第71話 レモンのハーブソルトとレモネード
翌朝、俺はカイアにマジックバッグに入ってもらい、パーティクル公爵領の雪山へと向かう馬車に揺られていた。
意外と発展しているのか、イエティは雪山から降りてこないから驚異がないと思っているのか、理由は分からないが、馬車にはたくさんの人が乗っていた。
途中の停留所で一人の女性が馬車に乗り込んでくる。女性一人で馬車に乗るのは珍しいな。この世界の女性はあまりあちこちに行くことをしない。行く場合は行政に関わっているか、冒険者に限られるのだそうで、行政に関わっていれば専用の馬車に乗っているし、冒険者はパーティーを組んでいるから、当然仲間と共に行動をしている。
おまけにその女性はどう見ても……。
妊娠してないか?
馬車に乗ってくるくらいだから、動ける月齢なんだとは思うが、馬車が妊婦にいいとはあまり思えない。
その女性は座る席がなくて、馬車の木枠に捕まりながら立っていた。
こういう時、声をかけるのって難しいんだよな……。妊娠していることに触れられるのを嫌がる人もいるし、現代でも妊娠している女性を見ると攻撃するような輩もいる。
だから俺はこういう時、こう尋ねることにしている。
「立っている方が楽ですか?
座っている方が楽ですか?」
女性は声をかけた俺を見て、驚いて目を見開いた。
「ありがとうございます。短時間なら、立っている方が楽なんですが……。」
妊婦さんには立っている方が楽な時期と、座っている方が楽な時期というのが存在するのだ。また、日によってそれが変わることもある。だから席を譲られても困ってしまうことがあるらしい。
かといって、同じ姿勢を長時間続けるのもよろしくない。
「キシンの町まで一時間はかかるぜ?
それまで立ったままかい?」
俺が声をかけたことにより、他の客も妊婦さんを気遣いだした。
「あの……、少し狭くなりますが、この方が座るためのソファを出してもよろしいでしょうか?」
俺は客たちにたずねた。
「ああ、別に構わねえよ。」
「何なら俺の席に座るかい?」
「こんな時期に馬車に乗るなんて、なにか事情があるんだろうが、無理せず他人でも頼ったほうがいいぜ?」
次々に声をかけてくれ、妊婦さんは泣きそうになっていた。
「みなさん、ありがとうございます。
じゃあ、ちょっとソファを出しますね。」
俺はマジックバッグから出したふりをしながら、柔らかすぎない奥行きの広い、肘掛け付きのソファを出して床に置いた。
「なんだいそりゃ、俺たちの席よりもいいじゃねえか。こりゃ安心して座れるな。」
その声に乗客たちがハハハハ……と笑う。
「どうぞ。ここに腰掛けて、あぐらをかいてみてください。」
「あぐら……?」
「ああ、ご存知ないですか、足を開いて組む座り方なんですが……やってみせますね。」
俺は靴を脱ぎ、ソファの上にあぐらをかいてみせた。そしてソファを降り、靴を履き直す。妊婦さんも立ちやすいソファだ。
「この姿勢は、妊婦さんにとてもよいとされているのです。これをかければ足元は見えませんし、やってみませんか。」
俺はブランケットを出して妊婦さんに渡した。妊婦さんはそれでも恥ずかしそうにしている。この世界の人には大胆な格好かな。
「おい、姉ちゃん、恥ずかしさより、体の楽な方をとんな。長時間の馬車移動は、俺たちだって辛いんだ。腹に子どもがいんなら、もっと辛いだろう。無理はよくねえよ。」
他の客たちも同意して、妊婦さんに声をかける。それで決心したようだ。
靴を脱いでそろそろとソファに乗り、あぐらをかいて、俺から受け取ったブランケットを膝にかけて足元を隠した。
「……!凄く……、楽です。」
「それは良かった。」
俺も乗客も妊婦さんにニッコリする。
馬車がキシンの町につくまでの間に、乗客たちが一気に仲良くなり、妊婦さんだけでなく、隣の見知らぬ相手とも話をし始めた。妊婦さんはジャスミンさんというらしい。
馬車がキシンの町につき、ジャスミンさんがあぐらを崩して靴を履き、ソファから立ち上がろうとするのを、乗客たちが手助けしようとする。
「この椅子、一人でも大丈夫そうです、皆さんありがとうございます。」
そう言って、ジャスミンさんは一人でソファから立ち上がった。
「本当にありがとうございました。
