《いやいやまったく面目ない》ギガント満代
「おおぅ!おはよう!!」
ギガントが景気良く道場に入ってくる。いつもより30分早い到着である。
宮原から冴木を通して金メダリストが道場に来た事を知らされたからである。
さきほどの冴木の様子を思い出す。
ーーどうするギガント。どうしようぅ…。
(あらカワイイ。)
電話の先で狼狽えまくって挙動不審になっている姿が目に浮かぶ。
きっと両手でスマホを持って、小さく丸まってるんだろう。
普段は“最強のレスラー”とか言われて凛としているくせに、
こうゆう時、変に可愛くなってしまう。
この女は荒事以外は本当にウブだ。
なまじ真面目で責任感もあるから気楽に流す事も出来ない。
もっとも、だからこそギガントは冴木を見捨てられない。
冴木が“最強のレスラー”たるためなら自分がいくらでも矢面に立つつもりであった。
「…ギガントか。」
道場に入ると冴木は既に道場にいた。背筋を真っ直ぐに立てて腕を組んで
厳しい表情をしたままギガントの方を振り返った。
道場では宮原と秀美がもくもくとスクワットをしている。浅川は既に休憩に入っていてのんきにドリンクを飲んでいる。
宮原はもう汗だくでドロドロになっているが、秀美にはまだ余裕が感じられる。
(…宮原。)
奴の事だ。プロの意地で秀美より先には絶対に音を上げない。
そして、冴木はそこに出くわしまったのだろう。
止めるべきなのだが、宮原の意地が理解出来るだけに、どうしたら良いか混乱してしまっている。
なんとかそれを悟らせない様に凛とした姿勢を取っているが、もうイッパイイッパイだ。
(ふぅ、やれやれ)
ギガントは頭を掻きながら道場に入る。ここは自分が事態を締めるべきだろう。
「よう、冴木っちゃん。さすがに今日は早いな。」
冴木の肩を叩いてやる。案の定、ガチガチだ。
「よう来たなぁ、金メダリスト。」
「ギガントさん。お言葉に甘えて来ちゃいました。今日はお世話になります!」
なんとも元気の良い挨拶だ。
(何だよコイツ。余裕あるじゃん。どんな体力してんだよ。)
「よし、お前らチョ~と休んでな。私たち準備してくるから一息ついてろよ。」
ここで一度練習を中断させた。宮原は明らかに限界だったが、口には出さない。
「ホ~ラ宮ッチ、水分補給だよ。」
浅川が宮原にドリンクをわたす。
宮原は無言で受け取ると、背筋をしゃんと伸ばして平然と飲み始める。
少し膝が笑っているが、根性で強引に押さえ込もうとしている。
(宮原ぁ。金メダリストの体力も想像以上だが、お前の意地も大層なモノだ。)
すると、冴木が宮原の後ろから、頭にタオルを被せて無理矢理椅子に座らせた。
「…汗、よく拭いとけ。」
そう言うと、宮原の頭を黙々とタオルで力一杯こすり始める。
冴木の目が少し潤んでいる。宮原の意地に感動しているようだ。
なにかしてやりたいが、どうしたら良いか解らなくて、こんな事をしてしまっているのだろう。可愛い奴だ。
しかし、めいっぱいこすられて実は結構痛いと思うのだが、黙ってされるがままになってるあたり、宮原にも真意は伝わっているのだろう。
「ねぇ、宮ッチ。」
秀美が声をかけてくる。
「アタシ、宮ッチのこと超大好き!」
満面の笑顔で秀美が言った。
「…ハァハァ、そ…そうですか。ま、まぁ、やっと腹がこなれた程度ですけどね。」
宮原が息を切らせながらも不敵な笑顔で返す。
(ホント、お前の意地も大層なモノだ。)
冴木が凄い加速で宮原の頭をこする。
宮原が格好良すぎて感動しまくりだ。もうそろそろ泣き出す頃合いだ。
しかし、力が入りすぎて首から上がロデオの様になっている。そろそろ折れそうだ。
(さて、冴木の名誉と宮原の生命を守らないとな)
冴木が『最強のレスラー』たるためなら自分がいくらでも矢面に立つつもりであった。
