制御
アースは鎧を着込み、直剣を携え、西門にいた。ここから都市の外に出て、北を目指す。目的地は北にある転送門だ。
城を出る前に地図で確認した限り距離的にはそう遠くなかった。問題は敵がどこにいるのか分からない点だ。短い間ならば味方の振りをすることも出来るだろうが、それもすぐにバレるだろう。そして、あの時の様に囲まれ、無残な姿へと変り果てることになる。
自分を守ってくれる者はもういない。アースはこれから敵地へ一人で潜入をするのだ。一度のミスが命取りになる。
「……よしっ」
アースは一度だけ深呼吸をして、体の震えを押さえ込んだ。
出発してから一時間程が経った。周囲を覆う緑には変化がない。遠くから聞こえる激しい戦闘音だけが、都市が戦火に晒されていると証明している。
草を掻き分けながらアースは進む。ろくに整備されていない道だ。目的地へ最短の道筋を辿るのは難しい。おまけに周囲を警戒しながらの移動だ。余計に時間が掛かる。
——レイナはどうなったんだろう。それに、アイラも……
アースは額の汗を拭いながらそんな事を考えていた。
いくらレイナが強いとはいえ、こうも激しい戦闘に国のトップが参加するとは思えない。おそらく、アイラたちの非戦闘員と共にどこかへ避難しているはずだ。しかし、アースはそれでも不安だった。
魔族にとってあの都市以外に逃げる場所はあるのだろうか。もしも、そんな場所すらなければ、彼らは命を掛けてあの都市を守るはずだ。そこで全ての魔族が倒されようとも。
一刻も早く敵の増援を食い止めなければならない。そして、それが出来るのは自分以外いない。そう考えると、アースの足は無意識の内に早くなっていた。
そして、その甲斐あったのか、予想よりもはるかに早く目的の場所へたどり着いた。途中、敵と遭遇しなかったのは幸いとしか言いようがない。
転送門がそびえ立つ北の平原。そこはレイナ、アイギス、アイラと共に魔力の特訓をした場所だった。地図上では分からなかったが、アースにとって見覚えのある景色だった。しかし、以前は転送門など存在しなかった。何の変哲もない平原だったはずだ。
転送門の大きさは都市に存在する転送門と同程度の物だ。しかし、それ以上に警備が厳重だった。簡易ではあるがキャンプ地が設営されている。人間軍がここを攻略拠点にしているのは明白だった。
アースは茂みに隠れ、様子を覗う。敵の人数、装備、警戒心。様々な情報を収集していく。そして、どの様に転送門を閉じるか算段をつけていく。
転送門の閉じ方は実に簡単だ。言葉の通り、門を閉じればいい。しかし、
——流石に一人じゃ、動かせないな……
転送門は高さ十メートル横幅五メートルを優に超えている。そして、その門を構成するのは大量の魔石だ。仮に魔石の重さが普通の石と同じだとしても、アース一人ではどうすることも出来ない。ならば、方法は一つしか残されていない。
転送門を跡形もなく破壊する。単純明快であり、確実な方法だ。しかし、それにも問題は生じてしまう。アースの斬撃では軽すぎるのだ。人間の身体を持つアースにとって、大量の魔石を斬る作業は時間も労力も掛かってしまう。その間に敵に囲まれれば全てが終わりだ。
アースは自身の力を的確に分析し、別の方法を探した。その結果、一つの可能性が浮かび上がった。
——魔力はイメージする力によって形を変える——
——イメージは鮮明であればあるほど好ましい——
グラオベンとアイギスの言葉が蘇る。魔力を操る際に必要なのはイメージする力、すなわち想像力だ。想像力があれば、どんな事であっても魔力に限界はない。逆に言えば、自身の想像も及ばない事、それが魔力の限界となる。
アースの身体能力が飛躍的に向上しているのには魔力の影響が大きい。そして、それはアースの想像力がなせる業だ。ならば、別のイメージをすれば自ずと魔力の姿は変わってくる。
