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忠誠

 無情にも脱出の糸口すら見つからないままに翌朝を迎えてしまった。石で出来た牢屋には何一つないのだから、それも仕方のない結果だった。

 既に逃げ道はないと悟ったアースは牢屋の中央に座り、時を待っていた。残されたチャンスは牢屋から出された瞬間だ。その瞬間を逃したら後はない。しかし、アースには一つの懸念があった。

 強引な脱出となると追手がすぐに現れる。その追手を両手両足に鎖をつながれている状態で振り切れるかどうか。

 戦うことも、ましてや走ることすら満足にできない状態で逃げ切ることなんて出来るのか。そんな疑問が頭の中を支配する。しかしそれでも、もう道はないのだ。やるしかない。

 覚悟を決めた数十分後、小さな足音が聞こえてきた。素足で石畳を進む、小さな足音だ。一瞬、昨日の女の子の姿を頭の中で描いたが、下半身が狼だったあの女の子とは違う足音だ。まるで子供が小走りしている様な軽やかな足音だった。

 足音の主は牢屋の前まで来ると、何の躊躇いもなく姿を現した。

 昨日の女の子といい、今日の人物といい、この牢屋はどうなっているんだ。アースはそう思わざるを得なかった。なぜなら、目の前には自分よりも年下であろう、少女がいるのだから。

 無造作に伸びた漆黒の長い髪に、何を考えているのか分からない程に純粋な瞳。服は薄い布一枚で、おそらく寝起き姿のままでここにやって来たのだろうと推測できる。そして、何よりもアースを驚かせたのは、少女の容姿だ。

 少女から女性へと移り変わる時期。愛らしさと可憐さを同時に携え、シミ一つない透き通る肌。人形職人が生涯を賭けて造り上げたかの様な美しさ。遥か昔には世界三大美女なんて人物も存在したらしいが、この少女には遠く及ばないだろう。

「…………」

 黒髪の少女が無言でアースを見つめている。アースもそれに合わせる様に見つめていると、不意に少女が口を開いた。

「ねぇ、人間。あなたたちはどうして、わたしの物を取るの?」

 少女の見る者全てを掌握する大きな瞳が純粋な疑問を投げかけてくる。しかし、アースは何を言っているのかが理解できなかった。

「あなたたちはいつも私の物を取る。でも、すぐにわたしに取り返されちゃう。何でそんなに無駄なことを繰り返すの?」

 アースの反応など他所に少女は繰り返し疑問を投げかけてくる。

「一体、何のことを……」

「でも、まぁいいや。それよりも、今はあなた自身の事の方が大事。人間のあなたがどうなるのか楽しみ」

 イタズラっぽく少女が笑う。そこには悪意や善意、そんな感情はどこにもなく、純然たる興味しか見えなかった。

「わたしとしてはあなたに生き残ってほしいな。そっちの方が面白そうだもん。それじゃあ、また後でね」

 少女はそう言うと、手を振って牢屋の前から消えてしまった。一体、何者だったのか、今のアースに知る術はなかった。


 それから数時間後、牢屋に再び訪問者が現れた。しかし、今度の訪問者は一人ではなかった。十体以上の魔族たちだ。

「……出ろ」

 アースの前で短く口を開いたのは、あの鎧の男だった。

 牢屋の鍵が開けられた瞬間、アースは脱出を試みるつもりだった。しかし、それすらも鎧の男は見抜いていたようで、常に直剣の柄に手を掛け、アースの全身に鋭い視線を送っていた。少しでも不穏な動きをすれば、すぐさま切り捨てられるだろう。

 魔族に連れられたアースは牢屋を出た。地上へと続く階段を一段ずつ上がっていくにつれて、周囲から物音が聞こえてきた。そして、地上に出る頃には、多くの魔族が興味本位の見物に来ている事に気付いた。

 ニヤニヤと笑みを浮かべる者、罵詈雑言を吐く者。反応は様々だ。しかし、一様にアースに好感を持っている者はいなかった。死刑台へと向かう囚人の様な扱いだ。

 自分が一体何をしたのか、ただ不運が重なってしまっただけ。そう、不運にも異形の者たちの地に迷い込んでしまっただけ。アースは理不尽な現状を呪いながら、一歩ずつ足を進めた。


 アースが連れてこられた場所は大きな広間だった。中央には入口から続く、赤いカーペットが敷かれ、左右には高い天井まで伸びる大きな柱がいくつも並んでいた。天井に近い壁にはステンドグラスがはめ込まれ、大広間全体を色鮮やかに彩っている。その下には何体もの魔族が綺麗に整列している。その中には昨日、牢屋に訪れた半人半獣の女の子も、召喚された時の眼帯の男もいる。

