09
とりあえず戦闘シーンの完結。
「くそっ、狙いはマイムの方か。まんまとやられた。」
森の中へと逃げ込んだ<一角獣>の後を目で追いながら<盗剣士>の男はそう叫んだ。どうやら目の前で獲物を逃がされてあの貼り付けたような笑みを浮かべる余裕も無いらしい。
だがそれでもすぐ後を追わない程度の考えはあるようだ。従者は逃げても、まだその主人である<召喚術師>が近くに潜んでいるはずだからである。迂闊に視界の悪い森の中へと入り込めば闇討ちされることは間違いないだろう。
実際、後を追おうとして森の中へと一歩踏み込んだ<格闘家>がその足を移動阻害呪文で絡めとめられて足止めされている。
「気をつけろ、まだ近くに術者がいるぞ。」
その<アストラルバインド>を解呪しつつ、警戒を叫んだ。先走った<格闘家>とそのすぐ後に続こうとした<神祇官>はその声に反応し、森の暗がりから距離を取る。
まんまとアイツらの獲物を掻っ攫った<召喚術師>はどこからかこちらを見ているのだろう。今も闇の中に潜んでじっとしているに違いない。
死霊系を主力とする<召喚術師>は特技による従者の多重召喚からの攻撃と不意打ちなどを可能とする幻惑系や妨害系の能力に秀でていたはずだ。短時間召喚や一時召喚などを駆使して契約している不死系従者モンスターを大量に呼び出し、召喚中の不死系モンスターが多いほど威力が高くなる<グレイブヤードウォーク>や<ナイトメア・パラダイス>などの特技を主力に据えるスタイルである。
今のところは通常召喚のと短時間召喚で呼び出したものの二体しか見ていないが、まだ他にも呼び出して闇の中に潜ませているかもしれない。相手の数と位置が掴めない状況で考えなしに森の中へと踏み込むのは危険であった。
最も相手も有利というわけではない。正面から攻めてこないという事は戦力がこちらに劣るということだ。人数もおそらく一人か二人。だからこそこちらへの不意打ちを狙うのである。
自分達の情報の秘匿がこちらに対するアドバンテージになっている以上、みすみすそれを手放すような相手ではないはずだ。
すでに先程微かに聞こえた指示の声から、だいたい奴あるいは奴らが潜んでいる場所は絞り込めている。怪しいのはあの大木の裏の辺りだろうか。
正直言ってあのマイムとか言う小娘がどうなろうと関心は無かった。特にする事もなくぶらぶらしていたら声をかけられて協力を頼まれただけである。付き合いもお深くはなく、目の前の連中に対して仲間意識なんぞかけらも無い。
とはいえ報酬を貰い損ねるのは面白くない。これからどうなるかは不明だが、金はあるにこした事はないし、何よりここまでコケにされて引き下がるのも業腹だ。
まあどうせ退屈しのぎに受けた<人狩り>のバイトだし、相手もそこそこやるようだからそれなりに楽しめるだろう。
森が作り出す闇を見ながらもそう思考をまとめた<妖術師>は、周囲の状況を探るが特に異常は見られない。
どうやら予想通り相手は動くつもりはないようだ。大まかな位置は絞り込めたとはいえ、まだ特定には至らない。従者を逃がした相手も迂闊には動けないはずだが、それでも時間を稼がれればあの娘も<帰還呪文>で街中へ逃げ込んでしまうだろうし、奴にも逃げられる。そうなる前に闇の中より引きずり出す必要があった。
ふと同じように耳をすませている他三人を見る。どこか殺気だっているところを見ると、目の前で獲物を奪われ相当頭にきているようだ。丁度いい囮に利用させてもらおう。
「おいっ、お前の追跡技能でまだ女は追えるな。どうやら術者はビビッて出てこられないようだ。従者のいない<召喚術師>なんぞ、たいした脅威にはならないし無視して追うぞ。」
三人に向かって冷めた声で話しかける。奴に聞かせるために声はわざと大きくした。
「ああ、そうだな。森の中ならともかく外に出られると<一角獣>の足には追いつけなくなるし、<帰還呪文>で逃げられても厄介だ。とっとと追いつこう。」
