《せっかくだから歓迎するよ。》G・満代
「…たっだいまぁ…って、誰もいないけどね。
いいのさ私はプロレスひとすじ~っと。」
日もとっぷりと暮れてもはや深夜と行っても良い時間の
東京某所マンションに一人の巨大な女が帰って来た。
マンションの入り口が狭いため、滑り込むように部屋に入る。
彼女は女子プロレス団体『戦場』に所属するプロレスラーである。
リングネームはギカント満代。
学生時代は女子相撲の横綱まで上り詰めて、その素質を見込まれて女子プロレスにスカウトされた猛者である。身長172cm、体重104kgの巨体から繰り出す苛烈で豪快な戦い方のため、悪役レスラーと鳴っているのだが、天性の明るさと丸っこい体型のため、ファンには好意的に受け止められている人気レスラーである。
「ああ、今日も疲れたねぇ。とりあえず一杯やんないと。」
部屋に戻るとすぐに冷蔵庫から一つ取り出す。
豆乳を。
コップにもつがずそのまま飲み始める。
彼女は意外に健康に気を使っている。
「~~~……っぱぁ~~っ!やっと人心地ついたよ。」
どたどたとお行儀悪く巨体を揺らして携帯電話を取り出してメールチェックする。
「冴木っちゃんと…社長と…宮原は明日の連絡。真面目だねぇ。って、おや?」
チェックの手を止めた。あるアドレスが目に入った。
「早く電話してこい! 今日面白い事があった!」
アドレスはレイコからだった。
「…ってな感じで完全に雰囲気持ってかれちまったわ。
気をつけるんだねギガント。ただ者じゃないよ、あの金メダリスト」
電話の向こうで、レイコの弾んだ声がした。
「そいつは凄いな。なかなかエスプリ効いてるじゃん。うちにも来るかなぁ?」
ギガントは、力士のような巨体を揺らしながら答えた。
てゆうか元力士なのだが。
レイコとはかつて同じプロレス団体『帝都女子プロレス』に所属していた同期の間柄で、常に競争し合っていたライバルでもあった。そして悪役軍団『TOKKAN』を結成して団体を盛り上げていた。
現在は互いに『帝都女子プロレス』を出てしまっていて、別の団体に所属している。しかし、本人同士は仲が良く、袂を分けた今でもよく連絡を取り合っていた。
「多分そっちにも行くと思うよ。あちこち見て回ってるらしいからね。」
レイコが楽しげに答えてくる。
(…珍しいね。レイコが赤の他人の事をこんなに楽しそうに話すなんて。)
ギガントが知る限り、レイコはかなりストイックな性格で、仲間や後輩はとても気にかけるけれど、他人事には余り口を出さない。
(と言う事は、レイコは気に入ってるんだ。その金メダリストを。)
ギガントは次第にまだ観ぬ金メダリストに対する興味が膨らんできた。
「そいつは楽しみだね。せっかくだから歓迎するよ。電話アーリガートね。」
ギガントは電話を切ると、近くの銭湯に行く準備を始めた。彼女の部屋にはユニットバスしか無いため、100kgを超える巨体では狭すぎるのだ。
シャンプーもボディソープもたっぷり使って目一杯体を磨いた後、タップリとした熱いお湯に首まで浸かり、あとはただただじっとしている。
ギガントが何か考え事をするときの儀式であった。
(いまの『戦場』の経営状況は正直あまり良くない。
所属選手は全部で5人。他所から選手を借りないと興行すらきちんと行えない状態だ。
しかも知名度のある選手はエースの晶と私くらい。魅力あるカードもなかなか組めない。
なにかファンの眼を引く強力なコマが欲しい。)
湯船の仲で熟考する。長考である。
「お母さん。あのおっきいオバちゃん。全然動かないよ。」
「シッ! 邪魔しちゃ行けません!」
(レイコの言う通りなら例の金メダリストは是非とも欲しい人材だ。
実力・知名度としてももちろん、キャラクターとしてもお客を呼べる存在になれそうだ。
問題はウチが金メダリストにとって魅力ある団体かと言う事だ。
何のアクションもしなければ素通りされてしまうかもしれないなぁ。)
「お母さん。あのおっきいオバちゃん。凄く赤くなってるよ。」
「シッ! 邪魔しちゃ行けません!」
「でも、お母さん。熱いお風呂に過度に入ると、血液中の血小板の動きが過剰に活発になって、血管が詰まり易くなって、血栓症を起こす危険性が高まるのよ。私はあのオバさんが口から泡を吹いて、それはそれは惨たらしい死に様をさらすのを黙って見ていると言うのは、精神衛生的に宜しくないわ。」
「我が子ながら風呂屋に来てつまんないウンチク語ってんじゃねぇ!」
母親の豪快な往復ビンタが炸裂する。
耳の先まで真っ赤になった頃、とうとう彼女は湯船から出てきた。
(どうせダメ元。このままならジリ貧なんだからいっそ仕掛けてやる)
のぼせてクラクラする頭でなんとか結論を出した。完全な湯あたりで足下がふらつくのを必死で堪える。
プロレスラーは湯あたりなんかで倒れたりしないのだから。