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対峙

「……アース?」

 心臓が跳ね上がる。声の主は分かっている。けれど、認めたくはなかった。今、この場の惨状を見せたくはなかった。

「アース、どうしてここに……」

 レイナの声はどこか嬉しそうだった。帰ってくるとは思っていなかったアースが帰ってきてくれたことに、レイナは顔を綻ばせる。

「レイナ……」

 レイナがゆっくりと近付いてくる。しかし、アースは振り返ることができなかった。

「……だれ? 倒れてるのは……」

 レイナはアースの陰に隠れている身体に気付くと、顔色が変わった。誰かが倒れている。そして、アースはその誰かを抱きかかえている。

 ——くそっ、手が……

 いま石化が解けて手を離すことが出来たとしても、もう遅い。アイラの胸に突き刺さっている直剣は、レイナがアースを信頼して託した先代魔王の直剣だ。

「……アイ、ラ?」

 レイナは気付いた。アースに抱きかかえられ血を流しているのがアイラだと。アースの手にした直剣がアイラの胸に突き刺さっている事を。アイラが既に死んでいる事を。

「——アイラッ!!」

 レイナはアースを押し退けアイラを抱きかかえる。それと同時にアースの右手とアイラの胸の石化は解け、パストゥールの策略の痕跡が消滅する。

 アイラの胸から血が静かに溢れ出す。レイナはそれを必死に止めようとするが、既に無駄だ。

 ——あの時と同じだ……

 レイナの中にアイギスの姿が浮かび上がる。

 ——間に合わなかった……

 それだけが事実として突き付けられる。

 ——また失ってしまった……

 ――人間の手によって……

 レイナは涙を流し、叫ぶ。アイラを死なせてしまった自分。アイラを殺した人間。アイラを殺した、アースを呪う。

 耳を塞ぎ、目を閉じてアースは俯いた。目の前の少女の苦しみをどうすることもできず、目を背けるしかできなかった。自分がやったのではない。そう言ったところで信じてはもらえない。

 レイナの叫びは周囲のガラスへと伝わり、次々に破壊していく。ステンドグラスが粉々になり、幻想的に降り注ぐ。レイナが泣き止む頃には大広間にあったガラスの全てが粉々に砕け散っていた。

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 肩で息をするレイナ。なんとか落ち着きを取り戻したのか、アイラを慎重に床へと寝かせる。そして、ゆっくりと立ち上がった。

「…………」

 アースは静けさを取り戻した周囲に気付き、目を開いた。すると、アイラの横に立ち天を仰ぐレイナの姿が目に入った。壁に空いた穴から光が差し込みレイナを照らす。アース思わず見入っていた。唯一無二。この世に存在する最も美しく精巧な人形の様な姿。今がそんな時ではないことなど分かっている。しかし、あまりの美しさに心を奪われていた。

「……アース」

 不意にレイナが口を開く。

「……どうして?」

 どうして、アイラを殺したのか。レイナはそう言っている。もちろん、アースはその事に気付いている。だから、アースはこう答えた。

「俺じゃない。パストゥールだ」

 真実を口にする。

「パストゥール?」

 レイナの言葉にアースは無言で頷く。しかし、レイナはアースの肯定を否定した。

「パストゥールがこんな事をするわけがない」

 レイナの教育係であるパストゥールはレイナの育ての親と言っても過言ではない。そんなパストゥールにレイナは絶対的な信頼を寄せている。つい最近現れた勇者よりも。

「パストゥールはこの国の為に頑張ってる。厳しい時もあるけど、それは私を立派な魔王にする為だって分かってる」

 レイナの言っている事は間違ってはいない。パストゥールがレイナを冷徹で非情な魔王へと完成させる為に行ったこと。それは魔族を思うが為、レイナを盲信しているが為の行動だ。しかし、その手段は間違っている。

「嘘を吐くならもっと上手い嘘を吐くべきだったね」

 レイナは鋭い視線でアースを見据える。全てを切り捨てるかのような鋭さ。アースはすぐにこの場から逃げ出したかったが、それをしたら意味がない。レイナの誤解を解かなければならない。

