも、こちらのお嬢さんなら簡単です。あなたが逃げ出したら、指を一本づつ切り落として、拷問にかけてしまうかもしれませんね。居場所を白状させるために」

血の気が引いていくのを感じた。

私からはセイラムと名乗った男の顔は見えない。にこにこと笑いながら話しているように聞こえるが、こいつは絶対に本気だ。

もし、ラディアンが魔法を使って(そんな魔法があるのかは知らない)逃げ出したら……。

幸いラディアンにもセイラムが本気なのは分かったらしい。無言で立ち上がると両手を後ろに回し、

「早くしろ」

と自分を縛るように促す。

怯えていた男が慌てて彼を縛った。

「よかったですね。死ななくてすみましたよ。お嬢さん」

振り向いて話しかけてくるセイラムは、想像どおりにこやかな笑みを浮かべている。

「わたしは、あまり好きではないんですよ。人を斬ったり拷問にかけるなんてことは。ましてや、若くてきれいな……まあ、あんまり美人じゃありませんが。若い娘さんを斬るなんて事は、出来ればしたくありませんから。本当によかった」

恐い。

「おや? 震えてるんですか? 大丈夫。おとなしくしていてくれれば、手荒な真似はしませんから」

この男が恐い。

にこやかにしゃべり続けるこの男、なんら不審な点はない。人のよさそうな雰囲気、穏やかな態度。

それなのに、体の芯から、震えと恐怖が沸き上がってくる。

何故?

恐くて立ちすくむ私の後ろに、張り付くようにラディアンが立っている。

守られているように思えてホッとしたが、それでも恐怖は去らなくて、いきなり目の前が真っ暗になった。

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