9 夕の食堂
(オッカムがキースの報告を受けている頃)
イノンド王国内でも南部に位置し海に囲まれているサーリンシーはその土地柄、夜になってもかなり蒸し暑い。
フェスティバルの観光客が夕食や遊び場を求めて闊歩し、街はいっそう熱気を増した。
そこそこ賑わいを見せる通りにある食堂《シーミード》。
ベルフィーユは一年前サーリンシーに住むことになってからずっとこの食堂で働いている。
食堂の店主夫妻は、今は離れて暮らしているベルフィーユの両親の古い知り合いらしく、不慣れなベルフィーユがしっかり自立できるように食堂で働かせてくれている上に、今住んでいる借家の大家さんへの紹介や日々の世話まで焼いてくれている。
店主夫妻には子供がいないらしく、まだ短い付き合いだがベルフィーユのことを我が子のように可愛がってくれてとても感謝している。
開店前の料理の仕込みしている大柄で強面の中年店主ルケスの手伝いをしていたベルフィーユはふと思い出して口を開く。
「そういえば、セイレーン誘拐事件でセイレーン以外にも可愛い人が消えてるって噂を聞いたんだけど、ルケスさんは知ってた?」
思い返すのは今日の昼間、オッカムやエンジェーナとセイレーン誘拐事件について話した内容。
その中でも、オッカムがサーリンシーを訪ねた理由でもある知人の可愛い女の子が行方不明になってしまい探しているという事。
その女の子の事が心配になる一方で、オッカムと女の子の関係が気になり胸の辺りがモヤモヤした。
ベルフィーユの表情が曇ったのを誘拐事件に対しての不安からだと誤解したルケスがただでさえ厳つい顔をさらに顰めた。
ルケスは厳つい顔にぶっきらぼうな低い声でよく近所の子供に泣かれてしまうが、そのことにショックを受けて笑顔の練習をする可愛いおじさんである。まぁ、練習の成果は実を結んでいないが。
「誰に聞いた?・・・うちの客じゃないな」
「うん。昨日知り合った人から聞いたんだけど、サーリンシーに遊びに来た友達も知ってたから、結構噂になってたのかな?って。私全然知らなかったからびっくりしたよ」
結構噂になっていたならサーリンシーに住み働いているベルフィーユの耳に自然と入りそうなので不思議に思い聞いたのだが、ルケスは難しい顔をして押し黙ってしまった。
「ルケスさんも知らなかった?」
ルケスも知らないなら食堂のお客さん達の話にも出たことがないのだろう。そんなに広まっている噂ではないのかもしれない。
内容は穏やかなものではないのでルケスは顔を顰めているのかもしれないな。と話を流そうとしたら、ボソッと返事があった。
「・・・いや、知ってる」
「そうなの?ルケスさんは何処で聞いたの?」
苦虫を噛み潰したような顔から追求されたくなかったのだろうと察せられたが、ベルフィーユは敢えて無視して追求する。
「ここのお客さんが話してたのなら私も聞いたことありそうだけど、そんな噂初めて聞いたよ」
じっとルケスから視線を外さずにいたら、諦めたように盛大なため息を吐かれた。
「はぁ~、お前はしつこいからな。・・・知り合いの警護兵から聞いた」
「警護兵に?」
「ああ。食堂に出入りしてる客で最近見ないやつはいないかとか、怪しいやつがいないかとか聞かれたからと少し聞き返したんだ。けど、まだ証拠があるわけじゃないし、捜査中の事はベラベラ喋るもんじゃないからな。下手に喋るとベルフィーユが怖がるかと思って黙ってた」
「そうなんだ。それならよく知れた噂じゃないんだね」
返事をしつつも、何故オッカムがその噂を知ることが出来たのか少し引っ掛かった。
いくら行方不明になった知人を探すためにセイレーン誘拐事件を調べているからといって、一般人に警護兵からの情報がそう簡単に漏れるとは思えなかった。
ルケスのように現地で商売や情報を多く持つ者ならば、警護兵から捜査上情報提供のために説明などかあり知っていてもおかしくはないだろう。