「違う! パストゥールはお前を魔王へとする為に、他の全てを犠牲にするつもりだ。アイギス、アイラ、それに魔族の全てだ」

 アースの言葉をレイナは無表情で聞いている。何を考えているのか分からないが、アースは続けた。

「人間の進軍もパストゥールの仕業だ。俺たちは嵌められ——」

「うるさいっ!」

 レイナの声にアースの言葉はかき消される。レイナに伝えるべき真実はレイナ自身によって儚く散った。

「パストゥールを悪く言うなっ! よくもアイラをっ!!」

 レイナは頭を振り乱し叫び、雑念を振り払う。アースとの記憶全てに蓋をする。そして、自分がいま何をするべきなのかを明確にする。すると、答えは簡単に見つかった。

「ハハッ、やっぱりそうだったんだ」

 ——心に蓋をする——

「人間なんて信用できない」

 ——蓋、蓋、ふた、ふた、フタ、フタ——

「初めから分かってたんだ。だけど、信じてみたかった」

 ——何も考えない——

「その結果がこれ……人間なんていなくなればいいんだ……」

 天を仰ぎ笑うレイナ。その姿に先ほどの美しさはどこにも無かった。赤黒い不気味さを身に纏い不敵な笑みを浮かべている。

「……そこの人間」

 レイナの冷徹な視線がアースを捉える。そして、宣告する。

「お前を生きて帰しはしない」

 瞬間、アースは反射的に直剣を構えた。そして、それが結果的に生死を分かつ事となった。

 赤黒い物体にアースの身体が直剣ごと押され、後方に吹き飛ぶ。自分が殴られたと気付いたのは壁に激突した後だった。何も見えなかった。両手は痺れ、全身に鈍い痛みが広がる。

「ちっ、死ななかったかっ」

 レイナは憎むべき相手を睨み、舌打ちをする。既にレイナを取り巻く感情は憎悪しかない。

 レイナはすぐさま追い打ちを掛ける為に距離を詰めてくる。もちろん、それから逃げることはできない。アースはなんとか直剣で守りを固め、致命傷を避ける。

 無数の乱打がアースを襲う。そして、それは壁の限界をあっさり超え、アースごと空中へと押し出す。

「なっ——」

 身体が浮遊感に包まれる。眼下に広がる光景にアースは慌てた。地上数十メートルからの落下。このまま落ちれば大怪我では済まない。

「くっそ!」

 急激な加速の最中、空中で体勢を整え、手を伸ばす。何とか数階下のベランダに手を掛けることに成功する。しかし、頭上から降り注ぐ影に咄嗟にその場を離れた。直後、ベランダがレイナの拳により跡形もなく四散した。

「……外したか」

 間一髪のところで逃げたアースはベランダを利用して下を目指した。

 ——どうすればいい……

 ——我を忘れているレイナに俺は何をしたらいい……

 アースはそう自問するが、答えは見つからない。アイギスの死を目の当たりにして錯乱したレイナを止めることはできなかった。あの時と同じように、あの時の人間たちのように自分もなってしまうのか。そんな考えが頭を過ぎる。同時に恐怖のあまり、身震いがした。あんな死に方は嫌だ。このままここから逃げ出してしまいたい。しかし……

 アースはなんとか地面に降り立つとレイナを待った。この絶望的な状況であっても、逃げ出すことはしない。レイナを守るのが自分の役目だ。それがアイラの願いだ。そう自分に言い聞かせる。

「……しぶとい奴だ」

 真っ赤なドレスを翻し、レイナは柔らかな着地で大地に降り立つ。優雅さと不気味さを併せ持つ姿。そんなレイナに対し、アースは直剣を構えた。自分の守る為ではない。レイナを攻撃する為に、だ。

 ——レイナを動けなくすれば良い。話はそれからだ。殺す必要はどこにもないんだ。

 しかし、そんなアースの姿を見たレイナは腹を抱えてあざ笑う。

「私と戦うつもりなのか、人間。勝てると思っているのか?」

 視線を外さず、自分を見据えるアースの姿にレイナから笑みが消える。冗談半分、逃げる為の演技ではないと悟る。

「なるほど。本気のようだな。だったら、魔王として相手をしてやろう。全ての人間を駆逐する前哨戦だ」

 レイナは一度だけ前髪をかき上げ視界を広げる。髪がなびく姿はとても美しく、アースは一瞬だけ見惚れてしまう。しかし、研ぎ澄まされた抜身の刃。そんな視線がアースを捉えて放さない。

 聞く耳を持たないレイナと会話をするには、まずは動きを封じる。アースの行き着いた結論だ。レイナを斬りつけるのは気が引けるが、そんなことを言っている場合ではない。

「さぁ、ほら。掛かっておいで」

 レイナは無防備に両手を広げた。先手を譲るという意思表示だ。しかし、武術の型を知らず、己の動きたいように動くレイナにとって、あれこそが最も動きやすい体勢であり、全ての動きの基本となる体勢だ。それでもアースは怯むわけにはいかない。

「くっそぉぉ!」

 アースはレイナに刃を向ける不運を呪いながら突貫した。

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