3話
「ねぇねぇちょっとみんな! やばいやばい!」
「はい? なんですの、ダイダイは少し落ち着きなさいませ」
「落ち着いてられないって! うちらの組、三限と四限の実技が担当官緊急招集で男子の実技見学に変更! しーかーも! その時間に実技やってる男子って一組じゃん!」
擬戦作戦会議の為に班員で二限免除の手続きをし、会議室の一つに集まったところで、情報収集に長けた橙が部屋に飛び込んできたかと思えばの爆弾発言に一気に室内が湧きたつ。
実技の授業。それは明日の擬戦のように巫女様が実際の天魔族の幻影を作り出し戦う実戦に近いものではなく、所属ごとに担当官が指示した術を使って見せるものだ。戦闘中は呆けて見ていられない各自の術の発動もじっくり見られる機会であり、特にサポート色にとってはありがたいものであるのだが、これが男子の見学となれば話が違ってくる。二年生までは一応学ぶことを優先とした学校の方針で男女別行動が多いが、それでもこうして一対の相手を探す機会というのは時折やってくるものだ。三年生になれば、実戦に組み込まれる為年上である既に卒業した人たちとの時間も圧倒的に増える。同じ学年に想い人がいる生徒たちが交流の機会に目を輝かせるのは必然だろう。……が、私はこの後の流れを察して気分が下がっていく。作戦が長引かないようにしなければ恨まれそうだ。
「え? 当然鶯班もよね? 白の王子が実技しているところが間近で……!」
「赤の王子も? ひぇえ……揃うなんてありがたや、仲が良くて癒される。二人を見守る壁になりたい」
「相変わらずだなチャイロは。視点がずれてる」
モモイロとチャイロが身を乗り出すと、アカが呆れたようにズレてませんと熱弁する為席を立ったチャイロを座らせた。それぞれがあの人も、あの人も、と盛り上がり始める。話題の中でも圧倒的な人気の白はうちの学年に一人しかいないので、……というより、白は後天的に変色した者が多いので学生では珍しいのであるが、それもあって注目度が高い。……それにしても、たしか本人たちは王子と呼ばれるのをひどく嫌がっているという話だったけれど。男子も男子で満のことを桜姫だとか呼んでいるらしいので、おあいこだとか言っている人もいたような。どっちにしても本人にはいい迷惑である。軍人は親しい相手以外に本名を名乗らない……暗黙のルールの弊害だ。
「とにかくそれならこんなことしてる場合じゃ……なんとしても三限に間に合わせないと!」
「待って待って。とりあえず方針は考え──」
「皆、どう? 作戦方針は決まった?」
アカが作戦の方針を説明しようと身を乗り出した時だった。がらりと扉を開けて顔を覗かせたのは、私たちの班の教官である翡翠中尉だった。
長い白銀の髪をきっちりと後ろに一纏めにし、女子の戦闘衣の一つである丈の短いスカートを合わせた巫女服で突如現れたかと思えば音もなく扉を閉め足を踏み出した教官を見て、教官、と慌てたように皆が立ち上がり敬礼する。答礼で答えてくれた教官が着席を指示し、皆が揃って着席すれば、全員先ほどまでの騒ぎの様子もなく、浅く腰かけた椅子で背筋を伸ばし、空気までもが張り詰めている。教官は与えられたその名の通り、緑所属の尉官だ。この班に教官として就いてから、しばらくは個々の能力を見るといって作戦は比較的私たちに任せてくれているのだが、擬戦前の最後の作戦会議には任務がなければ参加してくれていた。今回も今日に至るまでに次の擬戦の為に立てていた作戦をまとめたノートにじっと目を通していたが、辿る視線が最後の方に差し掛かると、やや眉を寄せてそうか、と呟く。
「ミドリが一次的に実家に戻っているんだったわね。代役はムラサキ予定……妥当かしら。紫は部隊で欠けを補う役目が多いもの。……ただ……」
