圧倒
戦闘の続く北門は既に死屍累々として見るに堪えないものだった。しかし、レイナはそこに更なる死体の山を造り上げていく。魔王の登場に人間軍は戦意を喪失し、まともな抵抗すらできなかった。そして、魔族軍はレイナの魔力に当てられ、より一層凶暴さを増していた。
——一体、何人が死んだ?
アースが北門に着いた頃には既にその場にいた人間軍は壊滅寸前だった。そして今まさに、僅かに残っていた人間をレイナが虐殺している最中だった。
レイナは笑っている。人間を殺して高笑いをしている。その姿を見て、アースは悟った。
——もうダメだ。レイナはもう戻れない……
膝を着いて絶望する。これから訪れるレイナの暴虐を想像してさらに絶望する。
——姫様を助けてください——
アイラの最後の言葉。アースはそれを守ることができなかった。
自分は無力なのか? ただの駒でしかないのか? そんな思いがアースを責め立てる。しかし、不意にある言葉を思い出した。
金髪をなびかせ、白銀の鎧に身を包み、全てを守り抜く力を持った騎士の言葉。
——いずれ、ご自身の意思で剣を握ってくだされば。例えそれが、姫様に刃を向けようとも——
なぜ今なのか。アイギスの言葉が頭の中を過ぎる。そして、アースの中で自然と一つの答えに行き着いた。
アイラとアイギスが示す道を自分の道とする。自分の意志で運命を選び取る。たとえ悲しい結末になろうとも。
——レイナに刃を向けようとも、自分の意志でレイナを助ける——
アースは立ち上がる。そして、レイナの下へ向かった。
「行くぞ! 人間どもを駆逐する!」
レイナは拳を天へと掲げ、魔族を鼓舞する。魔族たちも拳を掲げ、声を張り上げる。殺気と怒号が周囲を包む。その姿はまさに悪の軍勢。もう魔族は後手に回らない。人間たちを駆逐するために進軍を開始した。しかし、
「レイナッ!!」
レイナは不意に自分の名前を呼ばれ、視線を送る。
城壁の上。アースはそこに立っていた。所々ひび割れた鎧に一見すれば普通の直剣を携えている。その姿を見たレイナの口元が僅かに釣り上がる。
「アースッ!!」
レイナは憎き相手の名前をどこか嬉しそうに叫んだ。
「お前をこれ以上先には行かせない!」
アースは両手を広げて、城壁の外には出さないと意思表示をする。そんなアースの姿にレイナの視線は鋭さを増す。
「私はお前を殺してでも行くんだっ!」
「だったら、俺もお前を……魔王を殺してでも止めてみせる!!」
レイナを殺す。レイナを暴走した魔王にするぐらいなら、殺してやる。これが最善な解決策ではないのは分かっている。しかし、もう方法はこれしかなかった。全てが手遅れだった。
「くくっ……ハハハッ、アハハハハハハッ! 良いだろう。やってみろ、勇者ァ!!」
——まるで本当の勇者と魔王だな……
アースは悲痛な顔を浮かべた。おとぎ話の勇者と魔王。そのどれもが敵対関係にあり、必ず戦う運命にある。今の自分たちはまさにそれだ。
――――————
一瞬の静寂の後、示し合わせたかの様に二人は動いた。互いに直剣と拳を振り上げ、全力の一撃を放つ。全力対全力。衝撃波が飛び、周囲にいた魔族たちを吹き飛ばす。そして、それとほぼ同時にアースの身体も吹き飛ばされた。力ではレイナの圧勝だった。
「なんて力だ……」
城壁にめり込む身体を引き抜きながら愚痴る。出鱈目すぎる力の前にどうするべきか考えていると、レイナはすぐに襲い掛かってきた。
「勇者ァァ!!」
視界を赤いドレスの悪魔が覆い尽くす。死という事象が姿を纏って襲ってくる。アースは間一髪のところで逃げ出し、なんとか反撃に出る。
一撃で相手を死に至らしめる殺意を込めた一閃。しかし、レイナの首を狙った斬撃は空を斬るだけだった。すでにレイナの姿は無い。
「ハハハッ、勇者ァッ、その程度じゃ遅すぎるぞ!!」
