不穏
特訓の為に何度か通った道を疾走するアース。そのスピードは行きと比べて格段に速くなっていた。魔力の使い方のコツを掴んだアースは魔力を脚に集中させていた。空を行く偵察部隊と思われる灰色のドラゴンにすら追いすがる勢いだ。
耳に飛び込んでくる戦闘音が徐々に大きくなっていく。それに伴い、街から上がる黒煙も視界に充満するように広がっていく。
いくら個々の力で勝る魔族と言えども、圧倒的人数差と奇襲の前にはなす術がなかった。おまけに人間たちは次から次へと来る援軍に士気が下がることはない。防戦一方。今は何とか耐え凌いでいる状態だった。
——もう少し、もう少しだっ!
アースは外壁を視界に捉えた。そして、そのまま北門へと向かう。他の門へ迂回している暇はない。一刻も早く、転送門を破壊したことを魔族軍に伝えなければならない。
転送門の破壊。これは戦局を一転させられる情報だ。無限とも思える援軍はもう来ない。それだけ分かれば魔族軍は息を吹き返す。
アースは北門に到着すると思わず足を止めた。戦闘の最前線である北門はまさに地獄絵図だった。互いの陣営は敵味方の区別なく屍を超えて突貫する。もう個人の感情なんて存在しないかのような戦い。この場にいる全ての者が目の前の敵を殺すだけの兵器となっている。
アースはこみ上げる吐き気を無理やり抑え込み走り出す。北門前の大通りを横目に一直線で城壁の中を目指す。
戦場に一陣の風が吹き荒れる。一瞬、全ての戦闘が止み、そして、その姿はその場にいた全ての者の目に飛び込む。アースはその瞬間を見逃さず、瓦礫の上に飛び乗り大声を上げた。
「転送門は壊れたっ! これ以上、援軍が来ることはないっ!!」
アースの言葉に魔族軍は歓喜の声を上げ、人間軍に絶望が伝染していく。しかし、次の瞬間、アースにとって予期せぬ出来事が起こった。
援軍が来ないと分かれば、人間軍の中に逃げ出す者が現れる。そして、それは連鎖していき、人間軍は何もしなくても瓦解する。アースはそう思っていた。しかし実際には、追い詰められ、転送門という退路を失った者たちが自らを鼓舞する雄叫びが上がった。
——どうしてだ、なんで逃げ出さない!?
アースが困惑していると、人間軍が自らをさらに鼓舞し始めた。
「前進あるのみ! 勇者に続けぇ!!」
その言葉にアースは周囲を見渡した。人間軍にも勇者がいるのか。だとしたら、そいつはどこにいるのか。人間軍に勇者がいるなら、そいつを叩く必要がある。それは魔族軍の勇者であるアースの役目だ。しかし、いくら探してもそれらしい人物はどこにもいなかった。
その瞬間、アースは悟った。人間軍が勇者と仰いでいる人物が誰なのかを。
人間軍の後方から颯爽と現れ、魔族軍へ飛び込んでいく。まるで、後に続けと言っているかの様だ。勇敢な勇者の突撃だ。
アースは自身の姿を呪った。もしも、アースが人間の姿でなければ人間軍は今頃戦意喪失していただろう。
——くそっ、あいつら。都合の良い勘違いだな……
北門の戦闘はさらに激しさを増していく。殺意と殺意、憎悪と憎悪のぶつかり合い。もはや、誰が何を言おうと止まることはない。互いが互いを殲滅するまで終わることはない。
——くそっ、ここはもうダメだ……
アースは収集のつかなくなった戦場を見下ろし、舌打ちをする。アース一人の力ではどうすることもできない。その事実がアースを苛む。しかし、この現状を打破する解決策が思い浮かんだのも事実だ。
——レイナなら……
魔王であるレイナが姿を現し、人間たちに宣言すればいい。お前たちに勝ち目はない、と。人間との平和的解決は不可能ならば、心を折るしかない。
他に選択肢は無いと確信したアースは城へと駆け出した。
都市サタナボーデンの中心に存在する城は至る所に投石器から放たれた岩石が直撃していた。しかし、まだその威厳を携えた姿をかろうじて保っていた。周囲には投石、落石に巻き込まれた魔族たちの死体が転がってもいる。アースは知っている顔が無いことを祈りながら進んだ。