ちらり、と先生の視線がこちらを捕らえ、顔には出さずこっそりと奥歯を噛む。教官も当然、私が二年生にもなって基礎術に苦戦しているのは知っている。
「教官、ムラサキ個人は攻撃力が高く、ミドリには及ばないまでも遠距離攻撃を得意としています。やや発動にラグがありますが、十分今回の作戦の一角を担えるかと」
「ええ、わかっているわ。アカ、この配置ならば、モモを完全にアカとアオへ。ハイイロをムラサキの補助がしやすいようにして、ダイダイは開始直後から先陣に」
「はい!」
どうやら教官も、今回の擬戦で成果が必要なメンバーがいることは知っているらしい。学年の中でも強さを誇るうちの班のアカとアオは今回やや控えめな作戦のまま話が進んでいくが、誰もが大人しくそれを受け入れていく。教官に逆らうつもりがないというのもあるだろうが、皆次の授業に間に合わせたいのだろう、ちらちらと時計に視線が飛んでいるのがよくわかる。
私たちの学校では、春の入学時は様々な条件から教師たちが男女別に班を定め、一年を通して一般的な勉学に加えて兵士としての基礎を学んだあと、二年生から本格的に能力や成績を加味して班替えが行われる。一年生に比べて格段に実践が増える二年生は春夏を前期、秋冬を後期とし、前期で実践と班の行動に慣れた後、後期で男女一班ずつを交代で組ませ一個小隊とし、三年生で部隊に所属となる為実戦に向けた演習を重ねていくこととなるのだ。
その際相性のいい相手を見つけることで、三年生の班決めは男女合同となり生徒自身にかなり決定権が委ねられる。となれば、学生のうちといえど命がかかっているのだ。成績がいい生徒に希望が集中してしまいそうになるが、それでも自主性が重んじられるのには理由があった。班を決めるにあたっての最優先は、一対の相手もしくは候補だ。多くは男女のペアであり、古くからこの国では一対の相手を運命と呼び、番と称し、互いを高め合える存在として大切にする。どんな悪人でも、見つけてしまった一対の相手には甘くなってしまう程の情が生まれる例もあるという。……それは色恋に浮ついていられないように見える軍でも、優先するのが当然とされるのが普通であった。
一対の相手を見つけた者は祝福が授けられる。長い歴史上無色同士ですら一対の相手を見つけて過ごしてきたのだから、力の強まる色付きの軍人同士で運命の相手が見つかるのなら離す理由がない。その関係は繊細で、教師から見て判断できるものではないのだ。
とはいえ、人間は運命の相手、というものを明確に判断できるほど力が強くなかった。古代に生きたと言われる竜の種族は明確に己の番を判断し、出会った瞬間に両者それを悟ると言われているが、ただの人間である私たちはそれほどの力がない。人間は、相性のいい相手を候補とし、大切にその関係を育てるのだ。それは目に見える形で私たちの前に現れる。
五歳で神から授けられ、全ての人間の胸の上で輝く水晶は、無色であろうが有色であろうが候補を得るところりと種のような水晶を持ち主に分け与える。初めは濁っているその種は、想いを育て上げれば開花と言われ、想う相手と同じ形の、透き通った己の色を写した宝石となる、らしい。開花したそれを交換することで一対の相手、パートナーであると証明することになり、交換した互いの石を加工し肌身離さず持ち歩く。女子の憧れの儀式であり、この軍学校でも女子の話題に上ることが多い。
