11 食堂の客
フェスティバル仕様の街灯が輝き、夜の海に光が幻想的に浮かび上がる水の都サーリンシー。
近所の常連客や向かいの宿からの客が押し寄せごった返す《シーミード》の店内では、カウンター奥の厨房で大柄で厳つい顔の店主ルケスが調理する背中が見える。
カウンター席の近くでは常連客に酒を振る舞い、賑やかな話をふる美人女将ニシャ。
くるくると踊るようにテーブル席の間を往き来し、笑顔で料理を運ぶ店員ベルフィーユ。
「嬢ちゃん、こっちに全員の酒とシーナッツとゲソ揚げくれ!」
「こっちにも追加で酒の海鮮盛りなー」
「お、今日は大ガジキのステーキあんのか!俺はステーキにするぜ!!」
「はーい!只今お持ちします!」
飛び交う客の声にベルフィーユが答え、ルケスが次々と料理をカウンターに並べていく。
「はい!先にお酒お持ちしました!」
「おう、ありがとな!」
「こちらはつまみのシーナッツとゲソの唐揚げです」
「これこれ!やっぱ酒にはゲソだな」
客がゲラゲラと酒を呑みながら騒ぎ出す。
―――カランッ、カランッ。
ベルフィーユが客達の陽気な声に答えながら給仕していると、食堂の入り口に取り付けられたベルが乾いた金属音を鳴らした。
話に夢中だったり、食事を堪能していたり、酔った客達は新たな客には見向きもしない。
調理に忙しいルケスや、客との話が盛り上がりすぐに気づかなかったニシャと違い、入り口近くで接客していたベルフィーユはすぐに音に反応した。
ベルフィーユが新しい来客に笑顔で目を向けると、先にベルフィーユを認識したのであろう客が呻いたところだった。
「げっ」
とても嫌そうな呻き声。
何事かと眉をひそめたベルフィーユが目を合わせると、扉の前には思わぬ人物がいた。
今日の昼間に揉めたばかりの露店商のつり目男が、艶やかな美女と連れ立って入ってきたところであった。
つり目男はけして醜男ではないが、普通の顔だ。
露天で違反物を販売するからには、個性的だったり目を引く容姿ではよくないだろうから、つり目以外に特徴がない普通の顔立ちは実に役立つであろう。
それだけに連れの焦げ茶色の髪をした美女が何故この男と一緒なのか謎だ。控え目に言って勿体ない。
人を美醜で判断する気はないが、つり目男に今のところいい所が見当たらない。
「昼間の・・・」
思わずベルフィーユも接客用の笑顔を忘れて顔を顰めてしまう。
忘れ去るにも直近過ぎる記憶で見てみぬフリが難しい。
オッカムがこの男に何も見なかった事にすると言っていたが、こうして偶然遭遇した場合はどうすればいいのだろかと判断に迷った。
本当は何食わぬ顔で接客するのが正解なんだろうけど、向こうが先に「げっ」とかリアクションしてきた場合はどうすればいいの?
流石に知らないフリはもうできないんだけど。
周りのお客さんも「何だ?知り合いか?」ってこっち見てるし。
昼間揉めた人ですって言うわけにもいかないよ!?
ベルフィーユが内心あわあわしていると、つり目男の方から話しかけてきた。
「ちっ、昼間のお嬢さんじゃないか。ここの店員だったのかよ」
「露店の違は、ん・・・ごほんっ、何でもないです。いらっしゃいませ」
うっかり違反商人と言いかけてしまい、慌てて咳払いして接客用の笑顔を顔に貼り付ける。
「あら、こちらの可愛い店員さんは貴方の知り合い?」
「昼間にちょっとな・・・まぁ、大したことじゃない」
「ふ~ん?」
つり目男には勿体無いくらいの美女が面白そうにベルフィーユとつり目男を見比べている。
エンジェーナとは違った種類の美人だ。
エンジェーナはまだ少女なのもあるが、ほっそりと華奢で繊細そうな外見なのに対している。この美女は艶っぽい華やかな顔立ちに出るとこ出ていて腰はほっそりと絞られている。実に男受けがよさそうである。
「ほらっ、お嬢さん。俺は客だぞ。客である俺と美人さんに酒でも持ってきてくれ」
誤魔化すように笑みを浮かべたつり目男は美女を連れて空いていた席に座ってしまう。帰ってくれればいいのに。いや、普通に帰れ。
「・・・畏まりました」
しかし、内心どう思おうと勝手に食堂の客を追い出すわけにはいかない。
さっさと酒でも食事でも提供して帰ってもらおうと、ベルフィーユは仕事をすべくカウンターへ向かったのだった。
「ベルフィーユ、気をつけて帰りなさいよ!」
ニシャが仕事の疲れを見せない快活な笑みで手を振ってくれた。
「はい!お休みなさい」
そのまま接客に戻る姿に手を振り返し、ベルフィーユは帰路につく。
いつもは昼から夜の営業の食堂も、フェスティバルの期間は夕方から深夜過ぎまでの特別営業だ。
その為、まだ年若いベルフィーユはあまり帰りが遅いと危ないからと、夕食時の繁忙時間を過ぎ店内が落ち着いたらあがれるように、心配性のルケスがタイミングをみて帰してくれている。
つり目男という予想外の来客もあったが、何事もなく帰ってくれた。
今日も無事に終わった。
昨日今日は灯台から落ちたり露店商人と揉めたりと、アクシデントがあったのでベルフィーユはとても疲れていた。
「・・・でも、そのお陰でオッカムに会えたからなぁ~」
ふぅ、と息を吐く。
疲れていても、オッカムを思い出すと自然と笑みがこぼれた。
まだまだ謎の多いオッカムだが、昨日今日の偶然の付き合いではよく知れたほうだろう。
ベルフィーユとて人には知られたら不味い秘密がある。オッカムが昨年助けた青年ならば伝えなければならないこと。
否、本来ならアレを渡す前に知るべきことだった。
「どうしよう」
オッカムに惚れてしまった今、同一人物であってほしい思いがある。水夫でないのならば、エンジェーナが言っていたように伴侶にと、ベルフィーユにとって都合のいい希望をもってしまいそうだった。
こんな上手い偶然があるわけないのに。
オッカムがあの人ならば、ベルフィーユの感情など関係なく上手くアレ返してもらう方が賢明だ。
ただ・・・一番の問題は、オッカムが知らずにタブーを犯す条件を持っていた場合だ。
「確認しないと」
気合いを入れるべく、両手のひらを胸の前で握りしめる。
脇をしめた拍子に肘が後ろに突き出たのか、何かにぶつかる感触がした。
「ぐぇっ!?」
背後からくぐもった呻き声。
考え事をしていたので、周りに不注意だったらしい。
「え?」
不思議に思い振り向くと、ベルフィーユの真後ろに人がいた。
明らかに怪しい黒ずくめの服装。
深く被った帽子や鼻下まで口許を覆ったスカーフ。
暗い街灯のせいで顔は見えないが、身長や体格、低い声質から男性のようだ。
「ちっ、何故不意打ちがバレたんだ」
怪しい男が舌打ちをして、ベルフィーユの腕を掴んできた。
「え?誰?」
突然のことに混乱しながらベルフィーユは思った。
―――今日は無事に終わらないようだ、と。