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疑惑

 戦闘は魔族軍の勝利に終わった。グラオベンの活躍、予想外であるレイナの参戦で勢いに乗った魔族軍は三倍以上あった戦力差を物ともせず、人間たちを残らず刈り取った。

 アースはレイナと合流後、すぐに本隊へと戻った。従者を失ったアースはレイナの後に続いて戦場を駆けたが、記憶には無かった。気付けば城へと戻ってきていた。

「くそっ……」

 アースは一人廊下を歩いていた。足取りは重い。決して疲れや怪我があるわけではない。アイギスを失った自分の不甲斐なさ。我を忘れた少女を返り血で血まみれにするまで戦わせた自分の不甲斐なさ。そんな思いに押し潰されそうになる。それでもアースは、まずは自分の口で報告を、とアイラの下に向かった。

 アイラの部屋をノックする。小さな返事を聞いてからドアを開く。

「勇者様、お帰りなさいっ」

「あぁ、ただいま……」

 アイラは出発前と変わらず元気に満ち溢れていた。そんな顔を見るだけで、アースは罪悪感に苛まれていく。これから、少女にとって酷な話をしなければならない。

「初の戦闘はどうでした?」

「…………」

 アイラはいつもと同じように極々当たり前の事を聞いてくる。しかし、アースはそれに答えられる様な気分ではなかった。自分の顔を覗き込んでくる少女から無意識の内に目を背けてしまった。

「……? 勇者様?」

「……アイラ、聞いてくれ」

 アースは覚悟を決めて口を開く。

「……アイギスが、死んだ」

 静かな部屋が一層静まり返った気がした。アイラは目を大きく広げて固まっている。

「……え? アイギス、が?」

 アイラの途切れとぎれの質問にアースは鎮痛な面持ちで頷く。

「い、いやいや、勇者様、ご冗談を……」

 アイラはアースの言葉を信じようとはしなかった。首を振り笑って誤魔化している。そんなアイラにアースは目を合せられなかった。その態度にアイラはアースの言葉が真実なのだと悟った。

 アイラの心の中に穴が空く。なくてはならないものが無くなった。つい数時間前までは当たり前の様に存在していた者がいなくなる。もう二度と会えない。覚悟はしていた、つもりだった。戦争中ならばよくある話。そう自分に言い聞かせ、気丈に振る舞おうとするが、目からは大粒の涙が溢れて止まらない。

「そんな……うそ、ですよね? 嘘なんですよね?」

 認めない。認めたくない。アースにはそんなアイラの気持ちが聞こえてくるようだった。しかし、現実は非情だ。

「うっ……うくっ、うぅ……」

 アイラの顔は次第に崩れ、ついには大声を上げて泣き始めてしまった。アースの服を掴み、頭を垂れる。

 アイラにとってはいつもと変わらない見送りだったのだろう。しかし、最愛の友人はもう帰ってこない。

「……すまない」

 アースは小さくアイラに謝った。せめてもの罪滅ぼしだったのかもしれない。しかし、アースの気持ちは一向に晴れることはなかった。

 そんな時だ、部屋に来訪者を告げるノックの音が響いたのは。

「……失礼する」

 奥行のある低い声が聞こえると同時に姿を現したのはグラオベンだった。戦闘の際に着ていた鎧を未だ着込んでいるところを見ると、まだ城に帰ってきてから自室に戻っていないようだ。

 アイラはグラオベンの登場に少しだけ泣き止んだ。それでも、アースの影に隠れるようにして涙を流している。

「その様子では既に聞いているようだな」

 グラオベンはアースと同じ理由でアイラの部屋を訪れたらしかった。しかし、

「それでは、邪魔したな」

 用が無いと分かるとすぐにグラオベンは踵を返した。まるで事務的態度。そんなグラオベンの態度がアースには気に食わなかった。グラオベンには他にもやる事が多くある。感傷に浸っている暇など無い事はアースもよく理解している。しかし、

