07
注)一部R-18を想起させる表現があります。
一応戦闘シーン?
「ううっ、しつこい。」
薄暗い森の中をマイムは駆けていた。その足は早く、思わず口から出た言葉もすぐ後ろに流れて闇の中へと消える。
強化された視力と木々の合間より差し込む月光によってなんとか前方の視界は確保できてはいたが、それでも時折突き出た木の根や転がった石に足をとられそうになる。
だがその速度を緩める事はできなかった。後方の闇の中よりこちらに放たれる視線がそれを許さない。
夜の帳が下りた森の中、私マイムは追われていた。
こちらを見る視線が強くなったように感じ、私は強引に斜め前へと飛んだ。少し揺らいで着地する私の耳に夜気を切る音が聞こえ、数瞬遅れて何かが近くの木々に突き刺さる。闇の中、揺らいだ光を返すそれらは投擲用に調整された片刃のナイフだ。
次々に闇の中より飛来してくるナイフの群れ、それらは全て私を狙っていた。
「痛っ。」
かわし損ねた1本が木々の隙間をすり抜けて私の肩に突き刺さった。頑強な肉体のおかげか痛みは何とか我慢できるが体勢が崩れ、足を取られて速度が落ちる。
追っ手もそのことに気がついたのか闇を突き抜ける刃の数が増した。風を切る音が全てこちらへと向かってくる。
咄嗟に<ファントムステップ>を発動。感覚より発動された特技はその幻惑の歩法によって間一髪で刃の雨から私を遠ざける。さらに<クイックムーブ>に繋げて強引に前方の闇の中へと身を飛ばした。特技の連続で距離を稼ぎ、着地後すぐに刺さったナイフを強引に引き抜いて捨て、逃亡を続ける。
今の攻撃はなんとか凌いだ。だが闇の中から呼びかけられる暗い感情を秘めた声に背筋が寒くなるのは止められない。この数時間で嫌いになった声だ。
その声で呼びかけられる度、自身の別名というまでにすっかり馴染んだマイムの名が汚されていくようにすら感じる。
「ううっ、どうしてこんな事に。」
じわりと目の端に浮かんだものは乱暴に拭い取った。だが己の不運への嘆きが口から出るのは止められない。その声は追っ手の耳にも聞こえたのだろう。後方からの呼び声に暗い愉悦が混じる。
私が弱音を吐くたび、そして心を弱くするたびにアイツは陰鬱な喜びを感じているのだ。
思えばあの異変、最近では大災害と呼ばれるようになったあの一件が原因だった。その時私は友人の森呪使い、ルイのクエストを手伝うべくナカスに居た。
数ヶ月前に知り合った彼女はこの<エルダーテイル>おいてはまだ中堅クラスで、戦闘系よりも生産系を好んでいた。そのためその手のクエストが豊富なこの街を訪れたのだ。
アイテム収集を手伝って欲しいと頼まれて一緒にナカスにやってきた矢先に私達の意識はふっつりと途絶え、気が付けばこの状況に放り込まれていた。
突然に事態に私も困惑したが、それ以上に酷かったのが彼女の混乱ぶりだ。生来おとなしく気弱な彼女にこの突発的な状況は深刻な打撃を与えたらしい。その彼女を必死に励ましつつ、なんとか自分の挫けそうな心を盛り立てとにかく動いた。
立ち止まったら混乱に足を取られてもう動けなくなる。そんな思いと誰一人近くに頼れる友人が居ない状況への焦りからか、誰彼かまわず積極的に街のプレイヤーに話しかけていたのが不味かったのだろう。気が付くと私はあの暗い視線に付き纏われていた。
いつの間にフレンド登録されていたのか見知らぬ名前からのチャットが日に数十件かかってるようになり、行く先々で親しげに呼びかけられるようになる。自分の置かれている状況に私が気が付いた時には完全にターゲットにされていた。
そのため大災害数日後には私は現状の打破から自身の安全へと対処の優先順位を変更せざるを得なかった。だがGMコールもログアウトもできず、守ってくれる友人も居ない現状においては自分自身で対処するしかない。
幸いそのころにはルイも落ち着きを取り戻していたので、彼女や他の街の友人達と相談してストーカー対策を講じた。
