《あぁ、お前に言うことがある》冴木晶
「よーし! 今日はここまで!」
冴木のかけ声でこの日の練習が終了する。
最近はオリンピックのトレーニングを経験している秀美の意見を取り入れて、より密度の濃い練習が出来ている。
頭の良い宮原は既にレスリングのテクニックを秀美に指南願い出ていて、
『極めっこ』の技術とレスリングを合わせて、自分の闘うスタイルを固めつつある。
(段々、極めにくくなってきたなぁ。ポジショニングの技術が格段に上がっているよ。)
冴木をしてそう感じさせている。
秀美が『戦場』に入団してから3ヶ月が過ぎていた。
もう12月も残り僅かで、もうすぐこの年が終わる。
本当にいろいろな事があった3ヶ月だった。
ここ最近は予想外な事に、TVの仕事依頼が増えて来ていて、秀美だけではなく冴木や浅川にも依頼が来る時があった。
先日はギガントに食べ物番組の依頼もあった。
JKレスラーとして、宮原にも出演依頼があったりする。
そのことが宣伝となったためか、段々興行も人が来る様になって来た。
500人くらいの小さな会場だと満員札止めが出る時があるようになった。
お蔭で『戦場』結成後初の黒字での年越しである。
もう年内最終興行も終わっているので、多少気が楽になっている。
もっとも、今年は年末年始でTV出演の依頼があるので、はっきり言って休み無しなのだが。
「アキラさん。ちょっと良いですか。」
「何だ秀美。」
先日のTV出演以降、冴木はなぜか巷からは『アキラさん』と呼ばれる様になってしまい、
いつの間にか秀美や宮原ら年少組は『アキラさん』と呼ぶ様になっていた。
「実はウチのお姉ちゃんと先日話してたんですが、もし良かったら、私以外のウチの選手全員の身体能力を検査してみませんか。」
「健康診断みたいなもんか?」
「いや、もっと徹底的にやります。お姉ちゃんのいるメディカルセンターに二泊三日して、健康状態、身体能力、今後のトレーニングのアドバイス、負傷箇所の治療とリハビリメニューも徹底的に見てくれます。」
「二泊三日! 随分大掛かりにやるんだな。お前がオリンピック前にやってたって奴か。」
「そうですそうです。これからのトレーニングや食事とかにも役立つ事を教えてくれますよ。今後に絶対役立つと保証しますよ。年末は時間が取れるとの事で、もし興味があるなら準備するとお姉ちゃんが言ってました。」
「ねえ秀ミン。それってSF映画みたいなトレーニングするの?」
「もっちろんするする。CTスキャンとかもするよ。」
「スゲー! カッコイー!」
(ふむ、確かに興味深くはあるな。ギガントは首に古傷も持ってるし、ここでしっかりとした検査はさせてやりたいし。)
「それはちょっと興味あるな。アタシは首に古傷があるからな、相談に乗ってもらえるとありがたい。ちなみになんか問題があるのかい。」
案の定、ギガントが食いついてくる。
「お金が掛かるんスよ。それも結構。」
「いくら位だい。」
「一人30万円位。」
「そりゃ随分高ぇなぁ!」
ギガントが驚きの声を上げる。冴木も思わす息が止まる。
(ひ、秀美以外だから、5人で150万円!)
「なんだ、それならボクがこの間逃げ切った賞金で出せるよ。やろう。」
浅川が元気に答える。
「まて浅川。そのお金はお前個人の物だ。大事に取っておけ。」
冴木が嗜める。
「でもアキラさん。」
浅川が冴木をしっかりと見詰める。
「それで強くなれるなら、ボクはこの機会を逃したくない。」
浅川は普段遊んでるようでも、意外に強くなる事にどん欲だ。
本人は結構真面目に考えているんだろう。
「アキラさん。私もやりたいです。何なら今月給料無しでもかまいません。」
案の定、宮原も食いついて来た。彼女が食いつかない訳が無い。
冴木が腕を組んで考える。薄目でチラリとギガントを見る。
(ギガントぉ。まだCMのお金、残ってたよね!)