 神殿を思わせる大広間の中央に立たされたアースは緊張の面持ちで次の展開を待った。すると、ざわついていた大広間が突如、静寂に包まれた。その場にいたアース以外の者の視線が一点に集まる。その反応だけで何者が現れたのかアースには分かった。この国の王だ。

 アース自身も王宮で似たような光景を体験している。国の王が現れる時、まさに同じ事が起こる。

 アースも周りと同じように魔族の王、魔王へと視線を送る。しかし、そこには威厳を携えた年老いた王や、禍々しい雰囲気に包まれた王はいなかった。

「なっ……」

 そこにいたのは、綺麗に整えられているはずの髪は無造作に伸び、全ての者を威圧するはずの瞳は何を考えているのか分からない程に純粋で、豪華絢爛であるはずの服は薄い布一枚しか着ていない女の子だった。そう、先ほど牢屋に現れた少女だ。

 その場にいた全員が立て膝になり、少女に頭を垂れる。しかし、少女は一向に介することなく、大広間に唯一存在する玉座に腰を下ろした。さも、そこが自分の定位置の様に。

「…………」

 アースは固まっていた。王とは国民を導く存在。しかし、目の前の少女はそこだけが自分の世界だと主張するように、椅子の上を退屈そうに動いている。

「それではこれより、貴様に二つの選択肢を与える」

 不意に少女の隣に立つ鎧の男が声を上げた。アースは魔王から視線を外し、鎧の男を見る。

「選択肢は実に明快だ。勇者となり我が国に命を捧げるか、この場で死ぬか、だ」

 鎧の男の言う通り、選択肢は実に単純明快だった。生きるか死ぬかを選べと言っているだけだ。生きる選択をした場合、この国、魔族の国に命を捧げることになる。人間であるアースが魔族の味方をし、人間と戦うことになるのだろう。しかし、アースにとってそんな事はどうでもよかった。魔族と人間が戦おうが、この時代の人間ではない自分には関係ない。そう考えていた。

 今は自分の命が第一だ。アースの考えはそこに落ち着いた。

 アースは膝を着き、頭を垂れる。そして、宣言する。

「……俺、アース・グラーヴォノエは勇者として、あんたたちの国に命を捧げよう」

 アースの声が大広間に響いた。それと同時に周囲から少しだけどよめきが生まれる。玉座の少女もその瞬間だけは、動きを止め、アースをまじまじと見つめ、口元を緩めていた。

「……よろしい。それではこれより、儀式へと移る」

 アースへと近付いてくる鎧の男の言葉とともに、アースは両脇を押さえ付けられた。

「おい、なんだ!?」

 アースの二倍以上の巨体を持つ魔族に押さえつけられ、いくら力を振り絞っても拘束は解けない。

「まずはこれを貴様の心臓へと埋め込む」

 鎧の男が取り出したのは小指の先ほどの大きさの黒く輝く石だった。そして、その石をアースの胸へと押し当てる。

「——がっ!?」

 強烈な痛みに何も考えられなくなる。心臓へと埋め込むと言った鎧の男は、文字通り石を心臓へと埋め込んでいるのだ。何か不思議な力が作用しているのは明らかだが、そんなことは激痛の前にはどうでもいいことだった。両脇を押さえられていなければ、地面をのたうち回っているところだ。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 永遠に続くとも思える激痛は男の指先から石が消えると嘘の様に引いていた。本当に埋め込まれたのか。そんなことを思うが確認の方法はない。

「姫。お願いいたします」

 続いて、鎧の男は玉座にいる少女に向かって言った。どうやら、あの少女は王ではなく、姫と呼ばれているらしい。

「は~い」

 大広間に緊張感のない返事が響く。軽快な足取りで少女はアースに近づくと、一度だけ微笑みかけ、羽交い絞めにされたアースの顎を持ち上げて口を開かせた。そして、自身の唇を少しだけ噛みちぎり、血液をアースの口へと流し込んだ。

「——がはっ!!」

 アースの体が反射的に血液の侵入を拒もうとするが、全てを吐き出すことはできず、少しだけ飲み込んでしまった。

「これであなたは混血。あなたはわたしの物」

 少女は再び笑顔を向けてアースに告げてきた。その瞬間、アースは心臓に埋め込まれた石が大きく脈打ったのを感じた。


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