「おい、待てよ」

 自分でも何でこんな事をしているのか分からなかった。グラオベンに怒りをぶつける意味はない。怒りをぶつける相手は自分自身だということも分かっている。それでも、アースはグラオベンを引き止めていた

「……アイギスは、死んだ」

「あぁ、そうだな」

 淡々とした答えがアースの耳を突く。アイギスを見離すかのような無機質な声。

「なんとも思わないのか?」

「残念だったな」

 他人事の様なグラオベンにアースは我慢の限界だった。

「仲間が、お前の部下が死んでいるんだ。よくも、そんな態度でいられるな! 悲しくないのかよ!?」

 アースはアイギスが死ぬ理由を作ったのは自分だと分かっている。それでも、何かに当たらずにはいられない。その事も分かっている。なんて無様なんだろう。怒りを顕わにする自分と、それを冷静に見つめ止めない自分。心がバラバラになっていく。

「戦争ではよくあることだ。一々気にしていたら、キリがない」

「ふっざけんなっ!! 元はといえば、お前が——」

「やめてくださいっ!」

 我を忘れてグラオベンの顔面目掛けて拳を振るうアース。しかし、それはアイラによって遮られた。二人の間に入ったアイラが涙を流しながら、両手を広げている。寸前のところでアースは拳を止め、これ以上ない力で拳を握りしめた。

「グラオベン様も辛いはずです。ご自身の直属の部下を失ったんです。悲しくないはずがありません……」

 グラオベンの気持ちを代弁するように口にするアイラ。しかし、グラオベンの顔は冷ややかなままだった。

「元はといえば、お前の……」

 ——お前の指示が間違っていたんだ。

 アースはそう言いかけて、そのまま飲み込んだ。

 全てにおいて正確な情報など有り得ない。想定外の事態において決断を迫られるのはその場にいる者のみだ。いくらグラオベンの指示が間違っていたとは言え、すぐに撤退を選ぶこともできたはずだ。アースはその事を十分に理解している。

 しかし、グラオベンはアースにとって予期せぬ言葉を告げてきた。

「そうだ。あの場での指示は間違っていた。いや、指示が間違っていたのではない、情報が間違っていたのだ」

 アースとアイラは同時にグラオベンの顔を仰ぎ見た。

「事前の情報によれば南には偵察部隊がいるのみだった。しかし、実際は違っていた。我が軍の偵察部隊が情報を読み違えるとは到底思えない。どこかで情報が故意に歪められた可能性がある」

 グラオベンの言葉にアースは思考を巡らせる。

「……裏切り者がいるっていうのか?」

 真っ先に怪しいのは裏切り者の存在。それにはグラオベンも同意だったのか、

「その可能性は十分にある」

 首を縦に振って答えてきた。しかし、アイラはそれを否定した。

「ま、まって、待ってください。魔族の裏切り者なんて本当にいるんですか? だって、人間は魔族を無条件で嫌うんですよ? 例え、人間側についてもどうなるかは分かるはずです」

 先ほどの戦闘。人間でありながらもアースは人間たちに暴言を浴びせられた。姿形が同じであっても、魔族というだけで人間の攻撃対象となる。あの憎悪は魔族を裏切った程度では拭い切れるものではない。

「そう考えると、裏切り者はいないのか?」

 アースは裏切り者がいると考えている。しかし、アイラの言葉も理解できる。魔族が魔族を裏切って人間に付いても、後々殺されるだけだ。それでは裏切るメリットが無い。

「ともかく、俺はパストゥールの下に向かう。全ての情報はあの男を経由する形になっているからな」

 魔族軍の体制なのだろう。全ての情報はパストゥール・ドローススを経由する。ならば、その時点での情報を確認すれば、自ずとどこで情報が誤った形に歪められたのか絞ることができる。

「……俺も行っていいか?」

 アースは部屋を出ていこうとするグラオベンに向かって言った。

 今回の情報の伝達に問題がなければ、アイギスも死ぬことはなかった。そう思うと、アースは何か行動を起こさなければならないという焦燥感に駆られていた。行動を起こしていなければ罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。