ギガントがこっそり手のひらを上に向ける。
(これでほとんど無くなるけどね。)
「よし、思い切ってやってみようか。秀美の陰の立役者とやらを拝見させてもらおうか。」
「でも、お金は大丈夫なんですか?」
宮原が心配して聞いてくる。
「今年は興行成績もいいし、TVでの収入が結構あるから、それやっても何とかなるよ。」
ギガントが冴木に代わって答える。冴木も内心ホっとしている。
(良かった。なんとかなるか…。)
「その代わり、年末年始のTV生放送は全員参加だぞ!」
「ハイナー!」
「ヤッター!」
「任せて下さい!」
若手三人収が元気よく返事をする。
「私だって頑張るからな!」
「冴木サンハイツモ頑張ッテルカラ、コレ以上ハモウ脱グシカ無イネ。ファイト!」
「Riccaさんはちょっと黙ってて下さい!」
冴木より先に宮原がツッコむ。素早い。
(技術が格段に上がっている。)
冴木をしてそう感じさせている。
若い者が頼もしくなるのは良い事である。
「来ましたね、『戦場』の強者達。私が秀美の姉の天之川清美です。いつも妹がお世話になっています。
これからの二泊三日の間、ウチのメディカルスタッフが全力で皆さんを調べます。誠意を尽くさせていただきますので、ご協力をお願いします。」
冴木達の前に白衣を着たクールビューティーが姿を見せた。秀美の姉、天之川清美である。
背筋を伸ばして堂々と胸を張っている。堂々とドでかい胸を張っている。
「お姉さん、秀ミンのお姉さんなの。やっぱ似てる!」
早速、浅川が食いついてくる。
秀美が清美に代わってシャシャリ出てくる。
「そうなのよ。良く言われる。私が一回り小さくなるとお姉ちゃんになるのよ。
でも見て見て! 胸はお姉ちゃんの方がデッカイの! バスト97cmよ!」
秀美が清美の胸を持ち上げる。
「本当だ! おっきい! 柔らかい! 私これ欲しい!」
浅川も清美の胸を持ち上げる。
清美が二人の手を取る。
無言で手首を内側に捻る。黙々と。
「アーッ! イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ! アーッ!」
「秀ミンのお姉さんゴメンナサイ! 秀ミンのお姉さんゴメンナサイ! 秀ミンのお姉さんゴメンナサイ!」
内側に捻るのがミソである。秀美と浅川の身体がぶつかって、互いに邪魔し合って逃げられない。
「コラー! あんたら何してくれんの!」
「コラー! おまえら何してくれんだ!」
清美と冴木が怒号を上げる。
「アーッ!『コラー!』ッテ言ッタ! 冴木サン以外ニモイタ!」
「いやRiccaさん、驚くとこ違うから。驚くべきはあっと言う間に秀ミンと浅ポンを極めちゃったとこだから。」
「二人の体格差の分、身体を少しずらしてましたね。しかも一瞬です。」
宮原の言葉に反応して、清美が目を細めて微笑む。
「さすが『戦場』の強者達。ちゃんと解ってますね。見るとこ見てます。普通手首しか見てくれませんから。」
「でも秀ミンのお姉さん。私はおっぱいも見てるよ!」
浅川が下らない戯言を宣う。
「しかし浅ポン。アタシはさらにもう一揉みして、感動を重ねてみます。」
秀美がさらに下らない戯言で返す。ちなみにこれは犯罪である。
清美が無言でさらに手首を内側に捻る。黙々と。
愚か者どもの悲鳴が上がる
「おっ!この悲鳴と骨の鳴る音は。秀美ちゃん来てるの?」
清美のテームスタッフがやってきて、こともなげに語った。
「でもギガントさん。あるもんですね。」
宮原が苦笑しながらギガントに話しかける。
「なにがだい、宮ッチ。」
「『関節技を仕掛ける事は無いけど、逃げる必要はある生活環境』って奴です。」
「色んな意味で秀美の陰の立役者だな。どう見てもタダモンじゃない。」
「アキラさんでも秀ミンに極めるのは大変なのに。」
(…ムッ。)
宮原の呟きが、冴木にも聞こえていた。
(宮原の奴、私の方が極めるの下手だってのかよ。くそう。)
少し不貞腐れる。
不貞腐れ方も素直である。
「では冴木さん。そのまま20分走って下さい。」
メディカルスタッフが冴木に淡々と語りかける。
ルームランナーのような器具の上で心電計のような装置を着けた状態で
訳も解らず冴木は走らされる。
(うぅぅ。本当にSF映画みたいなトレーニングだな。なんの検査なのかさっぱり解らない。しかも、なにげにハードだよ。次から次へとメニューがあるし。結構疲れる。)
「ああん。毎日採血でキツいよう。注射嫌いなのに。」
近くでは浅川が文句を言っている。
(確かに。注射がキツいよな。)
冴木が頷く。口には出さないが。
「でも一番キツいのはご飯の味が薄い! 量が少ない! こんなんじゃ痩せちゃうよ!」
(確かに! それがキツい!)
