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石牢

 地下牢には太陽の光がほとんど入ってきていなかった。周囲を石で覆われ、その冷たさから触れているだけで体力を奪っていく。このままここに閉じ込められていては体調を崩すのは明らかだった。アースはなんとか逃げたかったが、両手と両足を鎖で縛られ動きを制限させられている。少し動く分には問題ないが、大きな動きをすることは到底無理だ。

 ——一体、何が起きたんだ……

 自分の置かれている状況にアースは困惑していた。しかし、それも無理はない。突然、光に包まれ、目の前に人間とは違う異形の者たちが現れ、捕まったのだ。

 不可解な出来事にアースは首を傾げるしかなかった。


 牢屋に閉じ込められて数時間が経った。日は沈み始めた様で僅かに入ってくる日の光が紅くなっている。そんな時だった。牢屋の外から物音が聞こえてきたのは。

 ペタペタと僅かな音だ。それ以外には何も聞こえない。おそらく、何か犬の様な軽くて四足歩行の生き物の足音だ。しかし、仮に犬だとしても、犬が一頭でこの牢屋に来るのか、そんな考えがアースの中に浮かぶ。

 アースは牢屋の入口に目を向け、その生き物が現れるのを待った。

 足音が徐々に大きくなってくる。そして、その生き物はアースの目の前に姿を現した。

 アースの目の前には一頭の灰色の犬。いや、顔から察するに狼だ。しかし、その狼はただの狼ではなかった。一頭の狼の胴体に三頭の狼の顔が存在しているのだ。

「————っ!」

 あまりの姿にアースは目を見開いて驚いた。先ほど散々、異形の者を目にしたが、慣れることはない。そして、何より驚いたのは、その狼の背中に女の子の上半身があることだ。女の子の脚は見当たらず、女の子が狼に跨っているのではないことは見て取れる。文字通り一体化している。

「えーっと……こんにちは」

 牢屋の前で狼の脚が止まり、白と黒のスタンダードなメイド服を着た女の子が挨拶をしてくる。女の子の短く淡い青色の髪がふわりとなびき、佇まいの中にメイドとしてのしなやかさと小動物の様な儚さが入り混じっている。しかし、アースは驚愕のあまり挨拶を返すことができなかった。

「もしもし、勇者様? 大丈夫ですか?」

 女の子は大きな群青色の瞳に訝しみの色を映しながらアースの顔を覗き込むように聞いてくる。そこでようやくアースは我に返ることができた。

「ん? あぁ、大丈夫」

 アースの返事を聞くと、女の子は顔を綻ばせて安堵の息を漏らした。

「こんな寒い所に入れられて体調を崩されたのか思って心配しました」

 女の子、そして、三頭の狼の視線がアースを捉えている。警戒も信用も無い、ただの観察の瞳だ。

「…………」

 アースは敵か味方か分からない女の子に対して、警戒心を隠そうとしなかった。狼の脚から女の子の頭まで全身を注意深く観察していく。武器は持っておらず、荷物は腰元のポーチぐらいだ。

「そ、そんなに睨まれては怖いですよ……」

 女の子が両手で壁を作りながら泣きそうな顔で後ずさる。どうやら、女の子はアースに対して敵対心を持ってはいないようだった。

「えーっと……どうしましょう?」

 女の子は首を傾げながら、そんなことを言っている。何か用があってここへ来たわけではないのか。

「勇者様は突然の事でまだ混乱していると思いますが、何か聞きたいことはありますか? 私が答えられる範囲でしたら答えますよ?」

 アースは女の子の意図が読みきれなかった。突然現れ、何か質問はないか。そう言われれば誰だって不思議に思う。しかし、アースはいま、聞きたいことが多くあった。何よりも情報が不足している。ここがどこなのか、目の前にいる女の子は何者なのか。

「じゃあまず、ここはどこ?」

 アースの知る限り、世界に半人半獣は存在しない。しかし、いま目の前にはそれが存在している。

「ここはエングレスにあるサタナボーデンという都市国家です」

 場所さえ分かれば、帰り道も分かる。そう思っていたが、エングレスにサタナボーデン。アースにとって初めて聞く名前だった。それに近しい名前の国も都市も聞いたことがない。

