2話
「こーちゃん、もうすぐ清掃時間だよ?」
突如かけられた声に驚いて振り返ると、久々に本名である琥珀を略した仇名で私を呼び声をかけてきたのは、別の班に所属する幼馴染の満だった。
もうそんな時間なのかと驚いて腕時計型端末の時間を確認すれば、既に時刻は午後九時二十八分。まもなく少年兵である一年生たちが清掃に入る時刻であり、それを邪魔しては下級生の貴重な睡眠時間を削ることになりかねない。
「ありがとうみぃちゃん、気付いてなかった」
「また無理してるんでしょう。駄目だよ? いくら魔力量が多いこーちゃんと言えど、使い過ぎたら激痛で動けないからね?」
もう、と怒ったように僅かに頬を膨らませて抗議する幼馴染の首元では、きらきらと相変わらず淡く柔らかい桃色の水晶が輝いている。彼女はうちの学年で成績上位の桃所属の生徒であり、二年生で班が分かれてからは会話の機会も減ってしまい話すのは久しぶりだ。班の活動では本名なんぞ不要とばかりに所属先の色名で呼び合うのが普通のこの学校で、あだ名とは言え私の名を呼んでくれる貴重な存在。この学校で、唯一気が置けない友人だ。
端末で訓練場使用終了を選択し、集まり始めた下級生に謝罪して二人でぱたぱたと廊下に出る。久しぶりだしこのまま寮まで一緒に帰ろうと歩き出せば、満はふうと息を吐いて腕を伸ばした。
「それにしても、こーちゃんと話せるの久しぶり! 本当に二年生になってからは勉強と訓練が忙しすぎて他の班と関わる時間ないよね。これでどうやって三年の班を選べっていうのかしら」
「まぁ、ほとんどは先生の推薦で班員交代して決めていくって話だし」
「私たちはまた来年一緒に組もうね! 紫のこーちゃんと桃の私、回復のタイミングも支援もばっちりだったじゃない?」
「去年は確かに……でも、うう……このままじゃ進級が危ない……」
「えっ? まさか! どうしたの、一年の時から筆記試験はトップクラスだし、実技だって紫じゃ高い攻撃術使えるんだし……」
「筆記試験はともかく……いくら上級術が使えても、二年になって軍人として最重要の隊行動が増えたでしょ? 下級術の制御が苦手な私じゃ……後衛必須の前衛の戦況読むのが下手すぎるのと、私がとろくてついていけないせいで、現状評価が最悪で……」
いつも先生に怒られるし、と驚く満にぽつぽつとここ最近の成績や状況を語る。もちろん、声は潜め、灰色に及ばずとも防音結界を張りつつだ。
私は確かに退魔の力が強かった。というのも、引き出せる魔力量が多い、という意味だ。基礎術と呼ばれる下級術は消費魔力量が少なく、単純な構成をしている為扱いやすいのが普通であるが、私は逆だった。多すぎる魔力量の扱いに苦戦し、下級術では構築する魔力量が多すぎて暴発させてしまうことがある。消費魔力の多い上級術のほうが出来がいいというある意味癖の強い戦い方になる為、連携必須な戦場では出来損ないもいいとこだ。
一年生の時私たちは「色掛け班」と呼ばれる、基本九色のどれかがいない班であった。五歳の時点で自分の持つ力の判定がなされるが、その数は無色と色付きだけではなく、色付きの中でも比率はばらばらである。よって同じ年齢が集められる学校では人数に差がある為、例外の白黒を除いても、班によって青がいなかったり、緑がいなかったりという場合があった。それが、色欠け班、と呼ばれている。
欠ければ当然一人当たりの負担が大きく、大技を扱う機会が後衛に流れ、私にとってはむしろ安定する班に所属していた。だが実際は前線に立つ主力部隊において色掛けは少なく、慣れる為にと先生が色掛け無しの班に所属させてくれたのだが、結果私は欠点を克服しないまま班員に迷惑をかける、お荷物要員として過ごしていた。努力していないわけではない。だがどうしても、四回に一回は失敗するお粗末さなのだ。
並んで歩く満に、次の擬戦では緑所属の人の代わりに前に出て成果を出さなければいけないのだと言えば、満は少し眉を寄せ、んん、と小さく唸る。
「難しいね、確かにこーちゃん、簡単な術程制御に時間かかってたっけ。ほんの一秒でも遅ければ、確かに明確に差が出るか」
「うん。例えば私が回復術構築した一秒後に桃所属の人が術を構築すれば、発動は確実に負ける。攻撃に転じても、速度、威力……前衛色には及ばない。紫に求められるのは、確かな状況判断力と術力増大などの支援術……」
「こーちゃん、小さい頃から橙の親戚を師に修行してきたから、紫にしては単騎向けな動きが身についてるもんね……」
私の実家は……父は、橙、黄の色付きを多く輩出してきた名家の当主だ。紫は橙に似てバランス型のこともあり、師についたのは橙に所属した軍人だ。橙と紫で一番大きく違うのは、単騎を得意とするか集団を生かすか。私はものの見事にそこを履き違えた上に、基本の術の制御に手間取る後衛色となったわけだ。家の様々な事情から紫の師が見つからなかったということもあるが、幼い頃は敵への恨みから高い攻撃力を誇る前衛色に引けを取らない強さを欲しがってしまった、傲慢な考えのせいでもある。師と師の友人に『あの』大規模侵略の時諫められなければ、私は軍に所属する可能性すら潰えていたかもしれない。