冴木が大きく頷く。口には出さないが。
「以上で全検査が終了しました。皆さんのご協力のお蔭で、私共にとっても実に有意義な検査が出来ました。プロレスラーの身体能力を徹底的に検査出来る機会なんてなかなかありませんからね。一週間後に検査結果を踏まえた上で個別にガイダンスを組みますので、そのときにまた来て下さい。それではこれで退院出来ますよ。お疲れさまでした。」
清美が皆に検査終了を告げる。優しく微笑みながら。なんとなく狂科学者っぽく見える。
(本当に検査だったのか? なんだかモルモットにされた様な気分だったが…。)
冴木も微妙に引きつりながら微笑み返す。
「やーーーっと終わったー! 疲れたー! やったー!」
(確かに。結構キツかったよな。でも先生方の目の前でちょっと失礼だぞ浅川。)
冴木は頷く代わりに浅川の後頭部を叩く。浅川の頭が大きく頷く。
「…すいません先生。ウチの者が失礼しました。」
「大丈夫だよ、アキラさん。」
浅川はそう言うと、頭をさすりながら清美の首に手を回して抱きつき、頬ずりする。
「ほら私たち、もうこんなに仲良し!」
すると秀美も抱きついて頬ずりする。
「私とお姉ちゃんも、こんなに仲良し!」
はっきりいって迷惑な女どもである。
「だからほっぺた撫ででも大丈夫!」
「だからおっぱい揉んでも大丈夫!」
「大丈夫。」
「大丈夫。」
「「大丈夫。大丈夫。」」
「コラーー! 大丈夫な訳ねぇだろお前ら!! なにしてくれてんだぁっゴラァァ!!!」
雄叫び一閃! 手首を内側に捻る。めいっぱい。
「アーッ! イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ! アーッ!」
「秀ミンのお姉さんゴメンナサイ! 秀ミンのお姉さんゴメンナサイ! 秀ミンのお姉さんゴメンナサイ!」
怒りに燃える清美の関節技が決まるたびに秀美と浅川の悲鳴が上がる。
「おっ!この悲鳴と骨の鳴る音は。浅ポンも来てるの?」
清美のテームスタッフがやってきて、こともなげに語った。
清美に関節技を極められながらお仕置きを受ける浅川の姿も
メディカルセンターの名物となっていた。
「いやいやいや、どうでした皆さん。ウチの検査。結構疲れたでしょ。」
秀美がハンドルを軽快に回しながら皆に話しかける。
「疲れたー!」
「確かに、ちょっと予想以上だったぜ。」
「なんと言うか、普段とまはた違う感じの披露でしたね。メンタル的に疲れたと言うか…。」
「年寄リニハ堪エル。」
皆が思い思いに背を伸ばす。ちょっと可愛い。
メディカルセンターを後にした『戦場』の面々は、秀美の運転するワゴンの中にいた。
秀美の私物で、10人も乗れる大型ワゴンである。ギガントが乗ってもゆったりしている。
秀美がまた良く運転するので、いつの間にか『戦場』の移動手段として最も活用されていた。
(天下の金メダリストに運転手やらせてんだから、地味に豪勢だよな。ウチも。)
冴木も静かに背を伸ばす。
「アーーーーッ!! ちょっと秀ミン! ストップストーーーーップ!」
まったりした車内で突然浅川が叫び声を上げる。もの凄く切実そうな声だ。
「どした、浅ポン!」
「秀ミン、あれーーー!」
浅川が運転席にまで身を乗り出して、ある場所を指差す。
其の先には。
『背脂コッテリ爆盛りラーメン』の看板。
(なるほど!)