思考に耽っていたら、ルケスが次の仕込みの指示を飛ばしてきた。手が止まっていたらしい。
せっせっと魚に下味を揉み込んでいると、ルケスがチラチラとベルフィーユの様子を窺っているのを感じて顔を上げる。
「何か間違えてた?」
てっきり指示を間違えていたか、ベルフィーユが指示の解釈を違えたのかと思って聞いたら、気まずそうに視線を逸らされた。
「いや、・・・その、どんなのだ?」
「え?」
やたら小さな声でボソボソ言うから聞き取りづらい。
大きな体躯と声量が合ってなさすぎる。
「ほら、昨日の夜も仕事しながらうちのとも喋ってたろ?」
昨日の夜?とベルフィーユは首を傾げて考える。
大柄で厳ついルケスの妻ニシャは快活な笑顔が眩しい美人さんだ。今は足りなくなりそうな食材の調達に出掛けている。
「ニシャさんと?」
「今言ってた昨日知り合ったやつ。そいつだろ?」
「あぁ!オッカムの事?」
確かに、昨日はオッカムに灯台から落ちたところを助けられた上に、あの人かもしれないと少し興奮していたので、目敏いニシャに問い詰められて助けてもらった事だけは話したのだ。
「そうそう、オッカムってやつ。噂を知ってるなんて何してるやつなんだ?」
ルケスの目付きが鋭くなり、厳つい顔がさらに強面になる。
「さぁ?秘密って言われたからわからないよ。でも、今日も助けてくれたいい人だし、知り合いが行方不明で探してるみたいだから、その過程で噂を聞いたのかも?」
「秘密って、めちゃめちゃ怪しいやつじゃないか!?しかも、今日も?・・・助けてもらったって、お前、何したんだ?」
じとっとした目を向けられたので、ベルフィーユは次の仕込みに集中するフリをして目を剃らした。
「何したんだ、ベルフィーユ?」
暫くフリで流そうとしたがルケスの視線は外れない。
しびれを切らしたルケスにもう一度問われて渋々口を開く。
「ルケスさんもしつこいよね」
「俺はちげーだろ。不審な男にうちの従業員がたぶらかされてないかとか、危ないことしてないかの確認だ」
「え~、信用ないなぁ」
だいぶ正論が返ってきて反論できないので、苦し紛れに唇を尖らせ不満を呟くしかない。
ルケスがため息を吐いてから真面目な顔を向けてきた。
「・・・昨日は高いとこから落ちたんだろ?」
「うぐっ、」
昨日の事はニシャに聞き出されているから、当然ルケスにも筒抜けだ。
流石に灯台の展望デッキから落ちるほどの命の危機だったとは言えなかったので、普通に着地できない高さから落ちてしまった時に助けられた事を伝えた。
それでもかなり心配され、滅多に怒らないニシャに怒られたので真実などとてもでないが言えない。
しかも昨日は不慮の事故だったが、今日の昼間はベルフィーユが向こう見ずに露店商人に突っ込んだ注意をしたせいなので完全に自業自得だった。
絶対にまた怒られるし、心配させちゃうよね。
「今日も助けられるような事をしたのか?それとも、ベルフィーユをたぶらかす為に、そいつが仕組んだのか?」
「ち、違うよ!?私が無茶したから、オッカムは偶然助けてくれただけだよ!!」
まさか、オッカムが変な風に疑われてる!?
何で?そもそも私をたぶらかすメリットが無さすぎるよ。ルケスさんの思考がぶっ飛びすぎててわからない。
オッカムはセイレーン誘拐事件を追う上で偶々私が目についたのと、ただの親切心から助けてくれただけだと思うんだよね。
今日別れる前にデートしようって言ってたのも、今後警護兵側の新しい事件の情報をエンジェーナから得るためだし。
「・・・ふんっ。偶然、な」
明らかに信じていなさそうに片眉をあげるルケスは放っておいて、ベルフィーユはひとりでうんうんと頷きながらオッカムの笑顔を思い出し、自然と口許に笑みを浮かべていた。
ヒーローみたいにベルフィーユを助けてくれたカッコよくて優しいオッカム。
・・・オッカムがあの人だったらいいのにな。
薄れかけた記憶の中。
あの日のことを思い出そうとする。