光明
——一体、どれくらい斬り掛かったんだ……
そんな疑問がアースの頭を過ぎる。
アースは既に数十分は一方的に攻撃を繰り出している。それはレイナに反撃の隙を与えていない、というわけではない。レイナが自ら攻撃をしてこないのだ。まるでアースの実力を確かめるように攻撃を凌いでいる。
しかし、
「……この程度か」
レイナから落胆の声が漏れ、蔑むような視線に変わる。期待外れ。言葉には出さないが、そう言っているのは明らかだった。
レイナはアースを見下し、振り下ろされた直剣に対して拳を振り上げた。今までよりも大きく弾かれたアースは体勢を整えるのに時間を取られ、ろくに防御もできないままにレイナの一撃を受けることになった。
腹への一撃。レイナの右拳で鎧が悲鳴を上げてヒビ割れる。衝撃で身体が浮き上がり、胃液が逆流し、我慢できずに吐き出していた。
「ちっ、汚いな」
ゴミを見るような視線を送ってくるレイナ。うずくまるアースに蹴りを見舞い、強制的に距離を取らせる。
「もう死んだか? あれだけ粋がっておいて、それはないよな?」
土煙の中、アースは近付いてくるレイナの姿を見た。悲鳴を上げる全身に鞭を打ち立ち上がる。そして、
——今ならっ!
不意打ちの一撃。アースの突きは寸分も違わずレイナの腿を捉える。その事実にアースは心を痛めるが、なんとかやり過ごす。脚に傷を負えばレイナと言えども動くことはできないはずだ。
しかし、アースの突きはレイナの腿に僅かに刺さるだけだった。普通ならば腿を貫通する強さの突きだ。それなのに切っ先が僅かに刺さっているだけで済んでいた。
「ん? おぉ、傷を付けたか」
あり得ない出来事に驚愕するアースへレイナは賛辞を贈る。まさか自分が僅かでも傷を付けられるとは思ってもいなかったのだろう。
「だけど、これぐらいじゃ私を殺せないぞ? ほらもっと、これぐらいじゃないとっ!」
そう言ってレイナは悪魔的な笑みを浮かべて自身の腿に刺さる直剣の刃を握り、より深く突き刺した。腿を貫通した刃が赤黒く光る。ドレスは一層赤く染まり、足元に血の湖が出来上がる。
「——っ!」
アースは反射的に直剣を抜き取った。しかし、突き刺した瞬間の感触、肉を抉るような感覚が手に、返り血が顔に残っている。
「あっはっはっはっ、そんなに慌ててどうした? お前は私を殺したいんだろう?」
アースは思いがけないレイナの行動に戦慄した。
——なんだ、こいつは……本当にレイナなのか……
眼前で狂ったように笑う魔王の姿にアースの身体を恐怖が支配する。
ゆっくりと近付いてくるレイナ。踏み出す度にドレスの染みが大きくなっている。レイナは何がしたのか。アースを殺すだけならば赤子の手を捻るように簡単だ。しかし、レイナは現状を楽しんでいるようだった。
——余計な事は考えるな。恐怖すればレイナの思う壺だ。目的を最優先に考えろっ!
アースは血が滴る直剣を一度振り、血払いをする。再び刀身がきらめくと、レイナは嬉しそうに笑った。目の前の敵にまだ戦意があることを喜んだ。
「諦めた敵を殺すのは詰まらないからなぁ!」
「ハァァァァァァッ!」
アースは全身に魔力をみなぎらせ正面から斬り掛かる。どうせ下手な小細工は通用しないのだ。正面から攻撃した方がアースも集中できる。
腕を狙った薙ぎ払い、脚を狙った一閃、胴を狙った突き。アースが何度打ち込んでもその全てがレイナによって捌かれていく。そして、時折見せる反撃がアースを追い込んでいく。的確にアースを殺さない程度の力加減、急所を突いてくる。生かさず殺さず。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
距離を取り、呼吸を整えるアース。額には汗が伝い、脚は疲れで重くなっている。そんな姿をレイナはただ見つめていた。
——どうすればいい? どうすればレイナを動けなくできる?
アースはその事だけを考えていた。アースの目的はレイナの誤解を解く事。そして、それには会話をしなければならない。
物理的に動きを封じるのは無理だった。埋めることのできない実力差の前にアースはその結論に行き着いた。そしてそれは、別の切り口を見出すことに一役買っていた。
——レイナは手加減をしている?
人間を憎む魔王であればそんなことはしない。有無を言わさず一撃でアースを殺していたはずだ。しかし、今のレイナはアースとの戦闘を楽しんでいる。まるでアイギスと組手をしていた時のように。本人は自覚していないのかもしれないが、レイナはアースが死なないように手加減をしている。
「レイナっ!」
アースは直剣を下ろし、レイナに語りかける。この会話が突破口になると信じて。
「お前は人間が嫌いらしいが。それは本当か?」
アースの問いかけにレイナは鼻で笑う。
「何を言ってる? 人間なんて嫌いに決まってる」
「だったら、何で俺を勇者として認めた?」
「……認めたわけじゃない。試した、だけ」
レイナの言葉が詰まる。本心を探られまいと視線を逸らす。
「それで、俺は勇者として認められたのか?」
「……わからない」
急速に、ついさっきまでとは纏う雰囲気が変わっていた。いつものレイナだ。アースはそう感じていた。しかし、魔力の具現化である赤黒いモヤをレイナはいまだ纏っている。禍々しいモヤがレイナを守護するように包み込む。
「本当は人間なんてどうでも良いんじゃないのか?」
アースのその言葉にレイナはゆっくりとぎこちなく頷く。
人間なんてどうでもいい。それは嫌いでも好きでもない感情だ。人間の事なんて考えずに平和に過ごせれば良い。それがレイナの本心だ。アースもその事には気付いている。
「お前は戦争なんて望んでいない。みんなで楽しく過ごせれば良い。そうだろ?」
アースは両手を広げて無抵抗をアピールする。それを見たレイナの雰囲気が柔らかいものへとなっていく。赤黒いモヤもレイナの気持ちに呼応するように小さくなっていく。
「いま起こっている戦闘も——」
しかし、アースの言葉を遮って、爆音が響き渡る。音の方角は北門の方だ。そこではいまだ人間と魔族が激しい戦いをしている。そこで何かが起こったのだろう。
「……人間っ」
大気を揺らすほどの爆音が幾度となく響き渡る。その度にレイナは人間への憎悪を膨らませていく。
「人間はこうだっ! 私たちが何もしなくても攻撃をしてくるっ! やっぱりあいつらは生かしてはおけない!! 人間は皆殺しだっ! 私はやる! たとえ私だけになっても人間と戦う!!」
一度は姿を消した魔王が再び顔を現す。殺気を隠そうともしない。赤黒いモヤが今まで以上に大きくなり炎の様に周囲を包む。
——ダメなのか。この戦闘が続く限りレイナは元に戻らないのか?
アースの中に諦めの心が芽生えてえしまう。自分ではどうする事もできない。そう痛感する。誰か助けてくれ。そう願った。すると、その願いは聞き入れられた。
上空から風が押し寄せる。アースがそれに気付いて見上げると、そこには飛来する何かがいた。まるでトカゲに翼を生やした生物。おとぎ話に出てくるドラゴンだ。そのドラゴンは大きな翼で羽ばたき、周囲に暴風を撒き散らしながら、ゆっくりとアースとレイナの間に着地した。