「ハイナー!」
秀美がF1ドライバーの様にハンドルをきる。
駐車場に滑り込む。
全員一斉に下車。
迷わず振り向かず、ただ真っ直ぐに歩みだす。
暖簾をくぐる。真っ直ぐカウンターへ。着席。
「オッチャン! 背脂コッレリ爆盛りラーメン油アリアリ全乗せチャーシュー飯つきで!」
「同じく!」
「アタシも!」
「ワタシモ負ケラレマセンネ!」
「…私も。」
「アキラさんまで…。検査後で腹ペコなのは解りますが、こうゆう食事は問題あると指示受けませんでしたか。」
「浅川、お前は食わないのか?」
「…餃子も付けてお願いします。」
皆で阿修羅の様にラーメンをすする。いや、詰め込んでいく。待望の脂の味。検査生活で失っていた至福の味。
「アブラ美味しー! サイコー!」
店内で浅川が叫ぶ。はっきりいって迷惑な女どもである。
「しかしよ、秀ミン。」
ギガントが秀美に話しかける。
「すげえ良かったぜ。アタシの首もリハビリメニューも組んでくれたし、完全復活のメドも立ったてもんだ。ホント助かったぜ。へへへへ。秀ミン、アリガトよ。」
「ハイナー! そう言ってもらえると私も嬉しいっスよ。」
「確かに素晴らしかったですね。今後どうゆうふうに鍛えるべきか見えてきましたよ。私にとっては本当に価値のあるものでしたよ。おもわず餃子食べちゃうくらいに。」
「いや宮ッチ。餃子関係ないから。」
宮原まで冗談を飛ばしてる。なかなか上機嫌だ。
(なんだかんだで皆収穫のある検査だったな。無理してもやって良かったよ。)
冴木もなかなか上機嫌だ。
「親父さん。私も餃子追加で。」
「アキラさんズルーイ! 私もー!」
「いいよ浅川。お前も頼めよ。」
「オッチャン! 背脂コッレリ爆盛りラーメン油アリアリ全乗せチャーシュー飯つきで!」
「おかわりかよ!」
一週間語。
「…と言う訳で、冴木さんは比較的バランスが良いですね。今後の改善点としては柔軟性を上げるように勤めましょう。特に股関節の可動域が上がると効果が絶大です。」
「やっぱり違うもんですか。」
「蹴りにしなりが出る。多角的に蹴りが出せる。怪我をしにくくなる。良い事尽くめですよ。」
「…しかし凄いですね。こんなに細かく調べてくれていたとは。想像以上です。」
「高いお金もらってますから。では具体的なカリキュラムを行いましょう。トレーニングルームに行きますか。」
トレーニングルーム
「手首は親指を手のひらの中央に当てて捻るんです。初動で一気に巻き込んで下さい。」
「なるほど、これならひと手間速く極められます。」
大の大人の女が二人。ジャージ姿で関節技を極め合っている。
随分楽しそうに関節技を極め合っている。
すごく楽しそう。
清美が古武術の技を冴木に手ほどきしている。
また冴木もこうゆう事は嫌いな方ではない。むしろ大好物である。大喜びで食いついている。
最初はきちんと普通に冴木のトレーニングカリキュラムの実地指導を行っていた。
柔軟性を上げる話しをしているうちに、古武術の鍛錬の話になっていった。いや、なってしまった。
天之川清美27歳。秀美を簡単に極めてしまう古武術の達人であり、同時に大概な格闘オタクである。
しかし、彼女の友人の中には古武術に深~く興味を持つ者など一人もいない。当然の様に一人もいない。
幼いときから親戚が営む古武術の道場に入り浸り、その才能を開花させた。今でも師範代からは道場を継ぐ様にいわれている。ちなみに其の頃、妹は父と一緒にプロレスに邁進していた。
高まる実力、深まる知識。しかし、それを披露する事も語る事も無いまま、ただただ質ばかり高めていった。
そのような事は、そう言うものだと理解していたのだが、だからといって語りたくない訳では無い。腕前を試したくない訳では無い。
そんな時に目の前に現れたのが冴木であった。プロレスラーである。格闘オタクである。
彼女は清美が話したい事や聞いて欲しい事を次から次へと質問して来た。
彼女も大概な格闘オタクだから。
お互いに感じていた。『普段は決して開放出来ない知識をフルで話せる相手が現れた!』と。
『彼女は同士だ!』と。
そうなったオタク共はもう止まらない。
いつの間にやらトレーニングそっちのけで、時間を忘れて技を掛け合う。