「でもまだよかったんじゃない? 緑の人の代わりなら、前衛部隊とは言え中距離でしょう。こーちゃんの得意範囲じゃない?」
「……そうだけど、私は能力的に結局後衛部隊だもん。前衛の攻撃力には劣るし……ああ、兄上みたいに赤だったらな」
「んー。確かにこーちゃん、紫としては癖があるかもしれないけど戦果を残すなら、って……あー、そっか。そっちの赤青って……それは確かに動きにくいか、強いもんねあの二人」
私たちはそれぞれ与えられた色で所属先が分けられる。また、色によって得意不得意がある程度決まっている為に、班での役割もある程度方針が決まってしまうのだが。
例えば紫所属の私は実戦において、後衛部隊に分類される。扱える得意な魔術は支援、回復系が多いとされ、攻撃術も覚えることが可能な色だ……が、要はよく言えば苦手分野が少なく、悪く言えば中途半端、器用貧乏になりやすい。とはいえ貴重な回復術を多少でも扱える為、火力特化の赤や青のフォローとして相性がいいとされ班内で役割が振り分けられる。
満は桃所属だ。完全なる回復特化であり、代わりに攻撃術の相性は非常に悪く扱えないことが多い。成績優秀者である満も使える攻撃術は赤の基本初級魔術レベルであるというし、同じ術でもその威力の差は激しいが、回復術において右に出るものはいない。回復術を持たない赤青に紫と共につくことも多く、満と去年は同じ班だった為一緒に行動することが多かった。幼い頃から共にいる満だからこそ、一年生の少ない班演習の中ではそこそこの成績を残すことができたのだが、班が変わってここまで成果を残せないのならば、兵として扱いにくく致命的だと言われても頷ける。
色欠け班であれば多忙となるのが、紫や黄といった苦手分野の少ない色なのだが。学生である私たちは高評価を得る為に班内でも競い合っているような状況であり、はっきり言ってしまえば獲物の取り合いだ。前衛に今一歩届かず、回復術は桃に負け、支援面においても回復を捨て支援特化の黄に及ばない。紫という色の特徴を示すのは確かに難しいのであるが、一番の問題は私の状況判断力であろう。簡単に言えば、私は自分の力の生かし方がわかっていないのだ。
「一年生の時、いろいろ恵まれていたんだと思う。二年生になって力が全然出せなくて、状況についていけてないこともあるし、完全に場の空気に飲まれて後手後手。実戦ならとっくに死んでる気がする」
「実戦かぁ。こっちは青欠けだから前衛が足りなくて、桃にも攻撃が回ってくるの。ああ、模擬でこれだけ苦戦して、実戦大丈夫かな」
「桃に攻撃させるって……でも先生たちはどんな班でも実力を出せるのが優秀っていうし、仕方ないのかな? 焦ってきた。ほんとうちの班の人たちすごすぎてついていくの必死で」
「私も、回復で手一杯なのに流れてきた弱り切った敵一匹倒せないのかってリーダーに怒られちゃったよ。周りに言わせたら回復に余裕を持てないのが悪いって……まぁ、そうなんだけどさぁ」
はぁ、と二人そろって特大のため息を吐くと、目を合わせて思わず苦笑する。
「連携謳ってるくせに生徒同士で競ってどうするんだろね。まぁ、私は桃だから討伐数はあまり重要視されないんだけど……最近、敵が増えて強くなってるって先生たちが噂してたの。お父様が言うには、恐らくその余波で学校の生徒にも競い合わせるようなきつい指導が入ってるんじゃないかって」
「……白光交じりの鬼も?」
「こーちゃん」
強い敵が増えている。それならばあの月の光のような炎を纏う鬼の姿の天魔族もいるのだろうか。思わず聞き返せば、眉を寄せた満が唇を震わせる。
「白光する炎を纏う鬼は十年前に確認されてからこれまで二度だけだよ、現れたのは。……未だ一般には未発表だし」
「そう、だよね」
それぞれなんの因果か色のついた炎を纏う、私たち共通の敵、天魔族。多くは赤、青、緑、茶、黒に分類される炎だが、闇の中でも自ら白光するような青白い炎を纏う天魔族は、天魔族たちの中でも最強種であると囁かれていた。天魔族の多くは四肢の獣のような姿であるのに、限りなく人型に近い角を持つ白光の炎。これまで二度、たった二鬼しか確認されていないが、一撃で私たち色付きが守る空陸の次元を突き破り、無色の人々が生活する現陸まで攻撃を届かせた、一番憎く、恐ろしい相手だ。ぎり、と知らず拳を握ってしまい、満に手を取られてはっとする。
「焦っちゃだめだよこーちゃん。小さい頃から厳しい修行に耐えてきたんだから、必ず倒せる機会はやってくる。一人で行っちゃだめだよ、約束忘れないで」
「……うん」
父に引き取られた後。家が近いからと共に修行した大切な幼馴染はいつも、私と並んでくれていた。
「……擬戦がんばる」
「うん、頑張ろう! あー、全然話足りないけど……寮監怖いんだよね、戻ろっか」
そだね、と苦笑し合って手を振る。一年生の頃は大浴場優先であったが、訓練が重要視される二年生から部屋にシャワー室があるのがありがたい。ぱっと済ませて次は予習、と頭で予定を組み立てながら、一時の安らぐ時間に終わりを告げた。