002 文系男子の部活動
蒼葉は高校生である。
そして高校生とは大抵の場合、授業以外の学校生活を過ごす場合、三つのパターンに分かれる。
未来を見据えて勉学に励む者。
ただ今を楽しみ遊び呆ける者。
そして……部活動に打ち込む者。
「……で、彼女ができたと?」
「まだ保留だっての。本人も宣言してたろ?」
告白された翌日の放課後。
今日の蒼葉は部活動に勤しんでいた。現在は部活棟として使用されている旧校舎の一教室にて、錆び付いて軋んでいる椅子に腰掛けながら、印刷したての紙束を捲っている。
「話はどうにかまとまったけど、台詞がいまいちだな……」
「一回読み合わせするか?」
「いや、明日に頼む。とりあえずは自分で読んで調整してみる」
脳内で台詞を繰り返しているのか、ブツブツと呟き出す蒼葉を、少し離れた場所に向かい合う様にして席に着く同級生、鈴谷豪は背もたれにもたれながら眺めていた。名前の割に爽やかなイケメンフェイスを微笑に変えながら、邪魔しない程度に話の続きを促していく。
「しかし、すごい堂々としていたな、彼女」
「過去の経験から先手打ったんだと。まさかあそこまでするとは思わなかったけどな……」
話は朝礼前に遡る。
何を思ったのか、稲穂は登校して早々に荷物を自席に置き、そのまま教壇へと上がったのだ。何事かと同じく早めに登校してきた面々(蒼葉含む)の視線を浴びながら、彼女は宣言した。
『私はそこの黒桐蒼葉と付き合うかもしんないけど、まだ確定じゃないから。今度デートしてから決めるけど、鬱陶しいからいちいち聞いてこないで』
「……いやぁ、あそこまで啖呵を切られると、かえっておちょくれなくなるんだなぁ、人間って。てか怖い」
「まあ、迫力はあったけどな」
印刷したての紙束、台本に記載された台詞を書き換えながらも、蒼葉は話に乗り続けた。
「……というか、俺って頼りないのかな? 言ってくれれば代わったのに」
「一応役者も出来る脚本家だからな、お前って。……どっちかっつうと、他の女を牽制する意味でやったんじゃないか?」
「俺にモテ属性はなかったはずだけどな。鈴谷じゃあるまいし」
「そりゃどうも」
実際の好感度は不明だが、バレンタイン闘争において蒼葉が鈴谷に勝利したことは一度もなかった。それだけは間違いない。
「ところで……そろそろ聞いてもいいか?」
「……これか?」
「それ」
蒼葉は指差したのは、自らの首に巻かれたムチ打ち用のサポーターだった。昨日はなかった筈の装備を不思議がる者達もいたが、今朝の稲穂の発表(というか宣言)で興味が逸れてしまい、誰からも聞かれることがなかったのだ。
「高校生男子が皆大好きなアレを拝んだ代金だよ。ここまで高く付くとは思わなかったけどな」
「つまり青春? ラブコメ?」
「若干エロコメよりのラブコメ」
無言で飛んできた消しゴムをキャッチし、近くの机の上に置く蒼葉。鈴谷はジト目を向けながら手の上に顎を載せた。
「このラッキースケベめ」
「じゃあお前も中段後ろ回し蹴りを受けてみろ。ガチで効くぞ」
「え? 金子って格闘技やってんの?」
「蹴られた後に聞いてみたんだが……元空手部主将だってさ」
おっかない、とばかりに首を振る鈴谷。蒼葉ももう気にしたくないのか、痛む首を擦りながら台本に没頭し始めている。
一通り書き終えると、蒼葉は背もたれに体重を預け、天を仰いだ。
「……ところで蒼葉、親友として聞きたいのだが」
「どっちかと言うと戦友じゃないか? 部活的な意味で」
痛む首を庇いながらゆっくりと、蒼葉は顔を降ろして鈴谷の方を向く。
鈴谷から真剣な眼差しを向けられてはいるが、蒼葉の意識は若干後ろの方に流れていた。
「……で、何?」
「うむ……」
周囲に意識が向いていないのか、鈴谷は蒼葉から目を逸らすことなく、(本人にとって)重要な案件を確認する為に、口を開いた。
「……金子の下着は、何色だった?」
……しかし、本人にとっては重要でも、周囲も同じとは限らない。
呆れたような眼差しを向けてくる蒼葉に構うことなく、鈴谷は静かに詰め寄ってきた。
「お前って、さ……割と一途な癖に、変な所オープンなエロ助だよな」
「いいから教えろって、相棒。同じ部活の同士、つまり家族みたいな俺に隠しごとはなしにしてくれよ」
「頼むから交友関係の名称は絞ってくれ。結局俺はお前の何なんだ?」
しかし、蒼葉の心は決まっている。
「まあ、俺から言えるのはこれだけだな……ご愁傷様」
「……え? 何で?」
本気で不思議そうに首を傾げる鈴谷。その疑問の答えは、彼の背後から飛んできた。
「……後ろに私がいるからだ糞野郎」
返事をする間もなかった。