言葉も弾む。普段の彼女達からは想像出来ないほど饒舌に喋っている。
身体は疲れているのに、心はどんどん軽くなる。今までたまっていたものがどんどん開放されていく。
「ちょっと乱取りしてみますか。」
軽い雰囲気で清美が言葉を放つ。しかし目は笑っていない。
(プロレスラー相手で自分を試したいんだな。)
冴木は察する。気持ちは解る。と言うより自分も思っている。『古武術相手に自分を試したい』と。
「いいですね。少しやってみますか。」
軽い雰囲気で冴木が言葉を放つ。しかし目は笑っていない。奇しくも互いに同じ顔をしている。
対峙する冴木と清美。
お互いに最初は慎重に様子を見ていたが、冴木が先に手を合わせて来た。
それに合わせて清美は一歩後ろに下がる。静かに追走する冴木が清美の手を掴む。
すると清美は少しだけ冴木の手を押す。冴木が無意識に押し返す。
その瞬間、清美は空いている方の手で冴木の手首のジャージを掴んで絞る。
一瞬冴木の意識がそこに集中した時、掴まれている方の手のひらを捻り返して冴木のバランスを崩す。
冴木があっと言う間に前のめりに倒される。追走したタイミングで崩されたので、勢いがついてしまっていた。
大した勢いではなかったはずだが、崩された時その勢いに自分の体重が乗ってしまった。
(ヤバい! 倒されたら手首を極められる!)
冴木は素早く前転してその場から回避を試みる。
しかし。
(エッ!)
前転出来ない。足が何かに引っかかっている。
いや、いつの間にかジャージの足首の裾を清美が踏みつけて押さえていた。
(しまった! アッ!)
気づいた時にはもう遅い。
冴木は前のめりに潰されて、手首が完全に極められた。
今までの人生の中でこれほど奇麗に極められた事が無いほど鮮やかに極められた。
反射的に床を二回叩く。降参の意思表示。
(やられた! まんまと引っ掛けられた! 何だこの人。今まで戦った格闘戦の誰よりも強いじゃないか。こんな強い人が名の知られず潜んでいたなんて! ってゆうか天之川家ってなんなんだよ。秀美も清美先生もみんな怪物じゃないか!)
冴木が見上げると、清美が笑っている。もの凄いドヤ顔してる。
冴木の顔が引きつる。ちょっとカチンときている。
「き、清美先生…。」
冴木が清美のジャージの裾を掴む。すごくガッシリと掴む。
「…もう一回しません?」
二本目
バンバンッ!
清美が床を二回叩く。降参の意思表示。
冴木が清美の足首を抱えて捻り上げる。自分の両足を清美の足に絡めて、太股でしっかりと挟む。
渾身のアキレス腱固めである。ジャージのお蔭で汗で滑る事も無くしっかりと極めっている。
(読み通り! あまり実戦的ではない足関節は、古武術ではそんなに使う機会が無いと思ったんだ。やっぱり対応がちょっと遅れてた。)
二本目で冴木は相撲の様に胸を合わせてしっかりと組んで、体力差で清美を振り回した。
いくら清美が達人と言っても、体力ならば普段から鍛えまくっているレスラーには敵わない。
固く組まれて得意の手首が取れない清美は次第に体勢を維持出来なくなっていった。
そして崩れた瞬間、冴木は一気に足関節に移行! 巻き込む様にアキレス腱を固めた。
少し荒かったが、そこはパワーの差で強引に極める。
最初から体力差と足関節の経験の差を自分の有利な点として活かそうとした闘いぶりだった。
そしてそれは思惑通りにハマった。会心の出来である。
(してやったり!)
冴木の顔に満面の笑みが浮かぶ。もの凄いドヤ顔してる。
清美の顔が引きつる。ちょっとカチンときている。
「さ、冴木さん…。」
清美が冴木のジャージの裾を掴む。すごくガッシリと掴む。
「…もう一回しません?」
三本目
冴木はとにかく組み合いたい。体力勝負に持ち込みたい。
清美はとにかく末端を捕まえたい。技術勝負に持ち込みたい。
当然互いに絶対相手の有利な闘いにはさせたくない。
もの凄く熾烈な主導権争いをなった。
お互いにやるべき事もしてはいけない事も解っている上に技術があって、ミスをしない。
闘いは長期戦となった。
5分…、10分…。黙々と闘う。
トレーニングセンターには二人の息づかいだけが聞こえる。
ガラッ!