実家はこの街で宿を経営してますので、よろしければみなさんお立ち寄りください。」
ジャスミンさんが乗客一人一人にお礼を言う。宿に用事のない乗客たちは、大丈夫だ、気をつけてな、と声をかけて去って行った。
食堂もやっているというので、せっかくだからと何人かの乗客と、宿を探すつもりでいた俺が、ジャスミンさんの実家の宿に立ち寄ることにした。
「──ただいま、お母さん。
お客様を連れてきたわ。」
ジャスミンさんがドアをあけて中に声をかける。
受付には年配の女性が一人と、猫の獣人らしき女性の姿があった。コボルト以外で獣人を見るのは初めてだな。
コボルトと違って、口元は猫のそれだが、目元は人間ぽいな。
みなさんが馬車で助けてくれたの、とジャスミンさんが母親らしき女性に告げると、年配の女性が、まあまあまあ、と言いながら近付いてきた。やはり母親らしい。
「身重の娘を気遣って下さったそうで、本当にありがとうございます。」
いやいや、大したことじゃねえよ、妊婦が馬車に乗るだなんて、俺たちも心配だったしな、と、乗客たちが照れながら答える。
堂々と褒められたりお礼を言われるのが、恥ずかしいようだった。いい人たちだ。
食事をしにきたのだという乗客たちに、ジャスミンさんのお母さんは、食堂に案内するよう、猫の獣人に声をかけた。乗客たちがいなくなり、俺はジャスミンさんのお母さんに声をかけた。
「俺は宿を探しているのですが……、あいてますでしょうか?」
「ああ、はい。ただ、まだ受付時間ではないので、今から入られるとなると、追加料金をちょうだいしますがよろしいですか?
星祭が近いので、あとから来られると、埋まってしまう可能性があるので、その方がいいかも知れません。」
「星祭?」
お祭りがあるのか。それで人の移動が多かったのかな?
「宿は予約が出来ませんので、お金を持っている商人の方なんかは、人を雇って、星祭の日まで宿を連泊させて確保する、なんてこともされるんですよ。それで宿がいっぱいになってしまうんです。」
「ああ、それでしたら、今から入ろうと思います。」
「わかりました。」
ジャスミンさんのお母さんは、受付の手続きを開始してくれ、俺は前金を払って宿帳に名前を書いた。
「ちなみに、星祭というのは、どんなお祭りなんですか?」
「毎年今の時期になると、たくさんの星が一気に流れるんです。
それに合わせて願いを紙に書くんですよ。
今年は晴れそうなので、みんなも楽しみにしているんです。」
流星群と七夕を合わせたような祭りかな?
明かりが少ないから、きっときれいに見えるだろうな。ちょっと見てみたい。
前世でも毎年流れる流れ星というのはあって、国によっては、まるで目の前を流れているように見える国もあるらしい。
定期的に流れるのだが、それを知らない国の女性旅行者を、現地の男性が騙すのに利用している……、というので知ったんだが。
女性はロマンチックで特別な出来事があると、すぐに運命だと思ってしまう傾向にあるらしく、騙された被害者の女性が、それを教えられて驚愕していたなあ。
カイアにも見せてやりたいな。
俺は改めてこの町に来ようと思い、星祭の日を確認した。
何があるかわからないので、宿は一応2日分取った。
山に登るのは明日だし、俺はまだ腹が減っていないから、少しこの町を見て回ろうと思った。
外出することをジャスミンさんの母親──アラベラさんに告げ、部屋の鍵を預けて宿の外に出る。
観光客が定期的にやってくるからか、王都ほどではないにしても、かなり発展している感じだった。家はレンガ造りだし、道も石で舗装されている。
家人の趣味なのか、観光向けに街全体で景観を揃える為決まりごとでもあるのか、どの家も2階の窓のへりには、かわいらしい鮮やかな花の植木鉢が3つから4つ並んでいる。
キシンの街は、眺めているだけでも、楽しい気分にさせてくれる、美しい街だった。
ふと、いいにおいにひかれて振り返ると、ナインテイルの肉だという焼串を売っている店が目に入った。
朝食を食べてから、まだそんなに経っていないんだが、このにおいはなかなかに暴力的だな。ちょっと腹が減ってきた気がする。
