魔盾
男が増援要請に向かってから十分以上は経っている。仮に大きな街ならばそれぐらい掛かるだろうが、ここはそこまで大きな街ではない。なおかつ、アースたちが南に向かっている以上、既に敵の増援と遭遇していてもおかしくはないはずだった。
「増援はどうしたんだ?」
「どうしたんでしょうか?」
アースとアイギスは周囲を警戒しながら歩いていた。敵はいない。見渡す限り荒らされた家屋が並んでいるだけだ。
「しかし、こうも敵が現れないと待ち伏せを警戒した方がよさそうですね」
アイギスが周囲を見渡しながら言う。
正々堂々、正面でぶつかり合う戦いでは人間に勝ち目はない。ならば、待ち伏せでの奇襲攻撃が実に効果的な作戦だ。敵が強大であれば尚更だ。
「…………」
待ち伏せ、という言葉によってなのか、アースは背筋に寒気を感じた。周囲を見渡し、上空にも目を向ける。すると、そこには暗雲の中を飛ぶ鳥たちに紛れて、飛来する何かがあった。その物体は空気を裂く音を纏いながらアースたち目掛けて飛んできている。咄嗟に数を把握できないほどの物量だ。
「……? 岩、ですね」
アースの異変に気づいたアイギスも上空に視線を送り、即座に飛来物の正体を見破った。
「直径は二メートルほどですね」
アイギスは冷静に岩を分析している。その隣でアースは上空から押し寄せる無数の岩に驚愕していた。
「投石器かっ。逃げるぞ!」
攻城兵器である投石器。その名の通り、石を投げる器具なのだが、投げる石の大きさが人間よりも遥かに大きい岩であり、城を打ち砕く目的の兵器。それが、なぜこんな民家しかない場所に使用されるのか。それも、相当な数だ。
投石器から放たれた岩の落下地点はアースたちがいる周辺。それだけで何を、誰を狙っているのか理解できる。
直径二メートル、重さは数トンになるであろう岩を受け止めることは不可能だ。ならば、逃げるしかない。アースはすぐにそう判断したが、アイギスはその場から一歩も動かず盾を構えた。
「おい、受け止める気か!?」
「えぇ、お任せ下さい」
アイギスは至って冷静に返事をした。岩に押し潰されることなど微塵も考えていない様子だ。
飛来する岩に対して垂直に盾を構えるアイギス。そして、数秒の後、盾に衝撃が走る。
空気が揺れ、耳を覆いたくなる程のけたたましい衝撃音が周囲に響く。岩の圧力がアイギスを襲うが、アイギスは顔色一つ変えずに岩の軌道を逸らした。岩は近くの家屋に直撃し、木材が押しつぶされ周囲に飛び散る。
「勇者様、危険ですから、私の後ろに」
アイギスは背中越しにアースへと告げる。流石のアイギスでも近くにいない者を守ることはできない。自身が逸らした岩に当たることはなくても、無数に飛んでくる岩のどれかが、運悪くアースに直撃する可能性だってある。
アースもその事を察し、アイギスの言う通りに近づいた。それに、いま目の前で岩を退けた光景を見れば、誰だって背中に隠れるだろう。
雪崩の様に飛来する岩の全てをアイギスは防いでいく。時には軌道を逸らし、時には直撃の瞬間に四散させ、宣言通りにアースを守っていく。主に怪我一つ負わせないという盾騎士としての尊厳。
投石器からの猛攻は十分以上も続いた。投石器は一回の使用に時間が掛かる。それがこんなにも連続で岩を飛ばし続けられるということは、相当数の投石器が存在していることになる。
——なんで投石器を、こんな城も無い街に配備したんだ?
妙な疑問が浮かび上がるが、それはすぐに解消された。目の前のアイギス、そして、グラオベンの戦いぶりを思い返したことで。
魔族軍のトップに君臨する者はその誰もが一騎当千の強さを持つ。攻城兵器でないと対等に戦えないのだ。それでも、アイギスの防御力はそれをいとも簡単に上回った。
アースはアイギスがディアブロシールドと呼ばれ、恐れられている片鱗を垣間見た。もしも、アースが人間軍のただの兵士だったならば、武器を捨てて逃げ出しているだろう。
「今ので、最後みたいだな」
空を見上げても、そこには暗雲と避難を続ける鳥の群れだけだった。
「そうみたいですね」
アイギスは少しだけ呼吸を乱していたが、それだけだ。兜から流れる金髪が可憐に揺れている。攻城兵器である投石器の攻撃を盾一つで防いだのだ。人間ならば何の抵抗もなく押し潰されているところだ。まさに城壁、いや、それ以上だ。アイギスの防御力は城壁をも凌いでいる。
ピィィィィィィィッ!!