「お姉ちゃん! アキラさん! いつまでやってるの! もう終わりの時間だよ。鍵締めちゃわないとスタッフの皆、帰れないよ。」
突然秀美がトレーニングセンターに入ってくる。いつの間にか閉院時間となっていた。
「…私がモップかけとくから、二人はさっさとシャワー浴びて来て。帰りは車で送ってくから。」
秀美がモップを持ってやってくる。
「…あ。」
「…ああ?」
冴木と清美は少し呆然として秀美を観ている。
「…なんか、こうなってんじゃないかな~って思ったら、案の定だねぇ。」
二人とも互いに眼を合わせる。
どうやら二人とも、引き際を失っていたようだ。秀美はそんな闘いを止めに来たのだ。
秀美が苦笑している。どうやら間違いなさそうだ。
「冴木さん。今日はこの位で…。」
「そうですね。」
二人とも張りつめた気を緩める。ここが引き際のようだ。
帰りの車の中では、冴木と清美のおしゃべりが止まらない。
完全な格闘オタクのトークである。
「冴木さん。今夜ウチで鍋でもしませんか? うちに高専柔道のDVDとかありますよ。」
「ホントですか! よく手に入りましたね。」
「市販品じゃないよ。ちょっとしたコネで大会の映像をコピーしてもらったんです。」
「うわぁぁすごおい! 絶対観たい! お邪魔しちゃって良いんですか?」
「もちろんですよ! じゃあ秀美。ちょっとスーパー寄ってって。」
清美がもの凄く明るい声で、運転する秀美に命令する。
「…お姉ちゃんもアキラさんもキャラ変わってない?」
正直一人置いていかれている秀美。とても会話についていけない。
そうはいっても素直にパシリをする金メダリスト・秀美。
ここではカーストの最底辺である。逆らう事は許されない。
「冴木さん。折角だからいっそ泊まっていきません? まだまだ見せたいものがあるんですよ。」
「うわぁぁすごおい! 絶対観たい! お邪魔しちゃって良いんですか?」
「もちろんですよ! じゃあ秀美も泊まっていくでしょ?」
「イヤ、アタシハ今夜ハコノヘンデ失礼イタシマス…。」
「…秀美なんか喋り方がRiccaさんっぽくなってるよ。」
秀美が逃げる様に帰り支度を始める。表情はゲッソリと疲れている。
「まだこれから面白いのがあるのに…。」
「まだ観る気かよお姉ちゃん。鍋の間中ずーーーーーーっと古武術のDVD観て延々喋べくりまくってまだ足りないか。」
「まだまだ過去10年分は溜め込んでんだから、貴重映像満載よ。」
「こんな所にいられるかー!」
バーン!
秀美が逃げる! 『様に』じゃなく文字通り逃げる。
清美が捕まえようとするより一瞬速く逃げる。マジ逃げである。
翌日
昨晩は遅くまで古武術を観ていたにもかかわらず、二人とも早朝から目覚める。
清美は毎日道場へ行って朝稽古をすると言うので、冴木も同行する事となった。
「普段一人でやってるから、一緒にやる人がいると嬉しいですよ。」
「私も本格的な古武術の稽古が出来るなんて嬉しいです。」
二人で楽しそうに稽古。夢中で稽古。真剣に稽古。熱くなって稽古。
ガラッ!