宮原を頸椎骨折から守るためなら自分がいくらでも矢面に立つつもりであった。
ガラッ。
「ミナサン、オ早ウゴザイマス。今日ハ皆トテモ早イデスネ。
金メダリスト来キマシタカ?」
いつものように、きっちり15分遅刻してRiccaさんがやって来た。
どんな時でもマイペースな人である。
道場に冴木の凛とした声が響く。
「よし、折角金メダリストが来てるんだ。
今日は練習メニューを変更して、スパーリング中心にしていこう。
天之川さんもそれで良いですね。」
「敬語は良いですよ。『最強のレスラー』にそんな事されると恐縮です。」
「秀ミンでいいよー!」
「なんで浅ポンが答える? しかも、さっきと同じノリで。」
「アタシも秀ミンでいいですよ。むしろあり!」
「いやいや『最強のレスラー』が秀ミンとか呼ばんだろ。イメージ大事にしよ。イメージ。」
「オー! デワ私ナラ『秀ミン』コールデOKデスネ!」
「もっちろんですよ。ルチャ・マスターRiccaさんにそう呼ばれるなんて良いですな~。最高ですね。」
「なら、アタシもそう呼ぼうかな」
「ノー! ギガントハ体重制限デダメデス。100kg超エタラ、ソノ言イ方ハ不可デス。
可愛クナイデス。ブー! イメージ大事ニシヨ。イメージ」
「なっ…!」
「それ以前に年齢的に厳しいでしょ。それ。三十路過ぎでその呼び方って
あだ名と言うより源氏名ですよ。ちょっと痛々しいです。イメージ大事にしましょう。イメージ。」
「ななっ…! 宮原お前17歳のくせに源氏名とかなんと生々しいコメントを! R18だぞそのコメントは!」
「アハハハ。宮ッチ厳しいよう。」
「コラーー!! お前ら、練習中にへんなおしゃべり始めるな!」
「オォ、冴木さんスゴイ。姉ちゃん以外で『コラーー!!』って言う人初めて見た。いるもんなんだ~。感動~!」
「うぐっ…。コラーー!! 天之川秀美! ちゃかすんじゃない。」
「冴木さん。フルネームは無いよ。長いよ。やっぱ秀ミンで。」
「冴木っちゃんのイメージ的にNGだって。」
「体重制限ハクリアシテマスネ。」
「なななっ…! Riccaさん今日はそれで押してきますか!」
「…もう名前呼び捨てでいいんじゃないですか。なにげに『秀ミン』より『秀美』の方が実は呼び易いですし。」
「でも宮ッチは秀ミンって呼んでね。」
「宮ッチハ、愛嬌制限デダメデス。ブー! セッカク外見ダケハ可愛インダカラモット愛嬌出シテ下サイ。」
「Riccaさん! いつも間にか、さも当たり前の様に宮ッチって呼んでる! 初めてですよねそう呼ぶの!
あと愛嬌制限って何ですか! 初耳ですよそんな制度!
それと外見しか可愛くないみたいな事言わないで下さい。人聞きの悪い!
さらに『ブー!』ってんですか『ブー!』って! 気持ちを言葉にするのは大切ですけど。
もうわずかな間にツッコミどころ満載すぎです! なにサラっと簡潔にまとめてるんですか!」
「なにげに拾うお前も凄いな宮原。」
「さすがは武闘派集団『戦場』。全ての人物がまさに一騎当千の猛者!」
「コラーー!! お前ら、もう練習始めるぞ!」
(ウチで練習中にこんなに喋るなんて今まで無かったな。いつもは冴木っチャンが来ると一気に緊張感が増して、肩に力が入りすぎたモンだが。金メダリストの影響か? やっぱり華があるな。)
ギガントは素早くリングに上がって、秀美に声をかけた。
「よーし。最初はアタシがお相手しましょうかね。秀ミン! かかって来なさい。」
「あれ? 体重制限はいいんスか。」
「…もうずいぶん馴染んでるなぁ。会ってから一時間くらいしか経ってないのに。」
そして秀美がギガントと正面から構える。
「では、行きますよ。」
秀美が片足タックルで飛び込んでくる。
(ほうっ!)