そう言って森に入ろうとする囮たちから離れて、周囲をうかがいつつ呪文の準備をする。目をつけていた場所から少し離れた木の裏で影が動いたのを見つけたのはその時だった。
「そこかっ!。」
叫びと共にその攻撃範囲を拡大した<フレアアロー>の雨がその影を襲う。その大半は途中の木々や半分影を隠している太い幹によって阻まれるが、いくつかは命中したようだ。炎によってその正体が闇の中より浮かび上がる。
「何だアイツは?」
その姿を見た<神祇官>の男が声を上げる。その中には幾分の恐怖が混じっていた。
闇の中より浮かび上がったのは両手に魔術書を持つローブ姿の人だった。黒いぼろきれを重ねて縫いつけたようなそのローブは背後の闇に半分溶けるように輪郭がぼやけていたが、そのフードの中身ははっきりと見える。
「白いドクロ?」
そう、そのローブの上にあったのはドクロであった。闇の中に浮かんだように見えるその白い頭蓋骨はこちらを見ながらカタカタと音を鳴らしている。
それが怯えるこちらをあざ笑っているのだとすぐに気がついた。子供だましだが、一瞬恐怖を感じたのは確かだ。最もすぐにそれは怒りへと変わったが。
「ビビるなよ。あれはただの被り物だ。とっとと囲んでフクロにするぞ。」
あまりの異様なその姿に動きを止めた三人に、声をかけて叱咤する。その声に押されたのか<盗剣士>と<格闘家>が飛び出して距離を詰めようとするが、その前にドクロの周囲に魔法陣が展開した。同時に両手に持った本に微かな光が生まれるのを見てその足を止めて回避しようとする。
「……<戦技召喚:吸血鬼姫>」
呟くような微かな声と共にその影の前に現れたのは真紅の大鎌を持つ若い女性の姿だ。闇の中に浮かぶ青白い肌を血の様に紅いドレスで包んだその女は、形のいい唇を歪めて笑うと宙を滑るように木々の間を抜け三人の眼前へと降り立った。
「不味い!」
叫びよりも早く着地した吸血鬼の姫は身の丈を超える大鎌を振るい、紅い波動を周囲に撒き散らして破壊を起こす。
最大まで強化されたその召喚魔法はその場にいた三人だけではなく、少しはなれた場所で詠唱に入っていた私にも大ダメージと複数のBSを与えた後、終息した。
残されたのは細切れにされた枝や葉と同様に存分に紅い刃の波動に刻まれた我々のみである。死亡こそしなかったが魔法抵抗力の低い<盗剣士>はそのHPを危険域まで落としていたし、他の面々も少なくないHPを失っていた。
<神祇官>がギリギリで張った範囲障壁がなければ神殿送りにされていたかも知れない。
「くそっ、逃げるつもりか。」
我々の様子を確認せずに、ドクロ男はその身を返して逃げようとしている。その後ろには短時間召喚で呼び出したのか<動く骸骨>が四体続いた。
それを見た<格闘家>は叫んで後を追おうとするが、先程受けたBSのせいでその動きは鈍い。
<吸血鬼>系列の呪文は威力が高めで出血や混乱といった複数のBSを同時に与えるのが特徴だ。最も発動の際HPをコストとして消費するため使い勝手はいいとは言えない。距離と木々に阻まれて相手のステータスはうまく読み取れなかったが、少なくないHPを失っているはずだ。追撃するならば確かにチャンスだろう。
「逃がすか!」
<盗剣士>が叫びと共にナイフを放つが、全て木々に阻まれる。同時に<神祇官>の呪文によってBSを解呪された<格闘家>が後を追って森の中へと飛び込み、遅れて<盗剣士>と<神祇官>がそれぞれ後に続く。
一瞬罠かと躊躇したが、この期に及んでも姿を見せたのはあの<召喚術師>一人であるし、他に仲間がいるならば先程の呪文のときに追撃していただろう。もしそうなっていればこちらは殲滅されていた可能性が高い。
なのにそのまま追撃もなしに逃げたという事は仲間はいないということだ。
元々<召喚術師>はソロプレイヤーが多い職業だ。呼び出す従者によっては攻撃も回復も可能になるため、汎用性が高い反面その分野においては他職に劣る器用貧乏な職業でもある。
その半端な性能のためPTでの評価はさほど高いとは言えない。また場合によっては従者が他のメンバーの邪魔になることもあり、特に多数の召喚特技を常用とする死霊術者とは相性が悪い。