「お姉ちゃん! アキラさん! いつまでやってるの! もう仕事の時間だよ。今日から年末年始のTVの仕事ですよ。誠実に真剣に全力ですよ!」
突然秀美が道場に入ってくる。いつの間にか仕事に行く時間となっていた。
「…私が着替え持ってきましたから、二人はさっさとシャワー浴びて来て。現場へは車で送ってくから。」
秀美が着替えを持ってやってくる。
「…あ。」
「…ああ?」
冴木と清美は少し呆然として秀美を観ている。
「…なんか、こうなってんじゃないかな~って思ったら、案の定だねぇ。」
「ウーン、疲れた~。眠い~。でも皆、改めて明けましておめでとうございま~す。」
浅川が精一杯明るく挨拶する。
「「「「「明けましておめでとうございます!」」」」」
全員で答える。
元旦の『戦場』道場の中に選手6人全員が集まっている。
大晦日からTVの生番組の仕事が続いて、終わったのは元日の昼過ぎになっていた。ここまで不眠不休であった。
さすがに全員ヘロヘロである。しかし、翌日は朝からすぐTVの生番組が入っていたので、遅刻しない様にいっそ全員道場に泊まろうとゆう事となったのだ。
道場に着くやすぐに布団をありったけ出して、全員爆睡した。秀美はよく居眠り運転しなかったものである。
皆が眼を覚ました時にはもう日が暮れていた。
「どうします? アキラさん。」
「…練習するか」
「所詮アキラさんでしたね。」元旦でも関係無し。
「練習しましょう。」
宮原が答える。実は単なる練習好きか。
この二人がやると言ったらしょうがない。
元旦早々練習が始まる。
「まあこれもウチらしいわな。」
ギガントが呟く。
「よ~し、みんな。そろそろ練習は切り上げて、風呂入ってこい。
もうすぐメシ出来るぞ!」
二時間ほど練習していたら、ギガントが大声で叫んだ。
いつの間にか練習を抜けて、夕食を作ってくれていたようだ。
本当に良く気が利く。
「ヤッターーー! ギガント鍋だーーー!」
「浅川! お前は少し気を使え!」
風呂から上がると夕食の準備が出来ていた。
ギガント特製の正月版餅入りチャンコ鍋とギガントおせちが並んでいた。
戦場一の料理自慢の腕前が存分に振るわれている。
「美味そー! 頂きまーす!!!」
「浅ポン!ちょっとはギガントさんに感謝しなよ。ホントなら料理なんて新人の仕事なんだから。」
「え~~。だってギガントさんの方が美味しいの作るじゃん。」
「…まぁ確かに。この味がどうにも出せないんですよねぇ。」
「オイオイオイ。そんなこと言われたらまた頑張っちゃうよ。アタシャ。」
「ギガントチョット乗セラレテルヨ。」
「まあいいでしょRiccaさん。ご飯は楽しく食べましょ」
「流石は金メダリスト。良いこと言うわな。作った私が良いって言ってんだから気にしないでガンガン食え!」
ギガントはすっかり上機嫌だ。
「でもなんだかウチのお正月はいつでもギガント鍋ですね。」
宮原がドンブリにご飯をよそいながら冴木に話しかける。
「そういえば、去年もそうだったな。」
(今年はまさかこんなに忙しくなるなんてな。この三ヶ月でなにもかも変わった。
去年は経営難だったから皆に何もしてやれなくて、たまらなくなって、一緒に練習してチャンコ鍋作って食ってたっけ。)
「…あれ? 今年もやってること同じじゃね?」
「まぁ、それもウチらしいってことで。」
「ねえねえ秀ミン。秀ミンってばなんでプロレスラーになりたいの。」
皆でチャンコ鍋をつつけば、和やかに会話も弾む。
こうなれば浅川の独壇場である。言いたいことはなんでも口にする。
「やっぱチャンピオン。それとも最強目指すの!」
「ん~~~ん。それもアリだけど、ちょっち違うかなぁ。」
秀美が少し困ったような顔で頭を掻く。食事中に行儀が悪い。
「ん? 違うのか?」
冴木が思わずツッコむ。
「ん~~~ん。なんて言っていいやら~。」
秀美がさらに困ったような顔で頭を掻く。食事中に行儀が悪い。
「…星空…かな? 」
「…星空?」
宮原がつぶやく。
「アタシがまだものすっごく小さい頃、お父さんにプロレス連れてってもらったんですよ。」
「また大概なお父さんだね。」
「浅川! お前は少し気を使え!」
「その時に感じちゃったんですよ。…なんてゆうかな。…高…揚感…的な? うまく言えないですね。
でもその時すっごい試合を見たんですよ。アタシすっごく夢中になっちゃってて…、眼なんかキラキラしてて。
