問掛
「…………んっ」
アースが目を覚ますと、そこはアースが昼間いた城の中の一室だった。高級そうなベッドの上で首だけ動かして周囲を確認する。閉ざされたカーテン、静まり返っている城内。それだけで今が夜だということは分かる。そして、部屋の中にはアイラがいた。
椅子に座るのではなく、下半身の狼が床に座り、その上に乗る形で座っていた。そんなアイラがアースの目覚めに気づき、声を掛けてくる。
「勇者様、気が付きましたか?」
アイラは笑顔を向けながらそう言ってくる。
「ダメですよぉ。勝手に外に行こうとしては」
口調は柔らかだったが、アースにはそれが不気味に思えた。脱走を図った人間に笑顔で話すわけがないのだから。
「昨日の夜に門番から連絡があったんですよ。勇者様が行き倒れになっているって。そりゃあもう、城中大慌てでしたよ」
アイラは昨日の晩の事を思い出すように腕を組んでいる。どうやら、アースは丸一日、気を失っていた様だ。
「外に行くのは構わないんですが、どこに行くか教えてください。それと勇者様、もしかして持病でもありますか?」
アイラの目には不安の色が写っている。アースを騙しているとはとても考えられない純粋な瞳だ。アースはそれに気づき、さらに困惑した。目の前の女の子は一体何を考えているのか。
「いや、そんなことはないけど、急に胸の辺りが苦しくなって……」
昨夜、逃げるために城を抜け出したまでは良かった。しかし、その直後から胸に妙な違和感を覚えた。そしてそれは徐々に苦痛へと変貌し、都市の端にある門の目の前で気を失う程の激痛になった。
アースはその原因に見当が付いていた。城の大広間で胸に埋め込まれた石だ。あの石が一体何なのかまでは分からないが、行動を阻害する物なのだろうと、考えている。
「それは大変です! 今すぐお医者さんに診てもらいましょう!」
そう言いながらアイラは立ち上がり、アースの手を掴んだ。しかし、その瞬間、部屋のドアが大きな音を立てて豪快に開け放たれた。自然、アースとアイラは同時にドアへと視線を送った。
「勇者どうなった!?」
突如として現れたのはこの都市国家の主であり、現魔王であるレイナだった。今日も無造作な髪に薄い布一枚の、言ってしまえばみすぼらしい姿だ。
「姫様、どうしたんですか?」
アイラは驚きつつも、レイナに質問した。するとレイナは無邪気な笑顔を浮かべて、こう答えた。
「勇者が寝込んでる姿を見に来たんだよ」
友人が病気で倒れたから冷やかしに来た。そんな感じの軽やかなステップでレイナがベッドの近くまでやってきた。
「で、原因は何? 石? 石なの!?」
レイナは隠すことなく輝いた瞳をアースに送っている。この返答次第では自分の処遇を再び議題に上げられるのでは。そう思ったアースの口は自然と重くなった。
「原因は分かりません。ですから、今からお医者さんに行くところです」
「えーっと、無駄だと思うよ?」
アースの代わりに答えたアイラにレイナが言う。一応、疑問系にしているが、レイナには原因がハッキリとしている様だった。
「なぜですか?」
アースとアイラの二人から疑問の視線を向けられるレイナだったが、
「簡単に言うとねぇ。勇者が倒れた原因を作ったのはわたしみたいなんだよねぇ」
笑いながら口にした。しかも、謝罪なのか軽く手のひらを合わせている。到底、謝罪している態度には見えないし、本人もあまり悪びれていなかった。
「昨日、勇者に魔石を埋め込んで、私の血を飲ませたよね? あれってなんかわたしの言いなりにする儀式だったみたいだよ?」
誰かからの受け売りなのか、レイナの言葉には所々自信が無さそうだった。しかし、その言葉が事実だというのはアースが身を持って体験している。
「それで、勇者が私からある程度遠くに行くと、魔石が発動するってパストゥールが言ってた」
レイナは両手で両目を隠しながら言っている。その仕草でアースはパストゥールという魔族を思い出した。両目に眼帯をした初老の魔族だ。この国の政治を任されており、この国の頭脳と言っても良い存在。
「なるほど。それで勇者様は倒れたんですね」
アイラは納得いったのか、アースの手を放し、安堵の表情を浮かべていた。その横ではレイナがイタズラっぽく笑っている。そんな姿を見たアースは無意識の内に気を緩めていた。いま目の前にいるのは魔王と呼ばれる存在で、魔石の力でアースを縛り付けている恐ろしい存在だ。しかし、アースにはレイナが魔王である前に、普通の少女にしか見えなかった。
「で、で! わたし思ったんだけど、勇者は私の言いなりなわけだよね? だから、どこまで言いなりなのか実験しようと思ったの!」
親しい友人に遊びを持ちかける子供の様にレイナが声をあげる。するとアイラは、
「ダメです! 勇者様は病み上がりなんです。姫様の妙な思いつきに付き合わせるわけにはいきません!」
アースとレイナの間に立ち、手を広げて言った。レイナとは主従関係であるはずのアイラだが、この時ばかりはアースの身を案じたようでレイナの行動を阻害していた。狼たちもアイラと同じ意思なのかレイナに対して喉を鳴らしている。
「えぇ~、少しぐらい良いじゃ~ん」
「ダ~メ~で~すぅ!」
レイナとアイラがお互いの手をガッチリと掴み合い、力比べしている。アースにはその光景が女の子同士でじゃれ合っている様にしか見えなかった。本当に目の前の少女が魔王なのか怪しくなってきていた。