それにと、そこまで考え苦笑する。
この世界において自分達の死は無い。死んでも神殿で復活できるのだから。ならば罠だろうと何だろうと、奴を神殿送りにしようとこちらが送られようとたいした違いは無いのだ。どうせならば好きなようにやらせてもらう。そう投げやりにも似た思いと共に三人を追って闇の中へと駆け出した。
追うものと追われるもの、狩るものと狩られるものが夜の森を騒がした。
どのくらいの時間がたったのだろう。<一角獣>の背の上で揺られながら、マイムはぼんやりとそう考えた。すでに体を重くしていたBSは消え、体力も全快を示している。
体感としては三十分以上は経過していると思うが、実際はその数分の一しか経っていないのだろう。その間、この<一角獣>はずっと速度を落とさずに走っている。
「ねえ、どこまで連れて行くの。」
問いかけてみたが、当然のごとく返事は無かった。だがその答えはすぐ後に示される。だんだん視界が開け、周囲が明るくなったのだ。どうやら森のはずれ近くまで来たようだった。
木々の群れが途切れ、森を飛び出した<一角獣>はゆっくり速度を落とす。そして森から少し離れた場所で停止すると、背に乗っていた私を振り落とした。
強化された肉体に刻まれた技能と嫌でも修練した移動系特技の感覚のおかげかやわらかな草の上にふんわりと着地することはできた。
助けてもらったのは感謝しているが、今といい、乗せられたときといい、乙女の扱いが少し酷くないだろうか。
「<一角獣>って女性に優しいんじゃなかったっけ。」
記憶の底からそんな雑学が出てきたが、伝承と違いこの獣は紳士的な心を持ち合わせてはいない様で私の批判の視線にも鼻を一つ鳴らしてそっぽを向いた。その態度に何か言ってやろうとしたとき、後ろから名前を呼ばれる。一瞬硬直するが、その声に聞き覚えがあるのに気がついて安堵した。
振り返ると向こうから大猪が向かってくる。その背に乗っていたルイは近くまで来るとその勢いのまま飛び降り、抱きついてきた。軽くない衝撃があったが、それを受け止め彼女を抱き返すと地面に下ろ。
少し離れた間にボロボロになった私の姿を認めた彼女は矢継ぎ早に聞いてきた。
「大丈夫、大丈夫。少し危なかったけどそこの<一角獣>が助けてくれたから。」
そう言って笑って見せるが、彼女の視線から心配と不安の影は消しきれない。何とか宥めつつ、森の様子を伺う。
一応この無愛想な<一角獣>とその主人のおかげでひとまずの危機を離脱したとはいえあの連中が追いかけてこないとも限らない。この従者が消えていないところを見れば術者が無事なのは分かるが念のため、森から離れて見晴らしのいいところに移動しておいた方がいいかもしれない。
そう思ってルイに提案しようとすると、彼女が息を呑むのが見えた。どうしたのかと振り返ると先程まで足元の草を食んでいた<一角獣>が消失し、ボロボロのロープ姿の影がいる。フードを被り、こちらに背を向けているためその顔は不明だが身長は同じぐらいに見えた。
おそらく自身と従者を入れ替える<キャスリング>で飛んできたのだろうと予測する。
ならば彼が私の危機を救ってくれた<召喚術師>なのだろう。危害を加えてくるとは思えないが、念のためルイを下がらせておいて声をかけ、礼を言おうとした。
「あの、さっきは危ないところを助けてもらってありがとうございました。私マイムって言うんですが良かったらお礼を、……!」
その言葉が途中で途切れたのは振り返った<召喚術師>のフードの中身を見たからだ。そこにあったのは不自然なほどに白い骸骨の頭であった。
擦り切れた黒い衣装と夜の闇に浮かんだそのドクロに先程の男達に感じたものとは違う別の恐怖が襲ってくる。この世界では遠ざけられた『死』を思い起こさせるその姿に他の事は全て吹っ飛んだ。
悲鳴が夜空へと響き、目の前の恐怖からすでにいろいろと限界状態だった私は意識を手放した。
もしかしたら話数の見直しが入るかもしれません。