…そしたらアタシだけじゃないんですよねソレ。そこにいた全ての人たちが…そうなってんですよ…。
選手もお客も記者たちも、誰一人例外なくキラキラしてて…。
空に舞い上がるような気持ちで…。皆他のことなんて考えられなくて、もう頭イッパイイッパイで…。
皆キラキラして、夜空なのにものすごく眩しくて、ものすごいキラキラした星空で…。
…う~ん、やっぱうまく言えないですね。…何言ってるか解んないっスね。」
「…あぁ、解らん。」
冴木が答える。顔は少し笑ってる。
「…でも、なに言いたいか、私…解るよ…。」
宮原はつぶやく。顔は少し笑ってる。
「私もワカルー!!」
浅川が元気に叫ぶと、突然席を立ち外に駆け出していく。
「浅ポン! 飯食ってる時にイキナリどこ行くの。
それにアンタ秀ミンの話解ってたの。
感覚的なもんは精髄反射で動く浅ポンにはかえって解りやすいのかもしれないけど。」
「ツッコむねぇ、宮ッチ。」
ギガントが大笑いしている。大らかな女である。
「皆ー! コッチコッチ! 今日は星スゴイよー!」
外から浅川の皆を呼ぶ声がする。近所迷惑なガキである。
「オーッ! スゴイねぇー!」
「ああ、そうだな」
ギガントと冴木が表に出てくる。
元旦の夜空。空気は澄み切っていて、星々が驚くほど綺麗に輝いていた。
キラキラと。
「スゴイネ、キラキラシテテ夜ナノニ明ルイネ。トッテモ」
Riccaさんも出てきた。
「み~んな出て行っちゃうんだもんなぁ」
「どいつもこいつも行儀悪いですね」
秀美と宮原が最後に出てくる。
文句言いながらも顔は笑っている。
「ねえ秀ミン! 言ってた星空ってこんな感じ?」
浅川がさも楽しげに道場の庭でクルクルと回っている。
「あぁ、そうだね浅ポン。でもせっかくだからもっとキラキラしてるのを作るよ」
「…あぁ、そうだな…」
冴木がつぶやく。ちょっと目元が潤んでいる。感動しているようだ。
「…Starry sky…」
宮原が静かにつぶやく。
「さすが宮ッチ。学があるねぇ」
秀美が星空を見上げながら答える。
「…秀ミン。その星空では私もキラキラしてるの?」
「もちろん!」
宮原が溢れるように口にした言葉に、秀美が答える。
「宮ッチだけじゃないよ。皆、今よりもずっと輝いてるんだよ。
私だけ輝いたって『あの光景』にはならないんだよ。皆がキラキラしてないと」
秀美の口からも言葉が溢れる。
「私も輝いてるんだな。そこでは」
冴木もつぶやく。
「私も光ってんのか」
「ボクもキラキラだよ~」
「ワタシモオ肌ツヤツヤヨ~」
皆で星空を見上げる。
一人よく判ってない奴がいるが…。
毎年1月4日は『戦場』の初興行日と成っている。毎年と言ってもまだたった4回目だが。
都内の某体育館。今年は思い切って700人入る会場にしてみた。
冴木は結構ビビっていたが、なんとか会場は満員となってくれた。
おかげさまで終始上機嫌である。
「アキラさんご機嫌ですね。」
「なあに、これからお客さんの前での年始の挨拶があるからな。またいっぱいいっぱいになるよ」
秀美とギガントがウォーミングアップをしながらおしゃべりをしている。
「おい、秀美。ちょっと来い」
冴木が秀美を呼ぶ。
「なんですかアキラさん」
「あぁ、お前に言うことがある」
「みっ、みなさん! 明けましておめでとうございます!」
試合開始前、選手全員でリングに上がり冴木が年始の挨拶をする。
案の定、冴木は両手でマイクを握っている。
「…アキラさん。今年もいっぱいいっぱいですね」
「慣れないよな。毎年のことなのに」
宮原とギガントがこそこそと喋る。
「…可愛いよなあ。」
「可愛いですね。」
癒される。
「最後に、皆様に報告することがあります。」
冴木が襟を正して表情を引き締める。
「今年3月、我が『戦場』は後楽園ホールで大会を開催します」
すると、会場が腹に響くような重低音でどよめく。
「すげぇ! 『戦場』もとうとう後楽園か」
「いや、ここも満員なんだから、そろそろ行かなきゃダメだろ」
あちこちから観客の声が上がる。
「しゃらに!」
冴木がさらに声を上げる。
「…今、ちょっと噛みましたね」
「噛んだな」
宮原とギガントがこそこそと喋る。
「…可愛いよなあ。」
「可愛いですね。」
癒される。
「メインイベントで天之川秀美のデビュー戦を行います!」
「!」
「相手はこの私、冴木アキラが務めます!」
会場が震えるようなどよめきに包まれる。この日一番の歓声が上がる。
もっとも、大会はまだ始まったばかりだが。




