騎士
翌朝、アースはアイラに起こされた。先日、アースを取り巻く現状の説明があり、今日はその続きだ。
昨日と同じ部屋に通されると、そこには既にレイナがいた。誰かを待つ様にして椅子に座っている。
「あっ、おはよー」
レイナはアースに気づくと花が咲いた様な笑顔で手を振ってくる。その姿にアースも笑みが零れてしまう。
「今日は姫様も同じ部屋で講義なんです」
アイラがアースの疑問を解消すべく口を開く。
「勇者様には世界情勢。姫様は国政です」
いくら若いといえど、いつまでも国の運営を部下に任せておくわけにもいかない。魔王であるレイナは歳不相応の知識も納めないといけなかった。
アースはレイナから少し離れた場所にある椅子に腰掛けた。アースとレイナの椅子の配置は互いに背中合わせ。おそらく、同じ部屋で分かれて講義を受けるのだろう。
——なんで、わざわざそんな事を?
アースはレイナの後ろ姿を見ながら、そんな事を考えた。すると、
「姫様が勇者様と同じ部屋が良いと仰ったからですよ」
アイラが耳元で囁くように言ってくる。アースはレイナに何の意図があるのか聞こうと振り返った。すると、そこには笑顔のレイナがいた。純粋無垢な笑顔をアースに向けてくる。そんなレイナの姿にアースは気恥ずかしくなり顔を背けていた。
——調子が狂う。なんなんだ、あいつは……
アースはそう思いながら、少女の笑顔を頭の中で反芻していた。
そんな事をしていると部屋のドアが開く音が聞こえた。部屋に入ってきた影は二つ。両目を眼帯で隠した初老の魔族と金髪の長髪をなびかせ、赤と黒の軍服を身に纏った女だった。
「たしか、パストゥール……」
アースは眼帯をした魔族に覚えがあった。しかし、もう片方は知らない。服装から騎士だと推測できる程度だ。
パストゥールはアースを一瞥し軽く一礼すると、すぐにレイナの前に立ち、教鞭を振るい出した。そして、女騎士は部屋の入口付近に立ち、待機のポーズを取り始めた。
絹糸の様な細かく長い金髪、切れ長の目にすっきりとした顔立ち。適度に引き締まった筋肉が健康的な美貌を造り上げている。女神の彫刻像。微動だにしない佇まいを見れば、誰もがそう思うだろう。
「彼女はアイギスと言って、第一騎士団副団長の盾騎士です」
「第一騎士団副団長……盾騎士?」
元々軍隊にいたアースは第一騎士団が何を示すのかは見当が付いた。しかし、盾騎士という言葉に聞き覚えはなかった。そんな騎士をアースは知らない。
「そうですね。じゃあ、今回はアイギスもいることですし、軍について詳しく話すことにしましょうか」
アイラは妙案と手を打って、今日の講義内容を決定した。そして、アイギスを特別講師と言わんばかりにアースの前に連れてきた。
「お初にお目にかかります。第一騎士団副団長、アイギスです」
アイギスは綺麗な長髪を揺らしながら頭を下げた。首元をネクタイで絞り、皺一つない礼節ある軍服を完璧に着こなしている。
「勇者様の話は既に窺っています。僭越ながら、本日より勇者様の従者を務めさせていただきます」
アイギスは礼儀正しい言葉使いで話している。一見して人間と区別が付かず、アースの想像する騎士そのものだった。
「えぇ~、アイギスもそっちぃ? わたしもあっちが良い!」
「ダメです。魔王たる者、常に国民の事を考えなければならないのです。その為の国政なのです!」
「そんなのパストゥールがやればいいじゃん……」
「魔王である姫様がやらなければ意味がないのです」
背後からレイナとパストゥールの会話が聞こえてくる。それを聞いているだけで、レイナがいかに講義を嫌っているかが伝わってくる。
「あっちは相変わらずですね……」
レイナとパストゥールのやり取りを見ているアイラが頭を抱えていた。レイナの講義嫌いはアイラやパストゥールにとって大きな悩みのようだ。
「さぁ、気を取り直して私たちも始めましょう」
アイラが手を打って場の空気を変えたところで、アースはアイギスにこんな質問をした。
「盾騎士って何なんだ?」
「盾を主武装とし、部隊の守りを固め、時には攻撃にも加わる騎士です」
アースの質問にアイギスはゼンマイ仕掛けの人形の様に淡々と答えてくる。今までも何度となく同じ質問をされてきたのだろう。少し申し訳ない気持ちになるが、気になる事を知らないままにしておくのは気持ちが悪い。
盾を主武装にする。アースがいた時代でも大きな盾を持っていた者はいたが、その誰もが大なり小なり剣を携えていた。あくまで盾は防御に使う物。攻撃に使う物ではない。
「武器は持ってないのか?」
今現在、アイギスは盾も武器も携行していない。もちろん、非戦闘時ならば当たり前のことだ。
「はい、盾のみです」
「それと、従者ってなんだ?」
アイギスは先ほど、アースの従者になると言っていた。もちろん、アースも従者の意味は知っている。ここでの質問は、なんで従者なんて付いたんだ? という意味。
「勇者様はこの世界についてあまり知識が無いようなので、私が補佐をする役目を言い渡されました」
この時代について無知であるアースにとって、補佐役はとてもありがたいものだ。見知らぬ土地で生きていくには何よりも情報が重要視される。
「でも、第一団っていうと、あの……」
「グラオベン団長ですね」
アースが何を言おうとし、何に躓いたのか即座に理解して答えを出してくるアイギス。理解力が高いのか、空気を読む力が高いのか。どちらにせよ、魔族に関して物を知らないアースにとっては都合の良い従者だった。
「そう、そのグラオベンの所だろ? しかも、副団長。なのに、俺の所に来ていいのか?」
副団長ほどの者が簡単に所属を変えられる訳がない。しかも、勇者とはいえ従者だ。明らかに今までの立場よりも下になっている。
「魔族と人間の戦闘に不慣れな勇者様には盾騎士である私が適任となった結果です。それに、副団長を従者にすることで勇者様の格を上げる、という意味もあるそうです。私が人型だというのも理由の一つです」
アイギスの返答に何か魔族軍の大きな意思を感じたが、それよりもアースには重要な事があった。
「あんた自身はどうなんだ?」
今までの立場よりも下になり、見ず知らず、無知で不安材料しか孕んでいない様な自分のお守りを言い渡されて。アースは淡々と受け答えをするアイギスにそう告げた。
「勇者様の性格などはまだ判断できませんので私個人としては何の感慨もありませんが、盾騎士としては勇者様を守れることはとても光栄に思っています」
自身の意志を垣間見せることを良しとしないのか、尚もアイギスは抑揚のない声音で答えた。しかし、アースはアイギスの率直な意見に好感を持てた。下手に媚を売られるよりかは遥かに気持ちが良い。それゆえ、それと同じぐらいに居心地の悪さも感じた。それもそのはずだ。アースはあまり戦闘への参加に意欲的ではないのだから。
今現在、アースは魔族側にいるが人間側に敵意はない。かと言って、魔族側にも敵意はない。戦闘に参加するための大義名分がないのだ。
「勇者様、どうかされましたか?」
「い、いや、なんでもない」
疑問符を浮かべるアイギスにアースは平静を装って、椅子に座り直した。
——従者、か……まるで監視役だな。
目の前に佇む美しい盾騎士を盗み見ながら、アースはそう思った。