004 文系男子と理系女子の初デート(後編)
今回デートの場所となる小型の遊園地。名前を『キャッティランド』というのだが、別に多摩市にある某遊園地に喧嘩を売っているわけではない。『猫や子猫に囲まれたい』という運営者の欲望によって生み出された、猫をテーマにした遊園地だからだ。
その名に恥じぬ程、遊園地内を彩るのは猫、ネコ、ねこ。
妙にリアルな猫の着ぐるみマスコットが徘徊する園内。猫をモチーフにした数々のアトラクション。猫グッズから何故かエサや猫砂まで揃う土産物屋。止めには猫とのふれあいコーナーだが、絶対半分以上が元野良だろうという位、気性の荒い雑種が好き勝手に跋扈している。
はっきり言って、猫派の人間以外が来ることはないだろうという程、一見相手に塩対応をかましてくる遊園地だ。ちなみに蒼葉も稲穂も、猫は嫌いではないというレベルだが、特段好きというわけではない。
「……招待券が有ったから来てみたけど」
「濃いな……」
だから二人は、来て早々に後悔していた。
それでも少しでも楽しもうと、アトラクションを巡ってみたのだが、碌なものがない。
ジェットコースターは予算が少ないのか、ビルの二階程の高さの凹凸が三つ位しかない。猫のマグカップ型のコーヒーカップは所々が錆び付いている。メリーゴーランドはものがなかったのか、ワンコインで動くおもちゃを台座に固定させている様に見えた。挙句の果てには、遊園地の花形である筈の観覧車は上半分が剥き出しで、雨天決行となるらしい。
「すまん……もうちょっと調べてくれば良かった」
「いや、こっちも何か言えば良かったわ……まさか、ここまでとは」
高校生にとってはお遊戯に近いアトラクションな上に、フリーパスもなくていちいちチケットを買わないと利用できない。そんな状況で遊ぶ気にもなれず、二人は仕方なく並んでベンチに腰掛けていた。
「……それで、どうするの?」
「そうだな……」
さすがに退屈過ぎたのか、猫に興味を持てていない稲穂は、ペットボトルの紅茶(事前にコンビニで購入済み)を飲みながらアップルフォンに視線を落としていた。蒼葉は特に気にすることなく、遊園地のパンフレットを広げながら、これからの予定を考えこんでいる。
「……レストランはまともみたいだし、そこで飯食ってから考えるか」
「そんなところかしら、ね……」
予定は決まったものの、たとえ早めの昼食でもまだ時間はある。さて、何をして時間を潰そうかと見渡せば、剥き出しの観覧車が視界に入った。
「今なら空いているから、昼まで観覧車に乗っていないか? つまらなければアップルフォン見ていればいいし」
「別にいいわよ……チケット代が安ければね」
話はまとまり、ベンチから立ち上がって観覧車の方へと歩いていく。ちなみにカップルはここに来てからずっと、二人の視界に入ることはなかった。
小さな遊園地でも休日だからか、どちらかというと親子連れが目立つ。脇の木立の下で休んでいる家族がいれば、観覧車の籠にも母親らしき人が一、二歳位の幼児を抱えて乗り込んでいる。
蒼葉達はそこでようやく、観覧車の籠が二人掛けベンチ位の広さしかないことに気付いた。父親らしき人間が、下で手を振っているのを見つけたからだ。
「狭そう……」
「肩でも抱くか?」
「今度は掌底いっとく?」
どうやら、観覧車も乗れないものと見た方がいいだろう。チケット売り場に並ぶ前で、ある意味良かったのかもしれない。
「『You can't buy a second with money.』、ちょっと早いけど、レストランでお茶にしましょう」
「別にいいけど……それって口癖?」
先にレストランの方を向いている稲穂に釣られて振り向こうとすると、丁度風が吹いた。
「風強っ! 大丈夫、黒桐……黒桐?」
かなり大きめな風だった。
「きゃーっ!?」
そう、観覧車が揺れ、小さな子供が振り落とされてしまう位に。
「えっ、嘘っ!?」
蒼葉の方を向いた稲穂も、思わず駆け出していた。周囲の人間も、異変に気付いて反射的に駆け出している。駆け付けたところで何ができるわけでもないが、それでも動いてしまうのが人間だろう。しかし、子供の落下速度から見て、駆け付けて何かをする時間はない。
そう……ただ一人を除いて。
「……え?」
その子供を助けたのは、稲穂の連れだった。つまり・・・…蒼葉だ。
観覧車の周囲を囲う柵の隙間を使って器用に駆け登り、天辺を踏み台にして跳躍。子供を抱えると、そのまま近くの木立の枝を空いた手で掴んでいた。
「ふぃ~……大丈夫か?」
「ぎゃぁああああ……!?」
