12 部下の目 キースside
キースは何とも言えない笑みを浮かべた。
「フフッ。どうして、こうも面倒な事になるんでしょうか」
上司であるオッカムはまだ勤務交代時間にならないのか来ていない。
王太子殿下の護衛の任を放り出すなど無理だろうとわかっていて煽ったのだが、早めに交代して来るぐらいはすると思っていた。
こんなことなら、もっと煽っておけば良かったかもしれない。
目の前をチラリと見る。
何度見ても、残念ながら現実は変わらない。
「予想通りというか、それ以上ですね」
夜の食堂も閉まり始め、深夜に賑わいをみせる酒場へ客が移る頃。
表通り以外は一定区間毎にしか街灯のない暗い路地。
丁度月明かりも雲で隠れてしまっていた。
キースのいる建物の陰から見える路地にはふたつの人影。
ひとつは言わずかもがな、上司オッカムが気にかけていた元容疑者ベルフィーユが帰宅すべく歩いている。
もうひとつは、食堂から出たベルフィーユをずっとつけている者の影だ。
そして、その様子を陰から見張っているのはキースのみ。
「さてさて、何が起こるのでしょうか」
薄ら笑いを浮かべながら、また路地の様子を窺う。
どうみてもベルフィーユは何者かに後をつけられている。ベルフィーユ自身は後をつけられている事に気付きもしない。
キースはオッカムに予め告げた通り、露店商人の見張りを変わる前にベルフィーユの働く食堂で夕食をとっていた。
そして予感通りというか予想通りというか。良くない方へ転んだ。
昼間にベルフィーユが揉め事を起こした露店商人が食堂に食事をしに来たのだ。
しかし別に口論になることや暴力沙汰にもならず、露店商人は連れと酒や食事とったら宿に帰っていった。
やや早い帰宅だったのが引っ掛かったが、ここまでは大した問題ではない。
精々、上司であるオッカムにベルフィーユの危機の可能性を報告して煽るぐらいだ。
あの上司とは約一年の付き合いになるが、普段からよくふざけたりヘマしたりと隙だらけに見えるが、これがどうして実際に狙うとなると中々隙がない。
普通の人間ならばかなり酷な仕事もしれっとこなすし、何だかんだゴネつつも必要とあらば非人情的な決断もできる。
だからと言って冷徹なわけでもなく、何を考えているのか。飄々としていて掴み所のないので腹の中が読めない。
どちらかと言えば優しく面倒見が良い上司だが、やたらと好戦的で仕事中や訓練時にはここぞとばかりに戦おうとする戦闘狂。それに付き合うのが面倒な事も多い。
そんなオッカムが、今回のベルフィーユに関してだけはいつもと反応が違った。
私情なのか、何かセイレーン誘拐事件との関わりがまだあるのか。勘や何となくでははっきりしない。
現段階ではわからないが、取り敢えずベルフィーユを容疑者から外したならば構う必要はない。
例え誘拐犯にベルフィーユが目をつけられても、犯人の尻尾を掴むなら業と游がせるなりして囮にすればいい。中途半端に庇ったり助けたり深追いすべきではない。
ただ何も知らずに犯人に利用されているならば、唆して芋ずる式に引っ張り出すのに使えばいい。
普段のオッカムならば、ベルフィーユのような都合のいい小娘は犠牲覚悟の囮、情報源の駒に使っただろう。その方が捜査がスムーズだ。
ところが今回は違った。オッカムの反応から推測するに、そもそもベルフィーユを使うのが駄目らしい。
だから面白くてつい煽ってしまった。
何とも人間らしい隙だ。このままいくと弱点にもなるかもしれない。まぁ、まだ結果はわからないが。
さて、問題はここからだった。
キースが食事をのんびりとりながらオッカムが来るのを待っていたら、ベルフィーユが仕事をあがる時間になってしまった。
オッカムが食堂での夕食を食べ損ねることになったが、そんなことは些事だ。