宿に一室に引きこもり、外出は最低限にする。街に出たとしてもことさら意識などせず、なるべく気にしないように振舞うようにした。対策としては不十分かも知れないがこれぐらいがせいぜいだったのだ。
とはいえ効果は会ったようで当初はそれなりに接触もあったが、適当に流しているうちに興味を失ったのか姿も見なくなり、あの視線も感じなくなった。そんな日が一週間ほど続いて、流石に諦めたのだろうと密かに胸を撫で下ろしていたのだ。
そのまましばらくは平穏な日が続いた。だが目新しい情報も無く、またストーカーの事などから私はしだいに暗い気持ちを抱え込み、少し気分転換をしたくなっていた。息の詰まる街中の雰囲気にうんざりしていた事もある。
ちょうど食料アイテムの備蓄が切れたこともあり、ルイと一緒に街の外に出て素材アイテムの採取に勤しむことになったのは一昨日からだ。いいかげん味の無い食事には飽きていたし、外の生命力に溢れた自然の風景でも眺めて疲れた精神を癒したかった。
混雑する近場を避けて少し遠くに遠征することになったのは想定外だったが、街の中で時を無為に過ごすよりはマシだった。
街から離れるにつれモンスターは強くなり、襲ってくるものもいた。しかしレベル90の<格闘家>の高い性能と、ストーカーに追い回されているうちにメニューを呼び出さずとも体の感覚から発動できるようになった移動系特技を使えばルイ一人を連れていても逃げるだけならそう難しくはない。
とはいえ今後の事を考えて戦闘にも慣れておくべく、時間を見つけては訓練をしていた。
自分の考えの甘さを知ったのは今日の帰り道の事だ。街から離れた森のはずれを二人で話しながら歩いていたとき、あの視線を再び感じたその時、私は危険が去っていなかったのを知った。
すぐに行く手を遮るように、夕暮れに染まる木々の間からあの<盗剣士>の男が姿を現す。
笑いながら近づいてくる男の手に赤い光を返すナイフが握られているのを見て、私達は事態がさらに悪化したのを思い知らされた。
固まるルイの腕を掴んで咄嗟に近くの森の中へ逃げ込めたのは幸運だった。先程まで私達がいた場所に無数のナイフが打ち込まれたからだ。間一髪で危険を避けた事を知り、ルイが悲鳴を上げる。
森の奥へ向かう一瞬、振り返った際に男の姿を見た。赤く染まる斜光に照らされた男の顔は笑いの表情が浮かんだままだ。
その何かが壊れたような笑顔から逃げるため私はルイの腕を引きずって走り出した。森の中はすでにその暗さを深めつつあったが、私もルイも背後より迫るもののほうが恐ろしく感じていたのだ。
黄昏に始まった鬼ごっこは夜の闇がすっかり空を覆っても終わらない。当初は木々にまぎれて距離を空け、詠唱に時間のかかる帰還呪文を唱える隙を作り出すか、あるいはアイツをまいてナカスの街に逃げ込むつもりだった。
だがあの男はこちらの位置を大まかにせよ突き止めて、私とルイを襲ってきた。どうやら追跡用の特技を持っているようだが、あまり精度が高くないところをみると取得したてか、もしくはレベルが低いのかもしれない。おかげで逃亡は続けられたが、逆に相手をまく隙もなかなか無かった。
今やストーカーから暴漢へと変わった男の追跡は粘着性を増し、私とルイを執拗に追い回した。
後ろから向けられる全身を舐めるような視線と、執着をあらわにした声、そして時折飛来する矢の数々。それらは全て私に向けられている。彼の執着がこちらに向いているのを確認した私は、先にルイを逃がそうとする。
今の私達の肉体は頑強だが、その精神は一般的な女子高生のものでしかない。いつまでも追われる状況には耐えられないだろう。
それに大災害直後のルイの混乱ぶりを見れば彼女の精神が限界ギリギリなのは容易に察する事ができた。
今は呼び出した従者<野生猪>の背に掴まって並走しているが、かなり消耗しているようで、振り落とされそうになることが多くなっている。
このままでは遠からず追い詰められる。その前に打って出るしかない。
