表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/48

009 理系女子の家庭事情

 金子(かねこ)穂積(ほづみ)とは、よくある中年太りとは無縁な人物だった。むしろひょろ長い、枯れ木の様な印象を持つ男といえる。しかし、初見で誰が見抜けるだろうか。

 彼が小規模とはいえ金融会社を経営し、成功を収めていることに。

「何が食べたい?」

「回らない寿司」

「停学喰らった身分で……ここぞとばかりに贅沢(ぜいたく)するな」

 穂積は稲穂を車の助手席に乗せると、通りに沿()って運転し始めた。大まかな行先は決めていたのか、ハンドルを持つ手に迷いがない。

 そして向かった先は稲穂の希望とは真逆、しかしある意味高級店だった。

「……げ、フランス料理」

「料理自体に好き嫌いはなかっただろ? ただしここは高級店だ。代わりに嫌いな服装規定(ドレスコード)行儀作法(テーブルマナー)をじっくり味わわせてやる」

「うわぁ……制服のまま出歩くんじゃなかった」

 その言葉の通り、稲穂は別にフランス料理が嫌いというわけじゃない。クロックムッシュ(トーストの一種)等はむしろ好物に当たる。しかし、気楽に食べられないというのが、彼女に嫌悪感を与えてくるのだ。

「普段一人暮らしだろ、稲穂は。たまには行儀作法(テーブルマナー)意識して食事しないと、食べ方が汚くなるぞ」

「大丈夫よ。普段はサプリとバランス栄養食だからてっ!」

「……適当に食うな、って言ってるだろいつも」

 稲穂より高い身長を活かし、軽く頭頂部を引っ叩いてから肘掛け代わりにもたれかかった。

 嫌がる稲穂を尻目に、穂積は空いた手でアップルフォンを操作して店に電話を掛ける。この手の高級店はたとえ直前でも、予約を取らないと入れないことが多い。

 それも踏まえて、稲穂は(フランス料理程行儀作法(テーブルマナー)を意識しなくていい)寿司を提案したのだが、この金融会社社長には通用しない。

「じゃあ二人で……はい、これから(うかが)います。では後程(のちほど)

「……車で待ってていい?」

「ちょうどキャンセルが二人入ったんだと。ほら行くぞ」

 仕事帰りなので、穂積もまたスーツだ。しかも社長である以上、相手に優位性を(しめ)すために、海外ブランドの高級品を身に着けている。いくら制服姿の稲穂を連れて入店しても、高級性が際立(きわだ)って援助交際だのを考える(やから)はいないだろう。

「……親子にしては、あまり似てない(・・・・)けどね」

「それでもやましいことなんてないだろうが。いちいち気にするな」

 穂積と並んで店に入る稲穂。

 仕事かなにかで前にも来たことがあるのだろう。店員に案内されて中に入る時も、特に周囲を気にする様子はなかった。さすがは高級店とばかりに、美術品が数点展示されているにもかかわらず。