レイナの笑い声がアースを包む。どこから聞こえているのか。どこからレイナが仕掛けてくるのか。アースの表情に焦りの色がにじみ出る。
その時、不意にレイナの笑い声が止んだ。そして、上空に浮かび上がる大きな影。
「——くそっ!」
巨大な瓦礫を片手で軽々と持ち、振りかぶるレイナ。投石器から射出されたかの様な加速をする瓦礫をアースはなんとか回避する。しかし、すぐ横で瓦礫が四散し、破片が周囲の魔族もろともアースを襲う。
「ぐぁっ!」
破片が何個か身体に突き刺さるが、気にしている暇はない。レイナが襲ってくる。
「ほらぁ、避けないと死ぬぞ!」
悪魔的な笑みを浮かべたレイナが蹴りを放つ。アースは受け止めることが不可能だと直感し、転がる様にその場から離れる。一瞬前までアースがいた場所は大地ごと大きくえぐり取られ、吹き飛ばされた地面が城壁に激突していた。
——でたらめだ……強すぎる。
レイナの実力を前にアースは満身創痍だった。全てにおいてレイナはアースを凌駕する。策を練ったところでレイナには到底通用しないだろう。
「勇者、今のままだったら何もできずに死ぬぞ?」
レイナが狂った笑みを浮かべる。
「力でも速さでもいい。なんでもいいから私を超えてみろ!」
アースはレイナの挑発に自身への鼓舞を上乗せする。
「あぁ、お前を超えてみせるよっ」
——もっと速く……もっと速く!
アースの心を埋め尽くす思い。レイナへ届かせるために自身を加速させる。力では勝てない。しかし、速さならばアースにも分はある。
想いは魔力という形を経て、全身を駆け巡る。身体が軽くなる感覚。淡い光に包まれたアースが動き出す。
アースが一瞬でレイナへ接近し、研ぎ澄まされた刃がレイナの腕を掠める。レイナをもってしても避け切ることが出来ない速さ。
「アッハッハッハッ! 面白いぞ、勇者ァ!」
アースの異変にレイナが声を上げて笑う。ようやく自分の足元にたどり着いた者が現れた。そんな喜びがレイナを包む。
アースはレイナを包囲し、あらゆる角度から斬撃を放つ。右から刃が駆け抜け、間髪入れずに左から舞い戻ってくる。それに呼応するようにレイナも攻撃を放つ。左右の拳、脚がアースを捉えようと踊り狂う。
アースはスピードでレイナを圧倒していく。触れるだけで死に至らしめるレイナの指先を回避し、一閃を放つ。一瞬の判断ミスが死を招く状況。アースが精神力を擦り減らしていくにも関わらず、レイナは口元を吊り上げ笑ってる。
戦うのが楽しい。全身でそう語る様に、舞でも踊っているかの様にレイナが攻撃を繰り出す。
——まだだ、まだ遅い! もっと速くっ!
アースは更なる加速を求める。身体が軋み、悲鳴を上げる。しかし、それすらも置き去りにする。
レイナの右拳。アースは頬を掠める熱を感じながらも恐れずにそれを掻い潜り、肉薄する。そして、直剣を真下から切り上げる。刃が通過した一瞬後、レイナの身体から一際大きな血しぶきが飛び散る。
一つ、また一つとレイナに辿り着く。レイナのいる高みへと上り詰めていく。斬撃がレイナの肌を捉え、血を滲ませる。
——イケる!
アースは確信した。しかし、その確信は一瞬にして絶望へと姿を変えた。
身体の中、下半身で何かが千切れた。その瞬間、アースの脚から力が抜ける。左足が自分の物ではなくなった感覚。身体の限界を超えた加速を求めた代償。
一瞬の油断、一瞬の隙。レイナが放った特大の一撃がアースを襲う。
直剣ごとアースの身体を吹き飛ばす。そして、レイナは間髪入れずに連撃を放ち続ける。手加減はない。レイナの全ての力を以てアースを死に至らしめる。
周囲を包んでいた爆音、土煙、衝撃波が消え去るとレイナは一人立ち尽くしていた。
——これで終わり。もう何も私を邪魔するものはない……
レイナは動かなくなったアースの身体を見下し、悔しそうに舌打ちをする。踵を返し、魔族たちに向かって声を上げる。
「邪魔者は消え去った! 行くぞ、人間どもを蹂躙するんだ!」