01
アニメ2期も終わり3期が来るか来ないかも不明なので、それまでの暇つぶしにどうぞ
潮の香りがする。温く湿った風が頬を撫でて通り過ぎる跡に残すそれは記憶の中の故郷の海を思い起こさせた。現れては消えてゆく香りの行方を追うかのように意識が浮上し目の前が明るくなってくる。
そこは知らない場所だった。それなのになぜか知っている気がした
高く澄んだ青い空と彼方に広がる蒼い海。その二つの青が他の色を飲み込み、遥か彼方で一つになっている。その青へ繋がる空の下、白と緑に侵食された廃墟の群れのはずれに私は居た。
眼前の川は緩やかに流れ、しばし下流で別の流れと合流して海へと続いている。細く伸びた緑の岬と小島によって囲まれた湾内には白い帆を掲げた船が数隻浮かび、今もまた一隻河口付近の港から出て行くところだ。
彼方より来る海風は帆を満たし、川の流れを遡って足元の草花を揺らす。その度に潮と水と草の香りが波のように押し寄せては引いていった。
まるで絵画のように見える風景はしかし圧倒的な現実感をもって確かに存在していた。むせ返るような香りの奔流とそれを運ぶ風の感触に身を任せながら、私はただその光景をぼんやりと眺めていた。
どれくらいそうしていただろうか。
目覚めたときの衝撃と風景への感嘆の波が引き、代わりに混乱や不安、恐怖が入り混じった嵐が心の中を乱すころ、ようやく思考が動き出した。荒れつつある感情をなけなしの理性で押し潰し、思考に集中する。
何かが起こった。それも尋常じゃない何かが。
夢を見ているという考えは全く浮かばず、なぜかその確信だけがあった。香りや風の感触など五感を通して伝わる情報が幻想ではない現実を示しているように思ったからかもしれない。
何一つ分からないこの状況下、気になったのは目覚めてからずっと感じている既視感だった。その正体が分かれば現在居る場所について何か分かるかもしれない。たとえ無駄に終わるとしてもこのままボケっとしているよりはマシのはずだ。
とりあえず周囲の状況の確認とこの感覚の元を突き止めようと背を預けていた瓦礫から体を起こす。その際に体の脇から何かが滑り、音を立てて草の上に落ちた。
「はて、何だろう……!」
拾おうと反射的に伸ばした手は疑問の声と共に止まる。そのまま数秒動けなかった。
凍りついた手と視線の先にあるもの、それは一冊の本だった。黒皮によって装丁されている本には長い年月と気品が感じられる。しかしそれ以上にソレが纏っているのは禍々しい狂気だ。
黄ばんだ骨で補強された本の縁に変色した髪で編まれている組み紐の本飾り。風でめくられたページは黒ずんだ血文字で埋め尽くされ、所々に差し込まれている図形や絵には詳細は分からずとも背筋を凍らせるおぞましさがあった。
異常と狂気のセンスの元に作られた黒本の存在と、それに気がつかずに先程までぼんやり風景を眺めていたという恐怖が心の中に築いた堤防を打ちのめす。
喉元まで出掛かった悲鳴を何とか飲み下すことができたのは僥倖だった。それでも今にも何かが溢れて飛び出してきそうな本から視線をはずせぬままゆっくりと後ずさる。
二、三歩下がった時だろうか、視界前面に何がが展開した。視線を外せぬ本への警戒からか咄嗟に右手で振り払う。勢いよく振るわれた手はしかし展開された何かの群れを抵抗なく突き抜けた。
その軌道上に位置していた「ショートカット1」の名を持つタグが反応を示す。
展開された画面の正体に気がついて手を止めるが遅かった。小振りだが複雑な文様をその内部に持つ光の円陣が自分の眼前に投影され、すぐに消失する。一拍遅れて土と草を跳ね飛ばした白骨の手が数本湧き出し、次いで錆びた鎧と武器を備えた骸骨が四体這い出てきた。
思わず後ずさる自分を虚ろな眼窩の奥に灯る赤い光が四対見据えて、がしゃがしゃと音を立てて向かってくる。
その光景に脆くなっていた心の堤防は決壊し、喉奥からでた悲鳴は遮られる事無く廃墟を抜けて空へと響き渡った。
目を閉じて30秒、ゆっくりと数える。カウントが進むごとに穏やかになる心音にだけ意識を集中した。平坦なビートを刻む心臓と感情の波に押し流された心の堤防の再建を持ってひとまず落ち着きを取り戻せたと判断し、恐る恐る目を開く。