俺はナインテイルの焼串を買って食べてみた。以前ナナリーさんのところで、ナインテイルのタンのスープを食べたが、これは普通の肉の部分らしい。柔らかいがきちんと歯ごたえもあって、満足感がある。
〈ナインテイルの焼串〉
ホーマをすりつぶしたものと、塩で味付けされたナインテイルの肉。
〈ホーマ〉
芳香を持つ多年生植物で、茎が木化する木本。煮込み料理や香草焼きに広く使われる。タイムに似た味。
ふむ。レモンがあると更にいいな。
俺はそう思いながらも肉をほおばった。
食べ歩きしながら街を見ていると、向かう先にジャスミンさんが、お友達と一緒にカフェのオープンテラスでお茶をしているのが目に入った。
なにやら深刻そうな表情をしている。
俺はそのまま横を通り過ぎた。
「……でも、旦那様はどうするの?」
「もう、離婚するわ。耐えられないの。」
「仕事はどうするのよ?お母さんは宿屋をやっているとはいえ、星祭の時期以外は、そこまでお客が来ないないじゃない。」
通り過ぎる時、何やら不穏な会話が耳に入ってきた。身重の体で馬車にのってまで実家に帰ってきたのには、やはりなにか事情があったらしい。まあ、俺が首を突っ込む話でもないな、聞かなかったことにしよう。
俺は道行く人にキシンの街の冒険者ギルドの場所をたずね、到着の挨拶に向かった。
キシンの街は山のふもとにあり、すぐ横に見える大きな山が、目指す目的地だった。
万年雪があると言っても、今の時期は山頂に行かなければ寒くないらしく、街の人達も普通に薄着で歩いていた。
宿に戻り、受付で戻ったことを告げて、部屋の鍵を受け取っていると、ジャスミンさんが落ち込んだ表情で戻ってきた。
階段を上がり、部屋に戻ろうとすると、
「それで……、いつまでいるつもりなの?」
「ここに住んじゃ駄目?お母さん。」
とやり取りしているのが聞こえてくる。
「あんたと子どもまで養うようなお金はうちにはないよ。頭を下げて旦那さんのところに戻りなさいな。」
「嫌……、もう嫌なの……。無理だわ。」
ジャスミンさんの、押し殺したような、すすり泣く声が聞こえてくる。
俺は逡巡してから、階段から降りた。
「──お金があれば、いいんですか?」
ジャスミンさんとアラベラさんが、驚いた表情でこちらを見ている。
「すみません、他人が口を挟むことではないと思ったのですが……。
妊婦さんが逃げてくるなんてよほどのことがあったんだと思います。」
ジャスミンさんがすがるような目で俺を見ていた。
「家で作れる、新しい商品を売ってみてはいかがですか?俺がジャスミンさんにだけ販売許可を出せば、それで少しはお金が入ってくるようになると思います。」
「家で作れる……商品?」
「ええ。
ジャスミンさん、料理は出来ますか?」
「はい、もちろん……。」
「では、ハーブソルトを作りましょう。」
「ハーブソルト?」
「肉や魚の味付けに使うものです。
この地方には似たようは味付けがあったので、受け入れられやすいと思いますよ。」
せっかくだから、俺の世界の素材だけじゃなく、この世界のものを使うか。
俺はホーマ(タイム)、レモン、粗塩というしっとりとした塩、キッチンペーパータオルを出した。
ホーマ(タイム)を水洗いし、重曹を溶かした水でレモンをよく洗って、レモンはそのまま重曹液に最低10分つける。
キッチンペーパータオルで水を拭き取り、レモンの皮をむき、ホーマ(タイム)とレモンの皮をみじん切りにする。
フライパンに粗塩と、みじん切りにしたホーマ(タイム)と、むいたレモンの皮を、10対2.5対1の割合で入れて、弱火でじっくりと、焦がさないように気をつけながら、水分を飛ばすようにかき混ぜる。
塩がパラパラになり、粗熱が取れたら瓶などに入れて、レモンのハーブソルトの出来上がりだ。
無農薬のノーワックスレモンなら水洗いだけでいいが、不明だったので今回は重曹で洗った。
レモンの皮はなくてもいいが、あったほうが美味い。レモンの皮と塩だけのレモンソルトというのもあるし、タイムと相性がいい。
リキュールやオイルの原料にもなるし、レモンは意外と使い道があるのだ。
レモンの皮は多少白い部分が入っても問題はない。湿気に弱いので、乾燥剤を一緒に入れておくとよい。
「保存がきくので、長期輸送にも向いてますし、これを売ってみてはいかがですか?
