001 文系男子の回答
――友人と恋人の違いは何か?
「距離感、じゃないか?」
そう聞かれた時、黒桐蒼葉は距離感だと答えた。
中性的だが多少は整っている顔つきをした男子高校生は、アップルフォンが受信したメッセージの内容を確認し、手早く返信を送っている。部活動の出席確認だったらしく、操作を終えるとそのまま座卓の上に置いた。
「人によっては近づいて欲しい時もあれば、逆に離れて欲しい時もあるだろ? その時の気分にもよるだろうが、基本的にいて欲しい距離の近い相手が、家族や恋人ってやつじゃないのか?」
「……そうは言うけど、離れていても家族だって言えることもあるじゃない。私と親父とか」
「それを言うなら、俺の家族だって全員好き勝手に生きているぞ。ああ……言い方が悪かったな」
そう言って蒼葉は隣にいる金子稲穂の方を向いた。
長髪でツリ目気味だが、美形な女子高校生はコップに入れたジュースを口に流し込みながら、前方のテレビをじっと見つめている。その間も、蒼葉との会話が途切れることはなかった。
「つまり『物理的な』距離じゃないんだよ。『心情的な』距離、って言い方で分かるか?」
「……私があんたを好きだと言っていても、人の精神的外傷を抉ってくれた嫌悪感が勝って身体を許せないとか?」
「そうなんだけどな……いいかげん、俺を振った話するのはやめないか?」
一学期のある日から夏休みに入る前まで、二人は『友達以上恋人未満』の関係だった。
日直の担当が被った時、放課後に居残って仕事をしていると恋愛話となり、その流れで稲穂は蒼葉に告白したのだが、二人は付き合うことなく友人へと戻った。『友達以上恋人未満』の関係でいる間に、二人は互いのことを知る機会に恵まれてしまう。
いや、恵まれ過ぎてしまった。
その過程で稲穂が抱える最大の精神的外傷を蒼葉が掘り起こしてしまうが、それでも彼女は、友人関係に戻ることを望んだ。
結果、親同士が偶然にも知り合いであるとはいえ、友人にして同じマンションの隣人という、奇妙な関係をいまだに続けている。間違っても男女の仲ではないだろうが、少なくとも稲穂にとって、父親にして義兄である金子穂積の次に距離が近い異性と言えるのは、すぐ隣にいる蒼葉なのだろう。
「まあ、要するにだ。自分がどれだけ『許せる』相手か、その範囲の違いが、友人だの恋人だのを区別する境界線なんだろうな……」
「……そうなると、これは『どういう関係』だって言えるの?」
隣同士で暮らすようになってから、蒼葉は稲穂を夕食に招待することがある。一人暮らしでまともな食事を摂っていない彼女のために、余分に食事を作る時はおすそ分けも兼ねて一緒の食卓を囲むのが、今では習慣となっているのだ。
だから今日も一緒に夕食を食べ、部屋にあったDVDを一緒に眺めながら、今のような会話が行われていたのだが……
『こ、これでよろしいでしょう、か……ごしゅじんさまぁ…………』
『そう、それでいい。はっはっは!』
「……やっぱムカつくわね。この男優」
「シリーズずっと出ずっぱりらしいぞ。この男優……」
……見ているのは『異世界の住人を拉致ってAV撮ってみた 3.イェッキン王国第一王女付女中エマ』、つまりはAVだった。友人関係とはいえ、男女が見るようなDVDでは決してない、だろう。多分、メイビー、プロバブリー。
「……というかなんで、俺達AV見てんの?」
「たまたまあったからでしょ。たまには映画でも借りてきたら?」
「無茶言うなよ。一番近いレンタル屋でも二駅先じゃねえか」
生地の薄いメイド服を着た女中が犯されるシーンでフェードアウトしたのを最後に、AVは終了した。
「毎回思うけど……どこで買ってきているの、これ?」
「中古品の通販サイト。年齢制限の管理がザルなんだわ」
DVDを片付けている蒼葉の背後では、稲穂が二人分のグラスを流し台に運び、そのまま洗い出した。
一応食事代は渡されているが、それでも手間をかけているのは蒼葉だからと、いつの間にか稲穂からかってでてくれたのだ。漢字は『買って出る』で問題ないらしいですが、意味が買い物になってしまいそうなので、ここはひらがなで記載しています。