視界に入ってきた光景は先程目覚めたときとほぼ同じであった。ただし何故か近くに生えていた雑草が毟られて自分の横に積み上げられていたり、背を預けた瓦礫には何度も何かを打ちつけたような跡が残っていたりと少しばかりの変化もある。さらに自分の周りで4体の骸骨が真昼間の散歩を楽しんでいる光景もおまけされている。
日中を闊歩する骸骨という異常しかない状況から少々目を反らし、ついでに欠落している一時の記憶の詳細の追及も打ち切って、いつの間にか着ていた風変わりな衣装に付いた土や草の葉を払う。
ひりひりと痛む額に手を当てながら、記憶が欠落する寸前に起きた出来事について考えを巡らせた。
あらためて虚空を睨み付ける様に意識を集中すると先程と同じように何がが視界に展開された。視界を埋め尽くす無数の小窓で構成されるそれには見覚えがある。
「エルダーテイルのメニュー画面?」
自分が常日頃から親しんできたゲームの名前、頭に浮かんだそれをつい呟く。
世界中で数千万のプレイ人口を誇るとも言われるMMO-RPG「エルダーテイル」。「ハーフガイアプロジェクト」と称して再現された2分の1サイズの地球を舞台としており、20年にわたる歴史と豊富なコンテンツを備えた人気MMOだ。
自分も五年前に初めて手を触れ、数回の休止を挟みつつも仲間や友人と共にプレイしてきた。
ディスプレイを視界一杯に貼り付けたように見える目の前のタグの群れと、少し先で陽光の散歩を楽しんでいる<動く骸骨>に交互に目を向け、物は試しと先程偶然押したタグに触れる。
すると呼び出された時と同じように魔法陣が一瞬展開し、骸骨の兵士たちはそのまま地面へと沈んでいった。
思い返してみれば最初に見た風景もボロ布を重ねたような奇怪なロープも「エルダーテイル」で見たことのあるものだった。
「そうか、自分は今エルダーテイルの中に居るのか」
とりあえずそう結論付けてみる。同時に軽小説じゃあるまいしそんな馬鹿な、きっと夢でも見てるんだろうなんて考えも浮かんだ。
しかしまだ痛む額といい、五感を通して伝わる感覚といい、夢だと思い込むのはかなり難しい。
となればここは「エルダーテイル」の世界であり、今の自分は成人を迎えたばかりの大学生「紺野 裕也」ではなく、死霊系を主に使役する召喚術師「幽夜」ということなのだろう。
一応特技もアイテムも使えるようだ。同じ軽小説でも身一つで異世界に飛ばされるよりはマシと考えるしかない。
明らかな非日常事態に放り出されてもある程度冷静でいられるのは幸いだった。もっともそれは目覚めた後の3連コンボにノックアウトされた驚愕センサーが麻痺しているだけだろうが。
そんなことをつらつらと考えながらメニュー画面を眺める。装備やアイテム、特技などは使えるようだが、ログアウトボタンもGMコールも反応はない。フレンドリストを見れば少なくない人数がログイン中になっているようだ。どうやらこの事態に巻き込まれたのは自分ひとりではないらしい。
誰かに連絡を取ってみようとリストをスクロールしていると、突然耳元で音がした。耳慣れたそれはエルダーテイルにおいて主流だったボイスチャットの呼び出し音であった。継続的に鳴る旋律に遅れて、現れた着信の表示には見覚えのある名前が記されている。
その名前の相手を思い浮かべ、頭を一つ振ることで気持ちを切り替える。さて準備は万端だ。意を決してでた自分を出迎えたのは普段よりも幾分高めの声と混乱だった。
「あ、繋がった?繋がりました。すいません、助けてください、お願いします」
そういえば向こうからかけてくる時は大体こんな感じだったなあ、などと思いながらわざと落ち着いた口調で返す。
「どうした、何かあったのか。夢うたかた?」
「あ、そうです。夢うたかたです。すいません、忘れてました。ええと何から話せばいいのか。ちょっと待ってください。」
向こうからかけてきたのにちょっと待てとは、いかがなものか。どうやらかなり混乱しているようだ。もっとも自分も外面はともかく内心は混乱の嵐だが。
「まあ、落ち着け。先に言っておくがこの状況についてどうにかしてっていうのは無理だから。むしろこちらがどうにかしてもらいたい方だから。」