明日見合いなのだというミドリは恐らく、相手側が種を授かり、ミドリが知らずとも相手側がミドリだと察して指名したのだろう。要は片思いのような状況だが、種が生まれている時点で相性がいい相手なのは間違いない。見合いと呼ばれる顔合わせをして相性が良ければいずれミドリも種を授かる。上手く育てられれば一対の相手となるし、もし砕けてしまえば運命を歩む中で互いは交差したものの通り過ぎたのだ、とも言われる。古代に生きた竜ほど人間の番には束縛力はなく、近頃は稀に無色の中に大して気にせず婚姻を結ぶ者もいるという話ではあるが、色付きにとって運命の相手を見つける事は必須の行動といってもいい。確率が高くなかろうと、二年生の後期で男女組になるのは、生徒たちにとって重要な時期となる。毎年この時期は全体の二割から三割は番と定まらずとも候補として種の相手を見つけているのだから。
無色からすれば自由がないと嫌う者もいる一対の種。私は得た事がないが、明後日班員の一人がそれを得るかもしれないと思うと、少しどくどくと鼓動が早くなる。多くは恋をして生まれると言われるその種を同い年の子が得るとなれば、それは少し大人の階段を上っていくようで、妙な緊張感があった。私は得ることができるのだろうか。それは本当に正しく幸せなことなのだろうか。私はいまいち一対の運命に憧れを抱けずにいる。……そんなことより、目の前に迫った擬戦が問題であるが。
淡々と議論を重ね、三十分ほどで話し合いはまとまりを見せる。やはり明日は、この班では珍しくも遠距離攻撃を主体とした陣形で挑むことになりそうだ。いい経験になるだろうと頷き立ち上がる教官に、アカが立ち上がって皆を見回した。
「ではみんな、これでいいな」
「はっ!」
立ち上がって声を揃えれば、にこりと笑った教官が次の授業に間に合わせなさいとほほ笑んで去っていく。そういえばきちんと聞いたことはないが、教官は確か一対の相手がいた筈だ。どんな変化があるのだろう、くらいの疑問はあるが、形はそれぞれだというので特に尋ねる機会もなく。なにより二年生の班に就く教官は誰もが皆現役で前線に配置されるのだから、そんな雑談を振るつもりもなかった。
「失敗したら承知しないわ。後期まで時間が無いもの」
アオの言葉で、ピリリと室内が張り詰める。だがすぐにくすくすと笑い声が漏れ始め、大丈夫でしょ、とモモが可愛らしい笑みを浮かべた。
「後期を前にして既に擬戦は公開制。各々が実力を発揮すればいいの、原因がわかりやすいのだし自滅するのは失敗した一人だわ。ねぇ? ムラサキ」
「なっ」
思わずその言葉に声をあげてしまった。確かに私が足手まといの原因を作っているのは事実だが、回復は……回復術に関しては、去年満と組んだ経験からもわかっていることがある。モモは、わざと、私に被せているのだ。それを証明できやしない私が何もいえないとわかって、わざと。彼女はそれができるだけの実力を持ち、また回避することも可能なのにそれをせず、敢えて外した回復対象に私が回復をかけようとしたところで速さを生かして先手を取る。机の下で隠れた手をぎりぎりと握り反論を潰す。無駄に揉めて、進級の道が閉ざされるのは避けなければならない。
そこでふと、こうして皆が見ている前で避難されるのが初めてであることに気づき、知ってしまった。キイロの楽し気な笑み。ああ、彼女はモモの行動に気づいていたのか。チャイロとダイダイの、アカとアオの顔色を伺う様子。彼女らも察していたらしい。ハイイロとアオの呆れたため息。アカの視線。……ああここももう、戦場だったのかもしれない。
「そうですね」
連携、仲間、そんなものの為に我慢して本当にあの憎き敵を倒すことができるのだろうか。これならやはり、あの時のように、一人で戦ったほうが。師の説得の言葉が遠のいていくような、がしゃり、と何かが崩れたような気持ちで、いつものようにゆるく口角を上げて見せる。
ふざけんなよ、絶対一泡吹かせてやる。
私がそんなこと考えてると思いもしないだろうモモが、ころりと表情を変え、楽し気に皆の先頭に立って歩き出す。
「さぁ、行きましょう? 私たちには大事なことがありますもの」