愛とケロイド 1
僕とミキについて書こうと思う。
結論からいうと、僕らは結婚した。そして、近々、子供が生まれる。その記念に二人の思い出を文章に残そうと思い立ったわけだ。
まず僕のことを書く。名はリュウ。僕は明るい少年ではなかった。他者に心を閉ざし、打ち解けるのに時間がかかった。閉ざされた心は両親の前でも変わりなく、最初、僕と接するのが大変だったらしい。今でもその時の後遺症のようなものが残っていて、人と話す時は軽く下を向いてしまうし、声はどもってしまう。それが僕なのだと自分を納得させることができたのはミキに出会ってからになる。
僕の歪んだコミュニケーションは映画に向いた。ひとりで名画座に行くほどの熱の入れようだった。要するに映画オタクである。さらに容姿は普通で、上記の通り性格は引っ込み思案。そんな僕に彼女ができるはずもなく、宙ぶらりんになって行き場を失った異性への興味を映画にすり替えて、なんとか自分を保って生きてきた。もし映画が無かったら、とうの昔に引きこもりになるか、自殺をしていたかもしれない。
映画オタクである僕の存在意義をさらに高めたのが、大学時代に入った映画同好会である。同好会と言っても映画が3度の飯より大好きで、名画座でオールナイト上映に挑む強者は1割にも満たない。他の9割は、何となく映画が好きで、みんなと和気あいあいと映画を見たい、そして、たまに飲み会をして騒ごうよ、というノリで集まっていた。あいにく、飲み会のような場所は嫌いだし、当時、僕はまだ未成年だった。年齢を言い訳に飲み会を断れたのだが、ちょうど成人して一週間後の飲み会は断れなかった。本当は同好会に1割だけ残る本当の映画オタクと話しをしたかった。
飲み会は大学生御用達の格安居酒屋で行われた。僕はあまりお酒に強くなかったので、一気飲みの強要はされなかった。そういうノリが嫌いで飲み会を断ってきたのだから、当然の配慮である。
僕たちのテーブルに大学3年生のサトルさん、4年生のカオルさん、そして、同学年のミキが座った。
サトルさんはさわやか系男子で、女子と楽しく会話をし、あわよくばセックス出ればよいと考える、映画にあまり興味のないタイプだった。飲み会は毎回参加する。
カオルさんは映画オタクの一人で、僕と話がよく合った。かといって、オタクの雰囲気はまったくなく、あか抜けた感じのある女性だった。その時、すでに就職が決まっていて、少しハメを外していた。
ミキは美人の部類に入った。当時、髪は肩にかかる程度の長さで、少し明るい色をしていた。スタイルは細身で胸が小さいのが玉に瑕。そして、いつも明るい性格をしていた。まばゆかった。僕とは違う世界を生きていると感じた。
僕はミキの美貌を認めていた。そして、異性として少し興味もあった。しかし、学部が違うのであまり接点がなく、引っ込み思案な僕が話しかけられるわけもないので、あいさつで数回言葉を交わす程度の仲だった。
それにミキにはよくない噂があった。どんな男とでもセックスをする股の緩い女。友達の少ない僕の耳にも入ってきたのだから、相当広範囲に噂が広まっているのだろう。僕が彼女に話しかけなかったのはそんな理由もあった。
「カオルさん、最近のおすすめ映画ありますか」
サトルさんがビールを一口飲み終えてから言った。映画オタクのカオルさんのおすすめを聞いても、あまりにマニアックな内容で一緒に映画館に行ってくれる女性はいないだろうに、と僕は思った。それとも、映画通を気取る、サトルさんの社交辞令のひとつなのだろうか。
「最近、就活で映画館に行けてないのよね。できれば、ポーランド映画が見たいのだけど」
「へえ~ポーランド映画ですが、面白そうですね」
ポーランド映画を知らないくせに。うそつき。