「そんな事は言われなくても分かってますよ。むしろ『ワハハ、この事態は私が引き起こしたのだ!』なんて言ってたらすぐに駆けつけてぶっ飛ばします。そうじゃなくて……そうだ、先生は今どこにいます?」
ギルドに入ったのは同時期なのだが、同じ召喚術師の誼でいろいろアドバイスをしたらいつの間にか呼ばれていた呼称だ。もっともこちらに対する敬称というより、よくある名前の読みなので区別を付ける意味が強いらしい。実際、ギルドの中にも同じ読みのメンバーが何人かいて、彼女はそれぞれ呼び分けている。
「えーと、ナカス……のはずれかな。ユメのほうは?」
こちらもあえて普段使いの呼称で答える。
「ナカスですか、うーんじゃあすぐに合流は無理ですね。都市間転移門も使えないし。私は今、アキバに居るんです。」
がっかりした声が耳に届いたがその中に聞き逃せない一言があった。
「待て、ゲートが使えない?」
「はい?ええ妖精の輪の方は不明ですが、都市を繋ぐゲートは停止しています。さっき確かめてきました。何故かは分かりませんが。」
妖精の輪も都市間転移門もエルダーテイルにおいては基本となる移動手段であった。前者は一定の規則性で各地を、時にはサーバーの枠を超えて世界を繋ぎ、後者はここヤマトサーバーでいうならばアキバやナカスなどの5つのプレイヤータウンと呼ばれる都市を繋いでいる。
プレイヤータウンはゲーム開始直後のプレイヤーが初めてこの世界で始めて降り立つ場所であり、以後も冒険の拠点として利用されている。
その都市を繋ぐゲートが停止しているということは自分たちはこのヤマト各地で分断されているということになる。
特にうちのギルドのように各都市に拠点を分散しているようなところはかなり深刻な状況だ。合流するにも現実の半分の距離とモンスターなどの障害を乗り越えていく必要があるだろう。
「お手数おかけしました。とりあえず他の人に当たってみます。」
とりあえず今確かなことは彼女はアキバに居て、ナカスにいる自分では力になれないということだ。
「まあ、気にするな。何か手伝えることがあったらいつでも連絡してこい。」
余裕綽々に答えるがその内心はびくついている。こんな状況でもつまらない見栄を張ろうとする自分に飽きれるしかない。
「はい、ありがとうございます。それでは。」
そんな内心の葛藤にも気がついていないように、明るくお礼を言って彼女は念話を切った。あちらは何か問題を抱えているようだが、すぐにどうこうという問題ではないらしい。
後でアキバに入る誰かに頼んで様子を見てきてもらおうと考え、さしあたっては彼女の無事と平穏を祈ることにする。
フレンドリストを見たときから推測はしていたが、やっぱりこの状況に放りこまれたのは自分だけではないらしい。友人や知り合いも居るというのはいいニュースであった。ほかは良くも悪くも分からないことが大半だったが。
ひとまずは落ち着ける場所を探そうと考える。情報収集や状況確認はその後で良いだろう。幸いにもここナカスの街には所属しているギルドの本拠がある。同規模のギルドに比べれば小さい拠点だが、ここで瓦礫に囲まれているよりは遥かにマシだ。
とりあえずの方針を決め、街の中心にあるギルドホールへと歩き出す。しかし数歩ののち、立ち止まって振り返った。ふと思い当たることがあったのだ。
視線の先には、河口近くの港があった。川を挟んで少し離れた場所にある港に比べて規模が小さく船の出入りも無い。何の動きも見られないその場所を見つめながら考える。
ここがエルダーテイルの世界で、ゲームのキャラクターのデータやアイテムを受け継いでいるならば、当然アレもあるはず。確かめに行きたい誘惑に駆られたが、この状況で迂闊に街の外に出るのは軽率だと自身を戒める。
「まあ、あとで確認すればいいさ。」
そう気楽な口調で呟いて好奇心を押さえ、再び歩き出す。しかし数歩も行かないうちにまた念話の着信があった。送り主を確認するとため息が一つ。そして覚悟を決めて念話に出る。
「やあ、私だよ。はくしゅだよ。ちょっと頼みがあるんだけど、いいかな?」
次の更新はいつできるだろう。
2015/5/04 一部を修正