スカートが翻るのも厭わず、稲穂の踵落としが鈴谷の脳天に直撃し、激しい打撃音を響かせる。その後、一撃を受けた漢は椅子から転げ落ち、床の上にその身を広げたのだった。
「……何で昨日は体操着履いてなかったんだよ。今日みたいに履いててくれてたら、俺蹴られることなかったのに」
「昨日の体育で汚したから。まさか風が吹くなんてね……」
「ラブコメじゃねえのにな……で、大丈夫か?」
蒼葉が鈴谷の方を向き、声を掛けた。
一応は生きているらしく、何故か親指を立てた拳を掲げてきたが、特に気にされることもなく流された。
「というか、いい思いしといて何ほざいてんだか。このエロ助」
「お前、昨日と言ってること違くね?」
「前科持ちの扱いなんてこんなもんよ」
下着一枚で酷い言い草である。しかし、稲穂がそこまで怒ってないのは、蒼葉も理解しているつもりだ。でなければ、付き合う云々の話をとっくに反故にしているだろうから。
「……で、今日はどうした?」
「いや、もういいわ……」
軽く息を吐き出してから、稲穂は肩を竦めてから、蒼葉に背を向けた。
「ちょっと時間が出来たから、軽い寄り道に来ただけ。もう時間ないから帰るわ」
「そうか、悪かったな」
適当に挨拶を交わし、稲穂は現演劇部室の古い教室から姿を消した。
蒼葉は腕時計の文字盤に一度視線を落としてから、椅子から勢い良く起き上がった。
「今日は帰るわ。家で台本の整理してくる」
「じゃあ読み合わせは明日からだな……」
よっ、とかけ声を出してから、鈴谷は立ち上がって蹴られた頭を擦った。正直脳天に踵を受けていたので、変なダメージが残っていないか心配になる蒼葉だった。暴行沙汰で面倒が起きても困るので。
「一応医者行っとけ。知り合いのところで安く見て貰えるように言っとくから」
「心配性だな……まあいいか、どうせこの後暇だし」
他の部員はいない。台本が未完成なので発声練習と筋トレを屋上でやっているからだ。蒼葉は台本の作成、鈴谷は監督兼演者視点の相談役として抜けているだけに過ぎなかった。
「じゃ、俺帰るから」
「おう、俺も屋上寄ってから帰るわ」
明日から忙しくなるぞ、と自らに発破を掛ける鈴谷を放置し、蒼葉は鞄を担ぐと駆け足気味に部室を後にした。
「……なんだかんだ気が合ってるんだよな、あの二人」
「へい彼女、今暇?」
「……暇じゃないから帰る、って言わなかったかしら?」
「まあ、一緒に帰る位はいいだろ」
適当なナンパ紛いの台詞をぶつけてから、蒼葉も手早く靴を履き替え、稲穂の後に続いて校舎を出た。
「……本当は軽い寄り道でどこに行きたかったんだ?」
「何のこと?」
「とぼけるなよ。俺がすぐに帰れたら、どっかに寄るつもりだったんだろ?」
稲穂は答えず、蒼葉の顔に一枚の紙を貼り付けてきた。
「……タピオカドリンクの割引券?」
「部活で貰ったのよ。期限は先だけど、時間があれば寄ってもいいかな、って思って」
「悪くないな」
タピオカ自体は蒼葉も嫌いじゃなかった。誘われれば行くこと自体は吝かでもない。
「……今度デートする時でもいいかと思ったんだけど、発言をコロコロ変えすぎよね」
「そうか? 俺はそういう気紛れは歓迎だけど」
横に並んで歩く二人。
横目で見つめてくる稲穂に、蒼葉は頭の後ろで手を組んでから、そっぽを向いた。
「判断材料は多い方がいいし、別にデート一回で決めるのももったいないだろ?」
「あのね……私はだらだら先延ばしにして決めないのが一番嫌なの。分かる?」
「だから、デート前にも一緒に出かけたかったんだろ? それ自体は俺も歓迎だって言ってんの」
「……生意気」
思いっきり背中を引っぱたかれ、蒼葉は思わず咳き込んでしまう。けれども、稲穂はさっさと歩を進めて距離を開けてしまった。
「じゃあ、私はこっちだから。また明日」
さっさと帰る稲穂に、蒼葉はどうにか言葉を投げかけた。
「っつつ……おう、気をつけてな」
返事はないが、聞こえていたのか背を向けたまま手を振り、稲穂は帰って行った。
しかし蒼葉は背中を擦ろうと手を伸ばしては失敗するのを数度繰り返して、やがて諦めたのか、その場に座り込んでしまった。
「……だから痛いって。本当に女か?」
子供を産む分、男より女の方が身体の造りがしっかりしている。そんな話があったのを思い出しながら、遅れて出てきた鈴谷共々、蒼葉は知り合いの医者の所へと歩いて行ったのだった。
翌日の職員室にて。
「黒桐と鈴谷は本日欠席との連絡があった」
「それで、何故私が呼び出されたのでしょう?」
学年主任の教師は溜息を吐きながら、目の前に立たせた稲穂に苦言を呈した。
「……次からは加減しろ。でないとじゃれ合いの範疇を超えるぞ」
金子稲穂は停学処分となった。