「しかし考えてみると……『貧乏』『AV』『汚部屋』と、男子高校生の一人暮らし三種の神器が揃っているな」
「汚いというより、物が多いだけでしょ。あんたの場合」
グラスを片付け終えた稲穂が部屋を見渡すと、大量の書物やDVDメディアが視界に入り込んできた。前回の夕食は数日前にもかかわらず、その間に量が増えていると思うのは気のせいではないだろう。
「こんなのばっかり買っているから、貧乏なんじゃ……ちょっと待って」
ふと、稲穂の脳裏に蒼葉への疑問が生まれる。
「あんた、仕送り生活の割には贅沢してない?」
それは当然の疑問だった。
いくら仕送りがあるのかは知らないが、自分で購入した割には量が多い。しかも自炊とはいえ、常にまとまった金銭で購入している節がある。食器洗いと一緒に買い出しも手伝っている稲穂だが、特売品を購入している以外の節約手段を蒼葉がとっているのを見たことがない。
だから疑問に思ったのだが、蒼葉は稲穂を見てから、部屋の隅を指差して答えた。
「言ってなかったっけ? これ、ほとんどおふくろ用」
そこには、少し厚手の段ボールの束がいくつも鎮座していた。大きさはまちまちだが、大抵はハードカバーの書物が数冊、余裕で入る程度のものが多い。
「海外生活しているから、日本のものを代わりに買って送っているんだよ。通販で海外発送を受け付けてないものとかな。それで読み終わったり観終わったりして送り返されてきたやつを、俺と親父で分担して保管しているんだよ」
「にしたって……多すぎない?」
呆れた眼差しを向けてくる稲穂に、蒼葉は仕方ない、とばかりに首を振った。
「これでも減らしている方だよ。要らない分は向こうで処分しているしな。その中で俺が気になったりしたものは、処分せずに送ってもらってるけど。まあ、とはいえ……」
比較的大きめの箱を組み立てると、蒼葉はマジックペン片手に、箱の側面になにやら書き込んでいく。
「もうすぐ夏休みも終わるしな。要らない分は今のうちに古本屋に持っていくか」
「バイト代出すなら手伝うわよ?」
「そこまでもうけにならないからいいわ」
『処分品』と書かれた箱に要らない分を仕分けして入れながら、蒼葉は稲穂にそう返した。
「古本屋に持っていくんじゃあ、大抵買いたたかれるからな。フリマアプリ使って直接売るって手もあるけど、金子の言葉を借りるなら『You can't buy a second with money.』だし。だったらプロに任せる方がいいよ」
「あらそう……今日、買い物に行ったらこんなものをもらったんだけど?」
「何?」
洗い物を終えた稲穂が蒼葉に差し出したのは、一枚のチラシだった。
内容は数駅先の場所にある公園で、フリーマーケットが行われるというものだ。日程は夏休み最後の土日で、空きがあれば当日参加も可能らしい。
「自分で売れ、ってことか……ん? 数駅先?」
この辺りではまず配られないだろうチラシの出所が気になり、蒼葉は稲穂を見つめた。
「……お前、そういえば昼間買い物に行ってきたって、言ってたよな? もしかして、数駅先のショッピングモール?」
「そう。クラちゃんや指原と一緒に行ってきたわ」
「お前らいつのまに仲良くなっているんだよ。というか紹介した俺も誘えよ」
「……ハッ」
蒼葉は稲穂に鼻で笑われた。
「女物の服(下着含む)買いに行くのに男呼ぶ必要はないでしょうが。考えるだけ『You can't buy a second with money.』わよ」
「新パターンで返すなよっ!」
鼻で笑われたことよりも気になるのか、蒼葉は思わずそうツッコんでいた。
この物語は、演劇部所属の脚本家兼端役男優こと文系男子黒桐蒼葉と、投資ファンドを立ち上げを目指して勉強中の理系女子金子稲穂が繰り広げる、正直くっつくかどうかわからない距離感をさまよいつつも、誰かしらの精神的外傷を抉っていく、よくあるのかどうかすら判断できないほど混沌としているラブコメっぽい何かです。何を言っているのか正直理解しきれないでしょうが、この調子で第二巻分も続けていきますので、どうかよろしくお願いします。