それはるいが離脱する時間を稼ぐためでもあるが、あわよくば撃退も考えていた。幸い相手は投擲型の盗剣士一人である。攻撃に気をつけてその懐に飛び込めば勝機は十分にあった。
私の提案を聞いた時、るいは反対した。だがこれ以上彼女を巻き込みたくは無かった私は強引に彼女を説き伏せる。
「大丈夫、ぱぱっとやっつけてくるから。ついでにこれまでの礼をルイの分まで返しておくから先に帰ってて。」
そう言って宥め、彼女を先行させた。そこには多少の強がりもあったが、本心でもあった。いい加減アイツにうんざりしていたのである。しつこい男に天誅を、などと考えつつその時を待つ。
「今っ!」
闇を抜けて飛来したナイフをかわしざまに反転すると十メートルほど先に見える影に狙いを定める。アイツが反応する前に<ソニックリープ>で一気に距離を詰め、<ライトニング・ストレート>を放つ。
戦士職の<格闘家>の攻撃力は武器攻撃職に比べれば高くは無いが、それでも防御力の低い<盗剣士>相手ならばこの一撃で数割ほどのHPを削れるはずだ。
その後は追撃を畳み掛けて倒すか、遠くに投げ飛ばして離脱するつもりだったのだ。
「ざ~んねんでした。」
だがその私の思惑はガラスが砕けるような音と共に崩れた。にやけるような男の前に展開された障壁がバラバラになって溶けていくのを見て、私は己の間違いに気が付いた。
障壁は<神祇官>の固有呪文であり、<盗剣士>には張れない。つまりこの男には仲間がいる。
その思考を裏付けるかのように、左手の茂みからもう一人背の高い男が飛び出してきた。長い髪の上には狼の耳のような影が付いている。一足飛びに私の近くへ飛び込んできたその狼牙族の男はその勢いのまま私を蹴り飛ばした。数メートルにわたって吹き飛ばされた私は太い木の幹に叩きつけられて止まる。
うめき声を上げつつもすぐに前を向いた私は闇の向こうから無数の光の剣が襲ってくる光景を見た。まだ衝撃が残る体を回して背にしていた幹のうしろに回り込む。回避は間に合ったが、幹に刺さったその光剣の切っ先が私の顔を掠めて突き出し、慌ててそこから離れると別の木の陰に隠れた。
そんな私に気味の悪い笑顔を貼り付けたまま、<盗剣士>の男が言った。
「おーい、みんな君を待っているんだ。隠れても無駄だし恥ずかしがらずに出てきなよ。」
そのからかうような響きに私も言い返す。少しでも立て直す時間が欲しかった。
「仲間がいたの。」
「そうさ。ここにいるみんな、全員君に興味があるんだ。付き合ってくれるだろう。」
動揺を隠せない私の声にストーカー男は楽しげに答えた。その前には軽装の狼牙族の男がこちらを見透かすようにしている。特に武器も持たないことと、先程の攻撃から職業はおそらく私と同じ<格闘家>だろう。
そして先程の魔法攻撃は今茂みから顔を出した猫人族の<神祇官>によるものだ。相手は最低三人、それも全員が移動系特技が多く機動力が高い職業だ。
「ああ、そうだもし心細かったら一緒にいた女の子も呼んで……。」
へらへらと笑いながら男は言葉を続けていたが、それ以上聞く気は無かった。笑い声と複数の視線を背に私は森の中の闇を再び走り出す。
おそらく先程までの追いかけっこは遊びだったのだろう。だからこそアイツ以外の連中は姿を見せなかった。逃がさないようにこちらを追い詰め、消耗したところで本気をだして狩るつもりなのだ。そしてその後のことは考えたくは無かった。
せめてルイだけでも逃がそうと逃亡する方向は別にする。それ以外に自分に出来る事は無かった。追跡技能に加え、機動性も数の優位も向こうにある。私が無事に逃げられる確立はかなり低い。
それでも私は諦めない。諦めたくはない。あいつ等の思い通りになるのは死んでも嫌だ。
そんな思いだけを心の支えにマイムは深い森の中を必死に駆けた。
「逃げても無駄だよマイム。逃げ道なんて何処にもないさ。」
そういえば今回は主人公が不在だった。次には出るはず、たぶん。