――グラオベンは一撃で大地を割った。アイギスやレイナの攻撃で身を持って体験したんだ。思い出せ。ここに来てからの記憶、全てを思い出すんだ……
記憶の糸を手繰り寄せ、一つの紐に編む。紐を束ね縄へと変える。記憶を強固にし、イメージを鮮明にしていく。特訓では最後まで成功することはなかった魔力の制御。しかし、今ここで成功させるしかない。
アースは茂みの中で直剣を構え、自身が放つ一撃をイメージする。すると、アースの身体に少しずつ変化が現れた。何かが身体の中をゆっくりと移動している感覚。ソレはアースの腕へと集中し、次第に直剣へと流れ込んでいく。
周囲の草木がざわつき、魔力はより大きなエネルギーへと変貌する。
アースは目を開けると、直剣が淡い青色を放ちながら輝いていることに気が付いた。グラオベンともアイギス、レイナと違う輝きだったが、アースはソレが自分の魔力なのだと確信した。
アースは直剣を頭上で構える。そして、
「はぁぁぁぁっ!」
大地へと振り下ろす。
巨大な爆発音と共に大地が裂ける。斬撃は真っ直ぐに転送門へと向かい、邪魔する全てを斬り裂いていく。
「な、なんだっ!?」
転送門の周りにいる兵士たちが一斉に声を上げる。蜃気楼の様な淡い光が突進してくる様に危険だと直感が働きかける。しかし、既に遅かった。斬撃は兵士諸共、転送門に直撃した。しかし、
「くそっ! 弱かったか……」
転送門は未だ健在だった。
アースは茂みから飛び出し、転送門へと駆け寄った。
アースの斬撃は大地を抉るように進んだグラオベンの斬撃に比べ、ずいぶん小ぶりで、転送門にできた傷跡はアースの想像していたものよりも遥かに小さかった。
——もう一度だ。壊れるまで何度でもやってやる!
アースは再び、直剣を構えて魔力を溜める。周囲に敵兵はいない。しかし、すぐに騒ぎを聞きつけて集まってくるだろう。あまり時間はない。
アースは今さっき自分が放った一撃を思い返し、力を込める。
アースとグラオベンの斬撃では一撃の威力が違う。それはいくらイメージを鮮明にしたところで到底真似できる代物ではない。ならば、別のイメージを作り上げるまでだった。
——もっと鋭く、全てを斬り裂く鋭さを……
アースが直剣を振るう。それは一撃目よりも鋭さを増した一撃だった。斬撃はまるで光さえも切り裂くように太陽の光を反射し、転送門に直撃する。
斬撃が転送門を切り裂き、片方の柱を失った転送門が音を立てて崩れていく。それを見てアースは確かな自信、そして、己の力に武者震いさえしていた。
魔力を扱えている。それは人間からかけ離れていく行為だったが、今のアースにとっては嬉しいものだった。心の中でアイギスに特訓の成果が出たと報告する。
転送門を破壊し、アースは自分の役目が終えた事を認識する。周囲には異変に気づいた敵兵が集まり始めている。ここに長居する必要はない。しかし、逃げ道が無かった。
周囲には、これまでどこに隠れていたのかと思うほどに兵士たちが溢れている。もしかしたら、人間たちの援軍がまだ近くにいて引き返してきたのかもしれない。
アースを囲む兵士たちは武器を構え、警戒心を最大限に発揮し、ゆっくりと距離を詰めてくる。
——逃げ道は無い、か。だったら……
アースは周囲を見渡すとすぐに決断した。そして、三度、魔力を溜め始めた。逃げ道が無いのなら、突破口を無理やり作るしかない。兵士たちの一部でも行動不能にできればそれで十分だ。
魔力が体内を流れていくのを感じながら、集中を続ける。腕に、直剣に魔力が注ぎ込まれていく。しかし、一人の兵士がアースの不穏な動きを察知し、いち早く行動に移した。
先陣を切り、アースに突撃してくる。敵の未知なる攻撃を目の前にしての行動。勇敢、無謀、恐れ。呼び方は多くあれど、それが結果的に功を奏した。周囲の兵士たちもつられるようにアースへと殺到した。
その光景にアースは動揺した。結果、集中を乱し、魔力の制御がおぼついてしまう。
——マズい!