突然、周囲に甲高い音が響いた。すぐに音の方に視線を送ると、馬に跨った兵士が天に向かって笛を吹いている姿が飛び込んできた。
「増援か!?」
すぐに何の為の笛なのかをアースは理解した。投石器の攻撃でアースとアイギスを倒せたのか確認しに来た兵士が二人の生存を確認して増援要請をしたのだ。
「どうしますか?」
「まずは——」
アースは迷いなく兵士に近づいた。一瞬での間合い詰め。躊躇うこともなく兵士の首を撥ねた。兵士は何が起こったのか分からず、首を失った胴体が力を失って馬上から崩れ落ちた。
「増援部隊の排除だ」
おそらく、笛の音を聞いた増援がもうすぐやってくるだろう。そうなれば、アースたちはすぐに取り囲まれる。
「こっちから仕掛けるぞ」
そう言ってアースは直剣を仕舞うと、南へと走り始めた。なにも同じ場所にいて敵を待つ義理はない。奇襲を仕掛けた方が戦闘は有利に進められる。
「わかりました」
アイギスもアースに続くように颯爽と走り始める。
敵の増援が来る方角は南だ。そこに敵の拠点があるはずなのだ。アースはそこを潰すつもりだった。
「敵です!」
アイギスは走りながら前方を見据え、声を上げた。その声にアースは足を止める。斜め後ろにいたアイギスも足を止め、周囲に気を配る。
視線の先には鎧を着込んだ兵士たちが大勢いる。左右を家屋の瓦礫で塞がれ、大きな一本道となっている先、人垣で奥の景色が見えないほどに兵士が集結している。その中、馬に跨った指揮官と思わしき兵士が直剣を掲げ何かを叫ぶと、周囲の兵士たちから怒号にも似た雄叫びが上がった。
——情報と違う?
グラオベンの話では南には偵察部隊しかいないはずだ。しかし、いま目の前にいるのは偵察部隊とは思えない。しかし、アースは逃げることはしなかった。
「正面から切り込むぞ!!」
負ける気がしなかったのだ。攻城兵器すらも退けるアイギス、そして、魔族軍の勇者である自分がいるのだから。自信に溢れ、その自信はアースを好戦的にしていく。大群を前にして口元が緩んでしまう。
地響きを鳴らし、土煙を巻き上げながら兵士たちは一つの生き物の様に押し寄せる。アースとアイギスはそれから逃げることはせず、正面から対峙する。
アースが先頭の兵士に斬り掛かり、刃が交じり合う。その瞬間、アースは目の前の兵士が手練れであると直感した。
「背中合わせならイケそうか?」
「はい、問題ありません」
人波がアースとアイギスを取り囲む。アイギスはすぐにアースの背中に自身の背中を預け、盾を構えた。
「化け物風情がぁっ!」
アースに斬り掛かってくる兵士が声を荒げる。兵士たちは当然アースが人間だという事など知る由もない。人間と魔族の戦い。人間は当然の様にあらゆる手を尽くして魔族を殺しに来る。そこに騎士道なんて物は存在しない。
殺意は兵士たち全員に伝染し、感情を高ぶらせ、より獣へと回帰させていく。目の前の敵を殺す。ただそれだけの為に兵士たちは動く。それでも、兵士たちは互いに連携を取り、アースたちを追い詰めていく。
アースの目の前の敵が次々と入れ替わっていく。一撃放っては離脱を繰り返し、個々のリスクを最大限に減少させた戦い方。全ての人間がアースとアイギスだけに殺意を向けてくる。
——ちっ、やりにくい!
当然、人間であるアースにその戦法に対する術はない。グラオベンの様に大地を割る斬撃を放つことも、翼で空を飛び距離を取ることもできない。
——早まったか?
相手の想像以上の強さ、練度にアースの脳裏に、多勢に無勢という言葉が過ぎった。やはり二人だけでは戦いにすらならなかったのだろうか。
しかし、そんなアースの気持ちとは裏腹にアイギスは全ての斬撃を防いでいた。更に、時折反撃をしては兵士を吹き飛ばして人垣を崩していた。美しい金髪を揺らし、揺らぐことのない背中でアースを支え続ける。
「勇者様、どうぞご自由に戦ってください」
アイギスは自分を守ってもらおうとは一切考えていない。主であるアースを守るだけ。それだけを考えて戦っている。もしも、アイギス自身が守られる立場になってしまえば、それはアイギスの存在意義の消滅に等しい。
アイギスの言葉を聞いたアースは一瞬躊躇ったが、すぐにアイギスの言葉の意図を読み取った。
「しっかりついてこいよっ」
そして、自ら敵の群れの中に飛び込む。
グラオベンの様な力が無いアースだが、速さではグラオベンの上を行く。一体一で警戒心を持った相手には通用しないが、戦局の優位性に隙が生じた相手ならば十分だった。
人垣の中を風が吹き抜ける様にアースが駆ける。いつか見たレイナの戦い方と同じだ。縦横無尽に戦場を駆け、一撃離脱を繰り返す。アイギスも盾を構えながらピッタリと背後について来ている。移動を続けるアースの後に続き、敵の攻撃からアースを守り、アースが攻撃にだけ専念できるように動く。アイギスの実力は盾騎士の名に恥じないものだった。
人垣の中を縦横無尽に駆け回るアース。誰もその攻撃を止めることができずにいた。次々に倒れていく仲間に兵士たちの戦意は失われつつあった。兵士たちの半数が倒れた時には逃亡を始める者も現れていた。武器を捨て、背を向ける。その姿を見て、馬上の指揮官が声を上げる。
「撤退だっ! 一時撤退する!!」
「どうしますか?」
逃げる兵士たちを尻目にアイギスがアースに聞く。アースは少しだけ考え、結論を導き出す。引き際を見極められる指揮官は有能だという。この指揮官もそれだ。勝てない戦いに無駄な兵力を払うつもりはないらしい。
「指揮官だけは叩いておくぞ。他は無視していい」
軍隊は指揮官を失えば機能しない。人間の様に統率され尽くしている軍ならば尚更だ。
アースは兵士たちの間を駆け抜け、馬に跨る指揮官を目指した。