「まぁ、仕方ないか」
最初から無駄だと分かっていたのか、レイナはあっさり引き下がった。しかし、レイナは実験の代わりにと、こんな質問をしてきた。
「前にも聞いたけど、人間たちは何で攻撃をしてくるの?」
以前、レイナがアースに同じ質問がした。そして、再びの質問に部屋の空気が変わった。人間であるアースに魔族であるレイナがストレートな質問をぶつけてきたのだ。しかし、アースはこの質問には答えられなかった。なぜなら、アースがいた時代には人間と魔族は出会っていなかったからだ。出会っていないのならば、戦いも起こるはずがない。しかし、レイナにはそんな事は関係なかった。今や、レイナの中ではアースが人間の代表となっている。
「人間に勝ち目はないのに、どうして戦うの?」
レイナは純粋な瞳でアースを見つめる。そこには人間を蔑む様な感情は一切なかった。事実をありのままに口にしているだけだ。そんなレイナに対して、アースは答える代わりに質問を返した。
「……魔族は、何で人間と戦ってるんだ?」
アイラが魔族と人間の争いについて少しだけ説明していたが、アースは既に覚えていなかった。そして何よりも、アースは魔王であるレイナが人間との戦争をどう思っているのか知りたかった。
「なんで……? だって、わたしの物を奪うんだもん」
レイナが頬を膨らませながら言う。その姿にアースは呆気に取られてしまった。本当に子供だ。そう思わざるを得ない。
「奪ったって、何を?」
「色々だよ。そもそも、わたしの物を勝手に使ってるんだよ」
「私の物?」
「うん、世界」
レイナは不思議そうに口にした。アースが当たり前のことを聞いてきて困惑してきているのだ。しかし、それは彼女にとっての当たり前。アースにとっては別物だ。
「わたしは魔王で、世界は魔王の物でしょ?」
事実を確認するようにレイナは言う。依然として、その口ぶりに迷いはなかった。
「……なんで、そう思うんだ?」
レイナの瞳には一切の迷いがなかった。世界が自分の物だと信じてやまない。一体、その自信がどこから来るのか、アースは興味が湧いた。しかし、レイナの答えはアースの期待するものではなかった。
「なんでって、そうだからだよ。わたしの世界に勝手に住んで、わたしの物をもっと奪おうとしてくる」
当たり前の事柄に対しては疑問にすら至らない。アースは自分の腕を見つめて考える。この腕は誰の物か。答えるまでもなく自分の物だ。じゃあ、なぜそう思えるのか。それには誰も答えられない。自分の物なのだから、自分の物なのだ。そう答えるしかない。レイナは世界をその次元で捉えていた。
「だから、わたしは自分の物を守るために戦うの」
アースは何かに気圧された気がしてレイナに視線を向けた。レイナの視線は冷たく鋭い。喉元に刃を向けている様な視線がアースを捉えて離さなかった。確固たる意思。若干十五歳にして、彼女には既にそれがあった。その言葉、その態度に圧倒されてアースは何も言えなかった。
「そ、それでは! 勇者様もお疲れでしょうし、私たちは出ていきましょう!」
不意にアイラが両手を打って声を上げた。張り詰めた空気に耐えられなくなったのか、本当にアースの身を案じているのかは分からないが、アースにとっては良いタイミングだった。このまま話していたら、レイナは人間であるアースに不満をぶつけていただろう。そして、それはアースの命に直結する事になりかねない。
「さぁ、姫様。行きましょう」
アイラがレイナの背中を押して、部屋から出ていく。レイナも文句を言うことなく笑顔でそれに従っていた。
アイラとレイナが部屋を去った後、アースはベッドに倒れこみ、ふと考えた。人間と魔族が戦う理由を。
レイナは自分の物を守るために戦っていると言っていた。では、人間はなぜ魔族に戦いを挑むのか。魔族の住む土地を欲しいから、未知なる生物である魔族が恐ろしいから、魔族への報復。そのどれもがそれらしい理由に思えてくるが、正解は分からない。ただ、一つだけ分かるのは戦争が起こる根本的な理由。それは、相手が気に食わないから。それだけだ。
相手が気に食わないから攻撃を仕掛ける。そして、その報復を受け、報復をする。それの繰り返しだ。不毛と言えばそれで終わりだが、一度戦争が始まれば、引くに引けない状況になるのは必然。あとはどちらかが力尽きるまで続くのだ。
魔族と人間の戦い。その中でアースは一際イレギュラーな存在だ。勇者として魔族に歓迎される唯一の人間。自然と考えはある一点に行き着く。
——魔族軍の人間として何か出来ることはあるか?
アースは特別、平和主義者というわけではないが、そう考えてしまう。しかし、すぐに頭を振って思考を遮断した。
アースは元いた世界で軍人として戦争に参加していた。しかしそれは、軍人の待遇が一般市民に比べて良かったから、というだけの理由だ。主張なんてものは一切ない、末端の駒でしかなかった。そんな一介の駒であるアースが自身に関係のない戦争で平和的解決の為に尽力することは到底あり得なかった。それよりも、今は何よりも胸に埋め込まれた魔石をどうにかすることが先決だった。どうせ都市から逃げられないのならば、与えられた役割をこなしながら、魔石が取り除かれるのを待つのが懸命だ。
考えがまとまったことで集中力が切れたのか、アースは強烈な睡魔に襲われた。それに抗うこともせずに、アースはそのまま瞳を閉じた。