そう思った時にはすでに遅かった。先頭の兵士はすでに己の間合いにアースを捉えている。
アースは咄嗟に直剣を構えるのを止め、横に跳んで刃をかわした。直剣の切っ先が地面を叩く。一瞬前までアースがいた場所に直剣が突き刺さっている。
——くそ、こんな状況じゃ……
押し寄せる兵士たちにアースは魔力を溜める隙を見つけることができなかった。むしろ、攻撃することすら困難だ。前後左右を囲まれ、相手の斬撃をかわすのが限界。一瞬でも集中を欠けば八つ裂きにされてしまう。しかし、
「ちぃっ、ちょこまかとウザい野郎だ!」
攻撃を回避し続けるアースに兵士たちはイラついていた。なぜ囲んでいるのにも関わらず攻撃が当たらないのか。徐々に斬撃の鋭さ、精度を欠き、アースは回避するのが簡単になっていることに気付いた。
——このままいけば何とかなるかもしれない。
そう思った瞬間だ。敵の僅かな綻びに油断した瞬間だ。
目の前の兵士が身体の陰に隠した右手を突き出すと、その瞬間に視界が奪われた。
「——っ!」
呼吸と共に口の中に砂が飛び込んでくる。アースの視界は急速に狭まり、正面の兵士をかろうじて確認できる程度になってしまった。このままでは串刺しにされてしまう。そう思ったアースは大きく体を動かし、その場を離れようとした。しかし、何かがアースの身体に衝突した。鎧の上から伝わる衝撃に直剣ではないと悟ったが、身体は自由を失い地面へと倒れこんだ。
「今だ、やれぇ!」
すぐ近くで男の叫び声が聞こえる。アースの両手両足は封じられている。その事でアースは自分が押さえつけられていることに気づいた。
天を仰ぎ、僅かな光の中にいくつもの直剣が見える。そのどれもがアースを捉えている。切っ先が心臓、腹、喉、額とあらゆる場所目がけて突き出される。
——くそっ、ダメか!
身体を押さえつけられ、身動きが取れない。あとは刃がアースの全身を貫くだけだった。死の肌触りを感じ、アースは戦慄した。死の瞬間を焦らすように迫る刃が遅く感じられる。
しかし、突如として目の前の兵士たちが動きを止めた。何が起きたのか。アースは状況を把握しようと薄らと開かれている瞳を左右に動かした。すると、視界に入る全ての兵士たちが動きを止めている。そして、身体の末端から徐々に変化が起こっていた。
——石、か?
兵士たちが石像の様な風貌に変化していく。アースは訳も分からず、ただ困惑するだけだった。すると、石像と化した兵士の一人が突如砕け散り、その後ろで不敵な笑みを浮かべた男が映った。
「勇者殿、大丈夫ですか?」
アースを見下ろすように声を掛けてくる男。アースはようやく視界を取り戻し始めた瞳で男を凝視する。
「……パストゥール?」
「はい、そうです」
アースの言葉にパストゥールが笑顔で頷く。そして、アースに覆い被さった兵士を四散させて手を差し伸べてくる。
——助かった、のか?
立ち上がったアースは周囲を見てそう思う。アースを狙っていた兵士たちが一人残らず石像となっている。二十人以上はいる兵士が一人残らずだ。
「これ全部、あんたがやったのか?」
「えぇ、そうですよ。私の両目は石化の瞳なんです」
平原にはアースとパストゥール。そして、石像になった兵士たちしかいない。これがパストゥールの魔力の影響だと言う。しかし、それよりもアースは気になる点があった。
「……それよりも、何であんたはここにいるんだ?」
アースは身構えながらパストゥールに聞いた。
非戦闘員であるパストゥールが戦闘に参加することはまずあり得ない。しかも、ここは敵地の最奥と言っていい場所だ。何かがおかしい。警戒しろ。本能がそう語り掛ける。
「虫の知らせ、とでも言うんですかね? 勇者殿がここに向かったと聞いたので」
パストゥールは質問に答えているようで答えてはいなかった。何か核心的な部分は隠されている。
「そんなことよりも、勇者殿はすぐにでも戻られた方が良いのでは?」
パストゥールに言われて、アースは自身の本来の目的を思い出した。ここには転送門を破壊しにやっていたのだ。そして、それが終わった今、すぐに戻らなければならない。一刻も早くレイナの下に。
「……分かった。あんたも戻るんだろ?」
アースは帰りの道中でパストゥールに詰問すれば良いと考え、そう言った。しかし、
「いえ、私はここの後始末をしてから戻ります。敵の増援は少しでも少ないほうが良いですからね」
パストゥールは近くの兵士を砕いて答えた。
「……そうか、分かった」
パストゥールの動向は気になるが、これ以上時間を割いている余裕があるわけではない。アースはパストゥールを置いて、来た道を戻ることにした。