 グラオベンはアースを一瞥すると、無言で歩き出した。アースはそれを同意の合図と受け取り、グラオベンの後に続いた。


 パストゥールがいる部屋は大広間の近くにある執務室だ。パストゥールは国の運営を任されており、その性質上、国に関わる全ての情報を知る権利を得ている。それは当然、戦争に関する事であっても例外はない。

 グラオベンはドアを荒々しくノックし、返事も待たずにドアノブに手を掛けた。

「邪魔するぞ」

 グラオベンが遠慮なく部屋に足を踏み入れると、窓際の席に着いていたパストゥールがゆっくりと顔を上げた。

「これはこれは、グラオベン殿。そんなに急いで、一体どうされた?」

 パストゥールは立ち上がり、両手を広げてそんな事を言ってきた。

「パストゥール、一つ聞きたいことがある」

 アースはパストゥールと会話をするグラオベンの背後に立っている。それにも関わらず、パストゥールから常に見られている様な感覚がアースを包んでいた。この男を目の前にするといつもこれだ。アースの一挙手一投足を余すことなく監視している。

「今回の戦闘において、貴様はどんな情報を得ていた?」

 グラオベンの言葉にパストゥールは芝居の様に大げさな仕草で首を傾げた。

「出陣前、グラオベン殿に伝えた通りだが?」

 パストゥールは訝しげに答えてくる。すると、グラオベンはパストゥールに歩み寄っていった。

「部下が死んでいるんだぞ。情報の伝達ミスでは済まない!」

 グラオベンが机を叩き、声を荒げる。部下が死んでいる。当然、アイギスの事だ。

「そのことに関しては私も済まないと思っている。しかし、私の所にやってきた情報では、既にグラオベン殿にお教えした通りだったのは間違いない」

「ならば、貴様に情報を伝えた者を教えろっ」

 グラオベンの眉間に深いシワが出来上がる。平静を保とうとしているが、抑えきれない怒りが溢れていた。手こそ出していないが、いつでも斬りかかりそうな危うさがある。

「……残念ながら、今のあなたにはお教えできませんな」

「貴様っ!」

 パストゥールの拒絶にグラオベンはついに直剣の柄に手を置いた。いつでも斬りかかれるとパストゥールを威圧するが、パストゥールは冷静にグラオベンを静止した。

「今のあなたは部下を失って冷静さを欠いている。そんなあなたの前に情報伝達を誤った者が現れたらどうなる? 結果は目に見えている。今はゆっくりして落ち着くといい」

 パストゥールはグラオベンに言って聞かせる。傍から見ていたアースにもグラオベンは危うく見えた。例え、故意の過ちでなくても、今のグラオベンはその者を切り捨てるだろう。グラオベン自身もその事に気づいていたようで、震える手をゆっくりと柄から離していった。

「…………邪魔したな」

 グラオベンはやり切れない怒りをなんとか押さえ込み、部屋から出て行った。パストゥールの言葉通り、落ち着いてから出直すようだ。

 グラオベンについてきたアースだったが、何の収穫もなかった。仕方なくアースも踵を返して部屋を後にしようとした。しかし、

「勇者殿、少々よろしいですか?」

 パストゥールの言葉に反応してアースは振り返る。それだけでパストゥールはアースが自身の言葉を承諾したと受け取った。

「グラオベン殿同様に今の姫様はとても危うい状態です。どうかお力添えをお願いいたします」

 パストゥールは頭を下げて懇願した。そんなパストゥールの姿をアースは訝しんだ。

 互いを初めて認識した瞬間から絶え間なく送られ続ける不気味な視線。そんな相手に頭を下げられたところで、何か裏があるのではないかと勘ぐってしまうのは必然だ。しかし、レイナが心配なのも事実だ。アースは仕方なく一度だけ頷いてパストゥールの部屋を後にした。

 その後、アースはレイナの部屋に向かったが、部屋には誰一人として入る事はできなかった。耳を澄ませば聞こえてくるレイナの泣き声がアースの心を容赦なく抉っていった。

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