「親父、美術品とか(こういうの)好きじゃなかったっけ?」

「前に十分見せて貰ったよ。相手も興味があったからな」

 食事の後で見るか? という穂積からの眼差しに、稲穂は首を横に振る。たしかに美術品の類はすごいとは思うが、そこまで興味を持つ(たち)ではないからだ。

 そして案内されたのは、天幕のかかった半個室のブースだった。密談とまではいかなくとも、普通に会話する分には周囲に気兼ねする必要はないだろう。

 店員に引かれた椅子に腰掛けた稲穂は、向かいに座る穂積と共に食事を始めた。




「……今からでもまた、一緒に暮らさないか?」

「いやよ」

「性格の矯正が目的だ。拒否権はやらん」

「断固断る。『You can't() buy() a second() with() money().』よ」

「こいつは本当に……」

 食後のコーヒーを飲んでいる時だった。食事中に停学となった経緯を稲穂から聞いていた穂積だったが、何度食事用の刃物(カトラリー)を置いて頭を抱えたくなっただろうか。

 別に、稲穂に好きな男ができるのは構わない。思春期の女子高生だ。異性に興味を持つのは当然のことだろう。(ただ)れた()春さえ送らなければ、穂積に文句はない。

 しかし……問題なのは稲穂の言動全般だ。

 相手に非があるかどうかはともかく、人に手を上げた以上、謝罪位はしとかないと社会的信用をなくしていくのがこの社会だ。というか、威力が高すぎて普通に暴力沙汰である。

「頼むから、捕まらないでくれよ…………というかやっぱり謝罪訪問行くぞ。これ以上の面倒事はごめんだ」

「大丈夫よ。向こうも自分の非は認めているから」

「それは下着(パンツ)の色聞いた子だけだろ。下着(パンツ)見てしまった子に関しては、聞いている限り不可抗力だろうが」

「まあ……今思えばそうだけど」

 稲穂は居心地悪く、ちびちびとコーヒーを飲んでいた。

「とにかく、向こう次第ではお前の立場も悪くなるんだ。改めて一回謝っておけ、いいな?」

「……はい」

 一見落ち込んでいるようだが、これでも赤ん坊の時からの付き合いだ。穂積には稲穂が反省している振りをしているのが、手に取るように分かってしまう。

「はあ……まあいい。とにかく、謝罪の意味も込めて、二人分の治療費はこちらで持つと学校に連絡を入れるから、稲穂もちゃんと謝っておくんだぞ」

「分かったわよ……チッ」

「返事に気をつけろ。仕送り減らすぞ」

「……分かりました。誠に申し訳ございませんでした」

 コーヒーも飲み終わったので、二人は席を立った。美術品の横を通り、会計を済ませてから二人は店外に出た。

 外に出ると、夏が近づいているにもかかわらず、涼しい風が稲穂達の火照(ほて)った身体を心地よく冷ましていく。

「そういえば……」

「ん?」

 稲穂が車の横で涼んでいると、スマートキーを操作していた穂積が、ふと思い出したかのように口を開いた。

「稲穂の好きになった子って、どんな奴なんだ?」

「まだ好き、って決まったわけじゃないけど……」

 稲穂は風で乱れた髪を指で掻き直し、どこか遠くを見つめながら、考えるように心中を吐露(とろ)した。

「……少なくとも、他の男子よりかは()かれる何かを持っている。そう感じているのは確か。向こうの家庭事情もあって、詳しくは言えないけどね」

「そうか……まあ、そんなものだ」

 稲穂を車に招き入れ、穂積はエンジンのスタートキーに触れる。

 エンジン音が響く中、穂積の口から放たれた発言は、しっかりと稲穂の耳に届いた。




「……俺にもまだ(・・)分からない(・・・・・)からな。恋愛なんてものは」




 車はゆっくりと走り出した。向かう先は稲穂が一人暮らしをしているアパートだ。しかし、そのアパートも近いうちに引き払わなければならない。

「引っ越しの準備は?」

「とっく。元々、荷物は少ないしね」

「よし。引っ越し先はもう、目星をつけている。いくつか空き部屋があるらしいから、期末試験明けに見に行くぞ」

 稲穂は(うなづ)くと、両腕を持ち上げて頭とシートの間に差し込んだ。

「しっかし……まさか老朽化が予想以上に(ひど)くて、予定より早く追い出されるとは思わなかったわ」

「稲穂にも非があるだろ。『安い物件でいい』とか言って、在学までもてばいいからと数年後に取り壊す予定のアパートに住み始めたんだから」

「その件に関しては、頭が痛くなるからやめて……」

 話している内に、穂積はハンドルを切り、車を停車させた。アパートに着いたのだ。

 稲穂は鞄を持って下車すると、そのまま運転席側に回り込む。

「じゃあ親父、引っ越しの件はよろしく」

「ああ、稲穂も試験勉強しっかりな」

 そのまま離れようとしたが、ふとあることが気になったので、稲穂は穂積に問いかけた。

「そう言えば、引っ越し先ってどんなところ?」

「1DKのマンションだ。会社員時代に世話になった人から紹介されてな。息子さんもそこで一人暮らしをしているらしくて、部屋自体は悪くないと聞いているぞ」

「ならいいけど……その息子さんとは関わらなくてもいいのよね?」

 穂積は稲穂の問いかけに、当たり前のように首肯(しゅこう)した。

「別にいいだろう。彼も面倒事を抱えているから、多分稲穂に(かま)う余裕もないだろうしな」

「つっても、私よりかは(・・・・)まし(・・)でしょう……」

 その言葉を聞き流して、穂積はパワーウィンドウを操作して、稲穂との間にガラスの壁を生み出した。会話は終わり、という合図である。

 (くも)りガラス()しに『またな』と(つぶや)かれた気がしたが、稲穂は右手を挙げるだけだった。

「ん……」

 軽く手を振る稲穂に見送られながら、穂積の駆る車は走り去っていく。見えなくなってから、(きびす)を返してアパートの中に入り込んでいく。

「……ま、普通はないでしょうね」

 鍵を開け、部屋に入る稲穂の(つぶや)きが聞かれることはない。他の住人はすでに部屋を引き払っているからだ。

 だから、稲穂も気が(ゆる)んで(つぶや)いたのだろう。




「あの親父が、本当は兄貴(・・)だってことは……」




 と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