次の瞬間には、ギガントはマットに倒されていた。見事なテイクダウンである。
(…嘘だろ。私104kgもあるんだぞ。)
しかし、秀美はギガントの足に手を伸ばすないなや、あっと言う間に引き寄せて、
肩に担ぐや何の苦もなく担ぎ上げてしまった。まるで、吸い込まれたようである。
タックルに来るとは思っていた。上から自慢の巨体で潰すつもりだった。
しかし、ほとんど抵抗する間もなくマットに倒されてしまった。
「…って、このっ!」
ギガントは、上にのしかかってくる秀美を下から迎え撃つ。
ギガントも女子相撲からプロレスに転向した時、血のにじむような思いでレスリングを習得している。
『最強のレスラー』冴木とスパーリングしても、そう簡単には負けないだけの技術を持っている。
しかし、秀美のかけてくる圧力たるや凄まじく、必死に動いて体勢を変えているのだが、
その都度ポジションを変えて圧力をかけ続けてくる。
(このぉ、こうなったらズルするぜ。)
ギガントは体重任せに転がって、ロープ際まで逃げようとした。
ロープをつかんで立ち上がるつもりだった。
すると秀美はギガントの肩と首を両手で締めて固めると、首を軸にして体を反転してブリッジした。
(………!)
ギガントの表情が強ばる。
(う、動けん。上半身を杭かなにかで固定されたようだ。なんてブリッジだ!)
必死になって下半身を動かして大暴れするのだが、首から上が全く動かせない。
(浅川が言っていた骨太ってのはこうゆう事か! これじゃ頭に杭を打たれた鰻だ! いや、アタシは鰻って言うにはデブすぎるけどってノリツッコミしてる場合かよ!)
くだらない事を考えながらジタバタするも状況は全く改善しようとしない。
もう結構な時間ブリッジしているのに全く崩れる様子がない。
もの凄く反り返ったブリッジで、頭どころかもはや額が地についていて、顔がギガントの胸に埋まってしまっている。
あきれかえるほど凄い金メダリストのポテンシャルである。
「時間です。」
宮原の済んだ声が響く。
「よし! 交代だ。」
冴木の号令がかかるが、秀美はまだブリッジを解かない。なんだか息づかいが荒い。
顔がギガントの胸に完全に埋まっている。
「おい金メダリスト! 終了! 交代だ!」
「ハイナー!」
ようやく秀美がブリッジを解いた。ものすごく満足そうな表情をしている。
「どうもギガントさん。ごちそうさまでした。」
「…ごちそう?」
やっと身動きが取れるようになったギガントが息を切らせながら体を起こす。
(あえてレスリングだけで勝負してみたけど、相手にならんな。もう少し何か出来ると思ったが。
しかし、私がこれでは皆が尻込みしてしまうんじゃ…。)
「ハイハイハイ! 秀ミン! 次アタシ! アタシー!」
「ノー! 浅ポン。ツギハ私ヨ。レディファーストネ。」
「何言ってんだようRiccaさん! 私だって女の子だよ。」
「浅ポンハ胸マッ平ダカラ、メキシコデハレディトハ言イマセーン。キットチン○アリマス。ブー!」
「Riccaさん! それ絶対嘘な上に問題発言だよ! ボクが訴えたら絶対勝てるよ! さしものボクもツッコミにならざるをえないよ!」
ギガントは肩の力が抜けた。
(うちにこの程度でビビる奴なんでいないか。ハッ!)
そこで秀美が口を挟む。
「ちなみにRiccaさん! あなたのバストは?」
「80cm!」
「…じゃあRiccaさんで。」
「なんじゃそりゃー! 秀ミン酷いよ。ボク史上最高にキズついたよ!」
「…Riccaさん。80cm?」
「80cm。」
「…じゃあRiccaさんで。」
「なんじゃそりゃー!」
「お疲れギガント。どうだ、金メダリストは」
冴木がギガントに話しかけてくる。
「いやいやまったく面目ない。レスリングだけで勝負しようなんてちょっと甘かったみたいだ。」
「でも、あんなにレスリングが巧い奴、見た事無いなぁ。」
「もしそれで勝てたら、ギガントさんが金メダリストになれますね。」
そこに宮原が話しに加わって来た。
「…技術凄いですね。てっきり才能にモノをいわせたパワーレスリングだと思っていたんですが。」
「しかしパワー凄かったぞ。104kgの私が完全に押さえられていた。」
「体重の乗せ方とポジショニングが抜群に巧いんです。ギガントさんが力を入れた部分に必ず体重を乗せて、姿勢が崩されない様にしていました。確かにあんな巧い人見た事無いですね。」