残念な上司の顔を思い浮かべつつ、この後をどうすべきか僅かに逡巡した。
露店商人が帰り、ベルフィーユがあがった食堂に用はない。
女将のニシャに会計を頼み、キースはすぐに食堂を出た。
食堂を出た向かいは露店商人が泊まる安宿。
外の空気を吸いながらのびをして首を捲らせ自然に宿の二階窓を視界へ入れると、キースの一瞬の視線を狙っていたかのように露店商人を見張っているはずの妹から合図があった。
そのまま視線を捲らせ自然に通りを見ると、通りの端にはベルフィーユが帰路についている小さな後ろ姿。
そのベルフィーユの後ろを一定の距離を保ち歩く黒ずくめの服装をした男。
ちらほら通行人はいるが、男の暗闇に溶け込む姿から誰も気に止めていないようだった。
当然ながらベルフィーユが男に気付く気配はない。
これは妹が露店商人の見張りの交代はいいからベルフィーユを追えとの合図だろう。
追ってベルフィーユと男の関係又はセイレーン誘拐事件との繋がりと調べろ、と。
「フフッ、オッカム副隊長は間に合いますかね」
こうして尾行の尾行をすることとなった。
当然だが、今から目の前でベルフィーユが男に襲われたとしてもキースは助けない。
ただ陰から様子を窺いどうなるか結果を待つ。
殺されるなり誘拐されるなりしても男の尾行を続け、行き着く先を調べるだけだ。
キースとて別にベルフィーユが嫌いだから助けないわけではない。
今は任務中だからだ。基本的に任務中に自分がどう思おうが私情は優先しない。
そうしなければ全てが失敗に終わるものや、更に悪い結果になるものもある。
ひとりで追っている時点で選択肢はそれほどない。
ベルフィーユを助けて男に逃げられたら、原因や事件との何らかの繋がりがわからなくなるかもしれない。
今回の場合、もうひとり仲間がいたら役割分担できるので助けてもいいが・・・
突然、男がベルフィーユとの距離をつめだした。
キースから見える範囲に武器は見当たらない。
男が素手でベルフィーユを背後から羽交い締めにしようとするのが見える。
殺すわけではないのかと、冷静に男の動きを目で追う。
オッカムに何と報告しようかなどと考えていると、予想外の事が起きた。
――――ガスッ。
何がどうしてそうなったのかわからないが、突如ベルフィーユが肘打ちを背後の男にキメた。
は?
まさか男に気付いていたとか?
「ぐぇっ!」
男から情けない声が出た。
見事に鳩尾に肘打ちがキマッたようだ。
「え?」
男へ振り返ったベルフィーユのきょとんとした顔が暗闇でもよく見えた。
どうやら背後の男に気付いていたわけではなく、偶然肘打ちがキマッたらしい。普通、偶然肘打ちすることがあるかは謎だが。・・・普通はないな。
「ちっ、何故不意打ちがバレたんだ」
苛立ったように男が舌打ちをして、ベルフィーユの腕を掴んだ。
ベルフィーユの反応を見る限り、別に不意打ちがバレたわけではないがそう思ってしまうのも仕方ないぐらいの偶然だ。
「え?誰?」
そんなこと言ってる場合ではないと思うが、暢気なベルフィーユの声に緊張感が抜けそうだ。
このお嬢さんは自分が襲われそう、又は現在進行形で襲わるところなのがわかっているのだろうか。
ふと、視界の端に変化が起きた。
キースはそれを視認して口許が吊り上がる。
「フフッ、間に合ったみたいですね」
もうひとつ。
暗い路地に人影が増えた。
ふたつの影に走り寄る新たな影。
続いて重い衝撃音が人気のない路地に響いた。
くぐもった呻き声が漏れる。
暫くして、ベルフィーユに襲いかかった男が来た道を戻るように慌てて走り去った。
「さて、わたしは尾行続行ですかね」
面白くなってきたと、キースは足取り軽く男の後を追って暗闇に消えていった。