ここにはまだ人間軍の進軍は及んでいないらしく、生きている兵士は誰一人いなかった。
アースは城内のある場所に目星を付ける。戦火に曝された現状でレイナはどこにいるのか。
自室、それはあり得ない。会議室、作戦を発する場所としては狭すぎる。ならば、大広間だ。あそこならば十分すぎる広さを持ち、街を一望できる。おそらく、そこが魔族軍の最重要拠点であり、最終防衛地点でもある。籠城だ。逃げ場の無い魔族は籠城を余儀なくされたのだ。
大広間へと向かうために城内を進むアースは妙な違和感を覚えた。脚を止め周囲を見渡し、耳を澄ました。誰もいないことを確認する。その事がアースの違和感を大きなものへと変えていく。
——静かすぎる……
まだここには人間が現れていないとはいえ、静かすぎる。城内に警備兵がいない。警備兵すらも戦闘に投入せざるを得ない状況ではないはずだ。それなのに、どこを見ても警備兵はおろか、気配さえ感じられない。城内だけが隔絶されたように静寂を保っている。
胸騒ぎがする。何か嫌な事が起こっているのではないか。アースは懐疑の念を抱いていた。
大広間の前に到着すると、アースは中の様子をうかがう様に扉に耳を当てた。
音は聞こえない。誰もいないようだ。しかし、おかしい。ここはレイナやアイラがいるはずの場所だ。ならば、何かしらの音が聞こえてくるはずだ。
——考えが甘かったのか?
もしかしたら、自身の当てが外れたのかもしれない。そう思いながらも、アースは直剣を構え慎重に扉を開いていく。何があっても即座に反応できるように。
「————」
大広間に入ったアースの目に飛び込んできたのは、大きな穴の開いた壁、その反対側には直径五メートルはある岩石がある。周囲の装飾は全てが吹き飛び、床に散乱している。おそらく、投石器の一撃が運悪くこの場に直撃したのだろう。そして、大広間の中央。そこだけが他とは別次元のように綺麗だった。掃除でもされたように瓦礫が存在しなく、その中には一つの身体が横たわっていた。人間の上半身を持ち、三頭の狼の頭を持った下半身を持つ少女。
一瞬にして血の気が引いていくのをアースは感じた。
「おいっ、アイラ!?」
見慣れた姿に直剣を放って駆け寄る。アイラの身体はぐったりと力なく倒れている。下半身の狼たちも反応はしなかった。
「大丈夫か!?」
アイラの身体を抱きかかえ声を掛ける。所々に切り傷はあるものの息はしている。気を失っているだけだ。それだけ分かるとアースは安堵の息を漏らした。
「おい、アイラ。起きろ」
意識を覚醒させようと、アイラの頬をやさしく叩く。しばらくすると、アイラは目を覚ました。
「ん……あれ? 勇者様。どうしたんですか?」
アイラは状況を理解していないのか、アースに聞いてくる。しかし、アースも何があったのかは分からない。周囲を見れば、大まかな事が分かる程度だ。
「たぶん、投石の一撃で気を失ったんだろうな」
アースの腕の中でアイラは周囲に視線を送る。
「そうでした。急に岩が来て、みんなで逃げようとしたんです。でも、その時急に意識が……」
アイラの頭を見ても外傷はどこにもなかった。頭を打って気を失った様ではないらしい。
「確か、誰かがそこにいた気がするんですよ……」
「レイナじゃないのか?」
アイラの近くにはレイナがいる可能性が高い。それに加えて非戦闘員もいたはずだ。
「いえ、姫様はみんなを避難させるって先頭に立って……」
アイラは必死に思い出そうとしている。そして、その甲斐あってか気を失う直前の状況を鮮明に思い出した。
「そうです、パストゥール様です! パストゥール様が現れたと思ったら、急に意識を失ったんですっ」
全身の毛が逆立つかの様な感覚。鼓動が速くなり、手が震える。嫌な予感がする。
なぜ、アイラはその名前を口にするのか。なぜ、パストゥールはここにいたのか。パストゥールは北の転送門でアースと会っている。そして、パストゥールはその場に残ったはずだ。
その時だった。不意に背後から気配を感じた。アースは振り向きたくない気持ちを押さえ付けながらゆっくりと振り向いた。