「危なっ!?」
子供の泣き声に若干手が緩みそうになるも、蒼葉は再度抱え直してから、ゆっくりと地面の上に降り立った。
駆け付けてきた父親に子供を預けると、蒼葉はそそくさと稲穂の方に駆け寄り、
「面倒そうだから逃げるぞ」
「この間といい、原因あんたでしょうが……!」
「苦情は天候に言ってくれ。俺は管轄外!」
そのまま遊園地を後にした。
「招待券で良かった……自腹だったら絶対泣く」
「それは同意見だけど……いつまで握っているの?」
「え? ……ああ、悪い」
逃げ出す時に無意識で掴んでいたのか、蒼葉と稲穂は手を繋いだまま、遊園地の外を出て、そのまま最寄り駅まで駆け抜けたのだ。さすがに疲れているのか、そのままベンチに腰掛けてしまっているが。
蒼葉は手を離すと、稲穂の隣で深く、背もたれに沈み込んでいく。
「……聞いてもいい?」
「何を?」
稲穂が声を掛けてくるが、蒼葉は地面を向いたまま、微動だにしなかった。
「なんで普段から、本気を出さないの?」
蒼葉は、視線を上げなかった。
今、どんな表情を浮かべているのか。顔を見ることのできない稲穂には窺い知ることはできないが、それでも聞かなければならない。
何故なら……稲穂が嫌いな人間のタイプは、日々を無駄に生きる怠惰な者だからだ。
「私さ、あんたのことが嫌いだったのよ。努力することを嘲笑うかのように、手を抜いて生きているんだから」
「…………」
もう、蒼葉に言い逃れる術はない。
すでに稲穂に見せてしまったからだ。自らの身体を駆使して、子供を助ける姿を。
「本当は頭も切れるんでしょう? ちょっと調べてみたら、あんたの順位、わざとそうしているのかって位に中の上辺りを行ったり来たりしてた。テストの難易度や平均点なんて関係ないってばかりに」
「……いつから、」
ぽろり、と言葉が漏れ出た。
稲穂ではない。他に通行人はいない。つまり、蒼葉の口からだ。
「いつから、気付いていた?」
「数学の小テストの順位で、私があんたに負けた時。努力が足りない、って風を装っている癖に順位が上でムカついたから、弱みでも握ってやろうかとつけていたことがあったのよ」
「……それストーカーじゃね?」
思わず顔を上げてしまう蒼葉だが、稲穂は構わなかった。自らに不利な情報から話を逸らしている、とも言える。
「そしたら深夜の路地裏でパルクール(障害物を踏破するスポーツ)していたのを見つけて、体育の授業も手を抜いていると分かったわ」
「言っておくが……お前と喧嘩しても、多分俺が負けるぞ」
「言われなくても分かっているわよ。喧嘩慣れしていないこと位は」
しかし、本気を出した蒼葉の方が足が速いのは確かである。
「おまけにそこにいた仲間にも、勉強をすらすらと教えていたみたいだし……学校でのあんたとは大違い」
「……だから、興味を持ったと?」
おそらく、その中にあったのだろう。稲穂が蒼葉に惹かれる何か、が。
「……で、聞いてもいいの? あんたが本気になれない理由」
「…………」
蒼葉は少し悩み、そして、ある一点を指差した。
「あそこのビルが見えるか?」
「あれって……蛯名財閥の支社よね」
蛯名財閥。貿易を中心に利益を上げている大財閥だ。経済に強い稲穂も勿論知っている。但し、貿易関係である以上、一般には大財閥であること以外はあまり知られていないだろうが。
「そう……関連株を買っていたりするか?」
稲穂は首を振り、そして気付いた。
「……関係者?」
「一応、な」
立ち上がり、ポケットに手を入れた蒼葉は、ベンチに腰掛けたままの稲穂を見下ろす様にして振り返った。
「……親戚なんだよ。蛯名の家とは」
少し、遠くを見るような眼をして。
「そろそろ昼だ。口が堅いなら、飯を食いながら話してやるよ」
先に歩き出した蒼葉を追いかけ、横に並んだ稲穂はその背中を思いっきり引っ叩いた。
「あんたが私の秘密をばらさない限りは、口を閉ざしといてあげるわよ」
「……いや、釣り合い取れなくね?」
わずかだが明るさの戻った蒼葉の声に、稲穂は内心安堵しながらも、平静を装って正面を向いたまま歩いていた。
「乙女の秘密と野郎の人生だったら、十分釣り合い取れるでしょうが」
「下着一枚と俺の人生釣り合うわけねえだろ。それならせめて、今日の下着の色も教えてくれよ。胸元チラ見せも可」
「この服装の時点で諦めなさいよ……馬鹿」
「お前、馬鹿ってな……」
互いに顔を見ないまま、二人は並んで歩いていた。もし周囲の人間が彼らを見たら、こう答えるだろう。
カップルが楽し気に話し込んでいる、と。