「ミキちゃんのおすすめ映画はなんなの」
カオルさんのおすすめについていけないサトルさんが、ミキに話題を振る。
「セックスと嘘とビデオテープかなぁ」
僕は一瞬、ミキを見た。スティーブン・ソダーバーグという監督が若かりし頃に作った実験的な映画だ。マニアックな映画と言っていい。ミキは結構映画を見ているのかもしれない。しかし、僕の頭に響いたのは『セックス』というワードだった。それは僕の耳に入り、全身を駆け回り、股間に到達した。
あの映画はインポテンツの男性が女性のヌードを見て、性的興奮を覚える映画だったはずだ。
「あれま。マニアックな映画を勧めるのねぇ~」
就活を終え、気が楽になっているカオリさんは飲酒のピッチが速かった。案の定、顔は赤らみ、呂律は回らなくなり、となりに座るミキの肩に手を回した。
「あの変態チックな感じが好きなんです」
とミキが答えた。
「やっぱりミキちゃんはエロティックな映画が好きなんでしょう?」
一瞬、場が静まった。暗にセックスが好きなんだろう、と言っているように聞こえた。
「結構、芸術性も高い映画ですよ」
僕が久々に口を開いた。
「おお、青年よ、君はタイトルにセックスが入っているから観た口だろう、違うかね」
カオルさんが絡んでくる。いつの間にかサトルさんはいなくなっていた。さっき、トイレに行くといってから、一向に帰ってこない。あの人、同好会の別のテーブルで飲んでいるな。
「まあ、過激なタイトルですからね」
「正直者の青年よ、素晴らしい、君は映画オタクとして、大志を抱け、いいかい、大志を抱け!!」
カオルさんは一人で酒を一気飲みした。そして、テーブルに突っ伏した。
僕とミキはお互いを見合って、笑った。
「ミキさん、けっこう映画見てるんですね」
まだ会話がよそよそしい。
「そうね、変な噂が広まって遊んでばかりいると思われるけど、こう見えて、結構映画を見てるんだよ」
ミキは満面の笑みを作った。この子は強いなぁ、と思った。悪い噂が広まっていることを知っていて、さらに先輩に嫌味を言われて、それでもあっけらかんと言うのだ。並みの精神でないことは確かだった。
それから映画同好会の飲み会らしく映画の話になった。意外と好きな映画のジャンルが被った。僕はうれしくて饒舌になった。
「ミキちゃんの嫌いな映画はある?」
酒の力を借りて、砕けた感じで名前を言った。
「『チャイナタウン』かな」
「それこそポーランド出身の監督の作品じゃあないか。この話を振るのが、カオリさんが潰れた後で良かったね。うんちくが止まらなくなるよ」
僕は笑った。ミキも笑った。でも、目が笑ってなかった。確か『チャイナタウン』は私立探偵が登場するハードボイルド映画だったはず。結末は忘れてしまった。
「あの映画は本当に大っ嫌いなの」
ミキは笑いながら言った。
話は尽きず、ビールの進みも早かった。この日の僕は酔っぱらう気配がなかった。しかし、ビールを飲んだことにより、強烈な尿意をもよおした。でも、もう少し話をしたい。でも、我慢できない。
「ちょっとお手洗いに行ってくるよ」
僕は急いで立ち上がった。ミキが、行ってらっしゃい、と明るく言った。
僕がトイレに入ると、サトルさんが男性用の便器で用を足していた。僕は隣の便器へ。
「リュウ、ミキちゃんと盛り上がっているようだな」
サトルさんが言った。
「おかげさまで」
「ミキちゃん、いい女だぞ」
まるで知っているような口ぶりだ。僕は不思議そうな顔でサトルさんを見る。
「あの噂は本当だぞ。俺もこの前、ミキちゃんとセックスした」
「え?」
僕は思わず聞き返した。
「まあ、頑張れよ。でも、お前と穴兄弟になるのは嫌だな」
サトルさんの笑みが気持ち悪かった。酒の力を借りてぶん殴ってやりたかった。