「しかも、あのブリッジは別格的に強いな。どんな広背筋してるんだ。」
「技術だけでなく、自分のストロングポイントも完璧に理解しているようですね。強いはずです。ちょっと見直しました。」
リング上ではRiccaが激しい動きで秀美を翻弄している。
「ちょっとRiccaさん。ちゃんと組んでくださいよう。」
「ダメダメ秀ミン。組ンダラスグニ組ミ伏セルツモリデショ。トテモ危険ネ。妊娠シチャウカモ。」
「せ、責任取ります?」
「ホイ。隙デタヨ!」
Riccaが秀美の背中におぶさる様に飛びつくと、スルスルと肩と首に足を絡めて行く。
レスリングには無い技術。メキシコのプロレス『ルチャ・リブレ』の技術。『ジャベ』と呼ばれる関節を極める技術である。
「ヤッパ『ジャベ』ハアマリ知ラナイミタイネ。」
「『ジャベ』が奥が深いってことは知ってますが…」
「知ッテルノト使エルノハ違イマスネッ!」
秀美の首に足を絡めると、勢いを付けて転がして倒そうとする。
「ハイナー!」
虚をつかれ転倒する秀美。マットに頭が着く。
しかし秀美は頭をマットに着けたまま体を反転してブリッジを作る。
振り回された秀美の体が、まるで杭で打ち込められたかのように動かなくなる。
「ア。ヤベ。」
「捕まえましたよ!Riccaさん!!」
秀美が素早くブリッジで空けた隙間に体を滑らせてRiccaの上に乗る。
「ギャーーー!」
「ハァハァ…。80cm。80cm…。」
(…なんか情念感じるな。これ。モザイク希望だなこりゃ。)
ギガントは肩の力が抜けた。
「宮ッチはまだ見ちゃいけません。」
「何言ってんですか。遊んでんじゃないんですから。」
「いくよー! 秀ミン!」
「ハイナー! 浅ポン!』
3番手は浅川である。
「うおっ…、おろ…。浅ポン、その動きは?」
浅川が華麗なフットワークで秀美の周りを回る。
そのスピードはかなりのもので、しかも横だけではなく縦や斜めの動きも混じっているので焦点が定めにくい。
「新体操だよ!」
「新体操! では浅ポンがレオタード姿で女子力アップ!」
「そう! 当時も今もピッチピチ!」
「でもごめん。アタシ浅ポンのこと大好きだけど、やっぱり胸は大きくないと駄目なの。」
「なんじゃそりゃー!」
叫んだ浅川が一気にタックルで飛び込む。
3m以上離れているのに果敢に飛び込んで来た。
だか、速い。そして低い。地を這う様に低い。
こんなタックルはレスリングではあり得ないのか、
秀美の虚をついている。金メダリストの足首にうまく取り付く事に成功した。
「オォォー! やった、浅ポン!」
ギガントが歓喜の声を上げる。
「いや、駄目だ。」
冴木がうめく様に答える。
秀美が素早く足を広げて体勢を安定させて、浅川のタックルを潰しにかかった。
秀美と浅川ではレスリングのテクニック以上にパワーに差があり過ぎる。
加えて浅川の体重は56kg。秀美はレスリング72kg級の金メダリストだからおそらく体重はこのぐらいであろう。
そうなると体重差は15kg前後といった所だろう。このハンデは大きい。
奇策だけでは金メダリストからはテイクダウンは奪えない。
「やるね浅ポン。だがここまでさね。」
「なにおぅ!」
浅川はムキになって言い返すと、
素早く開脚して、開脚屈伸のような姿勢をとると、
なんとそのまま後ろに平行移動してしまった。
なんとゆう柔軟性! なんとも奇怪な方法だが確かに潰される前に脱出してみせた。
「えぇぇ、そんなんアリ?」
さすがに秀美も予想外だったようだ。感心するのを通り越して呆れている。
「どう秀ミン。楽しいでしょ!」
「確かに!」
秀美が明るい声を上げる。確かに楽しそうだ。
「まさに浅ポンだからこそ! 胸が平たいからこその高等テクニック!」
「なんじゃそりゃー!」
本当に楽しそうだ。
しかし、宮原だけは厳しい表情でリングを見つめていた。
「どうした、宮原」
不振に思ったギガントが声を掛ける。
「良い機会ですよね。金メダリスト相手にレスリング出来るんだから…。」
「そりゃあな。相手は世界一だからな。最高の機会だろうな。」
「…でも…。」
宮原はギガントに顔を向けると、真っ直ぐ目を見て静かに言った。
「私、あいつに勝ちたいです。」