なんでしたら、俺がお世話になっている商会に口をききますし。」
「これは……なんでしょうか?」
「レモンです。ご存知ないですか?」
「はい。」
ないのか、レモン。
「もし売るつもりでしたら、俺がおろさせていただきますよ。」
「皮を使うとなると、この……水分のある果実の部分はどうしたら?」
「料理に使うといいですよ、肉にも魚にも合いますし。飲んでも美味しいですしね。
試しに飲んでみますか?」
俺はレモン汁を大さじ2、はちみつを大さじ1入れ、水を150ミリリットル加えてよく混ぜたものをジャスミンさんに手渡した。
「レモネードという飲み物です。
温かいお湯に溶かして飲んでも、違った味わいでまた美味しいですよ。」
「……美味しい!」
「わ、私は温かいほうをいただいてみようかしら。」
アラベラさんが目を輝かす。
「どうぞ。」
俺はお湯を沸かして貰い、陶器の器に同じようにレモン汁と蜂蜜を入れてよく混ぜたものを手渡した。
「ああ……。美味しいねえ……。」
ホッとしたような表情を浮かべるアラベラさん。
「これ、店で出してみてもいいんじゃないかしら。きっと喜ばれるわ。女性のお客様も食堂に増えるかも知れないわね。」
「本当にこのレシピを……、使わせていただいてもよろしいのでしょうか?」
アラベラさんが不安そうに聞いてくる。
「はい、構いませんよ。
何なら今から、一緒に商人ギルドに登録しに行きましょうか?」
「ジャスミン……。
ちょっと宿を任せてもいいかい?」
「ミーアもいるし、大丈夫よ、安心して任せておいて!」
「食堂は任せておいてください。」
猫の獣人、ミーアさんも、力強くこっくりとうなずいた。ニャとか言わないんだな。
「じゃあ、行ってくるよ!」
俺はアラベラさんと共に、キシンの街の商人ギルドへと向かうことになった。
商人ギルドで、乾燥剤と、レモンと、レモンのハーブソルトの現物を渡し、レモネードとホットレモネードは、その場で作ってみせて飲んでもらい、商品登録を行う。
その際に、販売利用許可・許可者に、アラベラさんとジャスミンさんを登録することで、2人は自由に作って売ることが出来るのだ。
職人ギルドには俺だけが登録される。あくまでも開発者は俺になるからだ。
ついでに、乾燥剤と、レモンと、レモンハーブソルトを取り扱いできないかという打診の手紙を、ルピラス商会のエドモンド副長宛に送って貰うことにした。
ルピラス商会の場合、新しい商品が登録されると、全部のリストを定期的に送ることになっているので、いずれは連絡が行くとのことだったが、売れるかどうかの判断は早い方がいいからな。
「登録には時間がかかりますから、今のうちにたくさん作っておきましょう。
俺も手伝いますので。」
俺は預り証を受け取って、帰る道すがらアラベラさんに言った。
「なぜ……、ここまでしてくださるのでしょうか?娘とは馬車で初めて会ったとお伺いしました。それなのに……。」
アラベラさんはまだ困惑しているようだった。まあ、無理もないか。
「たまたま出くわしただけですが、なにか力になれることがあれば手助けしたい。
ただ、それだけです。
さっきの馬車のお客さんたちも、きっと同じ理由で手助けしたんだと思いますよ。」
アラベラさんは、ポツリと。
「私も昔、娘を連れて実家に出戻って来たんです。結婚しても幸せになれるとは限らないのに、娘を同じ目に合わせてしまいました。
娘の夫は、私が見つけてきたんです。」
と泣きそうになっていた。
「それなら、ジャスミンさんが今欲しい助けが、最も分かるのはお母さんだと思います。
2人で一緒に頑張ったらいいと思います。
俺も出来ることは協力しますので。」
アラベラさんが落ち着くまで、一緒に街を散策してから、2人で宿に戻った。
 