「……君たちは何者なんだ?」

 半人半獣の女の子。そして、背中に翼を生やし、額には角がある男。どれもアースの知る人間とは大きくかけ離れている。

「私たちですか? えーっと、人間の皆さん的に言うならば、魔族ですね」

 女の子は適当な言葉を模索して答える。魔族。魔界に住むと言われている生物たちの事だ。もちろん、そんな者は実在するわけがなく、おとぎ話に出てくる空想上の生き物だ。

「…………魔族?」

 アースの頭の中を疑問が支配する。

 女の子は当然の様に魔族と口にするが、アースにとってはそれが何を示しているのかは分からなかった。文字通り、おとぎ話に出てくる魔族なのか、別の事柄を示しているのか。

「……あれ? 勇者様は魔族を知らないんですか?」

 不思議そうな表情を浮かべる女の子にアースは首を縦に振って答えた。

「あれ? おかしいなぁ。確か人間の皆さんは私たちを魔族って呼んでいるんじゃなかったんですか? ……あっ、ちょっと待ってください」

 女の子は何かを思い出したかのように話を中断した。そして、人差し指をこめかみに当て、目を瞑って考え始めた。

「……もしかして、勇者様の時代にはまだ魔族なんて存在していなかったんでしょうか? いや、存在はしていたけど、人間と遭遇してはいなかったのかもしれません」

 アースには何がなんだか分からないが、女の子は勝手に納得していた。

「なるほどなるほど。そうなると、一から説明する必要が出てきましたね」

 そう言うと女の子は一度だけ咳払いして、場の空気を変えた。そして、口を開いた。

「まずはじめに、私たち魔族についてはお話ししますね。魔族というのは体内に魔力を宿した生き物の総称です。古くから魔術を行使し、文明を発展させてきました。基本的に閉鎖的な種族なので、人間の皆さんとは関わることなく、ひっそりと生きてきました。しかし現在、魔族と人間の皆さんは戦っています。始まり自体がかなり古いもので、事の発端は最早なんなのか分かりません。もう何百年と続く争いなんです」

 女の子に対して言いたいことが多くあった。しかし、理解が追い付かない。魔族、魔力、魔術に人間との戦い。もちろん、おとぎ話の世界ではよくあることだ。しかし、これは現実だ。人間が物語の世界に迷い込むわけがない。

「そんな長い争いをやっていると、魔族としても疲弊してしまうんです。このままではいつか国力も底を尽き、やってくるのは魔族の滅亡です。そこで、です。この長い争いに終止符を打つべく、私たち魔族の首脳陣は考えました。そして、一つの解決案が導き出されたのです」

 ここまで説明を受けて、ようやく事態を理解し始めたアースだった。なぜ女の子が自分の事を「勇者」と呼んでいるのか。

「過去の英雄を勇者として召喚しようと!」

 女の子は大きく両腕を広げて高らかに言った。狼たちも遠吠えをする。その目は希望に満ち溢れている。表情が乏しいはずである狼でさえ、どこか嬉しそうに見える。

「しかし、何があったのか分かりませんが、召喚されたのは人間である勇者様だったのです」

 アースでも召喚という言葉なら知っている。もちろん、おとぎ話の中でのことだが。しかし、何かの手違いだろう。戦争相手である種族、人間が召喚されるなんて普通はありえないことなのだろう。

「そこで、首脳陣は再び考え込んでいます」

 女の子は自身の頭を抱えて、現在進行形で説明を終えた。まさに現状がそれだと言わんばかりに。

「では、何かご質問は?」

 女の子は笑顔でアースを促してくる。

「俺が何でここにいるのかは分かった。それで、さっき君がチラッと言っていたけど、俺は過去から勇者として召喚されたのか?」

 女の子は、過去の英雄を勇者として召喚した、と言っていた。その言葉通り、女の子はアースの質問に首を縦に振って答えてくる。しかし、アースには英雄としての自覚はなかった。大きな戦果を上げたわけでもなく、ただのどこにでもいる一兵士だ。

「何かその証拠は無いのか?」

 自分が勇者だという証拠、そして、ここは本当に自分が住んでいた時代の未来に当たる証拠。アースはそれを求めた。しかし、

「えーっとですね、勇者様は少々イレギュラーな存在なので、本当に英雄なのかどうかは分かりません」

 女の子は申し訳なさそうに言っていた。その言葉にアースは少しだけ肩透かしをくらった。しかし、納得できた。自分が英雄ではないということは、自分自身が一番分かっている。

「でもですね! 勇者様が召喚された時、騎士団長と少し戦いましたよね?」

 騎士団長と戦った。そう言われて思いつくのは、あの背中から翼を生やした漆黒の鎧の男だった。

「あぁ。たぶん……」

 鎧の男の強さはアースが身を以て体験している。

「その時の戦い振りが良かったみたいで、会議が長引いているみたいです」

 戦い振りが良かったから会議が長引く。アースは聞いていておかしな言葉だと思った。普通、何か良い評価を得た時、会議なんてものはすぐに決着するのが常だ。

「じゃあ、その会議で今後の俺の処遇が決まるのか」

「そうなりますね。勇者となってもらうか……」

 言葉の途中で女の子は俯いて口をつぐんだ。そこから先は言われなくても分かっていた。魔族の味方となるか敵となるか、突き詰めればそこが問題なのだ。味方になれば命の保証はされる。しかし、逆に敵とみなされれば、アースはすぐさま殺されることだろう。

「まぁいいさ。どんな決定を下されようが、従う他ないんだ」

 アースは肩をすくめて女の子に向かって言った。しかし、本心はその逆。決断がどうあれ、アースは隙を突いて逃げ出す気でいる。見知らぬ土地で人間の敵であるという魔族に囲まれている状況では到底耐えられるわけがない。

「それでは私はこの辺で。会議の結果は明日には分かると思いますので……」

 そう言って、女の子は牢屋の前からいなくなってしまった。

 女の子はいなくなったことでアースは再び一人になった。静かな牢屋の中には自分の吐息しか響いていない。

 アースは女の子から説明を受けた事柄を思い返す。全てがデタラメの様な話だったが、受け入れるしかない。事実、アースはデタラメな存在、力を目の当たりにしたのだから。むしろアースは脱出手段を考える方が先決だった。明日の朝まで一体何時間残されているのだろうか。そんな疑問が頭を過ぎる。それと同時に、それまでになんとしても脱出の方法を見つけなければならないとも感じていた。


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